東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第14話 手品の類

 

 

 ≪トロヤ奪還連合軍≫の最後尾。細部まで絢爛な装飾の施されたプレートメイルに身を包み、馬上で街の手前に布陣した≪タルタス自由同盟軍≫を忌々し気に見つめる青年がいた。

 彼の名はレイド。かつての領主コルセアの甥にあたる貴族だった。一月前、彼は生まれ育った街を追い出されて縁戚を頼って南の領地に駆け込んだ。そしてはらわたの捩れる様な怒りのまま領主をしていた母方の叔父を口説き落として、近隣の領地からも応援を頼み一ヵ月待って兵を出してもらった。

 総指揮権は得られず名目上の総大将として馬に乗っているだけなのが不満だったが、それでも自らの名がトロヤの解放者として永遠に刻まれると思えば悪くない。かろうじて生きているらしいコルセア伯父や従兄弟のブリガントも泣いて感謝するだろう。正統の従兄弟がいる以上は新たな領主の地位は難しいが、一生頭が上がらないに違いない。影から領主を操る補佐役と言う肩書も悪くない。

 栄光で舗装された未来を想像するだけでレイドから愉悦の笑みが零れた。

 

「御大将、口元が緩んでおります」

 

「あ、ああ済まない。つい戦が待ち遠しくて」

 

「その意気や良し!縮み上がっているより余程頼もしい。ハハハハ!!」

 

 轡を並べた護衛から指摘されて慌てて直したが、隣にいたレイドの叔父は豪胆に笑い飛ばして背中を強く叩いた。

 夢現から引き戻されたレイドは今一度正面に展開した恥知らずの反逆者の集団を見据える。

 人の姿もちらほら見られるが大半は獣人の兵士だ。全員が一端の鎧兜を身に着けて槍や剣を携えている。こちらの亜人奴隷は粗末な槍と木盾しか持っていないというのに、獣風情が生意気にもほどがある。それはまあいい。どれだけ獣を集めた所でこちらには真に力を持つ貴族が十を超える。少し力を見せてやれば容易く尻尾を巻いて逃げおおせる。

 問題は別の所にある。

 

「竜の姿が見えませんな」

 

「持ち帰った情報では確かに岩竜がいるとあるが、出し惜しみするほど余裕があるとは思えん。なにか策でもあるのか」

 

 本陣の貴族達が口々に竜の存在を危惧するが、それを心配性とも臆病と笑う者は一人としていない。彼等魔法使いでも竜は決して油断してよい相手ではない。勿論対抗手段は用意してあるが、それでも獣人兵士数百より警戒に値する存在が竜だった。

 対抗手段とは幻獣を意のままに操る魔法具『虜囚の首輪』である。この魔法具があればどんな屈強で凶暴な幻獣でも好きに操れる便利な道具だ。当然相応に値も張り数も少ないが効果は絶大だ。それを数個手に入れて前衛の指揮官に渡してある。隙を伺い反逆者の竜に使えばたちまち頼もしい味方となって恥知らずの獣共に襲い掛かるだろう。

 連合軍の首脳が不審を抱き始めた頃、突然街の正門が開かれて奥から黒い大岩のような竜が姿を現した。たちまち農民兵や奴隷兵から悲鳴が上がり、貴族にも緊張が走った。

 ≪自由同盟軍≫が左右に別れ、出来た道を我が物顔で岩竜が練り歩く。その竜の前を覆面男と片腕の女亜人が堂々とした面持ちで歩いていた。密偵の情報が確かならあの覆面男が叛徒の首魁か。

 その男が両軍のちょうど中間点で立ち止まり、やおら声を張り上げる。

 

「私は≪タルタス自由同盟≫の指導者タナトスだ。諸君らに言っておく、今すぐ故郷に帰りたまえ。何故無駄な血を流し、命を散らすのか。私は無益な犠牲を望まない」

 

 その言葉に農民や奴隷に動揺が広がる。

 何という不遜な物言いか。恥ずかし気も無く主人たる貴族に命令し、挙句に己の勝ちは揺るがないと囀る。

 レイドやその叔父は今すぐにでも全軍突撃の命令を下したかったが、謀反人の後ろに控える竜が空に向けて火の吐息を吐き出して出鼻を挫かれた。やはりあの竜を何とかせねば戦にならない。

 そのためにはどれだけ犠牲を払おうとも竜を隷属させて意のままに操る事が肝要。全軍を進ませる必要があった。

 総大将のレイドは全軍突撃の号を発しようとしたが、またしてもそれは叶わなかった。

 前線の奴隷兵が騒がしい。よく見れば獣人の一人が正気を無くして喚き散らしている。

 

「い、いやだー!俺は竜に食われたくねえ!お願いだから逃がしてくれー!!」

 

 ネズミ顔の痩せた獣人が狂ったように喚き、一瞬で恐怖が周囲に蔓延する。それを何とか指揮官の一人が抑えようとしたが上手くいかない。

 

「くそっ!誰かあのネズミを殺してでも黙らせろ!これでは戦が始まらん!」

 

 指揮官がレイドの命令を遂行しようと奴隷を殺そうとしたが、その前に別の獣人が指揮官を後ろから剣で刺して殺してしまった。

 これで重石が外れてしまった奴隷兵の多くが蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げる。一部は敵である叛徒の軍に向かった。

