「シド!消散剤!冷たいっ、冷たいっ」
「ノイアー!だから持ち物確認ちゃんとしろっつったろうが!!」
首から下を雪だるまにしたノイアーが走り回る。ウカムルバスの咆哮で落下した氷柱が、彼女を雪まみれに変えてしまったのだ。シドは駆け足にノイアーに駆け寄り、ポーチから消散剤をぶちまける。
「相変わらずだな、あの二人は」
反対側へと立ち回るダラハイドは楽しげだった。身の丈を超える大剣が、前脚を斬り、顎を斬り、腹を斬る。重々しい装備をまるでないかのように、その動きは俊敏だった。
「それにしても、リミッター解除か。お前がしゃがめないのは、なんだかな」
「元々立ち銃なんだ」
彼女は短く応じて転がる。納抜刀、歩行速度、なにもかも遅いヘビィは武器を構えたまま常に回避行動で立ち回る。
氷岩が周囲へ爆ぜた。ウカムルバスの鋭利な顎が、氷山を横殴りに破壊したのだ。ツバキに向かって飛んだ礫は、しかし彼女に届く前に大剣の切っ先に打ち返された。
「平気か」
「……ありがとうダラハイド。当たってない」
「お前にもう被弾させないさ。二度と」
立ち塞がる背が広く見える。ガンナーは確かに打たれ弱い。だが、守られなければならないほど脆くもない。だのに何故か、甘んじたくなるような魅力が彼にはあった。
「シド!!チャンス!」
「おい!ノイアー!」
騒々しい声がする。氷を振り払ったノイアーが走ってくる。それを、シドが心配そうに追いかける。
ノイアーはいつも楽しそうに戦う。いつか、シドが彼女を〝ティガレックスのようだ〟と言った。ツバキもダラハイドも、今じゃその意見に同意している。背の武器を引き抜きながらノイアーが飛ぶ。段差を蹴り、無防備な背へ斧が振り下ろされていた。
「あれっ」
途端、素っ頓狂な声がした。
「シド!乗った!ウカムに乗れた!」
「おい馬鹿っ、捕まれ!落ちたら痛ぇぞ!タイミング見て、背中刺せ!」
二人のやり取りが面白くって、ダラハイドがくつくつ笑い出す。つられるようにツバキも笑った。
四人なら、なにが来ても負けないような気がしてた。
…………
自らのギルドカードに「G1」と判が押される様を、皆々子供のように目を輝かせて眺めていた。これがG1許可証。晴れてG級ハンターに仲間入りした証である。
一括りにG級といっても幅広い。危険度に応じて更に綿密なランク分けが存在する。G1はその入り口であり、G級の中ではもっとも下のランクに位置付けられた。それでも、まぎれもないG級なのだ。たまらなく誇らしく、皆々笑顔を浮かばせる。
「これでツバキと同じG1か」
「ダラハイド、今度は発行拒否されなくて良かったね」
「言ってくれるな。気にしてたんだ」
自然と空気が穏やかになる。ノイアーはずっとG級に行きたがっていたし、なんだかんだシドも照れくさそうな顔してる。集会所で、四人はいつまでも喜び合ってた。
「……まあ、でも、」
長閑な村、ユクモ。崖上の集会所から景色を見下ろしてダラハイドは言う。瞳はこの風流な異国を、愛おしげに見つめてた。
「あの時発行拒否されたから、〝今〟があるのか」
ノイアーが笑ってる。人見知りでシドにしか懐かなかった彼女さえ、だんだん刺々しくなくなってきた。
「嬉しそうに言うんだね」
「嬉しいさ。お前にも会えた」
真顔でダラハイドがそう返すから、ツバキは思わず息を飲む。それがあまりにらしくなくって、彼女は逃げるみたいに後ろへ下がった。
ダラハイドは、ずっと景色を眺めてた。
…………
……これは、なんというか。いや別に劣等感とかではなくて。
なんとも言えない気持ちを抱えて、ちらちらとツバキはノイアーを見た。
夜風がとても気持ちいいし、ユクモは露天風呂がピカイチなのだ。久々の帰還に、一風呂浴びたくなったのは実に然るべきことだろう。彼女がそんなことを考えてると、ちょうどノイアーもそんな気持ちだったらしい。
