彼女がどのような人物か述べるなら、比較的簡潔な文で説明出来る。
G級になりたての女ヘビィガンナーで、現在はかなりの金欠に苦しむ貧乏ハンター。
ついでに足がかなり早くて、存外間抜けな側面もあり、焦ると大声を出すタイプだとダラハイドが知ったのは数分前だ。
全力疾走の後の荒い呼吸で荷台に大の字で寝転びながら、キャップの隙間から彼女が睨んだ。
「上ヒレ返して……!」
武器防具込みで総重量百キロ越え。しかも雪道を走った彼女がこうもばてるのは当然だろう。
待って、ダラハイド、待て!止まれ!
そう大声を張り上げながら、走るガーグァを追いかけて来たのは、別れの挨拶を済ましてから一時間ほど経った頃だ。ひょんなことから行きの飛行船にポーチを置いて来てしまった彼女は、剥ぎ取った素材を彼に預けた。回収し忘れたと思い出して引き返すと、ちょうど交渉が成立したのであろう荷馬車が彼を乗せて走り出すではないか。
ダラハイドに預けたのはザボアザキルの上ヒレだ。あれをなくしては何しに来たのかもわからない。移動時間も含めたここ数日の全てが無駄となってしまう。
それが嫌で必死に走っているのに、気付いていながらダラハイドは騎手に止まるよう指示をしなかった。おかしそうに笑いながら、呑気に手を振っているだけ。
彼女の走りが荷台に追いつきかけた頃になりようやっと、ダラハイドは手の差し伸べた。彼女がその手を掴み取れば、ダラハイドが力いっぱいに引き上げる。そうして、荷台の上で仰向けになっているわけである。
彼女は、追い付いたら絶対に一発殴ろうと思っていた。だがいざ追い付いたら息が切れてそれどころではなかった。
「そのことだがな、G級ハンター殿」
くつくつ笑いながら彼は言う。
「なに」
「ユクモ村がどこだかわからなかったんだ。お前の言う再会が、こんなに早くて実に嬉しい」
「……え」
一瞬、彼が何を言ってるのかわからなくって、彼女はポカンとしてしまう。自らが向かうと言った村の場所がわからないとは。ならば一体どこへ向かってるのか。
あっけらかんとして彼は言う。
「東だ」
「……それだけ?」
「お前が言ったのだろう。遥か東の、山中にある穏やかな村だと」
荷台に乗せて貰えるよう話をつけた、までは良かった。問題はガーグァを走らせる主人も、ダラハイド自身も、ユクモ村の所在地を知らないということにある。
「それでとにかく東と伝えれば、二山ばかり先の村に仕入先があるらしいから、そこに行こうという流れになった」
「馬鹿なのか、あんたは!」
経緯にしても無謀なものだが、問題なのはちゃっかり道案内役をやらせようとする思惑である。彼女は誰が付き合うものかと威嚇して、ポーチから上ヒレをひったくる。不思議なことににこやかなまま、ダラハイドは抵抗しない。
「そう連れなくするな」
「一緒に行くなんて言ってない!」
これ以上の面倒は御免と言わんばかりに、彼女は跳ね起き荷台の渕に足をかけた。どうせ止まってなどくれないから、飛び降りようと試みたのだ。さして高さもなければ高速でもない、やろうと思えば誰でも出来る。だが彼方に影を残して米粒のように小さくなった集落を見て、彼女は飛び降りるのを躊躇した。
……ここからこのまま飛び降りれば、上ヒレは手元に残る。これ以上この厄介な男に巻き込まれずにも済む。
そしてあんなにも遠のいてしまった集落に向かい、一人とぼとぼと歩かねばならない……ホットドリンクもなしに。
今朝方半分ずつ分け合った分の効力は、間も無く完全に消えるだろう。急いで追いかけてきたのだ、補充するいとまはなかった。
きっと彼はそこまで予見していたのだ。だから笑いながら言うのだろう。
「昨晩、お前は寒いのが嫌いなように見えたのだがな」
「……嫌いだよ、あんたの次に」
クラクラと目眩を覚えながら、結局彼女は腰を折った。少なくとも今すぐ飛び降りるより、次の村とやらまで同行するほうが賢いらしい。
「村についたら周辺地図を買って場所は教える。そうしたら今度こそお別れ」
あらかじめそうと釘を刺す。それで、その村まではどの程度かかるのか。聞けば頭を殴られたような衝撃だった。
「二日から、三日だな」
「……嘘でしょう」
すっかり見えなくなった集落が恋しい。この旅がまだまだ終わりそうにないから、彼女はがっくりと肩を落とした。
そのまま、一時間くらいは腹が立ったから一言も喋らなかった。だが寒さだけはどうにもならずに、時折手をこすり合わせて熱く息を吹きかけるを繰り返していた。ダラハイドは、そんな様を見てまた穏やかに笑う。
「入れ、G級ハンター殿。無理にとは言わんがな」
肩のマントの裾を摘まんで、手招きしながらそう言うのだ。まるで幼子を招くような眼差しは、どうにも彼女に意地を張らせる。だがそれでも、寒さには敵わないと彼女はマントの内側へ逃げ込んでしまう。
「すごくあんたは嫌な奴だ」
背負ったボウガンをそっと外し、なるたけ身体を覆えるように密着すれば鎧同士の掠れる音がする。
ふと気付くのは、独特の甘い香りであった。思い起こせば微かにだが、昨晩もこれを嗅いだ気がする。蠱惑的で微睡むような甘い香りは、香や花とは異なる類のものだった。
「ダラハイド……、甘い匂いがする」
「腹が空いたからといって、俺は捕食対象にならないだろ」
「……そういうんじゃない。聞いた私が馬鹿だった」
彼女が不貞腐れるようにそっぽを向いて、それからまた沈黙の時間になった。
雪はパラパラ降り続け、時折脇から吹き込んでくる。なるべく凍えずに済むように、彼女は手足を折りたたんでいた。寄りかかった彼の胸は、不本意であっても暖かい。二日か三日。最低でもあとそれだけはこうして過ごすのかと考えるほど、自らの振り回されっぷりに泣きたくなる。
こんなはずではなかったのだ。楽々こなせるだろう上位クエストで、手早くザボアザキルを狩りとって、上ヒレひとつばかり持ち帰れば、不釣り合いに多額の報酬が待っているはずだった。今頃は暖かいベッドで、迎えの定期便を待っているはずだったのに。
「……ツバキ」
呼び掛ける声は、体制のせいで頭上から落ちるようだった。
「お前は、どれくらい狩猟をしてきた」
それは、歴の長さを尋ねているのか。協会からランクを与えられたのは六年前、十代も半ばの頃だった。だが初めてボウガンを担ぎ、獲物に向け撃ち抜いたのはもっと幼い頃になる。 父も母も、八人の兄達も狩人だった。厳密には、彼女の生まれた集落ではその大半が狩猟と商業を掛け持ちにして生活している。
とは言えギルドから依頼を請け負い報酬を得る、いわゆるプロとは少し異なる。近場の渓流に赴き採取をするのが主だった。自衛のために武器を取り、時に高値取引されるモンスターを見れば銃口を向ける。秋も深まれば冬に備える必要があり、そのためファンゴやアオアシラをよく狩ったものだと彼女は語った。
「なにもないような鄙と言ったろ。だからそうやって、みんなで狩りに出て自給するんだ。冬は木の実が取れなくなるから」
中には手練れの者も出てくる。広い世界に憧れたり、自分の腕をさらに磨きあげたくなったり。一定数そういう若者がいるから、自然とユクモを目指す流れにも寛容だった。
「女伊達らに手練れとは、父君も鼻が高かったろうな」
「手練れだったのは二番目の兄だ。私は違うし、父は他界してる。リオレウスにやられた」
