二月十五日(水)
見渡す限りどこまでも続く、一面の銀世界。真っ白に染まった土手道や田んぼが、一日の始まりを告げる大きな明かりに照らされて、反射するその輝きが眩しい。
それは、ここ最近の雛見沢の日常であり、地元住民にとってはウンザリする光景。もちろん私もその例に漏れず、見慣れたを通り越して、飽きたも通り越し……そう、やっぱりウンザリする光景だった。
だからと言うわけではないのだが、そんな清々しい雛見沢の朝景色や、窓から流れ込む冷たい冬の空気なんて、今の私にはどうでもよかった。その視線はただ一点、葛西の左腕に巻かれている、腕時計だけに向けられていた。監督の診療所を出てもう、かれこれ五回は時計の針を追っている気がする。タイヤが、雪道と砂利道を交互に噛むので車体はガタガタと揺れ、時刻を上手く読み取れない。
今は……もうこんな時間。ああ、やっぱりダメかも。
「そんなに心配せずとも、始業時間前には着きますよ」
私の心を読んだかのように、葛西がそう言って笑った。
「分かってます。でも、もし遅刻して、これ以上に出席日数を削っちゃったら……、爪三枚じゃ済まないかもです」
私はそう言って少し大げさに、ため息を吐いて座席に沈み込む。
もちろん、軽い冗談なのだけれど。でも……もしかしたら冗談では済まされないかも、なんて思えてしまう、自分の家柄が恨めしい。
「葛西〜、もうちょっと踏んでくださいよ。うぅ、寒い」
ハンドルをぐるぐると回して窓を閉めながら言うと、冷えた空気をエンジンがより一層震わせ、真っ白な世界がグンと早く通り過ぎていく。車体が大きく揺れた時に、何かが座席から転がり落ちた。
「ん、なんだろうこれ……ありゃっ」
紙袋で綺麗に包装された箱が二つ。拾い上げたそれに、私は見覚えがあった。
そーいえば、悟史くんに渡し忘れちゃったな。あの晩は、いつのまにか寝ちゃってたし。まー、いっか。どうせ渡しても私の自己満足にすぎないのだし。
問題なのは、もう片方の箱だった。お姉からの頼み、結局忘れたままだったっけ。どうしよう…これ。
むぅ……と唸りながら箱を見つめていると、その視界の端、だだっ広い田んぼ道に、見慣れた三人組が歩いているのが目に入った。
「葛西、ちょっとストップです」
私が気付く前から葛西は車の速度を落としていてくれて、おかげでスムーズに彼らの前に停まる事が出来た。
手元のハンドルを回し、さっき閉めたばかりの窓を開けて顔を出す。
「はろろ〜ん☆ みなさんお揃いで登校です? なんだか、いいですねー」
「詩ぃちゃん、おっはよーぅ!」
「なんだなんだー!? 園崎の御令嬢はクルマで送迎かよー! 羨ましいぜ!」
「そうですか? 私はみなさんの方が羨ましいですけどねー」
「ってゆーか、あんたまだコッチにいたの? 学校間に合わないんじゃない!?」
「まーまー、そう固いこと言わずに。のんびりといきましょうよ」
本当は結構焦ってたりするのだけど、魅音の前では強がりを張りたくなる。そんな自分が少し可愛く思えた。
……ん、てか、いまお姉も圭一もいるじゃん。もしかしなくても、これは最後のチャンス!
