薄暗く、やたらと長い廊下を小走りで駆け抜ける。そして魅音はすぐに見つかった。どうやら奥にあるキッチンにいるらしく、魅音以外にも気配がある事を、微かに感じ取った。
「お姉! 大丈夫ですか!?」
キッチンを満たす黒煙に若干怯みつつも、そこへ飛び込む。そして……、え? なに、これ。
「えーっと、適量? ねー……。って、詩音? あんたどうしたのそんな慌てて」
「おや? こんな時間に騒がしいかと思えば、詩音さんじゃないですか。昨日ぶりですね。ところで、どうしたんですか。なにやら只事ではない雰囲気ですが…?」
「……お姉と、…監督? 二人して何やってるんです?」
眼下に広がる光景は……なんだろう、なんか違った。
……俗に言う勘違い、かな? 料理教本のようなものを持ちながら不思議そうにこちらを見る二人と、自分との温度差が、急速に私の感情を冷却していく。
「……あのですね、お姉? とりあえず、そのヤバげに大炎上してるお鍋の火を止めません? あと、換気もした方がいいかなーとか思うんですけど。中毒で死んでもいいなら別に止めませんよ? というか、お手伝いしましょうか。喜んで介錯してあげますよ?」
「詩音、なんだか目が怖いよ……明らかに負のオーラを感じるよ。詩音が詩音してるよ。いや、魅音になっちゃいそうだよ……」
「いいから早く火を止めて下さいっ!」
「ひ…? って、うわっ! 監督ー! お鍋がヤバいことになってるよー!」
「あちゃー、これはいけませんねぇ。あははははは」
「笑ってる場合じゃないよー! あんまり台所を汚すと、婆っちゃが怒って、三日は布団にこもっちゃうんだからさー」
この期に及んでものんびりと鎮火作業にあたっているこのお馬鹿二人に呆れる。なんだか、オーバーに騒ぎすぎだったのだろうかと心配になるくらいだ。一気に疲れが押し寄せてくる……と同時に、なんだか怒りが湧いてきた。冷却失敗、再燃焼グツグツグツ…。
「それで監督、これは一体どういう事なのか、説明してもらえます?」
事態の終息を見届けて、このお馬鹿二人を正座させた。
徒労に終わりそうなこの感情が怒りを煮込む。その矛先は、この場で一番の年長者である監督へとターゲットを定める事にした。お姉に向けると、こいつの事だ。いつまでも引きずってウザいからね。
「いやー、魅音さんにお菓子作りのお手伝いを頼まれたのですが、やはり素人の私じゃあどうしようもなかったですね。いや、まいったなーこれは。あはははは」
お菓子? なんで監督が手伝いなんてしてるんだ…? 魅音はこれでも次期当主筆頭、料理は鬼婆から嫌になるくらいキッチリと仕込まれている筈だ。それに、手伝いを頼むなら普通、レナとかそっちの方面に頼るのではないだろうか。
「それがですねー、なんでも、お友達の皆さんには言えない事情があるらしくてですね。藁をもすがる気持で私のところに来たのです。これを断ったら可愛そうですから、とりあえずでも助けてあげようと、この入江京介、ここまで足を運んだというわけです」
「……なるほどです。ふーん? そーいう事かー。お姉も、相変わらず乙女ですねー☆」
「わっ、わわ! ……あははは。何のことかなー? おじさん、よくわからないや。あはははは!」
魅音は苦し紛れにシラを切っているが、ほんのりと紅潮していく耳元が、全てを語っていた。そっか、明日は二月十四日。つまりはそういう事だった。
「でもお姉、なんで監督なんかにお手伝いを頼んだんです? お菓子作りくらい、お姉なら朝飯前じゃないですか」
「それがさー、婆っちゃ、おはぎとかそういうのは得意なんだけど、洋菓子にはさっぱりなんだよねー」
