〝そのハンター〟とは樹海で出会った。
レオがかつての旦那、相方と呼んでくれた敬愛すべくヘビィガンナーと出会った場所で。
レオは鍛錬に励んでいたのだ。今でも悔いることがあるから。
最高峰のガンナーだった〝旦那〟タイジュは、負傷したまま銀のリオレウスと邂逅し、その業火に焼かれて消えた。あの時、せめてガードをすることができたなら。回復することができたなら。盾になることができたなら……きっとタイジュは死ななかった。
今でもはっきり覚えてる。タイジュと出会うより昔……自分はひどく弱々しく、顔に傷を持ち、毛並みも上等とは言えないような可愛げのないアイルーだった。ポツンと樹海の水場に腰掛けて、みずほらしい装備で空を見ていた。
ハンターが通りかかると、勇気を出して声をかけるのだ。ハンターさん、ハンターさん、僕を雇ってください。頑張って戦いますから。強くてカッコいいオトモに、ずっとずっと憧れてたんです。
そう言って、おずおずとすれ違うハンターに申し出た。
ある人は装備の脆弱さに、またある人はレベルの低さに立ち去ってゆく。時折足を止めてくれる人もいた。とても戦力になりそうもないレオを見てから、思案しながら尋ねるのだ。回復や解毒は出来るか?罠を貼ることは?なら採取は得意か?
次々にくる質問に、申し訳なさそうに首を振る。どれも出来ない。出来るのは攻撃だけだ。あと笛が少しだけ、攻撃力を上げる効果のある笛だった。
頑張って戦います。攻撃をたくさんします。剣もハンマーも、ブーメランでも、武器はこれから全部覚えます。だから……
だから。その先を聞いてくれた人はいなかった。ハンター達は決まって落胆した表情で背中を向ける。小さくなってゆく人影を、樹海の真ん中でいつまでもいつまでも眺めてた。もう随分昔のことだ。
もう何人に雇用を断られたか数えるのもやめた頃。通りかかった一人のハンターに、おっかなびっくり声をかけた。
どうせ断られるとやさぐれてたし、強いオトモになるなんて夢も、半ば諦めかけてた頃だった。
〝そのハンター〟は大砲みたいな銃を背に、弱く小さなアイルーをまじまじ見たあとこう尋ねた。「お前、なんて名前だ?」
タイジュだけが、レオを真っ直ぐ見てくれたのだ。名前を聞いてくれたのだ。そして、手を差し伸べてくれたのに。タイジュの声は、カラカラと気持ちの良いものだった。貧者なレオに目一杯の愛を注いで、沢山の知識を授けてくれて、いつも稽古をしてくれた。そして、どんなクエストでも野良では行かず、レオに「行くぞ」と笑ってくれた。実力と不釣り合いな高難度でも、足手まといと言わずに「吸収するんだ」と肩を叩いて、ボロボロで歩けなくなった時にも、自分だって傷だらけなのにレオを抱えて帰還してくれた。
なのに、守ることが出来なかった。
塞ぎ込んでも悔やんでも祈っても、全てが抹消的に思われて、やがてユクモの墓に燻ることすら辛くなる。だからレオは旅に出た。修行に打ち込むためだった。
世界には数多の、実に多様な竜たちがいる。
一から始めようと思った。レオのスタイルはハンターにファイトと呼ばれるものだ。攻撃に長け、またハンターの攻撃を補助することも得意とする。長年そうして培った全てを封印し、レオが目指したのは〝守り〟であった。
もう誰も死なせたりしないように、レオは守る技術を磨いていたのだ。あの時、ガードが出来たらタイジュは死ななかったのだから。誰かの盾になれるアイルーになりたいと、レオは長い時間をかけて技術を磨き続けてた。