きっかけは些細だ。とある狩猟で手負いとなった父は、その帰路につく差中天空の王に召しとられた。当時幼かった彼女はふさぎ込んで膝を抱いたが、兄は敵を恨むなと素っ気なくして出掛けてしまった。理屈が理解できないまんまで、恨みを抱えたまんま銃を持った日もあった。
あれは、まだ少女と呼ばれる齢の頃だ。仲間の制止を振り切って、ドスジャギィを単身追跡したことがある。幾度となくジャギィやジャギィノスの群れと相対してきたし、時にその群の長が現れても引けは取らなかったから、自らを過信してしまっていた。それ故にうまれた油断であった。足を引きずる敵の背に、とどめの一撃をお見舞いしようとリロードした刹那、岩場の影からもう一頭が飛び出したのだ。
突進の勢いのまま彼女は吹き飛び、直後、首元を縫い付けるように前足が岩場に叩きつけられた。眼前には充血した目の竜がいる。無様にひっくり返ったために、視界は上下が反転していた。やがて頭を丸呑みに出来るほどの大口が開かれ、鋭利に尖った歯列を眺める。
だが目が合った刹那に、恐怖とは別の思考が流れた。より正確には、思考が流れ込んできたのた。率直に言うなら、あれは共感だったのだ。
竜は父の仇である。リオレウスも、目の前のドスジャギィも、モンスターとはすべがらく仇敵だとあの日彼女は憎悪を持ってた。だが死を目前にそんな怒りが頭を爆ぜた瞬間に、自らを睨む敵の瞳には、同じ感情が渦巻いてたのだ。それは捕食対象を眺める食欲的なものとは異なる、恨みを孕んだ怒りであった。
「父は狩猟を教えてくれた。貫通弾が弱点を貫くと、大きな手が頭を撫でてくれたから……その手を奪った竜どもが憎かった。だけど奇しくもその時、竜と私は同じ怒りを持っていたんだと思う」
〝目の前の生き物は父の仇だ〟
今日まで数多の狩をしてきた日々が過る。竜の息の根を止めて血抜きをしたあと、鱗を剥がして皮を鞣した。骨を取り、爪や牙を引き抜いて素材とした。目の前の竜は、そうやって死に、人の糧となってきた竜の親や子であったのかもしれないのだ。
竜どもは父を殺した。だが人間もまた竜を殺した。ならば竜は父の仇だが、自分もまた竜にとって仇の存在なのだった。
「────ハンターはそういうものだと思った。駆けつけた兄が竜の横っ面にハンマーを叩き込むのを眺めながら、強い狩人になりたいと思った。それだけ」
そうして誰かの仇を取ったり、その何倍の恨みを買って生きてゆくのが、ハンターの業で大地の摂理のような気がした。
この一帯は日の出てる時間がとても短い。そのため太陽は既に西に傾き、粉雪も徐々に大粒となる。
白い息が濃さを増した。いっそう風が冷たくなって、無意識に身体が沈み込む。
「崇高な動機や高い志でないからがっかりした?私がハンターしてるなのは、本当に、それだけなんだ」
例えば武の道を極めたがるような、そんな高い意志ではなかった。命がけの家業であるのに。恨みに重さを感じるからこそ、命のやり取りに価値を見出せた。あの日の父が褒めてくれたように、弾丸を竜に埋め込みたいのだ。
そうやってたくさん狩って、いつか自分も捕食される。そんな人生の選択をした。
「いや。鄙にそぐわんいい女だ、お前は」
世辞でなくアシュはそう告げた。やはり声色は暖かい。
また少しばかりの沈黙になり、今度は彼女が彼に問う。……あんたは。あんたはどうしてハンターしてるの。
軍学校などと上等な教育を受け、その見なりから金に困った様子もない。だのにこんな質素な荷台で過ごすのにも抵抗もないのだ。そうしてわざわざユクモにまで行く、この不可解な男の動機も知りたいと彼女は裾を引く。どこからか、わずかに甘い香りがしてくる。
「悪いが、面白いエピソードではないな」
「自分だけ言わないのはズルだ」
どうせ退屈なのだ、だったら思い出話も悪くない。やがて林に差し掛かり、進路はそのまま山へと続く。そうなれば雪を被った数多の木々が、日光も遮断してしまうだろう。
もったいぶるような間を置いた後、ぽつほつとダラハイドは過去を語った。追憶に浸る眼差しが、光のせいで髪色と同じ真紅に見えた。
「伯父と諸用で遠出する機会があったのだが、この伯父というのが中々に癖の強い人柄でな。道中、通らねばならない原生林では、ちょうど産卵期のリオレイアが報告されていたから、護衛役に数人のハンターを雇った。俺が七つの頃だ」
順当に進めば一日で通り抜けられるはずだった。だが強欲な伯父は、追加金を支払うから飛竜の卵が欲しいと言い出したのだ。提示された額が相場の数倍であったから、ハンター達は頷いた。
荷車の車輪が数センチばかり沈む浅い水場で、赤い花びらが散らばる美しい場所に伯父は停車した。岩肌にこびりつく苔に群がる虫の羽音や、鬱蒼と伸びる植物、そのどれもが生命力に溢れて輝いていた。僅かな木漏れ日に微睡んで、寝そべるズワロポスの姿もあった。護衛に一人が残り、他のハンターが崖を登る。この上に巣があるのだと言っていた。
退屈凌ぎに伯父が葉巻に火をつけたから、匂いを嫌って彼は離れた。荷車を降り、近場に池を見つけて覗き込む。水面下で優雅に泳ぐ黄金魚やハレツアロワナの尾ひれを眺めてた。そして数分後、上空から怒りとも悲鳴ともつかぬ咆哮を聞いた。
アドルフ!荷馬車に戻れ、もう行く!
そう護衛役のハンターが声を荒げた。ほぼ同時に崖から残りのハンター達が飛び降りてくる。うち一人の腕には、飛竜の卵が抱えられていた。ならばあの咆哮は、きっとリオレイアのものだったのだ。
急げ、長くはもたない。そう強引に腕を引かれて、半ば放り込まれるように荷馬車に乗れば、瞬く間にガーグァに鞭が振るわれる。急げ、走れ、しっかり掴まっていろ。矢継ぎ早に指示が飛び、訳もわからぬまましがみつく。
「殺したのか?」
あどけない疑問が口をついた。その速度故に激しく揺れる後部座席で、小さな両手はロープを掴む。傍らを警戒した面持ちで見渡すハンターは、少年の愚問にうっとおしそうな舌打ちをしたが、依頼人の身内であるため無視はしなかった。
「……殺っちゃない。痺れ罠だ、長くは持たない」
ぶっきらぼうな返答だった。傍から何故仕留めなんだと伯父が野次を吐き捨てる。殺さなかったということは、卵を奪い返そうとリオレイアが襲ってくるということだからだ。
「火竜は番いで子育てをします。繁殖期の現在、雄が縄張りに必ずいるでしょう。リオレイアとリオレウス、両方を狩るのにこの人数と設備では数日を要するでしょうな」
火竜は雌雄で連携することがあるのは周知の事実だ。どちらかを攻撃したなら、必ず番いが駆け付けるだろう。繁殖期なら尚更に。
このような夫婦狩りを行うならば、二頭を引き離し個別に狩猟する必要がある。だがどんなに引き離そうにも、度々合流するのだから厄介だった。
「まずお二方の安全を確保できるベースキャンプを築き、そこから番いが合流しないようそれぞれの所在を確認する必要があります。肥やし玉もないので、モンスターの糞の採取も必要ですね。それでも仕留めにかかったほうがよろしかったですか」
感情を感じさせないような、淡々とした説明を行ったのはリーダー格のハンターだった。伯父の無知を咎めはせず、あくまで合理的な判断であると主張するかのようだ。片方を攻めれば、必然的にもう片方が現れるのだ。二頭討伐をするよりも、罠にかけて時間を稼ぎ、さっさと逃げてしまった方が手っ取り早いということだ。
水の弾ける音がする。慌ただしく走り去る一行に、昼寝をしていたズワロポスも飛び起きる。
