二月十四日 (火)
……さっきから欠伸が止まらない。
結局あれからずっと夜通しの作業で、ようやく終わりが見える頃には、時計の針が夜中の二時を指していたのだけは覚えている。
開けていなくちゃならない、なんて決まりも無いのに、無駄に頑張って目を開けているのが凄く非効率に思えたので、そっと目をつむる。こうしていると、立ったまま寝てしまそうだ……。というか、既に半分寝ていた。
夢と現実との狭間をフラフラと漂っていると、道の向こうから二人分の楽しげな声が聞こえてきた。
——前原圭一と、竜宮レナだ。
「魅ぃちゃ~ん、おっはよ~う!」
「ふぁ〜あ……おはようレナ。あんたはいつも変わらず元気だねー。おじさん感心しちゃうよ」
「なんだなんだ、欠伸なんかしてー? 魅音はこの寒さにやられちまったってのかよー。情けない奴だぜ!」
「おはよう圭ちゃん。昨日の授業中に寒い寒いって、絶対何がなんでもストーブから離れようとしなかったのは誰だっけー? くっくっく!」
「しっ、仕方ねーだろ。都会育ちの俺にゃ、雛見沢の冬は本格的がすぎるんだよ!」
「あははは。レナも、今朝はお布団から出るのに一苦労だったよ。まだまだ寒いよね。はぅー…」
水車小屋の前で展開される、雛見沢の日常。そこに私は、魅音として存在していた。ただし、これはお姉の日常であって、お姉の愉快な仲間達であり、私のではない。
なのに、なんでここに居るのか未だに理解出来ない。確かに魅音と入れ替わって雛見沢の分校に通った事も何度かはあるが……。
カバンには昨日魅音と一緒に作ったお菓子が入っている。なんでお姉と私が入れ替わって、私が圭ちゃんに渡さなくちゃいけなくなったんだっけ……? ああそうだ。ヘタレのお姉が、急に渡したくないとか言い出したんだ。
「…詩音! お願いだよー。明日の一日だけでいいからさ」
「はぁ!? なんで私が圭ちゃんに渡さなきゃならないんです!」
「だって〜! 可愛いレナならともかく、こんなのがバレンタインだなんて、恥ずかしくって渡せないよー」
「私だって嫌です。悟史くんの為なら、他の女の子を蹴り飛ばしてでも渡しますけど、圭ちゃんとお姉の為にそこまでする義理はありません」
「いや…蹴りまで頼んではないから。じゃなくって……! お願いだよ、詩音だけが頼りなんだよー。明日だけ入れ替わってー!」
「いーやーですー! 絶対いやー!」
最後は寝床を人質に取られて私の負けとなったんだ。大雪の影響で雛見沢に幽閉されている現状、園崎本家に泊まれないという事実は、イコールで死と同じだった。
「あれれ、魅ぃちゃん、なんだか元気ないね。本当に寒さにやられちゃったのかな。……かな?」
魅音の異変に気づいたのか、レナが私の顔を覗き込みながら心配してくれている。この子はちょっと危険だ。もしかしたら、姉妹の入れ替わりにすら気づいているかもしれないと、時々思わされるほどに鋭い何かを持っている。だからレナ相手の会話には注意しないと。
頭の中に蓄積されている魅音の感情、記憶を統合する。いまの私は、自分でも見分けのつかないほど完全に、魅音だった。
「くっくっく! おじさんがこの程度の寒さに折れると思うー? むしろ、この過酷な大自然の中で繰り広げられる部活に燃える一方だよ!」
「お前は部活やってる場合じゃないだろー! …受験、もうすぐなんだろ?」
「あ……そういやそうだったね」
「おいおい、しっかり頼むぜー?」
魅音ならこう言う。あいつはどこか抜けているから、自分が受験生だという自覚を欠いた行動を取るに違いないのだ。
そんなこんなで彼らとの会話を楽しんでいたら、いつの間にか学校へ到着していた。校庭からは、下級生達が雪で遊んでいる声が響いている。
「あれ、今日はなんもないのか……? いやそんなはずはないんだ!」
