璃子たちが魔法舎に帰り、それぞれの魔法使いたちが自室に戻ったりする中、オズと璃子とカインが今後の演習の相談をするために談話室に入ると、未開の天文台に資料を取りに行ってもらっていたムルが戻ってきていた。
「おっかえりー!!」
相変わらずムルはテンションが高い。彼に今朝のことを知られていなくてよかったとカインがホッとしたのは一瞬だけだった。
「ねえねえ、カインが賢者様にキスしてブチ切れられたんだよね!」
誰が言ったのかわからない。
「なんで!!」
思わずカインが叫ぶと、ムルはウインクする。
「適当な野良猫に、俺の思念残しといた!!」
器用なことを。
「そんなことよりも、どうなのやっぱりカインは賢者様が好き? で、振られたの?」
「ち、違う!!」
言ってしまってから、やばいと思ったがもう遅い。
「その違うってどう違うの? ねえねえ」
(うう…ムルにだけは知られたくなかった…)
「ムル、そこまで」
璃子が明らかに機嫌が悪そうに割り込んだ。
「ちぇっ、賢者の魔法使い初のロマンスかなって期待したのに」
(初だったのか…いや、今の俺はそんなことを考えている場合じゃない)
なんだか疲れが一気に来た。
「グラディアス・プロセーラ」
璃子が唱えて、手のひらの上にドロップを作った。
「うわ、璃子それって…」
カインは焦った。
「カイン、口を開けなさい。すごく疲れた顔してる」
「嫌だよ、それものすごく酸っぱいんだから!!」
「体の疲れにはクエン酸です」
無理やり口に押し込まれた。さすがのカインも涙目になりそうになる酸っぱさだ。ただでさえ酸っぱい酢の、酸っぱい成分だけを取り出したのがクエン酸だから無理もない。
「…賢者よ、なぜ魔法が使える?」
オズが驚いて聞いてきた。
「魔法ってものじゃないでしょ?」
「いや、無から砂糖菓子を作るのが魔法の第一歩だ。…どうも砂糖とは違うようだが」
「これ、クエン酸っていうやつ…」
我慢しきれず、カインはお茶のカップを手にする。
「それに、さっき使ったのカインの呪文なんだけど。借りた呪文だから結果がヘンテコにしろ、とりあえず呪文それ自体には魔力はあるんじゃなかったっけ、少なくともこの世界にいる以上は」
「いや、それとも違うようだ」
オズはじっと璃子を見つめた。
「…前回の大いなる厄災は規模が違った。次はもっとひどいかもしれない。ただ一人それを予知しているのは、賢者、お前だ」
「単なる予測よ、予知じゃないってば」
「あー酸っぱかった…じゃなくて、いや、璃子はただの地球人だろう?」
何とかお茶でクエン酸ドロップを流しこんでから、カインが割って入る。
「璃子の世界に魔法は存在しないって言ってたしさ」
「魔法じゃなくて、超能力とかそういう類はないわけじゃないんだけど…大抵はインチキだからなぁ…」
璃子は申し訳なさそうに言った。
「中世では魔女狩りと言って、異端者を片っ端から火あぶりにして殺したっていうけど、単に気に食わない人や政治的に不都合な人を魔女や魔法使いに仕立て上げて殺しまくったというのが実情だし。本物の魔法使いがいたという事実じゃないわよ」
「…賢者、はるか昔に魔法が存在していた事実はないか?」
オズはどうしても気になるらしい。
「大昔かあ…神話の域になっちゃって、単に後世の人の作ったフィクションだとは思うけど、魔法使いはいたことはいた、らしい。そんな話は世界中にあるけど…あ、ホントにフィクションだと思うよ」
「神話そのものが、全て捏造とは言えなくはないのではないか?」
「どういうこと、オズ」
「すべて作り話だとしても、魔法使いという発想が共通している話が、遠い国々で共有されているということに不自然さはないか。だとすれば、その中には一片の真実が含まれている可能性がないわけではない」
「オズ、ちょっと待って頭がこんがらかってきた。つまり、魔法使いの伝説が世界のあちこちにあるということは、中には本物の魔法使いの伝説もあるってことでいいの?」
「…璃子、明らかに今までの賢者とお前は違う。今までの賢者は、せいぜい魔法舎で毎日を送り、必要であれば魔法使いの召喚の式を行う程度の者だった。だがお前は、そうではない。我から指揮を執って着実に我々を成長させているし、水と油のはずの各国の魔法使いたちをうまくまとめ上げている」
「カインのサポートがあるからよ。私にはそんなリーダーシップはないし」
「賢者様さあ、二言目にはカインがいたからだとか、カインのおかげだって言うけど、前のカインがそこまで突っ込んで賢者を助けたりすることなんかなかったよ? っていうか、その必要もなかったしさ」
「え、そうなのカイン」