「……風呂、行く?」
ぶっきらぼうながら、尋ねてきたのはノイアーだった。
曰く酷い人見知りであるノイアーは、シドに見せる無邪気さを引っ込めてしまってる。それでも、実にやりにくそうながらに話しかけてくれたのは、彼女なりに親愛の意があるためだったのかもしれない。
女同士なのに、思えばマトモに話して来なかったことをツバキは思い、やはりおずおずとノイアーに向かって頷いた。
「……風呂、行こうか」
夜の露天風呂は貸し切りだった。
ツバキは背の低さを彼女は気にしているが、決して幼児体型ではない。それなりに凹凸のある身体をしていた。
身体にタオルを巻いて浴場へ行く。ノイアーは先に湯船に足を浸してた。
ツバキに衝撃が走ったのは一秒後だ。
砂漠の出身だというノイアーの肌は、ダラハイドより更に黒みの強い褐色だった。ダラハイドは地黒だが、ノイアーのは地黒に加えて日焼けを随分としてるのだろう。こうして厳つい鎧を脱いで、あどけなくするノイアーは素直に魅力的な容姿に見えた。それはそれで衝撃だけど、ツバキが口をあんぐり開けたのは身体の方だ。
……なんだ、その、胸は。
いや胸だけじゃない。それだけ迫力のあるサイズをしておいて、なんだ、その細い腰は。腹のラインが艶めかしいカーブを描いて引き締まり、それでいて尻は上向きに膨らんでいる。
普通は多少なり「もうちょっと、ここがこうだったら」というべき場所があるはずなのだ。だのに何故、胸も尻も完璧な形かつ魅力的なサイズを持ち、それでいて腹も脚もそのように細く締まっているのか。
ツバキは、急激に自分が幼児体型なのではと錯覚に襲われた。完璧なプロポーションを持つノイアーは、しかしそれを何とも思ってないようだった。それが余計に憎たらしい。
「ツバキ、なに固まってる?」
「あ……や、なんでもない」
彼女と比較すると随分とボリュームのない胸元を、無意識にツバキは腕で隠した。
「いいな、ツバキ、細くて」
「え、ノイアーそれすごい本気で言ってるなら嫌味どころの騒ぎじゃない」
「なんで?白いし細そくて羨ましい」
どうやらノイアーは本気でツバキを羨ましがっているようだった。同性なら誰もが羨み、異性なら鼻の下を伸ばさざるを得ない体型なのに、本人は気に食わないと言わんばかりだ。ツバキにはこの上ない贅沢に見えた。
「だってシドが、いつも重たいって言う。ツバキくらい細かったら言われないかな」
「重たいって、装備の話じゃないの」
「ううん、寝るときは防具着けないし」
……〝寝るとき〟?そいつは一体どんな状況を指すのだろうか。キョトンとしてれば、補足するようにノイアーは言う。
「私、シドの家に転がり込んでんだ。砂原から狩猟のためにこっちに来て、なんやかんやそのまま」
「じゃあ、一緒に住んでるの」
「うん。で、なんか寝相悪いみたいで、朝は大体怒られる。こないだなんか、『窒息させる気か』って言われた」
あっけらかんとノイアーは言うが、ツバキには色々と衝撃だった。それはつまり、そういう関係ということなのか。
「つまり、恋人……?」
「え、なに恋人って。そんなわけないよ」
だのにあっさり、ノイアーはそうカラカラ笑った。ツバキは瞬間、シドにひどい同情をした。
時同じくして脱衣所にいたダラハイドは、必死に声を押し殺して笑っていた。先に風呂に浸かる女性二人の、盗み聞きをするような構図になってしまった。隣でシドは、なんとも言えない顔をしている。
「いやシド、すごい忍耐力だ」
「……おい、邪推しないでくれ。別に俺は、」
「なんだ、そういう事にしておきたいなら別に構わない。詮索したいわけじゃないしな」