「だが火竜は飛べるのだろう!殺してないなら、追い付かれるではないか!」
でっぷりと太った腹の前で、大切そうに卵を抱えた伯父が怒鳴る。卵の奪還が目的ならば、地の利のある竜が空から先回りするだろう。自らが危険に晒されるなど御免であるし、積荷に万一のことがあってらとんでもない、というのが伯父の主張である。元はと言えば自らの我儘が原因なのだが、厚い面の皮はそんなことはまるで考えてないようだった。
「そうですね、先回りや追い付かれる可能性はありますが……」
やがて林に突入すれば、進路の邪魔になり得る木々が薙ぎ倒される。先行くハンマーが道を開くべく武器を振るってる。
「原生林を抜けるまでの間、撃退するだけなら問題ありません」
そう懐から取り出されたのは閃光玉だ。空を飛ぶ相手に、これほど有効なアイテムもない。
ハンター達は全方位に警戒を怠らず、どこから現れても対処できるよう集中しているのがわかる。唐突に始まった逃走劇に、少年の日の彼は振り落とされないようしがみついてるだけだった。
鮮明に覚えているのは、爆ぜるようか水飛沫と、ぎしぎし軋む荷車の音。そしてざわめきたつ鳥や虫。その一帯全体が、何かに怯えているようだった。
…………
「ダラハイド……あんたの伯父は我儘だ」
不快そうに眉を寄せ、無遠慮に彼女はそう言った。いつの間にか木々が互いの枝を絡ませ、すっかり空は灰色に覆われてしまっている。代わりに積雪はいくばくかマシ程度に浅くなり、ガーグァの足取りが軽やかだった。
この辺りは山も林も危険度の高いモンスターは観測されず、故に暗くなってもこうして移動が可能であった。
後方へ流れるような景色を眺めて、彼女は今日まで出会ってきたいけすかない依頼主を思い出す。別段珍しくもない程度に胸糞が悪い。素人の我儘も無知も野次も、決まって金持ちによく見られる傾向なのだ。
「それで、その後はどうなった?原生林は抜けられた?」
七つといえば彼女が始めて狩猟に出たのと近い歳の頃になる。父を筆頭に兄達と採取に赴き、肉の蓄えとなりそうなファンゴに向けて引き金を引いていた。成長期前の小さな身体は武器を運ぶだけでも中々困難で、群れの長が居ようものなら、息を潜めて岩陰に隠れるよう言いつけられていた頃だ。その齢で雌火竜に追われたともなれば、さぞ恐ろしかったことだろう。
少年の日の彼はそこに何を見たのだろうか。語る口調は、さしてトラウマという訳でもない声色だった。
「まあ、怖かったな」
「言うほど怯えたふうには見えない」
「いや、麻痺していたのかもしれない。雌火竜は恐ろしかったが、それよりもっとおぞましいものを見た」
少年の日のダラハイドは、殺意を持って睨みつける竜の眼光が我が子を取り戻したい母の怒りと理解していた。吐かれる炎も、毒の棘を生やした尾を振るう様も、劈くような咆哮も全て。
ハンター達は閃光玉で目くらまししながら距離を取り、足止めに罠を張り、また攻撃もした。それでもリオレイアは執拗に追跡してくる。途中積荷を縛ったベルトが切れて、伯父がそれを押さえに回った。卵を彼に押し付けて。いいか、死んでも手放すな。七つの子供に怒鳴り散らした伯父の目を、彼は今でもよく覚えてる。
「……もっと、おぞましいもの?」
意味深な言葉に頭を捻れば、謎かけをしたいわけではないと、その答えはすぐに耳元へ囁かれた。……乱入だ。声は僅かに低かった。
「あれだけ執拗だった追跡が、いつの間にかパタリと途絶えた。原因は恐暴竜だ」
膝下にも満たない浅い運河に辿り着き、そこを渡れば原生林も終わろうという時だったという。下流に向かって流れる水に、赤黒い血の線が混じっていたのだ。目線をあげれば、割れた爪が力無く水面に揺られてた。あれは雇った一人のハンマーがつけた傷だから、そこに横たわるのが先ほどまで逃亡をはかっていたのと同じ個体に間違いはない。すぐにそれと思えなかったのは、あまりに様変わりしていたためだ。
千切れかけた尾を地面に縫うように、強靭な後ろ足が爪を立ててリオレイアを踏み抜いている。一見して黒岩が火竜を押し潰したようだった。だが黒い塊は岩ではなく暗緑色の鱗に歴戦の傷をこさえた巨躯で、火竜を喰らうために背中を丸めるイビルジョーだったのだ。
火竜に息は、まだあった。垂れた首が僅かに傾き、驚愕する一行を見る。虚ろな視線が彷徨ったのち、卵を抱える彼を見据えた。
裂いた腹に口を突っ込んで咀嚼する、恐暴竜は食事に夢中で彼らを見ない。爪が鱗を引き剥がしては、目の前の肉を喰らい続ける……それは当たり前の食物連鎖で、だけどあまりに残酷だった。
「……食欲だったな、あれは。殺意でも怒りでもない、感情もない。恐暴竜の瞳には食欲しかなかった、それが何より悍ましい」
恐暴竜、イビルジョー。隆起した背中の筋肉が、屈み背中を丸める様を岩のようなシルエットに見せていたのだ。
先刻まで勇ましく炎を吐いた火竜の顎は、もう悲鳴も咆哮もあげなかった。こらえるように弱々しい呻きを残して、やがて瞳はゆっくり落ちる。何か言いたげな眼光を投げかけてから、その瞬間息は完全に絶えたのだった。
……伏せろ、ゆっくりだ。決して音を立てず、ゆっくりゆっくり伏せて、後退しろ。
雇われハンターの一人が、押し殺したしゃがれ声でそう指示をした。自分以外全ての生物を捕食対象とする〝貪食の恐王〟を前にして、下された判断は撤退だった。勝算は限りなく低く、まして誰かを守りながらなど成せるはずない。荷車ごと積荷を残し、卵も諦め身軽になって、大きく迂回し泥濘の中を隠れながら原生林を抜けること。恐暴竜が一行に気付くより先に、速やかにそうすることが、最大の自衛手段であったのだ。
この積荷を置いてゆくなどとんでもないと、伯父は顔を赤くした。大切な金儲けの商品が山と詰まった木箱を手放したくないのだろう。恐暴竜はなんだって食う。中には食料もあるのだから、きっと食い荒らされてしまう。
「退治してくれ、これをやる。帰還の後には報酬を上乗せしよう」
伯父はそう首から下げた宝石の一つを差し出したけれど、ハンター達は頷かなかった。
「なら残るといい、我々は撤退する。その宝石に価値があるのは、生きて金に替える状況下にある時だけだ」
命なくしてはただの石ころに過ぎない。生あるからこそ金が欲しいのであって、金の為に死にたくはない。 ハンターは口々にそう拒絶して、勝てない敵に挑もうとはしなかった。死者は金を使えないのだ。
「観測隊に報告しておく。イビルジョーがここを去った後、積荷が無事なら回収に来よう。これ以上は譲歩できない」
「馬鹿な!無事なわけがない!いくらになると思ってるのだ!!それこそ、」
要求に応じないハンター達に腹を立て、愚かな伯父は声を荒げた。それが阿呆のすることだと幼かった彼にもわかる。夢中で火竜の腹を漁っていた恐暴竜が、ギロリとこちらを睨んだからだ。
瞬間空気が凍りつく。一人が恐怖に情けない声を漏らして、震える指で背中の剣の柄を撫でた。
「……付き合いきれんな。我々は行く、着いて来るかはまかせる」
侮蔑の眼差しを突き刺しながら、見限った言葉が落とされた。当然死にたくなどないものだから、彼は抱えた卵を捨てようとした。だが無残にも屠られたリオレイアの亡骸を見て、身体がぴたりと止まってしまう。翼が……無傷だったのだ。
瞬間、彼は何故雌火竜が死んだのかを理解した。
恐暴竜は飛べない。雌火竜は飛べる。