「でも、だからって監督に頼るのは意味不明がすぎるんじゃないです? レナさんとかなら、そーいうのって得意そうじゃないですか。なんでそっちに頼らなかったのかなーって」
もちろん、なんで頼らなかったのかを知っていてわざと聞く。私達は双子、互いに考える事は同じだ。
魅音も、私が知っていてわざと掘り返している事くらい、分かっているだろう。魅音は最初、あれやこれやと言い訳を並べていたが、私が全く聞き入れていない事に観念して、遂に赤面しながらその無力な口を閉ざしてしまった。ああ……お姉いじりは楽しいな☆
「詩音のバカー! 詩音なんて嫌い! 早く興宮に帰れー!」
「ふふーん。この雪じゃしばらくは帰れそうにないですからねー。しばらくの間は厄介になりますよ。お姉もなんだか、面白そうな事してるようですからね。くすくすくす……」
さてと、魅音いじりはこのくらいにしておくか。やりすぎると壊れちゃうから。
それよりも私は今、行き場を失った怒りの始末をしなければならないんだった。えーっと…? ああそうだ、哀れな監督をとりあえずの犠牲者に選んだんだっけ。
「お二人が何をしてたのかは理解しました。……んで、監督ぅ? 大人であるあなたが付いていながら、大火事寸前の事態を放置していた責任、取って頂けます?」
「ちょっ! 詩音……あんた、まさか!」
魅音の声色に強味が混じる。未だ自分の置かれた状況を理解していない監督だけが、のほほんと座っていた。
「うーん…そうですねー、じゃあ三回で許してあげます。それでケジメってことで。いいですよね、お姉?」
「……っ! …………うん、分かったよ」
詩音という存在が、一度言い出したら意見を曲げない事を魅音はよく分かっている。特に反論もせず、あっさりと承諾した。
魅音はそのまま外へ向かう……って、あれ? あれれー? お姉、どこ行くの? そっちは地下祭具殿じゃない…? えーっと、一体何する気なんだこの馬鹿魅音は。このままじゃ、監督の爪が危ない……!
「というわけで、えーいスタンガン! えい! この! このー!」
「ぐえええええ! ぎえええええ! ばたり」
もはや一刻の猶予も無かった。事態がヤバい方向に走る前に、監督の首元にスタンガンを押し付け瞬殺する……! もちろん出力は最低だ。監督にはまだ死んでもらっちゃ困るしね。
スタンガンに倒れた監督を見て、馬鹿な魅音はようやく状況を理解したようだった。
「――え、あれ? ……ああ! あっははは! なんだー、私ってば、勘違いしちゃったよ」
「まったく…お姉、発想がヤバすぎますって。なんで地下祭具殿に直行するんですか!」
「あは、あはははは! いやー、だってさー! 詩音が意味深な顔で三回とかケジメとか言うから。勘違いしちゃったよ」
「流石は園崎家次期当主なだけ、ありますねー。私ゃ、そんな簡単に冷徹になれないです」
「だっ、だから勘違いなんだってー! だいたい、詩音の日頃の行いが悪いからこうなるのー!」
馬鹿魅音は私のせいにしようと頑張ってる。私の日頃の何が悪いんだか……。いや、確かにそうかも? なーんてね。
魅音のせいで、なんだか煮えたぎる怒りもどっか行っちゃったし、もうどーでもいいや。
「まったく、これだからお姉は。しょうがないですねー。お菓子を作ってたんですよね? 私が見てあげましょうか。これでも、ルチーアで嫌ほど叩き込まれてますんで。お姉と違って、こういうのは得意なんです」
その晩、久しぶりに姉妹揃って料理をした。本当に久しぶりだった。幼い頃を思い出すようで、こんなのも悪くないなと思うのだった。純粋に、楽しかった。
……いいな、お姉は。こんなイベントに情熱を注げる相手が居てくれて。私なんて……。
チクリと刺すような感情。
この時はまだ、翌日にあんな事件が起こるとは、夢にも思っていなかった。