「何故だぁぁあああ!」
「ど、どうしたのかな圭一くん!?」
放課後、皆が帰り支度に奔走している最中、圭一の悲鳴にも似た叫びが教室に響き渡る。
「いや、俺だって……確かに、諦め半分だったさ……! でも、でもだよ! これだけ女の子に囲まれてっ! チョコの一つも貰えないとは一体どういうミラクルなんだ!?」
圭一が私の疑問を代弁してくれた。
そう。今日はバレンタインデーだというのに、沙都子や梨花ちゃまはさておき、あのレナですら誰も圭一に渡さなかったのだ。故に魅音である私が、いの一番に名乗り出る事も出来ず、未だお姉からの願いは達成出来ずにいた。
「あはは……。圭一くん、やっぱり欲しかったかな、かな…?」
「あったりめーだ! ごく一般的な男子諸君の代表として答えてやるが、仲のいい女の子の友達がいたら、義理だろうが十円チョコだろうがなんだろーが、何でもいいから欲しいもんだ! 貰えたという事実そのものに意味がある! だというのに、今年はなんと驚異の……一個も貰えないという有るまじき事態!」
「あらあら、圭一さんはご家族からも貰えませんの? 人望の低さが伺えますわねー? をっーほほほほ!」
「違う……違うんだあぁああ! 今日は母さんも父さんも東京に出張でいないだけで…」
「圭一はこれだけ女の子に囲まれても何も貰えなくて、かぁいそかぁいそです。にぱー☆」
梨花ちゃんが圭一の頭を撫でている。圭一はどうやら悔し涙を——って、マジ泣き……?
「ぐすん。魅音や沙都子はともかく、レナはくれるんじゃないかと期待してたのに…うぅ」
「そうだねー。おじさんもレナには意外だったよ」
「うーん、…実はね。その……作ってはいたんだよ、チョコレート。でもね、……その、…はぅー」
「作ったのに、なんで持ってこなかったんですの?」
「あははは。まさか自分で食べちゃったとかー? いやそんな事あるわけ……」
レナは恥ずかしそうにはにかみながら、視線を床に落とし、小さく頷いた。
……え、食べちゃったの?
「だ……だって、かぁいかったんだもん。はぅー」
全員でズッコケた。この子……マジか!?
「ま、まぁ……その…レナさんらしいですわね」
「レナには毎度毎度ながら、驚かされるのですよ、みー」
「あははは! さっすがはレナだねー。かぁいいモードのレナに、常識は通用しないもんね」
「はぅー。実はかなり落ち込んでるんだから、この件はあんまり触らないで欲しいかな、……かな」
レナはみんなに笑われて頬を染めながら、はぅーと萎縮している。
これはこれで面白いから良いのだが、私としてはあんまり面白い状況とは言えなかった。レナすらもが渡さないというイレギュラーが確定事項となった今、魅音が抜け駆けで渡すなどという事は、それこそ常識の範囲外だ。
あーもう面倒くさくなってきた。お姉の今後なんて気にせず、いまこの場で渡してしまおうか?
「そうか。でも、作ってくれてはいたんだな。その気持ちだけでも、俺は十分嬉しいぜ! ありがとなレナ」
「ご、ごめんね圭一くん。来年はちゃんと我慢するから」
「ああ。期待しておくぜ!」
圭一はレナの頭を撫でている。というか、二人だけで良いムードになってやがる。
おい、私の付け入る隙がどんどん無くなっていくぞ? こんな時ばかりカッコいい事するな圭一……!
——その微笑ましい光景を、私は。
「あ、……そっ、そろそろおじさんは帰るよ。受験に向けて本格的に仕上げないといけないからね!」
「おう、そうだな。明日なら、勉強付き合ってやれるぜ」
「そりゃー助かるよ」
「魅ぃーちゃん頑張ってね!」
「今日も帰って勉強ですの? 受験生は大変ですわねー。頑張って下さいまし」
「魅ぃ。ふぁいと、おー! なのですよ」
とても素晴らしい仲間だと思う。それなのに、私は。
「あははは。みんなありがとね。そんじゃおじさんはこれでと」
みんなに手を振って、急いでドアを開けて教室を出る。気づけば早足で……いや、いつの間にか、逃げるようにその場から離れていた。
さっきの光景、……圭一の、レナへの手が……悟史くんと重なる。
私はたぶん、嫉妬している。
これはレナや圭一に対する、魅音としての感情……?