自らより力のある敵を前に、翼の無事なリオレイアは空へ逃げることが可能であった。なのに何故、そうしなかったのか。
執拗に卵を取り戻そうと追跡したり、あるいは先回りすらした火竜の母は、ここに卵が来るとわかっていた可能性が高い。縄張りなのだ。原生林の終わりであるこの一帯を、逃亡をはかる人間が通ると予期するだけの知能があってもおかしくはない。
卵が来るから、ここに在るから。だから、逃げなかったのでは……と、確信に近い仮説が過ぎり、次に行ったのは穴掘りだった。
水場の土は柔らかい。割れないよう地面に置いてから、彼は必死に穴掘りをした。卵を地中に隠すため。
「おいガキ!!」
「放っておけ。あの男の甥なら、よく似て強欲なのだろう」
逃げ出さない少年に叱咤する声は、的外れな解釈のもと遠ざかる。命より金が大事というなら、子供であっても守ってやるつもりもないと軽蔑を込めた判断だった。
「クソガキ、目ぇ閉じろ!せいぜい後悔してろ、クソが!クソが!」
それでも子供を見殺しにするのは胸糞が悪いと、ひとりのハンターが逃げながらも閃光玉を放り投げる。せめて目くらましだけはしてくれるらしい。焼け付くような光が爆ぜて、視界を閉ざせば恐暴竜の驚愕する咆哮がした。次にゆっくり目を開けた時、ハンター達の姿はなかった。あれだけ威張り散らした伯父の姿もどこにも見えない。
光に目をやられた敵は、的外れな方に向かって岩を投げては尻尾を振り回して攻撃してる。長くは持たないと知っていたから、必死に彼は穴を掘り続けていた。
卵を隠したかったのは、子供特有のモラリズムかもしれないし、死んだ雌火竜への罪悪感かもしれない。少なくとも金を欲しいとは思わなかった。ただ漠然と思ったのは、ハンターとは雇って使うものでもなければ、絶対無敵の超人でもない。成るか、成らないかだけの人間なのだということだった。
「幼い頃の生活は息苦しい環境だったんだ。だからだろうな、ハンターは特別に選ばれし人間ではないと理解したからこそ、自分もなれるのだと思った。なれると知ったら、なりたくなった」
そう彼は言葉を締めくくる。あの日原生林に置き去りにした荷車とよく似た荷台に乗って、静かな雪道を眺めながら。
金目当てに卵を隠したと解釈した冷徹さも、情けで閃光玉を投げた男の複雑そうな眼差しも、全部全部覚えてる。全てがあまりに人間臭い。
「ちょっと、待って……。あんた、それでどうやって生き延びた?ハンター達、逃げちまったんでしょう?」
閃光玉が視力を奪ってくれるのはとても短い時間だけだ。やがて目が見えるようになった時、少年で武器もない彼に対抗する手段などないだろう。卵を埋めて隠し、そうして完全に逃げ遅れた幼い足では、到底恐暴竜を振り払えるとは思えなかった。
ああ、とダラハイドは頷いて、その続きをそっと語った。
ようやっと卵がすっぽり地中に埋まって、あとは泥を被せて蓋にするだけとなった時、視力を取り戻した恐暴竜がこちらを向いた。
それは飢餓感に思考を支配されてしまったような、無情すぎる眼光だった。目が合えば膝から震え、歯の根がガチガチ音を出す。人生で初めて死の淵を覗いた瞬間だった。恐ろしさから身を屈め、埋めた卵に覆いかぶさる。
だが奇しくも僥倖は訪れた。その時空から火が降り注ぎ、同時に力強く滑空する風切り音が耳をつく。全身で怒りを体現したような咆哮がした。舞い降りたのは、天空の王者と呼ばれる一頭のリオレウスだったのだ。
「……リオレウス?」
「ああ、死んだリオレイアの番いだろうな」
妻を咀嚼し、子である卵まで喰らおうとする恐暴竜に、リオレウスは怒り狂っているようだった。
唐突に大型モンスター同士が戦い始め、情けなくも腰が抜けた。子供の目には、まるで世界の終焉のようにも見えたのだ。岩が爆ぜ、火の雨が降り、大地が揺らぐ。
逃げようにもどちらに向かえばいいのかすらわからずに、結局彼は、その場で肩を抱えるだけだった。
「どれくらいそれを眺めてたのかは覚えてない。背後から足音が駆け寄ってきて、振り返れば閃光玉を投げたハンターがいた。どっさり腐葉土を手に持って……あれは臭かった」
思い出すだけで鼻が曲がりそうになると、戯けるように彼は笑った。腐葉土は、おそらく匂いを消すためだろう。イビルジョーの嫌うモンスターの糞も含まれていた。
我慢しろと声を低くしながら、酷く不潔な土を網に被せ、即席で作った蓑が作られた。隠れてやり過ごすべきとの提案だった。口の悪いそのハンターは、どうしても子供を見捨てられなかったのだろう。仲間を振り切りたった一人で助けに戻ってきてくれたのだ。
酷く不潔な土蓑を被って匂いを消して、そのまま背の高い茂みに身を潜める。そうして戦いが遠退くのを待った。
純粋な力量差でいうならイビルジョーに軍杯が上がるだろう。ギルドの設ける危険度が如実にそれを表している。
だがそれでも、火竜は〝空を飛べる〟という絶対的なアドバンテージを持っていた。距離を置き火を吐き、時に後ろ足から毒を打ち込んではイビルジョーを翻弄している。律儀に地上戦に付き合う必要などどこにもないのだ。一方的な射程距離を保ちながら、天空の王者はその猛威をふるっていた。
その戦いの結末を、彼は知らない。だがまるで天空から誘うようにリオレウスが滑空し、イビルジョーが追う形で二頭はその姿を消した。少年の日、腹の下の土に隠した卵の暖かさも覚えてる。彼が初めてモンスターの恐ろしさを知り、ハンターという生業を知った日のことだった。
…………
「……なんだ、お前が知りたがったくせに眠るのか」
いつの間にか相槌がないと思ってはいた。いやに可愛らしい体重のかけ方をすると視線を落とせば、彼女が寝息をたてていたのだ。寒いのだろう無意識に身体を小さく丸めてり
確かに昨晩、ベースキャンプに着いたのは大分に遅かった。氷海は日の短さ故に早起きは欠かせず、寝不足にならざるを得ない状況だった。
そういえばだが、人は規則的な振動に眠気を感じるものと聞いたことがある。荷台の揺れの作用が睡魔を呼んでしまっていたのか。どちらにせよ年齢以上に幼い寝顔は、空気を穏やかなものにする。
こんなに辺りは冷えこんでいて見渡す景色は白ばかりでも、寄せた身体は暖かかった。
…………
朝露がそのまま凍りつき、日光を浴びて輝いている。まさに銀世界と形容するに相応しい美しさで、その日の朝は訪れた。
昨晩は荷台をひくガーグァに疲労の残らぬ距離を見計らいらなるたけモンスターに遭遇しずらいような一角に停車した。元々長距離を運行するための荷車であるために、野営の準備もまた安易であった。
先に寝付いた彼女は朝一番に起きて、眼前いっぱいに生い茂るツラヌキの実に目を輝かせた。剣士である彼には馴染みのないかもしれないが、彼女の愛用する貫通弾の調合素材であるためだ。
「ダラハイド、ポーチ貸して欲しい。ツラヌキの実がこんなにある……!」
剣士はいい。砥石で済むから。
だがガンナーは無限の手数ある剣士と異なり、撃てる弾薬に限りがある。故に強敵を相手にする時は調合しながらの戦いとなるのだから、これが地味に金がかかるのだ。
「……ツラヌキの実ぐらいでうるさい奴だ」
眠気眼でダラハイドはいう。近接と遠距離で戦闘スタイルが根本的に異なるからこそ、素材によって価値観もまた大きく変わる。
弾丸一発でも金はかかるから、貧乏な彼女は出来る範囲で自作していた。つまり、無料で取り放題のツラヌキの実はとても魅力的なものである。