ボロボロの〝そのハンター〟が現れたのは夕暮れだった。各地を旅したのちはじまりの樹海に戻ってきた折りである。
そのハンターは寝床にしていた水場の脇に、血塗れで突っ伏して眠っていたのだ。奇しくもそれは、タイジュと出会った場所だった。
……死んでいるかと思った。だが近付けば瞳は開いて、同時にひりつくほどの闘志を放ってくるではないか。血を吐くほど弱っているのに呻きも漏らさず、よろよろの身体で武器を構えて、レオに「近付くな」と威嚇するのだ。
立っているのも辛そうで、切っ先は痛ましく震えてた。
地面に血が滴って、小さな泉を作ってく。このままでは、このハンターは死ぬだろう。レオは宥めるように一歩下がって、「敵じゃない」と繰り返したが、信用されることはなかった。
「近付けば叩っ斬る」「消えろ」ばかりを繰り返す様が、手負の獣さながらだった。レオが一歩後ずさるのと、ハンターが糸が切れたように意識を手放したのは同時であった。ハンターは、とうに限界を超えていたのだ。
レオはおっかなびっくりその頬に触れ、弱々しい呼吸を聞いた。そして近場に生える薬草をかき集め、布を包帯代わりに止血に使い、せっせと手当てに励むのだ。
夕日が水面を赤く光らす。その赤より赤い血で全身を濡らす、ハンターは本当にボロボロだった。一際深い喉元の傷が惨たらしく、きっと痕になってしまうだろう。
レオは必死に手当てした。タイジュに出来なかったことをするみたいに。目の前の命を、どうしても散らせたくないと思った。
〝そのハンター〟が意識を取り戻したのは、丸二日経過してのことだった。
………………………………
かつて栄華を極めた王都であったその場所は、今はただ衰亡の爪痕だけを残すばかりだ。常に怪しげな霧と暗雲に満ち、異常なまでに空気を重苦しく感じる。
歴史書によるならばここは城下町であり、その跡地ということになる。そして、この先には伝説に滅ぼされし王城の成れの果てが。
ツバキはシュレイド王城跡を遠目に眺め、朽ちた王都を歩いてた。彼を、アドルフ・ダラハイドのことを考えながら。
イツキはまだ眠ってる。王都の一角にある廃屋にベースキャンプを設け、一晩疲労回復に費やすために。彼女はどうにも眠れずに、そんな中ふらふらと散歩に出たのだ。
割れた石畳や古びた煉瓦。埃まみれの木箱の山や、瓦礫と化した家や壁。権威の象徴であったであろう城のシルエットが、闇の中で凶々しい姿に見える。滅びたものは、どうしてこんなに悲しいのだろう。
一歩のたびに、ツバキは追憶に襲われていた。
ダラハイド。貴族のような立ち振る舞いをする男。戦争の宿命に囚われた哀れな男。ハンターに憧れていた剣士。なんでも知ってるようで、何も知らなくて、ツバキの知らない世界で生きてた。……そうだ、彼は〝サイン〟すら知らなかったのだ。氷海のベースキャンプで子供みたいにサインを鳴らして喜んでたし、ダレン・モーランの背中では気取った口調を忘れたような感嘆をした。それから、マボロシチョウを穏やかな目で眺めていたのだ。
騎士は……ダラハイドはシュレイド王城を目指しているとレオは言ってた。この広く朽ち果てた王都のどこかに、あるいは城内に彼はいるのか。自分がちっぽけに思えるくらいに、シュレイド城やその城下町は広大だった。彼は、この街のどこにいるというのか。
空が、暗い。
夜の暗さとは違う、澱んだような黒さであった。何かに呪われているように。乾いた足音すらどこか不気味で、世界にたった一人になっちまったような錯覚をする。