——違う…。私は………………。園崎詩音は。
…………むぅ。
久しぶりに、悟史くんの困ったような声を聞いた気がした。
教室で
教室の窓から差す鈍い夕日が、机や私達を暗く照らし、そこに影を作る。
「……で、どうだった? 詩音は」
「うん、やっぱ魅音の言う通りって感じだったぜ」
「そうですわね。わたくしも圭一さんと同じ風に感じましたのよ」
「ふーん。やっぱそうなんだ」
他の生徒たちはとっくに帰宅していて、いつもの部活メンバーだけが教室に残っていた。
魅ぃちゃんのフリをしていた詩ぃちゃんが帰った直後、入れ替わりで魅ぃちゃんが姿を現した。そしてその登場は、部活メンバーの全員が、事前に分かっていた事だった。
放課後までの楽しげな空気は、夕日と共にそのなりを潜める。変わりに夜の冷たい空気が、この空間を確実に満たしていく。
私は、徐々に寒さが迫ってくるこの時期独特の感覚を、別に嫌ってはいない。けれど、いまは鬱陶しくて仕方ない……そんな気分。
だから私は、魅ぃちゃんの気持ちに未だ応えられずにいた。
「……レナは、そういうの、あんまりよくないと思うかな…、かな」
「…………うん、そうだね。おじさんも、あまりいい気はしないよ。でも、誰かがやらなきゃいけないとおじさんは思うんだよね。そしてそれは、この部活メンバーしか成し得ないと思ってる。でも乗り気がしないなら、別に強制はしないよ。これは部活じゃないから」
魅ぃちゃんと圭一くん、そして沙都子ちゃんは、真剣な面持ちで私を見ている。当の本人である私は机の染みを見つめたまま、その視線を泳がせるしかなかった。そしてどうやら梨花ちゃんも私と同じらしく、それを決めかねているようだった。
嘘は嫌いだ。私は嘘を許せない。それは私の人生で得た、私の最大の経験であり、武器でもある。嘘は人を確実に傷つける、それを私は知っている。
でも同時に、それと同じくらいに、……いや。それ以上に、私はこの仲間達を信じている。だからこの迷いは、やるやらないを行き来しているのではなく、ただその一歩を踏み出せずにいる躊躇……それだけなのだと、頭の何処かで理解はしていた。でも、その一歩は限りなく遠く、そして重い。
魅ぃちゃんは私から答えが出ないとみると、梨花ちゃんに向き直った。
「梨花ちゃんはどうする?」
「魅ぃ…。ボクは……」
「梨花。わたくしは、魅音さんに協力しますわ」
「沙都子……」
梨花ちゃんは沙都子ちゃんの目をじっと見据えて……再び、その視線を教室の暗い床に落とす。そして、次に顔を上げた時には、結論は出たようだった。
「魅ぃ、ボクは——いや、……私は、出来ればこんな大きなリスクは取りたくない。リスクは大きいのに、得られる利益はほんの些細なもの。だけど、その些細なものが、運命を大きく左右する事を知っている。時に運命を変えることが出来ると教えてくれたのは、他ならぬ貴方達だから……私は協力をする。やっと捕まえた、この先が見えない世界がこの程度でひっくり返る事がないと、私は信じる」
それはいつもの梨花ちゃんじゃなかった。もっと大人びた感じの、本当の梨花ちゃんとしての意見だった。魅ぃちゃんはそれを受け止めると、静かに頷き、そして私に振り返る。
あとは私だけ。魅ぃちゃんは目でそれを訴えている。でも、それでも私は……。
「……レナは、どうする?」
長い沈黙があった。
……そして、小さく息を吸って、魅ぃちゃんを見る。魅ぃちゃんも私も、いつの間にかその表情に笑みを浮かべていた。
「魅ぃちゃん。私はみんなを信じてる。だけど、人は時に大きな間違いを犯してしまう事を、レナは知ってるの。だからね、私はまだ協力は出来ないよ」
魅ぃちゃんは私の言葉を受け……そして、カラカラと笑ったのだった。
「あははは! 流石はレナだよ、うんうん。まー、おじさん達も、自分達の行動に完全な自信なんて持ってないから、他の意見を持ってくれる仲間がいてくれた方が、ずっと心強いよ」
「……でもね、もしみんなが正しいんだって理解出来たら、その時は…レナは精一杯の協力を惜しまないよ。それまでは日和見で居させてもらおうかな、かな!」
魅ぃちゃんは、そして他のみんなも大きく頷いてくれた。
仲間だからって、誰もが同じ意見である必要も、流される必要もない。それを許してくれるのが本当の仲間であって、そんな仲間に囲まれている事を実感出来て、恥ずかしいけど、少し感動した。
「よし! 全員の意思をおじさんは確かめたよ。みんな、覚悟はいいかい?」
そう言いながらぐるりとメンバーを見渡す。魅ぃちゃんの声に、全員が……もちろん私も、力強く応える。
「んじゃ、頑張ろうぜ!」
「ふぁいと、おー!」
「ふぁいと、おー! なのです」
冷たい空気の流れる教室に、力強い温かさが灯ったのだった。