「ぐらいじゃない、あんたら剣士は砥石一つで済ますからわからないんだ」
「……切れ味とかな、大変なんだ。これでも」
眠るのが遅かった彼 ダラハイドは歯切れが悪い。むにゃむにゃとまどろっこしい口調のまんま、枕元を手探りにポーチを放る。好きに使えということだろう。
荷台から降りれば雪を踏む感触が小気味良かった。極寒の大地であっても早朝特有の森林の匂いが漂っている。吹く風の冷たさに肩を小さくしながらも、彼女は数多の実が転がる木の根へ向かう。
これだけの量があるならば、次の狩猟には弾丸を買い足す必要もないだろう。彼女は嬉々として、より状態の良いものへ腕を伸ばす。
「ご機嫌だな、G級ハンター殿。寒さ嫌いは克服したのか」
「あんたは先ず眠気を克服するといい」
霜焼けを怖がらない指先が、冷たさを無視して雪の中の木の実を拾う。彼のポーチに次々詰め込んで、彼女は朝からすっかりご機嫌だった。
不思議な女だと彼は思う。肌を包む柔らかな絹や、翠玉の首飾りに目を輝かせる人間は山といる。だが彼女はツラヌキの実であんなに嬉しそうにするのだ。
「……なあG級ハンター殿、ツラヌキの実以外でお前にとって魅力的なものは何がある?」
「鳥竜種の牙とハリマグロ」
即答されたのがまたしても貫通弾の調合素材で、さすがに彼は吹き出した。これを根っからのガンナーと形容すべきか、ただの貧乏気質なのか判断つかない。だが少なくとも、美しく着飾る街の女とは違う生き物だということはわかった。
「竜の仇か」
彼がポツリと呟く。
「え?」
「お前が昨日語ってくれたろう。……竜どもはすべがらく父の仇で、自らもまたあらゆる竜の仇であると。俺は、その言葉が好きになった」
「……アシュ、なにいってる?」
「もしも俺が竜であったら、首を狩る相手がお前ならいい。殺すのも、殺されるのも」
真顔でまじまじそんなことを言われては、彼女にはリアクションがわからない。竜と人は常々どこかで戦ってきた。そこに大義名分なんか存在しない。あるのは人に都合の良いこじつけだけだ。
「まるであんた、竜の気持ちがわかるみたいなことを言う」
ポーチの許容量限界までツラヌキの実をつめ、中腰から彼女がゆっくり立ち上がる。指先はほんのり赤かった。手袋の一つもしないからだ。
「残念ながらそんなファンタジーなことは出来ない。聞き流せG級ハンター殿、もしもの話だ」
悠々とそうかわされて、訝しげに眉が寄る。彼はどうにも掴みにくい。意味深なのか気まぐれなのか曖昧なのだ。
「────、待ってダラハイド、足音がする」
だが木の根を掻き分ける雑音に紛れて、複数の跳ねるような気配が聞こえる。途端に彼女が険しく眉を吊り上げた。
「……聞こえないが」
「耳は自信ある、群れだけど小規模だ。草の擦れる音」
草木の触れ合うかさつきと、小枝の踏み払われる音。だが木が揺さぶられる気配はないから、さして大型ではないのだろう。
彼女の言葉に、大剣の柄が握られた。昨晩丁寧に研いだばかりで、朝日を反射してギラついている。
「ケルビやガウシカならいいんだけど」
移動速度と音の軽さから当たりをつけて彼女が言った。この辺りでは危険度の高い大型は観測されていない。ツラヌキの実を詰めたポーチを持って彼女は跳び、そのまま荷台のボウガンをひったくる。
「なら最良はなんだ」
「バギィ。鳥竜種の牙が手に入る」
中折れ式の銃が肩を回って構えられれば、真っ直ぐに変形したバレルが地面に突き立てられる。上半身で体重をかけ、重々しいリロードの音が耳をつく。装填されたのは散弾だった。
「……よかったな、今朝はどうやら最高の出だしだ」
傍の草陰から一頭が飛び出した。先ず目に入ったのは小粒ながらに鋭い牙だ。顎から糸引く涎にも似た体液は、催眠性の高い厄介なものと有名である。
すぐさま、鉄塊のごとく巨大な剣が横殴りに振るわれる。
弾け飛ぶバギィは金切り声をあげていた。この手のモンスターは数にもの言わせてわらわら集まり、小賢しくも連携するのがうっとおしいのだが、どうやらここに長はいないらしい。
彼女の散弾が反対側の茂みへ爆ぜた。耳に自信ありと言うだけあって、機を伺い屈む竜の息遣いすら逃さずに。
「起きろ!出るぞ、頭が嗅ぎつける前にな!」
荷台の食料に引き寄せられたか、湧き出る雑魚を蹴散らしながら彼は声を張り上げる。今までテントの中では眠っていた荷馬車の主人は、のそのそとした動きであった。
「……鳥竜種か。なんとかしてくれ、そんな時のためのあんたらだろう」
この辺りは駆け出しの下位ハンターでもうろつけるような地域であるし、旅慣れた主人はバギィくらいじゃ慌てもしない。方や上位ハンター、急遽合流したのがG級ハンターと知っているから余計に踏ん反り返ってるのかもしれない。
「そっちの積荷に穴が空いてもいいなら応戦する」
ズレかけたキャップを被り直して、振り返りもせず彼女が言った。散弾の長所は大勢を相手にする時こそ光る。最初の数頭が瞬く間に生き絶えて、直様彼女がナイフを取り出す。警戒して後ずさる残党尻目に、牙を剥ぎ取るためだった。
「……商品に穴を開けるのは勘弁してくれ。価値が下がっちまう」
渋々と主人は眉尻下げて、かったるそうにガーグァの手綱を握って見せた。簡易式のテントを雑に畳んで、力任せに荷台へ放る。
一頭が喉を仰け反らせて天を煽った。断続的に響く鳥竜種の鳴き声は、ジャギィのものと酷似している。
すぐにわかった。仲間を、あるいは長を呼んでいるのだ。
「牙は取れたかツバキ、出るぞ!」
「わかってる!」
血が飛沫のように舞っていた。手の中に一頭分の牙を握って、満足気に彼女が駆け寄る。主人がガーグァの尻に鞭を放てば、驚いたようにやや跳ねてから荷台が動く。
すると一度は距離をとったバギィたちが、再び襲い掛かろうとが後ろ足を蹴り上げる。再び散弾が弾け飛ぶ。
「ドスバギィは近いのかもな、足止めしたがって見える」
バギィは群れの長の統率の下狩りを行う。人間には判別不可能だが鳴き声にはいくつかの命令系統があるらしく、それにより指示を仰いで連携するのが特徴だった。
車輪まで追い付いた一頭を薙ぎ払えば、小さな体躯はあっさり弾かれ仰向けになる。だがこんな荷台の上から振るう攻撃などたかが知れていて、あっさり飛び起きて再び追跡を始めるのだ。傍らで彼女が散弾を連射すれば、今度はまとめて三匹怯んだ。多対一なら大剣より効率が良い。
「見事なものだな」
「こんなの素人だって出来る」
褒めたのに喜ぶことなく彼女は言った。左の方で茂みが揺れる。あと十メートルもすれば下り坂だから、一気に引き離せるはずだったのだ。だが下り坂を目前に控えた林の中から、一際大きな影が飛び出したのだ。ドスバギィだ。
「ならチビは任せた」
ダラハイドはドスバギィを予期していたようで、飛びかかり攻撃が荷台に届くより早く剣を振るった。あの鮮やかな一閃は、下位レベルにはきっと強烈過ぎるに違いない。一撃で牙もろともへし折ってしまうことだろう。
だから、それを油断と言うにもまた十分だった。原因は乱暴にテントを畳んでいたことにある。大切な上ヒレは荷台の端に置かれていたが、なんの偶然かテントのワイヤーに絡まっていた。
爆ぜるような衝突音と、深く重々しい斬撃の音。両方が同時に耳をついた時、目の端で見たのはドスバギィの爪が苦し紛れにテントを引っ掻いた瞬間だった。
「あっ……」
