目覚めたのは昼前。ブラッドリーがドアを蹴りに来ない朝は久しぶりだから、思い切り寝過ごした璃子だった。
「うわやばい、今何時?!」
「ん…」
「あ…」
床暖房の温かさに、床の上で眠っていたアーサーとカイン主従もようやく起きた。
「ふあ…何時って…わからないんだが…時計どこだよ」
「…時計…あの、賢者様の世界の字は、読めないので…」
「あ、そうだった。…げ、11時だわ。ってか、何で二人とも床で丸くなって寝てるのよ。猫じゃないんだから」
いつもの寝起きの璃子ではない。がばっと立ち上がるとプリンターから書類の束を取り、ひとつひとつチェックしていく。
「よかった。計算ちゃんとできてるわ。21人全員の魔力を合わせればリスクが減った」
「ちょっと待ってください。オズ様とスノウ、ホワイトをなぜ計算に含めてるんですか?!」
カインはハッとした。璃子は双子とオズのことは口に出していない。
「どうして…璃子、大いなる厄災の傷は治ってないんだぞ?!」
「地球に来たら、カインの目、治ってたじゃない」
「そういえば…でも、それは地球という異世界に来たからで、元の世界に戻ったら、多分元に戻っちまうぜ?」
「治す方法がひとつだけある」
それだけ言って、璃子は書類をまとめた。
「どうする? もう少し地球にいたい?」
「いや…元の世界が気になる。俺がいないと若い奴らが困るらしいし」
「私も、国政をほったらかしにするわけにはいきません」
「そうね、地球の環境は二人の体に良くないし…ご飯食べたら、戻ろうか」
昨夜の残りのパンと牛乳で簡単な食事を済ませると、璃子は大事に持ってきたペンデュラムウェーブのアミュレットを取り出した。
「お願い、カイン」
アミュレットは、わざわざ振り子を傾けて揺らさなくても、ずっと動き続けている。
(見えた!!)
「グラディアス・プロセーラ!!」
現れたエレベーターに、三人で乗り込んだ。
ごとん、とエレベーターが動き出す。
「…なあ、どこに着くと思う?」
ふと気づいて、カインは言った。
「前回私が連れてこられたときは、中央の塔だったけど」
「あ、賢者様…この本、ありがとうございました」
アーサーの手には、璃子が高校生の時に使っていた、日本史と世界史の参考書がある。
「読み方は、また改めて教えてください」
「もちろん」
そこまで会話が進んだ時、現れた人影。
「…お戻りになられるようですね?」
「ムルか…」
カインは聞いた。
「このエレベーターはどこ行きだ?」
ムルはにっこりと笑い、
「教えません。教えられません」
「何だと?」
「ただ、ひとつだけお教えしましょう。…「大いなる厄災」の日です」
「ええっ?!」
一同、驚く。半年後ではないか。
「私の愛する「大いなる厄災」を消すとなると…まさか、そのようなことはできないと思っていましたが。賢者様、あなたは私の予想を覆しました」
「そうよ、人間も、魔法使いも苦しめてきた大いなる厄災は、私が消してみせるわ」
「あなたが愛するカインを、この場で消してもよろしいのですか?」
カインは一瞬緊張する。魔道具の剣は、元の世界へ置いてきた。
「残念ながら、私は欲張りなの。カインも大いなる厄災も、諦めない。絶対に」
堂々と、「大いなる知恵者ムル」とやりあう璃子を、カインもアーサーも見守ることしかできない。
「私は不可能だと思っていますよ。逆に大いなる厄災を引き寄せて、あの傷だらけの美しい世界をバラバラにして…エリアナ様が厭ったこの世界を無に帰す…」
「あのね、ぶっちゃけて言うと、知恵者ムル。あんたの考えはマッド・サイエンティストの考え方って言うのよ。あんたがどう思うにしろ、厄災は厄災にすぎないわ。知恵を詰め込みすぎて、あんたは気がふれてる。知恵がありすぎると、この世界を憎むようになる。地球の大天才アインシュタインだって、戦争に踊らされて原子爆弾という恐ろしいものを造ってしまった。…あんたもその手合いよ」
「あなたは贄の民…それでも、戻るのですか?」
「疑問で返さないで。…戻るわよ、元々私はあっちの人間なんだから」
「えっ、璃子?!」
なぜ、璃子は自分が贄の民だと知っているのか。それに、あっちの人間とは…。
「あんたには忘れたとは言わせない。1000年ぶりに贄の民が生まれてしまった両親は、あんたに相談して地球の赤ん坊と私をすり替えた。それをやってのけたのがムル、あんたなんだから。紋章は地球の両親がレーザー治療で消した。…また出てきちゃったけどね」
「璃子…」
(俺の知らないことまで、なぜ知っているんだ?)
「賢者様。あなたは贄の民と知っていながら戻るのですか。知られたら、血祭りにあげられるのに…なぜ?」
ムルの表情が、意地悪く歪んだ笑いに変わる。
「…悪いな、ムル。この先は俺の領分だ。璃子は俺が守る…一生な」
カインが割って入る。
「一方的な片思いなんだよ、しょせん大いなる厄災ってやつは。年に一度、軌道を変えて俺たちの惑星に接近してくるが…俺たち賢者の魔法使いにはね返されて終わり。…俺は、アーサー殿下と一緒に地球の月を見た。地球と一定の距離を保ちながら手を結んで、ある時は夜の旅人の導き手となり、ある時は詩人に霊感を与え、ある時は地球の盾となる。俺は地球の月が好きだ。…大いなる厄災は、これっきりにしたいがな」
ムルは声を立てて笑った。
「随分と入れ込んだものですね。わざわざ私が、我々の世界の人間を賢者に仕立て上げたというのに」
「だが、それはあんたの計算違いだったな。璃子は地球の知恵を身につけている。…あんたが及びもつかないたぐいの知恵をな」
「楽しみにしていましょう」
ムルは消えた。
尚もしばらく、エレベーターは動き続けている。
「…璃子、贄の民のことを、どこから」
「オズよ。私のことを調べてくれたのは、オズ。…カインが嘘をついたことは全然怒ってない。あれはあんたが、私を守ろうとしてくれてついた嘘だから」
「…すまなかった」
「何言ってんのよ、…嘘をつかせたのは私だもん。それにオズも、私の体の一部で、大いなる厄災の傷がなくなったんだし」
「…何?!」
カインは璃子の両手を取った。…指はちゃんとそろっている。
「一体どこを…」
「耳たぶ。ピアス開けた時は何ともなかったのに、切るとさすがに痛かった」
「当たり前だろう!! そこまであんたは、俺たちを…」
目の奥が熱くなりかけて、カインは目を背けた。
「オズはすぐ傷を治してくれたけど、私が頼み込んでようやく血を飲んでくれたの。そうしたら夜に魔法を使えるようになった…私が言うまでは明かさないという条件でね」
「贄の民だということを、私も知ってしまったが…賢者様のために、永遠に口を閉ざしましょう」
「ごめんね、アーサー」
その「ごめんね」が何を意味するか、この時のカインもさすがに気付けなかった。
急に、ガクンとエレベーターが傾いた。
「…な、何よ?!」
体が浮く。墜落する感覚だ。
「早く、二人とも私の障壁の中へ…パルノクタン・ニクスジオ!!」
アーサーの両腕に抱えられたまま、三人は墜落していった。
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