騎士を男と誰もが思った。ノイアーは元々長身だったし、厚い毛皮のマントは体型の女性らしさを隠していた。なにより、頭部から首元までを覆うヘルムは男性用の形であり、ひどく掠れた声もまた性別を誤認させたのだろう。喉の傷が声帯を損傷したために、かつて無邪気だったノイアー声は別人のようであったのだ。
こめかみの肌がぱっくりと裂け、どろりと血が落ちている。それを拭いもしないノイアーは、瞳を敵意でギラギラと光らせていた。
「……ノイアー、なんで……」
ツバキにはわけがわからなかった。だのにノイアーは答えもせずに、武器を剣の形に構えて、今にも斬りかかろうとする。
統一感のない彼女の防具は、ちぐはぐながらにそのどれもが凄まじい効力を持ったものと理解できた。そしてそのスキル編成は、保身を突き放してまで火力を求めたものと見て取れる。
「旦那!」
遅ばせてレオがかけつけてきた。レオはノイアーを旦那と呼ぶ。ノイアーが黒い騎士であることを、間違いのない事実であると再認識させられる。
「旦那っ!〝こいつ〟なんですか!」
目前の黒いリオレウスを見て、レオもまた瞳を歪める。
「そうだレオ。私は、〝こいつ〟を追ってここに来た。────なのに、なんでダラハイドが、〝こいつ〟の背中に乗っていたんだ?」
ノイアーが地を蹴る。恐るべき速さで突進しながら剣斧はダラハイド目掛けて振るわれる。それを防いだのはリオレウスの翼であった。
ノイアーが叫ぶ。
「なんで〝こいつ〟はダラハイドを守ってるんだ!操ってたのはお前か!!」
かつて彼女の眼差しには仲間への温度が宿ってた。だが二年を経て、それは敵を射る冷たさへと変わっていた。
「答えろっ」
嗄れた声がシュレイド城の空に響いた。その怒鳴り声があまりに痛ましく、悲しい。
「答えろよダラハイド!なんで、ここに……。なんで、」
ノイアーにかつての無邪気さはどこにもなかった。
二年前、飛行船で眠っていた彼女は、この黒いリオレウスの主人がダラハイドという事実を知らないまんま、黒いリオレウスを追って東シュレイドへやってきたのだ。
剣斧の一撃は人間のものとは思えぬくらいの重さがあった。彼女は火事場のスキルを持っていたけど、この力はそれだけではない。
シドの死を受け、彼女の歩んだこの二年がどのようなものであったのか誰も知らない。わかるのは、戦いに明け暮れていたということだけだ。ノイアーは強かった。昔と比べ物にならないくらいに。
「なんでシドを殺したんだ!!」
ただ、理解出来たこともある。
どうして二年前、飛行船が墜落したのか。あれは、グラン・ミラオスの攻撃に巻き込まれたのでないかと、ツバキは心のどこかで思ってた。黒きリオレウスとグラン・ミラオスの戦いは、遥か上空の飛行船まで巻き込んだのかもしれないと。飛行船の墜落は、タンジアの海を渡る最中のことだったのだ。
ノイアーは、黒きリオレウスがシドを殺したと思っているのだ。
………………………………
二年前、レオとノイアーは樹海で出会った。
世界で一番好きだったシドを失って、ノイアーは気持ちのぶつけどころを探して樹海に入った。
そこには数多の竜がいたけど、彼女はがむしゃらに戦い抜いた。痛みと、苦しみと、厚い鱗を切り裂く感触の中に溺れていれば、喪失に割れた心の嘆きを忘れていられたからだ。
たった一人で、もう何頭狩りとったのかも数えられなくなった頃、彼女は自分が死にかけるほど満身創痍と自覚する。一歩歩けば全身の骨が悲鳴を上げたし、筋肉は捻じ切れそうな痛みを覚えた。血を流しすぎたのか、平衡感覚が曖昧なほどの目眩もあった。
────みず。
朧な意識で欲したのがそれだった。焼け付くように喉が乾く。いや、実際喉が焼けたように熱かった。セルレギオスの鱗が刺さったまま暴れていたら、首で爆ぜたのが原因だろうか。武器を背負うことも出来なくて、重たい剣斧をズルズル引き摺る。彼女の歩いた道には足跡よりも、血溜まりがぼろぼろと点在していた。