トリガーを引こうとした指を止め、彼女は唖然と口を開く。爪はテントを引き裂いて、そのままワイヤーもろとも絡まりながら落下する。
結論から言うなら見事な抜刀攻撃は、一撃でドスバギィに致命傷を与えていた。体躯が転がり落ち荷台から瞬く間に遠ざかる。同時に下り坂に到達し、一気に走行スピードも増す。これで無事に逃げ切れたも同然だろう。破れたテントもろとも彼方にバギィの群れが消えてゆく。問題は偶然が重なったせいで、上ヒレまで落ちてしまったことにある。テントのワイヤーなんかに、絡まってしまったばっかりに。
「上ヒレ……!ザボアザギルの上ヒレが!!上ヒレ……!」
それは酷く悲しげな声だった。
「上ヒレぇぇ……!!」
とっくに遠退いて、届くはず無い距離へ腕を伸ばした彼女が嘆いた。
バギィ達が群がって、ザボアザギルの上ヒレを啄ばむ様子が伺える。荷台を降りて回収したところで、恐らくもう手遅れだろう。
「……まあ、ツラヌキの実は残った」
「上ヒレ、どうすんの……!ああああ、私の報酬金……!」
それはそれは悔しそうに、彼女ががくりと膝を着く。ダラハイドは思わず吹き出してしまい、それに憤慨した彼女が怒鳴る。
「わ、笑うな……!あんたのせいだろ、馬鹿……!ダラハイドの馬鹿、許さない……!」
時間は当然のこと、移動費やアイテム諸費用全てが無駄になった瞬間だった。深刻な金欠に苦しむ彼女に、これほど絶望的なこともない。
「おい、くく、泣くことないだろう。すまなかったから」
「笑いながら謝るな!!上ヒレ……!ああもう、どうするの!」
雪国の朝、それはそれは悲しげな声がこだました。
[番外編]
-1-
無尽蔵のスタミナを得れば、千回でも万回でも踊れる気がした。全武器一の機動力と手数を持った、双剣の乱舞は美しく洗礼されたものであるはずなのだ。
流れるような刃の軌道に沿い竜の血が散る。大剣のような破壊的な一撃も、太刀のような一閃もない。ランスのようなガードも出来ない。ひたすら走って、ひたすら張り付き、ひたすら弱点に向かって刃を踊らせる。彼はそういう戦いに憧れていた。
……そりゃあ、一撃の強さじゃ敵わないさ。ハンマーが顔面を殴りつけて角を折ったり、力を限界まで溜めた大剣が尻尾を叩き斬ったりするのを見れば、一撃の重さを見せつけられたような気がしなくもない。大技ってのにロマンを感じるのは男の性だ。事実彼もかつては大剣使いになろうとしていた。あんなにかっこいい武器は、他にないと思っていたのだ。
ならば何故、今手にあるのが身の丈を越えるほどの剣ではなくて、細い片刃二つであるのかといえば、きっかけは十二の頃だった。一人の双剣使いに出会った。当時ハンターですらなかった彼の故郷は、度々竜の被害を受けた。協会へ討伐依頼を出した一週間後、たった一人現れたハンターがその双剣だ。
ハンターとは強靭で無骨で、しかしそれが逞しいものだと決めつけていた。しかし現れたランク二桁のその男は華奢で、草刈りでもするのかっていうような、鎌のように歪曲した剣を二つ背負ってるだけだった。盾はなく、大剣のように剣身に隠れることもできやしない、リーチも短いし、防具にしたってひ弱に見える。その印象は村長も同じであったようで、そんな装備で攻撃に耐えられるのかねと疑問を述べてた。ハンターは無表情だが物腰は柔らかく、のんびりとした口調で「ご心配なく」と頷いた。
……ああ。この装備は、避けることに特化されてるんです。我々の業界では、回避性能とか回避距離っていいますが。
だから問題ないと言っていたけど、説明の後半は専門用語ばかりでよくわからない。
村一番の怪力持ちである木こりの男が、火力の低さを指摘した。見た所、攻撃力はスキルで補正されていないが?そんななりで大丈夫かと、やはりクエストの失敗を危惧したような物言いだったが、それでもハンターは動じなかった。
「火力の概念の違いです。双剣の火力は〝一撃が強い〟ことではなく〝何回斬れるか〟だと考えてるので。」
そう言って、ハンターはさっさと出発した。木の根を掻き分け岩場の影に身を潜め、少年の日の彼が狩猟を尾行したのは興味本意だ。あの強そうには到底見えない双剣で、恐ろしい竜をどのように狩るのか知りたくなった。そうして、自らの偏見的な価値観がぐるんと変化しちまったのだ。
…………
「……くっそ、強走剤なくなった……!」
自分の額から落ちた汗が、ぽたりと刃を濡らしてる。
泥濘む草葉に膝をつき、必死に砥石を滑らせた。早く、早く砥がなきゃ追いつかれちまう。なにせあんなに速いのだ、あの竜は。
右利きの彼は左手じゃ字すらも上手く書けない。だのに剣の扱いだけは上達している。
あの日、双剣使いの戦う様は見事であった。あんなふうになりたいと思った。そうして両手に小さな剣を取ったのに、まるで足元にも及ばない。なにせ、あの双剣使いはこんなふうに泥だらけの無様な姿は晒さなかった。
師と呼ぶ間柄だったわけじゃない。だが一つだけ教えてくれた。子供の彼にもわかりやすいよう、シンプルに説明してくれた。
〝大剣の攻撃が双剣の十倍強かったとしよう。じゃあ大剣が一度斬る間に十一回斬りつけろ、それが出来たら双剣のが強いぞ〟
名残惜しさもなく次の町に向かう双剣使いの身体は、返り血でぐっしょり濡れていた。手数を稼ぎ続けて、たっぷりの返り血を浴びた姿であった。
だのに今の自分はどうだ。返り血でなく、自分の血と転げまわった時の土汚れにまみれてる。全く無様だ。ドスファンゴもアオアシラも難なく狩猟出来たから、一流になれたと自惚れていた。あんな速さで動き回る竜なんて、まったく予想すらしなかったのだ。
残り少ない回復薬を見下ろして、そろそろ仕留めねば敗走も止むなしとため息が出る。立ち上がれば肩が痛んだ。さっき貰った、爪先の一撃がまだ癒えてないせいだった。
-2-
「また行くの、もう止めなよ。あんたじゃ無理だって」
「うるせぇ、この間はもう少しだったんだ。今度こそあいつの首持って帰ってきてやるから見とけ」
忠告を聞かない彼の態度に、幼なじみがため息を吐く。
ボロボロになって帰還した後、書物を漁りその竜がナルガクルガだと知った。どうりで速いわけだ、なにせ迅竜なんて呼ばれてる。
敗戦が悔しくて色々調べた。雪辱を晴らしたくて仕方ない。弱点を調べ、属性もナルガクルガの苦手とされるものを選んだ。アイテムだって、これでもかというほど万全に整えた。だのにもう何度も負けている。前々回はまたも回復薬を切らして逃げ帰る羽目になり、前回など気絶して気が付けばベースキャンプに寝かされていた。
モンスターに張り付き、ひたすら斬り、華麗に躱す。それを目指したはずなのに、いつもナルガクルガと鬼ごっこをするばかり。思い切り乱舞を打ち込めさえしたならば、決して強靭でない迅竜の外皮などズタズタに切り裂いてやれたのに。
「余裕ぶりやがって」
渓流の草根を掻き分けて、水場の岩を踏み締める。
ナルガクルガは目が悪くて、頭が良くて、プライドが高い。書物に記されたその特徴に、目前の敵はピタリと当てはまる個体であった。
……いた。
いつもの大岩のてっぺんが、あのナルガの寝床と知ってる。呑気にそこに横たわり、自分の尻尾で遊んでいるのを彼は見つける。あの済ました横顔を、今日こそビビらせてやろうと気を引き締めて、まず取り出したのは罠だった。
