こんな時くらいしか機会がないからと、アーサーがシチューを作ってくれたり、璃子がロールキャベツを作ったり、食事後にカインが危なっかしく皿洗いをしたりしているうちに、夜も更けてきた。
「さて…例の計画について話すタイミングのようね」
コーヒーを前に、璃子はあちらの世界から持ってきた、ムルの観測資料を出した。
「永遠に大いなる厄災をなくす方法って、どういうものなんだ?」
「その前に、魔法使い21人で小惑星をひとつ転送してくることはできる?」
「小惑星?!」
アーサーもカインも驚いた。
「オズ様がいらっしゃる時であれば、不可能ではないと思いますが…我々もかなり魔力をつけてきていますし」
「っていうか璃子、小惑星なんか、どうするんだよ」
「よし、じゃあ実行可能ね」
ニッ、と笑い、
「一言でいえば、大いなる厄災を宇宙の果てまでぶっ飛ばすの」
「はあ?!」
カインとアーサーの声が重なった。
「はねかえすのが精一杯なんだぞ?!」
「そんな力、我々にはありません!!」
「だから、それは正面から魔力をぶつけた時の話」
「だから、どうやって」
カインには璃子の考えがさっぱり読めない。アーサーも同様だろう。
「近づいた厄災を押し返すだけの力があれば、厄災自体の軌道をずらすこともできる。そう思わない? それだけ軽いんだもの、大いなる厄災自体が」
「軌道をずらして、どうするんだ?」
「スイングバイという方法を使って、公転速度を上げるの」
璃子の説明によると、こうだ。
沈みかける大いなる厄災の軌道をまず押し上げ、続いて公転の軸をずらす。
あちらの世界がある惑星の引力に引っ張られ、大いなる厄災は加速度を上げる。
璃子によると、それは腕でバケツの水をぐるりと一回転させた状況らしい。スピードを出すと水は漏れずに、引っ張られた方向へ貼りついている。この場合の水を入れたバケツは大いなる厄災、腕は惑星の重力を表す。
大いなる厄災がスピードを上げて半回転してきたところで、アース・スイングバイをした宇宙探査機のように、大いなる厄災はスピードを上げたまま重力を振り切り、深宇宙への旅を始める。バケツに入った水をタイミングよく離すと、遠くに飛んでいくのと原理は同じらしい。
「…小惑星の話は何なんだ?」
「大いなる厄災がなくなったら、惑星の地磁気がおかしくなって悪影響を与える。ざっくり言えば潮の満ち引きがなくなる。続いて人体にも天候にも悪影響を及ぼす。代わりに置いておくだけのものだから、大いなる厄災より小さいものでも構わない。言い換えれば、惑星と大いなる厄災の重力が引かれあうのと同じ関係なら、大いなる厄災と同じ質量の物体であれば、何でもいいわけよ。大いなる厄災は軽くて大きいから、重くて小さい小惑星ひとつでバランスが取れるわ」
「…奇想天外に過ぎる…」
さすがのカインも頭を抱えた。そんなことが本当にできるのか。
「そんな発想、考えたこともなかったです…賢者様、本当にそんな学問があるのですか?」
「地球の宇宙工学では、アース・スイングバイは探査機のスピードを上げるための常套手段よ。実際の地球でやるには私程度の頭では追い付かないけど、魔力という、宇宙空間を突き抜けることが出来るパワーの存在する世界なら、私でも何とかできるかもしれない。…いや、何とかしてみせる」
璃子は自室に向かい、パソコンを起動させた。
「これが、私が趣味で組み上げた、アース・スイングバイのシミュレーションソフト」
画面に、地球の画像と月の画像が映し出される。
「ムルの観測データから、地球にあたる惑星と、大いなる厄災にあたる月の位置関係や質量を調整するところからまず始めて、どれだけの魔力を大いなる厄災のどこにぶつけるかのシミュレーションを繰り返していく…私、今夜は徹夜するから、隣の客間で寝てていいよ」
寝られるわけないじゃないか、とカインは思った。
一度集中すると、璃子は全く周囲に気を払えなくなるらしい。
カタカタというキーボードをひっきりなしに叩く音と、マウスをクリックするかすかな音だけが、部屋にやけに響いた。
カインとアーサーは、息をひそめて璃子の作業を見守った。空になったコーヒーカップにおかわりを入れてやったりしても、璃子は気づいていない。
魔法の砂糖菓子には疲労回復などの効果があるから、カインがそっと口元に持って行ってやると、璃子は無意識だろうがぱくっと口にする。たまに指までかじられるが。
「あ…」
ふと、アーサーが窓の外を指さした。
「殿下…? …ああ」
月だった。
大いなる厄災より、はるかに小さく、しかし眩く輝く月。
あれが近づくことなく、遠のくこともなく、地球と共に影響を及ぼし合いながら…一対の夫婦星のように太陽系を回る世界。それが璃子の世界だ。
月は、不思議なことに同じ面を地球に向け続けていると璃子から聞いた。裏はでこぼこで、地球めがけて飛んでくる隕石を、自分の重力で引き寄せ、その一身に受け続けている。月に飛ばした探査機が月の裏を撮影したとき、明らかになったことらしい。
この世界の月は、地球を守っている。美しい面だけを見せて。傷だらけの背中は見せずに。
騎士のようだと、その話を聞いた時にカインは思ったものだ。
名誉のためでなく、ただひたすらに大切なもの、愛するものを守り続け、涙ひとつ浮かべず、傷を隠し続ける騎士。
(璃子にとっても、アーサー殿下にとっても俺は、そのような存在でありたい…)
そこまで考えが及んだ時、プリンターが音を立てて作動を始めた。
この世界での不思議なことには、カインもアーサーも慣れてきている。魔法で書類の写しを作ることだって、璃子にとっては不思議でしかないことだったろう。
プリンターは次々にデータを吐き出していった。
大いなる厄災の表面に、赤い印がある。おそらく魔力をぶつけるべきポイントだろう。
かくん、と璃子が前につんのめった。
思わず声をかけようとしたが、穏やかな寝息が聞こえる。集中が切れて、眠ってしまったのだろう。
アーサーに、人差し指を口に当ててみせてから、カインはジャケットを脱いで璃子の肩にかけた。
アーサーも微笑み、自分のジャケットを璃子に重ねてかけてやる。
「…夜明けだ」
小声でカインは言った。
「美しいな…」
アーサーも、小声で呟いた。
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