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走り疲れて眠ったのは荒野の果てに小さな洞穴を見つけてからだ。ツバキは虚ろな眼差しで、ようやっと休めそうな場所の発見に息を吐き、やがて力尽きるようにその場に身体を伏したのだった。
……地獄だった。
狂ったノイアー。喉を抉られたダラハイド。バリスタに射抜かれたレオ。そして……兄、イツキは兵に囚われて、今頃投獄されてることだろう。
彼方に飛び立つリオレウスを見上げながら、絶え絶えな呼吸でレオはずっと泣いていた。
ゆっくり瞼を閉じてゆく。
今はもう、何も考えられそうにない。
あの場にいながら何も出来ず、さらなる悲劇を傍観してるだけだった自分が愚かしくって、ツバキの胸はひしゃげたまま凍てついてくようだった。
────だめだ、すこしねよう。
これ以上の自己嫌悪から逃れるように、彼女は身体の力を抜いた。
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軍に抑えられた彼女は唐突に拘束から解放されて、反動で前のめりに突っ伏した。
兄のイツキが駆けつけたのだ。
彼は単身集まる軍列に突っ込んで、殺さない程度の力加減でハンマーを振るい、ツバキを救うべく戦っていた。
「この馬鹿!俺が寝てる間になにやってんだ!!」
イツキの怒号が低く響く。後から後から押し寄せてくる人垣に、ツバキは共に応戦しようと試みた。
だのにイツキは、逃げろと言った。
「早く行け!ヘビィじゃ力加減できねぇだろ、人殺しになりてぇのか!!」
人殺し。その言葉に身体がびくんと硬直する。
ハンマーと違い一定の威力でしか攻撃できないボウガンでは、確かに殺さないよう力加減は出来そうにない。まして、このように人が溢れかえってしまっては、急所を外そうとも流れ弾で誰が死んでもおかしくなかった。
指が震える。おかしな話だ。さんざ竜を殺してきたのに、人を殺すのが怖いだなんて。
無意識に一歩後ずさったら、イツキは「それでいい」と頷いた。
……ツバキ。
喉を血塗れにしたダラハイドが、苦しげに呻きながら彼女を呼んだ。
「行ってくれ……、ノイアーが……危ない。厄海にはゴグマジオスが……、ぐ……」
「ダラハイド!!」
「ノイアーは、誰も、殺さなかった……ノイアーは、まだ、完全に……壊れて、ない……」
ダラハイドが喋るたび喉元から血が流れる。喉だけではなく腕にも腰にも、傷は全身に及んでいる。あの乱戦で、無傷でいられる者などどこにもいない。痛みに息を荒げながらも、ダラハイドはツバキに意志を伝えようと声を捻り出しているのだ。
「ゴグマジオス……、厄海の近くで、見つけて……俺は、相討ちさせようと…………」
そこまで言ってダラハイドは崩れ落ちた。まだ何か言おうとしてた面立ちが、駆け付ける彼の部下達に遮られる。追おうとしたツバキにダラハイドは右手をひろげ、「来るな」というジェスチャーをする。奥からまた別の兵が走ってくる。背後からツバキを捕らえようとした兵が、イツキのハンマーで吹き飛んだ。
「行けよ、お前がここで捕まったら、誰が仲間を救うんだ」
イツキのその言葉が、ズシンと胸に落ちてくる。
シドが死んで、ダラハイドも倒れているのだ。自分以外、ノイアーを止められる人間はもういないのだ。
「早く行け!!」
イツキが怒鳴った。その迫力に身体は跳ねて、ツバキは半ば無意識のままに駆け出していた。
そうだ、行かなきゃ。止めなきゃ、この悲劇を。
じゃなきゃもう、未来なんか来そうにないのだ。
「野党を逃すな!撃て!」
彼方から誰かの声が響いた。
風切り音が向かって来て、それがノイアーを射抜いたバリスタであると戦慄する。咄嗟に緊急回避の体制を取る。
しかしそれより先に飛び出したのはレオだった。
「ツバキさん!」
レオは二本の矢を叩き落として、三本目の矢を腹に刺して受け止めたのだ。また新たな血が落ちた。
「レオ!」