ツバキは不意にサインを鳴らした。子供のように「すごいな」と喜んだダラハイドの顔を、今でもハッキリ覚えてる。その懐かしさが、彼女に衝動的にサインを鳴らさせた。
仲間はもう、みんな居なくなってしまった。だけど忘れられないものがある。暗い空に、彼女のサインが木霊する。
……その数秒後のことだった。
たった今出したサインに、別のサインが応答を返したのだ。
サインには現在地を知らせるために、振動によって発信者への方角を伝える効力がある。
彼女は目を見開いた。
────違う。〝この振動〟は、兄の現在地の反対側だと。これは兄の反応ではない。ツバキでもイツキでもない別の誰かがここにいる。
もう一度、彼女はサインを出してみる。
鼓動は早鐘を打っていた。それが誰なのか、脳はもう答えを出している。レオは言ってたのだ。騎士がここを目指していると。だからこそ、ツバキ達はシュレイド城にやって来たのだ。
手の中でまたサインを拾う。返してきた。サインはまた反応をした。そして明確に彼女に応える。
「ダラハイド!」
気付けば駆け足になっていた。
畝る道を地図の確認をすることもなく、サインの鳴る方へとひたすら走った。雪山を越える長旅は疲労を蓄積したけど、今はそれすら忘れてしまった。
城へ続く坂道を、彼女は一気に駆け抜ける。干上がった水路の上にかかる石橋を渡り、行き止まりになれば塀を登って乗り越えた。ただ真っ直ぐ、サインの鳴る方角を目指した。
やがてスタミナが尽きかけて、彼女はぜいぜいと息を切らす。けれどこの先に、二年前に失ったなにかが待ってる気がして、肺が傷もうとも足が止まることはなかった。
「ダラハイド!ねぇ、ダラハイドなんだろ……!」
泣きそうだった。街灯のないそこは酷く暗く、散らばる瓦礫に時折足を取られながらも、ツバキは必死に前へと進んだ。サインが鳴ってる。この先に、彼がいる。
二年だ。このもどかしい気持ちは、二年も燻り続けて来たのだ。
「ダラハイド!!」
道が開けた。
脇道からシュレイド王城の城門にたどり着いたのだ。見上げるほどに立派な扉は、しかし閂が外されていた。施錠されていないのだ。
伸ばした指が扉に触れる。全力疾走のためか汗が額から滴って、顎先を伝い地面に落ちた。祈るみたいに力を込めれば、扉はあっさり隙間を作る。その奥に、黒く巨大な影を見る。
二年前に見た真っ黒いリオレウスがそこにいた。城門の奥は開けた広間になっていて、城内へ続くべく関門のその先は、焼き払われたあとのように崩壊していた。
屋外の広間にはバリスタや大砲、撃龍槍が設置され、かつての王が迎撃に備えた名残があった。撃龍槍の錆び付いた先端が、その歴史の長さを語る。天蓋を支えていたのであろう頑丈な柱が数本見えるが、肝心の天蓋は最早跡形も残っていない。
滅びし王城の広間の中央、赤い月の光を浴びて、黒きリオレウスは鎮座していた。その目もまた赤く凶々しく光るのに、ツバキを襲おうとはしてこない。
やがてリオレウスの後ろ脚、門から死角になろうその場所から、懐かしい声が鼓膜を撫でた。
「……久しいな、G級ハンター殿」
ダラハイドだ。見間違えよう筈もない。装備はあの頃と違うけど、その面立ちも喋り口調も、二年前と変わらなかった。体のどこか薄暗いところに淀んでいた古い血が、波立つ音が聞こえた気がした。
「よもやこんな所で会おうとはな。元気そうでよかった」
何事もなかったみたいに朗らかに、彼はそんなことを言う。聞きたいことがたくさんあった。だのに声が出てこない。
