逃げるようにして学校を飛び出し、ひたすらに走った。でも、降り積もる雪が邪魔で、上手く走れない。
それは一人称で見てもせいぜい早歩きぐらいの速度だったが、気持ちだけは全力疾走だ。一刻も早くあの場から逃げ出したくて……なんでだろう? 私は何から逃げていたんだっけ……? そんな事すら思い出せない程に、一心不乱だったようだ。
ふと気がつけば本家の方ではなく、いつの間にやら、表通りに出ていた。高く積まれた雪に埋もれる歩道に人通りは少なく、私のザクザクとした歩みの音だけが、静かに響いている。
……そりゃ、そうだ。雪を避けてひたすら走っていたから。山の上にある園崎本家への道もまた避けていた事になる。とりあえず、一旦落ち着こう。私は何をこんなに必死になってるんだろう?
荒く上下する肩を静めるべく、ゆっくりと歩く。全力疾走した直後に急に止まると、余計に体への負担がかかる事を知っていたから。
そんな時に後ろから、よく聞く声で呼び止められた。
「おや? 魅音さんじゃないですか。どうしたんですか、こっちに顔を出すのは珍しいですね」
「あ、……っと、こんちはー! 監督。そっちこそ、こんな所をほっつき歩いて何してるんですか? まだお仕事の時間中じゃないんですー?」
「こう雪が積もってしまうと、お年寄りの方とかは診療所へ来るのも大変ですからね。私の方から赴いているわけですよ」
「ひぇー! こんなに積もってるのに、大変じゃん。お医者さまって、以外と重労働なんですね」
よく見ればその手には、大きな手提げ鞄のようなものを抱えていた。この悪路でその大荷物を持ったまま、村中を練り歩くというのだからさぞ大変だと分かる。監督は村唯一の医者で、金をたんまりと蓄えている、なんて羨む住民もいるが、それでも私はやりたくないなぁと思った。
「ああ、そうそう。悟史はどうですか?」
「大丈夫ですよ。良くも悪くも、いつも通りです」
「あははは! ウチの婆っちゃに負けず劣らずの引きこもりだからなー!」
「もしかして今から診療所へ? でしたら職員に電話を入れておきますよ」
「あー、いや。気晴らしに散歩でもしようかなーなんて思っただけなんで。そっちには寄らないです」
監督の反応をみるに、今日は悟史くんと会っても問題なさそうだった。
昨日は遅くに着いちゃって会えなかったからなー。そうだ、一回本家に戻って着替えて、悟史くんに会いに戻ろう。昨晩お姉と一緒に作った、お菓子も持って行こう。どうせ受け取ってはくれないだろうけど。くすくすくす。
「そんじゃあ、監督もお仕事頑張って下さい!」
「はい。魅音さんもお勉強、頑張って下さいね」
そんな挨拶を交わし、踵を返すと早足で本家への道に戻る。
さっきまでと違い、足が軽い。雪道なんて、なんの障害にもならない。私はこんな簡単な事にすら苦戦していたのだろうか? ああ……早く悟史くんに会いたいな。
「……ですから、入江先生からの指示で、今日は入室出来ません」
「だーかーらー! 監督には許可貰ってるって言ってるじゃないですか!」
「今日は先生から誰も通すなと指示を受けております。申し訳ありませんが、日を改めてお願い致します」
さっきから、この繰り返しだった。
意味が分からない。カウンター席に座るこの職員は一体何を言ってるんだ? 悟史くんに会えない? 監督が通すなって言ってる? ……なんで? とにかくコイツじゃ駄目だ。予め決められた言葉しか話せない鉄クズ同然の職員に、何を言っても無駄だ。
「じゃーいいです! 監督を呼んで下さい。私が直接話をつけますから!」
「入江先生は外周りの診察が終わり次第、そのままお帰りになられます。ですので、今日は戻りません」
事務的な答えを返すと、職員はさも忙しそうに書類作業へと戻っていった。
さっきまでの幸せな気分が、ドロドロと音を立てて一気に溶け出す。
今までこんな事は無かった。悟史くんの面会なんてほぼ毎日通っていて、もう顔パスも同然のはず。大体、さっき監督に会った時は何も言ってなかったじゃないか。何も不思議な点は無かった。何も違わない。
……本当に? 本当に違わない? 落ち着け詩音、冷静になれ。
……………………あっ。……あったよ。さっきと違うコト。
今の私は、魅音じゃない。——詩音だ。それで…? 監督が、私を避けている……!? そんな馬鹿な。避けられる理由なんて、何も思い浮かばない。
でも、園崎魅音は許可された。園崎詩音は拒絶された。――これは事実。
背筋に冷たいものが、するりと流れる。
一つの可能性……それは、あって欲しくない、けれども妙にリアルな可能性……。
もしかして、悟史くんに何かあったんじゃ……。それで、馬鹿な魅音が気を利かせて……アイツ勝手にお人好しをかますから、だから私を避けて……? じゃあ、監督と魅音は繋がってる? だとしたら、今日の入れ替わりすら、魅音の計画のウチだった? 魅音の仲間も手を組んで……みんなで悟史くんを、私から遠ざけるの……?
それが例え好意によるものでも、私はそれを許せない。……まあいいか。そのうち魅音から何かしらのコンタクトがあるだろう……いや、駄目だ。そんな悠長な事をしていて、もしも悟史くんに取り返しのつかない事があったらッ!
思わずカウンターに手を叩きつけてしまう。
びくりと私を見る職員をよそに、早足で診療所を飛び出し、駐車場の門を抜け、走った。
今の私は、さっきと違う。そう、今は逃げているのではない……追う側なんだ。
待ってて悟史くん。待ってろよ……魅音。