シドがノイアーを大切にしているのは周知の事実だ。決まっていつも心配をして、振り回されて、挙句同棲しながら「恋人なわけがない」というから泣ける。ダラハイドは密かに、シドが報われるように願った。
「しかし鉢合わせるとはな。暫く待つべきか」
「……?なに言ってるんだよ。ダラハイド、ユクモの温泉は混浴だ」
「コンヨク?」
「ああ、混浴ってのは男も女も一緒に風呂に入るって意味だ」
シドの言葉に、ダラハイドは目をぱちくりさせた。つまり、今露天風呂で湯浴みを楽しむ彼女らと、同じ湯に浸かって咎められないということだ。奥ゆかしいのか大胆なのか、この土地の価値観はよくわからない。
「まあ、でもその前に、だ。ダラハイド、聞きたいことがある」
ダラハイドに少し話さないかと温泉に誘ったのはシドだった。シドはずっと、原生林で会った幼体ラージャンとの一戦でダラハイドに疑問を抱いていたのだ。
「ドンドルマにある狂竜ウイルス研究機関が、先日〝極限化〟という報告例を発表した。……セルレギオスが狂竜ウイルスを克服し、あらゆる属性を通さず、またあらゆる攻撃を弾きかえす恐るべき状態になったそうだ」
〝とあるハンター〟が解決したその事件は、狂竜ウイルスの新たな可能性として全国のハンターを震撼させた。各地に飛来したセルレギオスの原因も、この極限化個体による影響らしい。
「相変わらず情報通だな、シド」
「……誤魔化さないでくれダラハイド。あん時ラージャン相手にしたお前の推理が、ぴったりと的を射てる。極限化を、元から知ってたんじゃないのか」
「専門の研究機関が最近ようやく解明した事実を?俺が最初から知ってたと?」
「そうだ」
ただ単にダラハイドの洞察力が抜きんでて、結果推理が的を射たと……シドがそう解釈しない理由はいくつもあった。当時は上位で、今ようやくG1になった彼の防具が既に天鎧玉の強化を施されていることや、武器が見たこともない素材であることも理由の一つだ。だが最たるものは、あの時ラージャンに放った武器の奇妙な力のせいだろう。
あの時、ダラハイドは見たこともない〝石のようなもの〟を武器の柄に嵌め込んで、白い光を放ってた。
今でもはっきり覚えてる。石を取り込んだ大剣の放った一撃は、どんな攻撃をも弾いたラージャンの黒い皮膚に、弾かれることなく刃を通したのだ。あの謎の力に、シドが心当たりを見つけたのも先日だった。件の〝とあるハンター〟の話だ。極限化したセルレギオスを討伐するおり、届けられたアイテムがあるという。
「おかしいだろ。元から知ってたってわけじゃないなら、何でお前……抗竜石持っているんだ」
あの時のラージャンが極限化個体だと理解して、その有効手段が〝抗竜石〟だと知らない限り、あの場面であのような使い方をするはずがない。
時系列にするとダラハイドがラージャンに抗竜石を使い対抗したあの一戦は、狂竜ウイルス研究機関が一連の出来事を発表をするより前になる。元から知っていたとしなければ、説明のつかない行動だった。
「ノイアーは、まあ……ともかく、ツバキは気付くぞ。いずれ……」
ツバキはシドほど情報収集を習慣づけてるわけではない。だがドンドルマで活躍した〝とあるハンター〟は一躍時の人として巷で話題の中心なのだ。遠からず耳にも入るだろう。その時に、きっと今のシドと同じ疑問を持つはずなのだ。
シドが「抗竜石」と単語を出したら、ダラハイドもとぼけるのをやめていた。既に誤魔化せないと悟っているのか、いつもの余裕のある笑みも引っ込めている。
「……そうか。そうだな。いずれツバキも気付くだろうな。そんなに話題になっているなら」
無論ダラハイドは〝とあるハンター〟とは別人だった。そのハンターは我らが団を称する一団のメンバーであり、ダラハイドとは接点すらない。