死ぬかもしれない、とは思わない。死なないと思ってるわけではなくて、死ぬかどうかがどうでもよかった。
そうしてたどり着いた樹海の水辺で突っ伏してた時、歩み寄ったのがレオだった。
最早アイルーを追い払う余力も無かったのだが、それでも身体に鞭打ち威嚇をすれば、限界を越えた身体が軋む。彼女は自分がいつか死ぬとしたなら、漠然とモンスターに殺されると思ってた。だがまさかそれがアイルーだとは思わなかったと、意識を手放す直前彼女は思う。ああ、気絶する。視界が白く濁ってゆくから、すぐにそうと彼女は察する。
やがてそのまま、力尽きた。
夢だ。
ノイアーはすぐに自覚する。現実ではない。夢の中にいるのだと。
彼女はシドの家のベッドで寝ていて、傍らでシドは読書をしていた。ぼんやり照らす卓上ランプの仄かな光は暖かく、古紙の匂いと、紙をぺらりと捲る音が聞こえる。シドの家で過ごした時間の記憶だろう。彼女は眠くて、なんの本か気になったけど聞かなかった。ただ、隣から聞こえるシドの呼吸や息遣い、紙の音が心地よくって好きだった。
漠然とながら、ずっと続くと信じていた時間があった。
本を読むシドの横顔は真剣で、だのに時折彼女のほうをちらりと見る。眠気眼ではにかめば、「早く寝ろよ」とシドは笑った。外では虫が鳴いていた。
……ゆめだ。
これは、しあわせなゆめだ。
暖かくて、穏やかで、心が満たされるような時間を泳いだ。
これを、永遠に奪った奴が許せなかった。
ノイアーが意識を取り戻す直前に、レオが見たのは頬に伝う涙であった。
彼女は寝ながら泣いていたのだ。
やがて薄っすらと瞳を開けて、ノイアーは手当された傷を見る。
「よかった、目が覚めて」
レオは安堵してそう言えば、ノイアーは顔をくしゃりと歪めた。
器用に巻きつけられた包帯や、労わりが見て取れる回復薬や秘薬の調合された痕跡に、涙をぼろぼろ落としてしまう。
レオは慌てた。どこかが、未だ泣くほど痛むのかもと。
だがノイアーは子供のように嗚咽して、潰れた喉で呟いた。
「……シドかと、思った……」
その丁寧な傷の処置に、彼女はシドを重ねて泣いていたのだ。
……………………
耳鳴りを起こすほどの剣速で、斬撃が幾重にも幾重にも振るわれる。二年を経たノイアーの動きは、最早人とはかけ離れていた。怒りを表すようにこめかみに血管が浮き上がり、まるで全身で咆哮をする。スピードが段違いに跳ね上がる。
いや、速さだけでなく、力も信じられないほど強い。跳躍は高く体躯を捻って彼女はリオレウスに飛びつき、肉質の柔い後ろ足を狙おうとする。ダラハイドは大剣でそれをガードした。
「ノイアー、やめろ!こいつを攻撃するなっ」
ぶつかりあった切っ先が、衝動波でビリビリ震えてる。
「このリオレウスがっ、シドを殺した!」
ノイアーは攻撃を止めそうにない。ガードに弾かれようとも止まらず、直ぐに次の一撃を繰り出してくる。
身体を捻り、遠心力の加わった追撃は更に重たい。
「だからリオレウスを殺す!ダラハイド、邪魔をするな!」
攻撃のたびにノイアーの血が落ちてゆく。先ほど攻撃を受けた傷口から、狂竜ウイルスがじわじわ広がる。だのにそんなことはどうでもよいと言わんばかりに、ノイアーの全身は攻撃だけに集中していた。
「こいつをっ、私は、黒きリオレウスを殺すためだけにこの二年をっ────」
その瞬間だ。ノイアーの瞳が、黒目だけでなく白目までも赤く染まった。眼球がまるごと真紅になり悍ましい眼光を放ったのだ。見たことのない変化であった。
傷口からは黒と紫色の粒子が散って、まるでオーラのように立ち昇る。彼女の爪が黒くなり、肌には血管が浮き上がり、垂れる血が暗く変化してゆく。
「なっ……」
ダラハイドは唾を飲み込んだ。元々怪力であったノイアーだけど、その力がより強力になったのだ。まさか女であるノイアーに力負けするとは信じ難いことだった。
……なんだ、この変化は。