「んまぁ、それは冗談として、私結構急いでるんで、これで失礼しますね。あと、お姉? これ、忘れ物ですよ」
そう言って、まだほのかに甘く香るその箱を、そっと放り投げた。それは綺麗に放物線を描いて、魅音の手にすっと収まる。
「ん、なにこれ……って、うわっ! なんでいま渡すのさー!?」
「ん、なんだよそれ」
「わー! 何かな、何かな!」
「な、ななななんでもないよー!? あははは」
「あれれー? お姉、一昨日の晩に一緒に作ったじゃないですか。圭ちゃんのためって。くすくす」
「え、俺の……?」
「わー! わー! おじさん、何がなんの事やら分からないなー! こら詩音ー! あんた何言って、」
魅音の言葉は、途中で窓に遮られた。それを合図に、車は急発進する。彼らがどんどん小さくなっていき……見えなくなるまで、私はその場所を見送っていた。
頑張れ、魅音。私も頑張るから。
……なんてまあ、私が悟史くんに渡せなかったって事は、お姉も同じ結末になるかもね。だって私達は双子、どちらがどちらでもあるんだから。くすくす。
そんな事より、一つ気になることがあった。車を出す直前に、レナが葛西にお辞儀をしていた気がする。いや、していた。あれは一体……?
ハンドルを握る葛西の手に、自分の手をそっと重ねて、下から覗き込み、サングラス越しのその奥に、真意を探る。
「葛西ぃ? なんか、私に隠し事してません? レナさんと何企んでたんです?」
「……男には、言えない秘密ってのがあるもんです」
「ふーん? じゃあ、お母さんに言っときますね。葛西が一般人の女の子と秘密の関係にあるって」
「詩音さん、ご冗談を」
瞬間、私と葛西の視線が時を止める。
そして…二人して、くつくつと笑いあうのだった。
「そうだ! 葛西って確か、甘いもの好きでしたよね? これ勿体ないんで、あげちゃいます。食べてください」
そう言って、箱を葛西の膝に乗せる。でも、車体が揺れて不安定だったので、スーツのポケットにねじ込む事にした。
「しかし、いいんですか? だってそれは、」
「もー、女の子がいいって言ってるんですから、有り難く貰っておけばいいんです! あ、ちなみに詩音お手製の超レアなやつなんで、感想よろしくです」
「……ありがとうございます」
「それじゃ、もっと急ぎましょう。そろそろリアルに遅刻です! それ、ゴーゴー!」
「危ないですから、ちゃんと座っていて下さい」
そんな言葉と裏腹に、車体は一気に加速する。
なんだか楽しくなってしまって、窓から身を乗り出した。冷たい風を一身に受けて、寒くなってすぐに中へと戻ったけれど。
あと数ヶ月もすればこの空気も変わり、やがて、ひぐらしの声が聞こえてくるだろう。
「もうすぐで、また一年、経っちゃうのか……」
私の独り言に答える声はない。
次の六月には、答えてくれるだろうか……?
車が大きく跳ねる。雛見沢と興宮を繋ぐ橋を越え、振り返ると先程抜けたばかりの大きな森が遠ざかっていく。そして、不思議と聞こえた気がしたのだ。
あの、ひぐらしの合唱が。
————ひぐらしのなく頃に 糖辛し編 了
あとがき
ひぐらしのなく頃に 糖辛し編を読んで頂き、ありがとうございます。
作者のMidoriNです。はじめまして。
この作品を書くにあたってのテーマとして「ひぐらしの空気感を維持する」というものがありました。
どうでしょうか? 詩音はちゃんと、詩音でしたか? レナや圭一は、頭の中で動いてくれたでしょうか……? 彼らに動きを与えられる事が出来ていたなら、それ以上嬉しい事はありません。
もし、彼らのイメージが掴めていないのでしたら、ごめんなさいごめんなさいなのです。もっと頑張りますです。
どこかに自分の作品を公開するという事自体、これが初めてでしたので、分からないことだらけで、お話自体が右往左往してしまった点、深く反省しております。ちゃんとプロットは組んでから書けってことです(笑
最後に、感想を下さった方々、評価を頂いた方々にも、大変感謝です。物書きの端くれとして、読んでもらって、感想や評価を頂ける事ほど、幸運な事はありません。
ご期待に添えられなかった方々、申し訳ないです。もっと腕を上げていきますので、今回はこれで勘弁ください。