「まあ…魔法舎が中央の国にあるから足は運んだ方かもしれないけれど、大いなる厄災の時にようやく賢者の魔法使いが初めて顔を合わせたぐらいだから、璃子ほどは…」
「で、頑張ってるうちに賢者様を好きになっちゃったんだ。カインかーわいい」
「ムル!!」
カインと璃子が同時にたしなめる。
「まあ…何だ、私も少し調べておくことにする。どうも気になる…」
お茶を飲み干したオズが席を離れた。
「賢者様、カインの呪文でクエン酸になっちゃったとしたら、俺の呪文だとどうなる?」
「え、ムルの呪文? なんだっけ」
「エアニュー・ランブル!」
手のひらを上に向けながらムルが唱えると、ぽんぽんと可愛らしい砂糖菓子が手の中に落ちてきた。
璃子も試すことにした。
「エアニュー・ランブル」
何も起きない。
「あれ?」
「…俺の呪文しか使えないのか?」
中途半端な魔法だ。
「カインの呪文、どういう意味なの」
「古代語で、『栄光よ我と共にあれ』という意味なんだが」
「前半か後半が賢者様に合ってるってことかもしれないけど…俺にもわからないなあ」
ムルは不思議そうに首をかしげる。と、傍らの書類がバサバサと落ちた。
「おおっと。賢者様に言われてた資料、持ってきたんだった」
ムルは魔法で拾い上げ、テーブルの上で整えると、璃子に渡した。
「何だ、それは?」
「カインには難しい話」
そっけない。璃子は書類にくぎ付けだ。
「何だよ、その言い方」
「ニャー!!」
ムルがなぜか鳴いた。
璃子は構わず、次々と書類をめくっていく。
「璃子、この世界の文字、読めるようになったのか?」
「うん…ルチルに少しずつ…教えてもらって…あ、これこれ」
璃子は月の描かれた書類を一枚引き抜き、テーブルに置いた。
「大いなる厄災…?」
「カインたちにとってはそうね。…ムル、この観測データの精度は?」
「うーん、地上からの観測だから、空気の屈折でわずかに誤差はあるかもしれない。でも厄災で近づいた時の観測も計算に入れてるから、ほぼ正しいと言える」
「軌道が妙に近すぎるのよね…大いなる厄災って。地球ではもっと小さく見えるもの。普通これだけ軌道が近ければ、磁場が狂っておかしなことになるはず。人体にも悪影響を与えるし、異常気象も起きる。…と思ってたんだけど。誰か書くもの持ってない?」
「あるよー」
ムルがポンポンとインク瓶と羽ペンを出した。
書類の裏側に、璃子が何やら数式を書きはじめる。そのペン先はインクをつけるとき以外、止まることがない。
「ねえ賢者様、何書いてるの?」
「………」
璃子は計算に夢中だ。カインはそっと人差し指を口の前に持ってきて、ムルに黙っているようジェスチャーした。
「やっぱりね」
ようやく璃子が顔を上げた。
「ムルの観測データから質量を割り出したら、納得したわ。質量が異様に軽いのよ、大いなる厄災は」
「地球の月より、ずっと軽いもので出来ているということか?」
「カイン、正解。これだけ軽ければ、私の考えてる作戦が出来るかも…」
「へえ、賢者様の作戦? 教えて!!」
「俺も知っておきたい」
璃子は困った顔をした。
「計算をすればいいんだけど、それができるもの…パソコン、いやコンピュータって言うんだけど、それがこの世界にはないの。趣味で作ったシミュレーションソフトが入ってるんだけど…」
「俺でも作れる? 大抵のものはできるけど」
「ごめんね、ムル。この世界はマナ石を使った魔法を動力とした魔法科学でしょ。地球はそうじゃない。化石燃料を燃やして作る電気エネルギーが元になった物理エネルギー社会、科学文明の世界なの。だからせっかくだけど、ムルにも作れない」
ため息をついて、
「ああ、たった1日でいい、元の世界に戻りたい…!!」
「璃子…」
「賢者様…」
元の世界に戻れたとしても、再びこちらに戻れる保証はないのだ。
それが分かっているから、璃子にはジレンマなのだ。
(さっき思い出した、こちら側とあちら側を行き来できた賢者…それさえ調べることが出来たら…)
カインは立ち上がった。
「ちょっと俺、調べることがある。夕食には行かないかもしれないから、ネロに言っておいてくれないか」
「…カインが調べもの? 手伝うけど」
璃子も立ち上がりかけるが、カインは優しく止めた。
「俺一人で調べられる。大丈夫だ」
そして談話室を後にし、図書室へ向かう。
歴代の賢者の書や、古代文書が収納されている場所だ。
デスクワークは苦手だが、そんなことを言っている場合ではない。璃子に頼めば効率もいいだろうが、これは自分が自身でやらなければいけないことのように思う。
無駄足かもしれないが、カインはなぜか確信のようなものを感じていた。
きっと何かがあると。
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