教室の前まで来ると、圭一が入念にドアをチェックし始めた。ほぼ毎日何かしらの、沙都子お手製トラップが仕掛けられているのだが、今日はその様子はないようだった。
「沙都子ちゃんと梨花ちゃんも、今日はみんなと一緒に遊んでるんじゃないかな、かな!」
「そうだねー。沙都子も梨花ちゃんも、まだ雪ではしゃぎたい年頃だろうし。圭ちゃんなんか忘れちゃってるんじゃない?」
「都会にいた俺なら雪でテンション上がっちまうのも分かるが、沙都子ら地元組にとっちゃ、もう飽き飽きだろ。ってゆーか、俺もそろそろ雪にゃウンザリだぜー!」
「はいはい。トラップも無さそうだし、もう入るよー? こんな寒い廊下にいつまでもいらんないよ」
「あっ! おいコラまだチェックが終わってな……」
圭一の制止を無視してドアを開ける。と同時に何かが飛んでくるのが見えた。いや、感じた……が正しいか。
ある意味で予定調和のそれを私は、何か生物的本能のようなもので回避した。でも、それをしゃがんで避けたものだから、真後ろにいた圭一の顔面にそれが直撃するのもまた必然だった。
「どわっー!? つめてー! 」
「をっーほほほほ! 相変わらず、朝から騒がしい人ですわね。委員長ともあろう人物がそんな幼稚ではいけませんことよー?」
「てんめー沙都子! いきなりつめてーじゃねーか! 雪合戦なら外でやれ…っうわ! やめ! 冷た……っていうか、痛てえ!」
圭一のお小言を無視してひたすらに雪玉が飛んでくる。どうやらバケツ一杯に雪を集めてきたらしく、その無慈悲な連射力で圭一の全身はあっという間にずぶ濡れとなった。
「あらまあ、圭一さんはそんなずぶ濡れでいったいどうしたんですの? その歳で雪遊びだなんて、随分と幼稚ですことー!」
「おはようございますです。圭一は朝から雪まみれのびしょびしょで、かぁいそかぁいそです。にぱー☆」
そう言って梨花ちゃまは圭一の頭をなでなでしているが、沙都子に雪いっぱいのバケツを満面の笑顔で補給していたのは、他ならぬ梨花ちゃまだ。しかも、握り固めた雪玉を渡す鬼畜ぶり…! 相変わらず恐ろしい性格をしている。
「梨花ちゃんも沙都子に協力してただろー! 俺はちゃんと見てたぞ」
「みー。ボクはなにもしてないのですよ……」
そう言って目を潤ませ、縮こまる。その時点で、圭一の負けは確定しているのだ。
「はぅ〜! うるうるの梨花ちゃんかぁいいよ〜! お持ち帰りぃー! 待っててね! お姉ちゃんが悪いやつみーんなやっつけちゃうから! はぅはぅはぅ!」
梨花ちゃんに迫ろうと構えていた圭一が、回転しながら綺麗に吹き飛ぶ。地面に落下する頃には、梨花ちゃんはレナに抱きかかえられて頬ずりされていた。
「圭ちゃん……無事? てか、生きてる?」
「これが無事に見えるのか……レナの奴、また一段と腕を上げてやがるぜ…。でも、これでようやく俺たちの朝が来たって感じがするよ……」
「そ、そう? んー、まあ、圭ちゃんがそれでいいなら、おじさんは止めないよ」
とてつもない勢いでぶっ飛んで鼻血まで出しているのに、本人はこれで満足しているらしい。今更ながら、とんでもないメンバーだと思う。
「はいはい、そろそろ片付けるよー! レナもいい加減に梨花ちゃんを解放して。沙都子も手伝いなさい! 汚したのはあんたなんだからね」
収拾がつかなくなる前に号令をかけて流れを変える。受験に専念するため、委員長の役目は圭一へと交代になったのだが、まだ魅音がいないと統率が取れなさそうだった。
まあ、このメンバーを取りまとめるのは生半可なセンスと根性ではやっていけないだろう。こんな日常を毎日取り仕切っているお姉を、少しは尊敬するよ……。いや、魅音もまた騒がしいメンバーの代表格なのか。
その後は、みんなで教室を掃除して何事もなかったかのように授業開始。その頃には、魅音に頼まれたお菓子の事なんて完全に忘れていたのだった。