防げないと察したダラハイドは鍔迫り合いをやめ一歩下がった。なんとか傷つけないよう拘束したかったものだけど、今のノイアーは手加減だの保護や拘束だのという次元にはない。全力でやらなきゃ瞬く間に殺されるだろう。かつて見た誰よりも、ノイアーは強くなっていた。
ダラハイドが下がった分だけノイアーがまた一歩踏み込んでくる。斧の形をした武器が、横殴りに風を斬る。狙いはダラハイドだ。彼女はリオレウスとその操縦士であるダラハイドを天秤にかけ、先に仕留めるべくは操縦士だと判断をしたのだ。
武器の軌道に残像が残り、踏みしめた後ろ足の地面がやや陥没してる。……恐ろしい力だった。
それでもダラハイドが、リオレウスを攻撃の手段に使わないのは何故なのか。ノイアーへの情故かもしれないし、他に理由があるかもしれない。ただリオレウスは再び人形のように鎮座して、戦いを静かに眺めてた。
「ツバキ、離れろ!遠くへ行け!ここは〝やばい〟!」
ノイアーの攻撃を紙一重にかわしながらダラハイドが叫ぶ。
「早く行け!!ここに、軍が集ま────」
彼が叫びかけた刹那の時に、脇を裂いたのはレオの持つ大鎌だった。長年タイジュに鍛えられ続けたレオの攻撃は、アイルーとは思えぬくらいに見事であった。ダラハイドがそれに蹌踉めく。
ノイアーは血走った目をしていたが、地に伏すダラハイドにそれ以上攻撃は加えなかった。全身から黒いオーラを放つ彼女は、同じく黒い身体をしたリオレウスと相対する。未だ催眠下にあるのだろうか、リオレウスは闘志を燃やすことなく、じっとノイアーを眺めるだけだ。
「どっちを……憎めばいいんだ?」
ノイアーもまたリオレウスを見る。ノイアーは言う。
「殺した奴?殺せと言った奴? わかんない、わかんないよ……」
瞳孔は開き、血走った目からは血の涙が流れてる。それはもう、倫理を捨てたような様相だった。
ノイアーが、歪んでく。
「ノイアーやめて!」
ツバキは堪らず後ろから彼女に飛び付いた。が、すぐに力任せに振り払われた。信じられないことに、ラージャンにでもブン殴られたような衝撃だった。
後方に吹き飛んだツバキの腕を、踏みつけたのもノイアーだ。まるで竜を睨むかのように、ギラついた眼光が突き刺さる。
「なんでリオレウスを庇うの?なんで戦ってくれないの?ツバキが死んだら、私の気持ちわかってくれるか?」
頭上で剣斧が振り上げられる。
「シド言ってたもん。ダラハイドは、ツバキが大好すきなんだなって」
……壊れてる。
ノイアーは、もう、きっととっくに壊れてしまっていたのかもしれない。
ツバキは揺れる斧を見た。それが、スローモーションで落ちてくる。この軌道は、きっと脳髄を砕くだろう。こんな、ふうに、死ぬなんて。祈る時間もなかった。
「やめろノイアー!!」
ダラハイドが叫んだけれど、ノイアーは手を止めたりはしなかった。剣が落ちてくる。
だが切っ先は頭部に落ちることなく、ツバキのこめかみの真横の地面を突き刺した。
為損じるとは思えぬ距離だ。ノイアーの瞳に感情の色は見えないが、殺意は、なかった。
直後、リオレウスが灼熱の火の玉を吐き出す。ノイアーの背中を狙ったものだ。ダラハイドの指示であるのは明白だった。彼は怒りの形相でノイアーを指差し、それにリオレウスが従ったのだ。
火の玉を防いだのはレオだった。レオの武器が火球を撥付け軌道を逸らした。
「────旦那、リオレウスが来る」
レオがノイアーの手を握る。
酩酊するようだった彼女の瞳が、その視線をレオに合わせる。
「……レオ」
「旦那、こっちだ」
「……そうだ。そうだな、レオ、そうだった、そうだよね……」
……これは、一体なんなんだ?そんな疑問に、答えてくれる者はいない。
ツバキを殺されると思ったダラハイドがついに動いた。直後につん裂くのは怒り狂うリオレウスの咆哮だった。ノイアーが言い様のない笑顔を浮かべる。リオレウスが臨戦態勢に入ったことを喜ぶように。
再び火のブレスが放たれるけど、ノイアーは軽やかにそれをかわした。リオレウスが吼える。長い髪の先がチリチリ燃えても、剥き出しの皮膚が火傷を負うことも恐れずに、ノイアーは斧を振り回す。