彼女はガキみたいな顔をして、口をぱくぱくさせた後、ようやっと声を絞り出す。
「なんで、サインなんか……」
聞きたいことは他にもたくさんあるはずなのに、口をつくのはそんな間抜けな質問だった。
サインはハンターの現在地を伝えるけれど、相手が誰かはわからない。クエストなら予め同行者がわかっているから特定できるが、今の場合ダラハイドは誰が送ったサインなのかわかるはずのないことだった。だのにツバキが来ることを、予期してたような口ぶりなのだ。彼はツバキを見ても驚きはせず、懐かしそうに微笑していた。
「……なんとなく、な」
変わらない。
変わらない。
記憶と全く同じ笑顔を見せる。それだけで彼女が泣きそうになる。
「だが、俺にサインをしてくれたのは、後にも先にもお前だけだった。だからツバキと思ったんだろうな」
「ちがったら、どうしたんだ……」
「その時考えるさ。だが現にツバキだった」
思い出すのは初めて共に狩猟に出た氷海だった。ベースキャンプで面白そうにサインを鳴らして、星を見ながら肉をかじった。あの頃は、バルバレに帰るとよく言っていた。だのに今は────。
「……一人か?ノイアーやシドは……」
言動が動かしがたい岩のような重みで胸にのしかかってくる。彼は……なにも知らないのだ。シドはもういない。この世のどこにも。
「……いない、いないんだ」
「ああ、そうか……。二年も経つものな……」
「違う、違う。いないんだ、二人とも、もう、〝いない〟」
言葉が、かつてこんなに痛みを伴うことがあっただろうか。〝いない〟……それ以上を口に出来ない。ただ彼女の崩れそうな面立ちは、それが穏やかな別れでないと伝えるには十分過ぎた。
ダラハイドはそれ以上を聞かなかった。ただ、黙って彼女の頬撫でる。
その面立ちは苦しげで、ひどく悲しそうな眼差しだった。
「……逃げろツバキ。ここにいてはいけない」
それからダラハイドは、小さな声でそう言った。夜が死人のように静まり返る。
リオレウスは微動だにせず鎮座する。深夜のシュレイド王城の空気は、未だに海のうねりのように肌に蘇って消えそうにない。彼女は数度まばたきをした。
「え……」
「戦火が広がる。遠くへ行け、ここにもうじき軍がくる」
「なに、を……」
「俺は出来ることをする。だが、お前に死んで欲しくない」
彼はなにを言うのだろう。東シュレイド王国に蔓延する黒い影は、未だ動きを止めないというのか。グラン・ミラオスがどうなったのか、それは聞くまでもないことだ。厄海は封鎖されたまま、国民が戻ったという話も聞かない。
「……会えてよかった。奇跡かもしれないな。こんな場所で、もう一度会えるなんて」
「レオが、教えてくれたんだ。クレバスにあんたが落ちたから。無事で良かった……」
ただ、今はただその無事に歓喜するほど、彼女にとっての二年があまりに長かった。もうあの頃に戻れなくても、今が不穏な空気であろうと、命が何より尊いからだ。
だのにダラハイドは、信じ難いことを言う。
「……レオ?新しい仲間か?」
レオ。父の元相方であり、黒い騎士のオトモアイルー。つまり、彼のオトモのはずだ。なのに彼は、どうして「そんなやつ知らない」みたいな顔をするのか。
「……レオ、オトモだ。一緒にいただろ?ダラハイド……クレバスにも……」
「いや、クレバス……?どういうことだ?」
「だから、黒い騎士……極限化モンスターを狙って……。え?ならなんで、ここに居るの?レオが、黒い騎士がここに居るって教えてくれて……」
まさか、別人?