「……っ、へいきです。僕は、人間より丈夫だから」
血の池が地面に広がった。レオは弱り切った呼吸ながらに、震える足で踏ん張りながら立ちふさがるのだ。
また矢が飛ぶけど、腹に刺さったそれを抜かずにレオは武器で叩き落とす。
「ここから先に、矢の一本も通さない」
そう言って、小さな身体が武器をかまえる。
「ツバキさん、リオレウスは悲しい声で鳴いてたんだ。なにが正義だったんだろう。僕は……」
矢がまた飛ぶ。
レオはすぐにそれを斬る。
「ツバキさん、旦那を……」
次に放たれたのは大砲で、レオの言葉と爆発音が重なった。狙いのやや逸れた砲丸が、ツバキより僅かに横に着弾する。レオは大砲にも怯まずに、微動だにせず仁王立ちを続けてた。
旦那を────ノイアーを、死なせたくないんだ。
それが、最後に聞こえた声だった。
………………
走った。
走った。
走った。
ツバキは一人で走り続けて、そこがどこかもわからないまま彷徨って、やがて糸が切れてしまったように眠り続けた。
空は全てが夢だったかのように静まりかえって、今ばかりは風の音すら聞こえない。
空には、星が光ってる。それはかつて、ダラハイドと氷海で見た星空とよく似た光を放ってた。
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厄海に行かねばならない。
ツバキの目的はシンプルなそれに絞られて、嘆くのも後悔するのも全てはその後にしようと断ち切った。それは強い心というよりは、罪悪感を後回しにすべく一種の〝逃げ〟であるかもしれない。だけどそうでもしなけりゃ、前に踏み出せないのが本音であった。
『野党が現れダラハイド家の末息子、アドルフ・ダラハイドを襲撃。軍の〝機密兵器〟が強奪された』
こんなニュースが東シュレイド王国に広がるのにさしたる時間はかからなかった。現在軍部は残党狩りに死力を注ぎ、特に国境付近に警戒を強めているという。見つかれば当然、ツバキはただでは済まないだろう。なにせ残党とはまごう事なきツバキを指したものだからだ。
すっかりお尋ね者になった彼女は、必然的にスラム街でアイテムを求めるようになる。裏路地から裏路地へ。不法の中を掻い潜って、目指したのは海だった。
厄海への最も近いルートはヒンメルン山脈を一直線に飛行船で越えていくことだ。
しかし残党包囲網と称された警戒令が空路を許してくれないために、彼女は海路を選ぶ。
当然ながら〝お尋ね者〟である彼女をマトモな船が乗せてくれるはずもなく、目指すのは正規の機関でない船を所持する者共の元……すなわち海賊の根城となった。
女一人には過酷すぎる道程は、傷付き果てた彼女の心をヤスリでがりがりと削るようでもあった。大自然の中、竜の脅威に死と隣り合わせの過酷さなら経験してきた。
しかし人間の悪意が辛辣に突き刺さる過酷さなど未経験ばかりであって、もう何度洗礼を受けたのかもわからない。
それでも辛うじて掻い潜れてこれたのは、ハンターとして鍛え続けた体力と戦闘技術の賜物だった。
数ある海賊団の中でも、ツバキが目指したのはいっとうに大規模なものだった。
理由があるのだ。
その海賊一味は「海竜団」を自称しており、船はその名の通りラギアクルスを模した彫刻を施されている。その一味はかつてグラン・ミラオスに国を焼かれた難民達で構成しており、奴隷身分から逃げ出して団結したのが誕生経緯なのである。
祖国を想う気持ちの強さも巷じゃ有名なものだった。そして船長は、今でも滅びた祖国に帰るという夢を持ってる。
この話を情報屋から買った時、ツバキは「ここしかない」と確信をした。
事情を話せば、そして信用してくれたなら、海竜団はきっと厄海へ彼女を運んでくれるだろうと。
「海竜団だな?船長に話がある」
治安の悪い吹き溜まりの酒飲み場で、ツバキはラギアクルスの絵柄の描かれたバンダナを巻いた荒くれの一人に声をかけた。
「私はツバキ。ハンターだ。厄海に渡り仲間を救いたくてここに来た」
彼女の言葉に、荒くれ者はにたりと笑った。