がき、と重たい音がした。抗竜石が切れていたのだ。だが弾かれようと彼女は止まらず、間を置くことなく飛びかかる。その様は、見る者に怒り狂うティガレックスを連想させた。
月明かりに浮かぶシルエットはあまりに獣じみていて、そしてなにより、その全てが悲しかった。
………………………………
「ありがとう、アイルー」
完治はしてないが歩くのに問題ない程度回復した夜、ノイアーはレオにそう言った。
動けない間、ぽつぽつと互いのことを語った。彼らには一つの共通点が存在していた。
〝最愛の人が死んでしまった〟という傷だ。
「また戦うんですか」
レオは問うた。
「……もっと強くならなきゃ。私は、極限化した竜でも、一人で狩る」
瞳に悲しい闘志が見えて、レオはこれが復讐なのだとすぐに察する。
ノイアーはシドの死の真相を追いかけた。飛行船の墜落跡地はクレーターだらけで、まるで大戦のあとのようだった。彼女はそこで、黒く染まった火竜の鱗のかけらを一つ拾った。
「タンジアの漁師が、見たこともないような黒色のリオレウスが飛行船に向かって飛んで行くのを見たんだって。私は、拾った鱗を学者に見せた。この黒い鱗のリオレウスの住処を見つけるために」
リオレウスの分布はかなりの広範囲である。だが鱗や皮膚に付着した泥や草木は、個体ごとの生息圏を特定するヒントになるのだ。
生物学者が教えてくれたのは、この鱗の主が狂竜ウイルスを克服した極限化個体であるということ。そして、ヒンメルン山脈を越えた東シュレイド地方から来た可能性が高いということ。
「私は東シュレイドに行って、黒いリオレウスのことを知った。戦争を目論む生物兵器だったんだ。
シドを殺したのは黒きリオレウスに違いないんだ。だから強くならなくちゃ。あいつを一人で狩れるくらいに」
密入国がばれて命辛辛逃げ出したあとに、実力不足を自覚した彼女はこの樹海に踏み込んだ。目的は修行と、より強い装備を手に入れること。今のままでは、極限化したリオレウスには勝てないからだ。この武器ではダメだ。この防具ではダメだ。このスキルではダメだ。今のままの自分じゃ勝てない。だから彼女はこの樹海でたまたま見つけた極限化モンスターの遺体を貪り、人非ざる手段に手を出した。
「だから私は、極竜玉を、食べたんだ」
………………………………
人間が極限化する。
そんなことがあるのだろうか。いや、しかし実際にノイアーは信じられない力を手に入れていた。同時に、だから黒い騎士は極限化モンスターを狙っていたのかと納得をする。リオレウス討伐のため、対極限化モンスターの経験を積みたかったのだと。
ダラハイドはリオレウスの背に乗り、ノイアーから距離を取る。声の届く最後まで、ツバキに「遠くへ行け」と叫びながら。
「レオ……なんで復讐に助力を……?」
追いつけそうにない異次元の戦いに拳を強く握り締め、ツバキは無力さを呪いながら苦しい声を絞り出す。
「復讐するが間違ってるって知ってるよ、ツバキさん。けど、あのリオレウスは倒さなきゃだめだ。戦争なんか、絶対だめだ」
レオはノイアーに協力を決めた。共に調査を重ね、何度も危険を冒しながらシュレイド国境を行ったり来たりを繰り返していた。
「戦争のためのリオレウスと、その操縦士を突き止めた。ドンドルマやユクモが危ないんだよ。それに、飛行船だけじゃない。二年前に消えたゴグマジオスはリオレウスが、あの大佐が……アドルフがどこかへ連れ去ったのを見た人がいる」
……なにを。
次々に襲いかかる信じられない事実を前に、ツバキは目眩を覚えてた。
「ツバキさん。人が竜と戦うのは普通のことだよ」
レオはそう言い残し、ノイアーを追うように城壁を駆け登ってく。赤い月を背景に、炎が爆ぜ、風が乱れ、大きな影と小さな影が互いに血飛沫を散らしてる。ノイアーの武器は斧から剣へと変形し、憎しみを全力でぶつけてた。
────シドさえいたら。
ツバキは思った。
ここにシドさえいてくれたなら、この悲しみを止められたのにと。