見てろよ、今日こそ、今日こそは、今度こそは。闘志を燃やしてネットを巡らす。落とし穴だ。ここに落っことして、あの余裕面に思い切り乱舞してやろうと画作した。今日は強走剤は調合分まで持って来たし、怪力の丸薬まで用意した。再三敗北を舐めさせられた迅竜に、今度こそ勝利して実力を示す。そうすれば、あの小生意気な幼なじみも少しは彼を見直すだろう。それに木こりの息子の嫌味な野郎も、双剣を弱いなど馬鹿にするのをやめるだろう。だから、どうしてもナルガクルガに勝ちたいのだ。
落とし穴の設置完了した物音に、真っ黒い耳がぴくりと動く。のっそりと首を持ち上げて、岩の上から彼を見る目は、相変わらず嘲りを孕んだように澄ましてた。
「今日こそ殺す!」
武器を構えて彼は怒鳴った。同時に、ナルガクルガが咆哮をする。ただ起き上がるだけの所作すら滑らかに、真っ黒い体躯が跳躍を見せた。
最初は目で追うことすらままならず、見えても反応が追いつかない事のが多く、攻撃などかすりもしないものだった。だがさんざ挑み続けてきたのだ。鍛錬もしたし武具も強化した。それに、経験値だって蓄積されてるはずなのだ。確実に腕は上がってる。だから、敵わないことなどないと思った。
思っていたのに。
…………
毎度思っていたけれど、その尾の長さは反則ではなかろうか。横殴りに振るわれた尻尾の側面に、腹から飛ばされ彼は呻いた。衝撃でアイテムポーチの中身が散らかる。瓶の割れる音が聞こえて、背中に嫌な汗が浮かんだ。おい、今のまさか回復薬じゃなかろうかって。水辺の小石に頬を切られて、また不名誉な傷が増えてく。最初の頃より動きは洗礼されてるはずだ。対等に戦えてると思っていた。だのに、結局いつも仰向けで空を見るのは彼だけだった。
ナルガクルガは鼻をふんと鳴らしてみせて、彼の瓶を順々にその足で踏み抜いてゆく。ばりん、ばりん。その度嫌な音が聞こえる。
「て、てめっ……!」
ナルガクルガは知能が高い。彼と何度も戦ううちに、あの瓶……すなわち回復薬がハンターにとって大事なものだと理解しててもおかしくはない。割れたガラスから溢れる液体が、土の中に染みてゆく。それを見下ろす敵の瞳は、嫌味なくらいに得意気だった。
よろよろと彼は立ち上がるけど、今度は長い尻尾が何かを遠くへ払い飛ばした。……あれは、
「砥石……、砥石?!」
目を細めてよく見たならば間違えようはずもない。双剣の、いや剣士全体の最も大切なアイテムのひとつだ。それをあの長い尻尾でお釈迦にしてる。
顔色を青くする彼を見て、やはりナルガクルガは得意気にする。こいつがもし人間だったら、さぞ嫌味な笑顔に違いない。
迅竜は強い。プライドが高くて、頭がいい。こうしてしまえば、彼が戦えないと理解してても不思議ではない。心底嫌な竜だと思った。結局その日も、攻撃らしい攻撃なんて殆ど当たりやしなかった。
獲物を嬲るような目つきで、あらかたのアイテムを破壊した敵が近づいてくる。今日は……いよいよもって死ぬかもしれない。そう思えば悔し涙が滲んでしまいそうだった。
だが予想外な事が起こった。ナルガクルガが……落とし穴に落っこちたのだ。
下半身がずどんと落ちて、俊敏な奴が不似合いにもがいてみせる。前足でがりがり土を引っ掻いて、怒り狂って吠えながら。
直ぐには脱出出来ないだろうことはわかった。なにせ入念にネットは張られているのだ。彼は、高笑いした。負け犬の遠吠えと自覚しながら、せめてプライドの高いナルガクルガを馬鹿にしてやりたかったのだ。
「は、はは、ざまあみろ!お前間抜けだ!次だ!次こそ……!ばーーか!!」
そう言って、ボロボロの身体に鞭打つように走り去る。
また駄目だった、また負けた。悔しくて涙が落ちるけど、死にたくないから必死に走った。
命辛々逃げ出して、また恨みを強くする。次こそ首を切り裂いてやろうと強く誓った。
-3-
モンスターの死に方を、調べてみれば意外な事実をたくさん知った。思えばハンターにとってのモンスターの死は、「殺した」という事実の元に起こる事象だ。
だが自然界なら当然のこと、怪我や衰弱、他の種との争いの末の死が起こりうる。例えばだが群れを成すドスジャギィは、巣に還り仲間に危険を知らせる。リオレイアは逆に巣からは遠く離れる。自分の屍肉に群がるものが、卵まで食い物にしないように。
ナルガクルガは……死体が見つからないような場所を探すらしい。プライドの高いことだと思った。協会の受けた報告の中には、追い詰めたナルガクルガが崖に向かって飛び降りたという例もある。既に翼は折れ飛行不可能な状態で、ハンターにトドメを刺されるのを嫌った可能性を考察された事例であった。
死に様を晒したがらない竜。死に場所を自分で選ぶ竜。報告書のその一文は、彼のよく知るあの個体を彷彿させる。きっとあいつも、自分にトドメを刺されそうになった時には、「お前なんかに殺されてやるか」と吐き捨てそうなものだから。
骨折した肋骨は殆どくっつきかけている。もう少し癒えたらまた再戦しようと彼は思った。
自室のベッドに横たわり、イメージトレーニングに耽ってる。四人のハンターが訪れたのは、丁度そんな時だった。
「休養中すまない、渓流のナルガクルガと戦ったのは君か」
扉の前に立っていたのは、見るからに手練れのパーティだった。まず一目見て、装備の強さに産毛が逆立つ。リーダーであろう先頭の男の胸板は、古龍の素材で出来ていたのだ。いやよく見れば他の三人の防具や武器も、自分が到底狩猟出来そうにないモンスターの鱗を使ったものばかり。腕章には、全員がG級ハンターであることが記されていた。
「そう……ですけど、なんで」
「ナルガクルガの寝床を知らないかと思ってな。これから討伐に行くんだ」
寝床の在処は非常に有益な情報だ。これを突き止めておくだけで、狩猟はかなり楽になる。だからこの情報収集は然るべきことだと理解していた。驚いたのは、何故討伐に行くのかということだった。
「こんな集落のそばにG級認定された個体が現れたんだ。協会から討伐令が出た。集落全体の安全が危ぶまれる」
「え、あいつ……G級認定されてるんですか……」
「……?知らなかったのか、いや無理もない。恐ろしかったろう、すぐに討伐してやるから安心してくれ」
どうりで強いわけだと思った。たまに一撃当てられたって、決まって弾かれた理由がわかった。
わからないのは、なんで自分が生きてるのかということだった。
彼はランク一桁の駆け出しハンターで、当然防具も下位素材で、だから当たり前に初心者レベルの防御力しか持ってない。G級認定されるほど強力な個体の攻撃など、くらえば一瞬で死んでしまってもおかしくないのに。
もう何度も戦った。あの爪や尻尾に、何度も全身を攻撃された。なのにどうして生きているのか。再起不能になるような、致命的な怪我すらなかった。
あのナルガクルガはいつも余裕面を崩さずに、大岩の上で呑気にしている。彼が全力で挑んでも、虫でもあしらうみたいな顔をする。馬鹿にしたようにアイテムを壊して、必死に追いかけてくる彼の攻撃をひらりとかわして、いつも見下すような目をしていた。
影すら踏ませてもらえない、なにより速い竜だった。
「……すいません、わからない」
寝床を知っていた。滝の裏側にある岩場と水場の境界線で、一番大きな岩の上。
知ってるくせに嘘をついた。何故嘘なんかついたのか、彼は自分でもわからなかった。
…………
……あいつは俺が倒したいから。そのために鍛錬を重ねて来たから。何度骨を折ったと思っているのか、どれだけアイテムを消費したと思っているのか。