彼女がそう問いかけようとした瞬間だった。
目の端に凄まじいスピードで蠢く影が映りこむ。影は姿勢を低くして、獣じみた走りを見せた。背には身の丈を超える巨大な武器、マントのように身体を覆う黒い毛皮と、首元まですっぽり収まる王室騎士のようなヘルム。見紛うことなき黒騎士である。ここに、黒い騎士が現れたのだ。
ダラハイドがその異様な動きに眉を顰めたのと、騎士が背の武器を引き抜いたのは同時であった。
「なんだ!?」
「黒騎士、なんで!あんたじゃなかったの?!」
「なにを言ってる」
直後、ツバキはシナトの受付嬢から得た情報を思い出す。黒騎士は、喉が潰れたような掠れ声であったこと。だのにダラハイドの首に傷痕などなく、その声は昔と変わらない。
「別人……ダラハイドじゃなかった……?」
瞬間混乱が蔓延した。潰れた喉から捻りあげたような、嗄れた咆哮が城へと響く。それはこの世の全ての憎しみを内包したような、重く低く凶々しいものだった。
大剣と良く似たその武器は、しかし大剣より剣速がある。騎士は問答無用に極限化した黒きリオレウスへ、その刃を思い切り叩き込んできたのである。
ダラハイドじゃなかった。
なら、一体〝こいつ〟は誰なのか。
ダラハイドは強く舌打ちをして、ツバキの腰をその手に抱く。彼女が驚くいとまもないまま、彼はツバキを抱えてリオレウスに飛び乗ったのだ。
極限化しているにもかかわらず、黒騎士の攻撃は弾かれたりしなかった。つまり、抗竜石を使用してるということだ。極限化モンスター最大の敵たるその効力を嫌うように、ダラハイドが「飛べ」と命じる。途端、まるで人形のように動かなかったリオレウスが翼を広げた。
「ツバキ、捕まれ!落ちるな!」
「え、え……?!」
「飛ぶぞ!誰だか知らんが、〝あいつ〟はやばい……!」
風が下から吹き抜ける。抗竜石にはタイムリミットが存在する。それまで距離を取ろうとしたのだ。しかし騎士は諦めるでもなく追いかけてくる。
……あの男は何者なのか。ずっとダラハイドだと思っていたのに、ダラハイドではなかった。なら、あれは、誰だ?疑問が頭の中をぐるぐる回る。そうこうしてるうちに高度はぐんぐん上がってく。
「なんっ────」
驚愕の声を、先に上げたのはダラハイドだった。
「うそ……!」
黒騎士が本来なら天蓋を支えるべく柱を登り、その頂上から武器を手に飛び掛ってきたのである。
その鋭い切っ先が、肉質の柔らかい後ろ足を斬り裂いた。リオレウスが大きく怯み、そのまま空中でバランスを崩す。
臓器の浮くような感覚がした。飛び立ちかけたリオレウスが、そのまま地上へ落下する。だがそれすら待てんと言わんばかりに、黒騎士はさらなる追撃を仕掛けようとした。毛皮から伸びる両腕が、武器を強く握ってる。
「……え?」
巨大な剣は再び頭上へ振り上げられた。ツバキはその一瞬に、信じられないものを見る。
厚い毛皮に覆われた、胴に銀の胸あてが一瞬ちらついたのだ。その身体は────
「ダラハイド、く、黒い騎士、お────」
彼女が単語を成すより早く、風を斬るのはリオレウスの鉤爪だった。
乾いた音がする。落下の刹那、追撃しようとした黒騎士にリオレウスが反撃したのだ。極限化個体による強烈過ぎる一撃が、騎士の頭に直撃する。衝撃に騎士はすっとんで、そのまま数メートル先の地面に叩きつけられてしまった。悲鳴すらも聞こえなかった。
無理な体制からの反撃に、バランスを崩したダラハイドたちもまた振り落とされる。
「……くそ、殺したかもしれない……!なんなんだあいつは!」
ダラハイドは落下の痛みに顔を顰めながらも、飛ばされた騎士の方を見る。攻撃の衝撃で上方に飛ばされたヘルムが、時間差で落下し転がってくる。金具にはひびが入り、また血がこびりついていた。
「ツバキ、大丈夫か。すまない、まさかあんな場所から飛び掛ってくるとは予想出来なかった」
ダラハイドが片手を掲げると、リオレウスはぴたりと止まり、騎士に追撃はしなかった。
ツバキがゆっくり起き上がる。数十メートル先には黒騎士が横たわっている。一瞬見えた喉の傷、その身体は男でなかった。黒騎士は……
ヘルムを破壊するほど強烈な攻撃を喰らってなお、騎士は力尽きたりはしなかった。
跳ね起きて、武器を構える。その面立ち、ヘルムを失って晒された素顔があまりに懐かしい。
髪が揺れた。褐色の肌が月明かりに妖しく光る。たった今負傷した傷に手当ても成さず、血が滴り落ちてゆく。
そうだ、いつも、手当てなんかしなかった。ツバキはそんなことを思い出す。だがまさか、〝彼女〟であるなどとどうしたら予想できたのか。
ギラギラと、殺気に満ちた視線が刺さる。
「ノイアー……」
黒い騎士は、ノイアーだった。