「……言いたく、ないのか」
「…………悪いな、箝口令というやつだ。俺の生まれた国は、もっとずっと前から狂竜ウイルスについて研究していた。これ以上は勘弁してくれ」
夜風が吹いた。リンリンと、近場の渓流から虫の声が聞こえてくる。穏やかなユクモの風に吹かれて、ダラハイドは悲しい目をしてた。
「ずっと、いつかハンターになりたいと思っていたんだ。俺はな、ツバキみたいに生きたいんだ。憧れかもしれない」
ツバキだけではなかった。ノイアーのように自由で、シドのように仲間を想う。そんなハンターとして歩みたかった。ダラハイドにとって、三人は眩しい存在なのだ。
「……なんだそれ。お前、とっくにハンターだろうが。少なくとも俺たちはそう思ってる」
「……そうか」
「まあ、言えないならいい。だけど一つだけ答えてくれよ」
頭の良いシドは、ダラハイドの持つ秘密に不吉な予感を隠せなかった。それは未だ具体性は見えないもので、しかしダラハイド自身を悪人だとも思わない。それでも、なにか悲しいことが起きてしまいかねないような、そんな予感が擡げていたのだ。
「人はいつか必ず別れる。お前とその時が来た時、俺たちは笑って手を振れるのか」
命懸けの生業だ。ずっと四人でいたくとも、どうしようもない運命に引き裂かれることもある。それは怪我や病気かもしれないし、死かもしれない。目的の相違が、道を分かつこともある。いつかはわからない。数年後か、数十年後か、あるいは明日そうなるかも限らないけど。
シドの真っ直ぐな視線を受けて、ダラハイドゆっくり頷く。
「ああ。笑って去ろう。そして願わくば、それが年老いた後でありたいと思う」
その言葉に、シドはそれ以上の追求をやめた。
…………
「あ、シド!」
腰にタオルを巻き付けて、露天風呂に歩いてくる二人に気付いたノイアーは笑顔を綻ばせた。
「シド!こっちこっち!」
布一枚巻いてるだけで、ほぼ全裸というのに本当に咎められないとは。〝コンヨク〟なるものにダラハイドは半信半疑であったが、気にするでもないノイアーの様子に納得する。
女性というのは肌を見られたがらないものだと思った。だが温泉という場所は、どうやら特異なものらしい。
ツバキはといえば、何故かノイアーの横でただでさえ小さい身体を、益々小さく丸めていた。
「ばっ、おいノイアー、跳ねんじゃねえ!タオル落ちるだろう!」
はしゃぐノイアーの胸が揺れた。それをツバキがなんとも言えない顔で見たあと、自らの胸を見てシュンとした。あっ、なるほど……。サイズの差に妙な納得をしてしまう。別にサイズが全てではないだろうに。
「あのなあ、お前……風呂では髪結べっつったろうが。ほら、頭のタオルん中しまえ。長いんだから」
「上手く出来ない。シドやって」
人見知りのノイアーは、シドが来た途端にガラリと明るい声を出す。子供のような笑い声がこだまする。それを見て、小動物のようだったツバキもまたクスクス笑った。
「ご機嫌そうだな、G級ハンター殿」
ダラハイドはそう言って、ツバキの横に腰を下ろし湯に浸かる。隣ではシドとノイアーがじゃれあっている。
「ダラハイド、もうあんただってG級だよ」
「お前のおかげだな。ところで、もうバルバレに帰るとは騒がないのか」
「……まあ、なんていうか……もういい。ここが、好きになって……」
ツバキはそう言って空を見た。
彼女のいう「ここ」とは、「この四人」を指す言葉だ。いつの間にか、すっかり居場所が出来ている。
ハンターは一期一会と思ってた。孤立してるべきものと思ってた。だけど、背中合わせに仲間と道を共にするのは、こんなにも心が暖かい。
「そうか。俺も好きだな……長くこうしてたいくらいだ」
「うん」
肩まで湯にとっぷり浸かって、四人で入る露天風呂は格別だった。