だから、どっからかポッと出てきた熟練者達に、あっさり倒されたら気分が悪い。だってそれじゃあ、挑み続けた自分が馬鹿みたいで。戦いのために努力した日々が無駄みたいで……
頭の中で繰り返す、彼の思考はぎこちなかった。まるで言い訳してるみたいだ。自分に自分で言い訳するなど、馬鹿馬鹿しいことこの上ないのに。
いつもの草根を掻き分けて、痛む腹を抑えて必死に岩場を目指す。熟練ハンター達はさっさと出発してしまったから、今頃戦い始めていることだろう。
あの賢くて、プライドの高い嫌味な竜は、自分とは比べものにならないほど強いハンターを前にどうするのだろう。小馬鹿にしてた人間に、きっと冷や汗かいているに違いない。ざまあみろ。ざまあみろ。そう何度も繰り返すのに、彼の表情は真逆であった。ちっとも痛快そうじゃない。
〝その現場〟に、近付くのは容易であった。なにせ物音が騒々しい。剣の音、ハンターの怒号、アイテムを使う音、それから、咆哮。うるさい方へ足を運べば、戦闘の現場はすぐに見つかる。遠目の影からじっと見た。ナルガクルガは、自慢の尻尾を振り回していた。
……そうだよ、その尻尾、痛いだろう。よく知ってるよ、何度もぶっ飛ばされたんだ。
人知れず呟く彼の声を、聞いてるものは誰もいない。
回復しようと後退したランスに向かい、あの驚異的な機動力でナルガクルガが飛びかかる。
……あの動きも、知っていた。そうだよ、速いんだよ。回復するのも一苦労だよ。話し相手など誰もいないのに、なんて虚しい呟きなのか。
弓の放った矢がかわされて、後ろにあった枯れ木に刺さる。やはり彼は頷いた。そうだよ、すばしっこくて、攻撃が中々当たらないんだって。
あのナルガクルガのことを、誰より詳しくなったと思った。動きのパターンや独特の癖を、誰より知っていると思った。
「なんだそれ」
悔しくて、膝をついた。
彼が戦っていた時よりも、ナルガクルガはずっと速く動いているのだ。ずっと強力な攻撃をするのだ。熟練ハンターが手こずるくらいに。
大きく後ろに飛び退いてから、勢いをつけて飛びかかる。ナルガクルガは速すぎて、渓流に黒い残像がいくつも重なるようだった。あんなスピードなんか知らない。
それから、足場の一つにあった落とし穴に前足をつき、あっさりネットを引き裂いた。もうあの罠は台無しだろう。
「なんだそれ、お前落とし穴見破れるのか」
じゃあなんであの時落ちたんだ。落ちなかったら、彼にとどめを刺せたのに。疑問を述べても、答える奴などどこにもいない。
「やっぱ怒ってないと入りませんね」
「もう麻痺する、ちょっと耐えろ」
熟練者達が連携をとる。麻痺ってなんだとよく見れば、弓は麻痺瓶をぶら下げていた。ああ、そういうことかと納得をする。
宣言通りに、ナルガクルガが身体を麻痺させたのは間も無くだった。
目を覆いたくて、目が離せなくて、目を背けてはいけない気がした。
喉が異様に乾いてくる。何故か胸に穴が空いた気がする。
「自慢の尻尾のくせに、なんだそれ」
麻痺で自由を奪われた隙を、熟練者が逃すはずもなかった。あのしなやかで強力で、ひどく厄介な尻尾が切断されるのを見た。彼の頭が真っ白になる。
大岩の上に転がって、自分の尻尾で遊んでいた呑気な姿を思い出す。……何故か胸が苦しくなった。
-4-
ナルガクルガが怒った時に、瞳が赤く染まること。今日彼はそれを初めて知った。
じゃあお前、今まで本気で怒ってなかったのかって、そんな知りたくない事を知った。
思い返せば彼の怪我はいつも打撃によるものばかりで、切り傷はないに等しかった。せいぜい転がって石に頬を切られたくらいだ。ナルガクルガの爪も牙もあんなに鋭いっていうのに、どうしていつも切られなかったのか、考えるのも嫌になる。
もっと速く動けたくせに。
もっと強く殴れたくせに。
いつでも、殺すことができたはずだったのに。
「まさかアレだろ、初めて見た時、寝てるお前をスケッチしたの関係ないよな。あん時は、こんな怖い奴だと思わなかったんだよ」
モンスターが言葉を理解するわけがない。だから、こんな問い掛けはきっと無駄に違いない。
「お前身体丸めて寝てるから、起き上がった時まじでビビったんだよ。こんなデカイのかって。本当強くて、必死に逃げたよ。お前……情けないって思ったんだろ」
なんだか寝顔が可愛くて、ポポとかガウシカとか、そういうタイプのモンスターかと勘違いした。だが起き上がってみたらどうだ。牙はあるわ爪は鋭いわ、翼もあるわ尻尾は長いわ、挙句目が殺気立ってる。そりゃあビビるだろう。アオアシラ倒したくらいで踊るほど喜んで天狗になった男だったのだ。こんな強そうなやつ、見たらビビるに決まってる。
水場の岩を踏み締める、かつて恐怖した爪は割れていた。立派な尻尾は短くて、断切面からは血が止まらない。ボロボロだった。
いつも剣を向けてた大岩の前で、いつもみたいに対峙している。なのにいつもと姿が全然違う。いつもの余裕はどこにも見えない。
「またここに来たのか……っていうのは違うか。お前の住処だもんな。俺が……そうと知らずにトレーニングに来ちまっただけで」
また遭遇するとは思わなかったし、飛びかかって来たから驚いたのもよく覚えてる。それからだ、戦って、負けて、今度こそって挑んで、また負けて、負けて、次こそはって思っていたのに。
満身創痍のナルガクルガは、彼の気配に威嚇をみせた。毛を逆立てて、背中を強張らせ、凄まじい迫力で咆哮をする。
「……お前、目……」
その片目は、斬撃の痕を残して潰されていた。
「あのさ、俺」
彼が話しかけるのを遮るように、枯れた喉で咆哮をする。そもそも話しかけることそのものが抹消的だ。モンスターが、人語を理解するはずがない。
「なんだよ、わからないのかよ。見えないから」
ここで、乱舞の練習をしてた。
ナルガクルガの住処だなんて知らなくて、だから襲いかかって来られた時は驚いた。住処を荒らされたと勘違いさせたのかもしれない。
だったらなんで殺さなかったのか。人の肉は食わないのかって、勝手な解釈をしていたけれど。
「お前くらい速くて強い乱舞ができたら。そう思ったのは、二度目の敗北からだった」
どのみちもう、ナルガクルガは助からない。いずれ熟練ハンター達はここを見つけるだろうし、放っておいたとしても傷はあまりに深すぎた。
なあ、お前本当は俺だってわかってないか?
だって潰されてない方の目、赤くないじゃん。
彼はそう思ったけど、口に出しはしなかった。万が一、ナルガクルガが人語を理解してたら悲しすぎるから。
彼は黙って剣を構えて、渾身の力で斬り込んだ。
ずっと当たらなかった乱舞が、初めて首にのめり込む。ナルガクルガを斬る感触を、その時初めて味わった。
ハンターが竜を斬るってだけ。
当たり前のことに何故だか涙が止まらなかった。
-5-
その大岩は側面が切り立っていて、翼がなくてはてっぺんまでたどり着けない。
だからそこに下手くそなスケッチがあることなんて、知ってる人間はどこにもいない。
────もう、随分前の話だ。
起きた途端に情けのない悲鳴をあげて、弱そうな双剣使いが逃げてゆく。後に残ったスケッチを見て、ナルガクルガは瞳を細めた。水場で喉を潤す時に覗き込む、水面に写る姿が描かれてたのだ。悪い視力でもまじまじ見れば、川で歪みがちだった自らの顔を初めて知った。
それは夕暮れ時の渓流の、実に奇妙な出会いだったのだ。