 

「こちらに逃げる者は殺してはいかん!温かく迎えてやれ!!」

 

 タナトスの言葉に従い、逃亡兵は誰一人として攻撃されずに保護された。これには農民兵も動揺して腰が引ける者が続出した。

 

「なんたる無様かっ!!貴様らはそれでもタルタスの男か!!」

 

 貴族たちは口々に兵を罵って怒りをぶつけるが、既に時は逸した。

 そして彼等の後ろには死神が剣を携えて迫っていた。

 貴族達の後ろにある何の変哲もない草むらが盛り上がると、そこから数名の男達が現れて雷光の如き速さで肉薄。完全に前に集中していた護衛兵も気付くのが数秒遅れてしまい、敵を決定的な距離まで素通ししてしまった。

 

「て、敵襲ーーー!!!」

 

 兵の言葉に首脳全員が後ろを振り向いた。レイドの生涯で最後に見た光景は、自分に向かって妖しく翠に光る東剣を振りかぶる年下の青年の感情をそぎ落とした顔だった。

 青年の翠刀がレイドの頭に食い込み、ずぶずぶと身体を引き裂き、股まで二つにしても刀は止まらず、乗っていた馬ごと両断してしまった。

 そして一緒に居た獣人がそれぞれ馬上の貴族を仕留めて高らかに武器を掲げた。

 

「敵将をヤトが討ち取ったぞー!!≪タルタス自由同盟≫の勝利だーーーー!!!!」

 

「お前達の将は既にわが手の者が討ち果たした。これ以上の流血を私は望まない。今すぐ武器を捨てて家族の待つ郷に帰るが良い」

 

 後ろを振り向けば血に沈んだ貴族の死体と数名の敵兵。前を向けば敵軍と黒い竜。どちらに逃げるべきかは考えずとも分かる。

 農民兵は一人また一人と槍や盾をその場に捨てて元来た道を一目散に走って逃げた。

 貴族の護衛兵は主人を斬った仇に剣を向けるも、ヤト達が貴族の死体を無造作に兵に投げ渡すと、迷った末に彼等は主の亡骸を抱えて逃げるしかなかった。

 そして残ったのは奴隷の亜人だけになる。彼等には待つべき者も帰るべき所も無い。タルタスはそうした亜人を分け隔てなく組織に迎えた。

 トロヤ奪還戦は敵指揮官の貴族を悉く討った≪タルタス自由同盟≫の完全勝利で幕を下ろした。

 

 

 戦が終わり≪自由同盟≫の兵士は後始末に追われていた。と言っても死人が殆ど出なかったので墓堀はせず、敵兵の捨てた武具を拾い集めるだけの簡単な仕事だ。

 ヤトも隠れて本陣に近づき奇襲で一太刀しか仕事をしてなかったので片づけを手伝っていた。

 

「へへへ、ヤトの旦那は後始末ですかい?総大将を討つ大金星を挙げったってのに殊勝ですねえ」

 

 品の無い笑い声に特に返事を返さずヤトは黙々と周囲の武器を拾って荷車に乗せて、一区切り付いたところでようやく傍にいた小柄なネズミ男に返事をした。

 

「貴方も良い演技でした。おかげで前に注意が向いて楽に近づけました」

 

「そうでしょうそうでしょう!いやー昨日からこっそり敵陣に潜んた甲斐があったってやつでさー」

 

 ネズミ男、本名をケイロンという。名は異国の古い英雄から付けられたらしい。何でも武勇に優れた賢者だそうだが、その割に目の前の男は賢いというよりは子狡い、小賢しいという評価の方が正しい気がする。

 そのケイロンはヤトに褒められて調子付いてベラベラと己の苦労と自慢を一方的に喋り続けている。

 実際彼を含んだ数名の亜人は昨夜から街の奪還軍の野営地に忍び込んで敵前逃亡の煽動役を務めていた。危険な役を担ったのだから少しぐらい自慢させてやるのが人情というものだ。ちなみに亜人奴隷は彼等が潜入したのを知っていたようだが、好き好んで憎い貴族に報告するような者は一人もおらず、見て見ぬふりをしていた。

 

「でも聞きましたよー。今日の策は旦那がタナトスの首領に授けたって。いやはや、腕っぷしが強くて頭が良いなんて俺からしたら妬ましいぐらい羨ましいこって」

 

「頭の良し悪しはさして関係ありませんよ。どうやって相手の機を逸らすか、視界に入らないかを考えて動けば誰でも出来る事です」

 

「ははー、手品師の基本ってやつですかい」

 

 ケイロンは感心したように頷く。この男、卑屈な態度に隠れているが意外と学がある。

 彼の言ったように今日の作戦は手品の類でしかない。最初に派手な岩竜のクロチビの姿を見せて前方に注意を向ける。

 その時から離れた場所で待機していたヤト達がカイルの頼みで草の精霊が生やした草に紛れて、タナトスの演説の中に音を隠して接近。

 ギリギリまで近づいてから、亜人奴隷の逃亡劇および指揮官の一人を殺害。関心を完全に前に向けた所で一気に奇襲して大将の首を狩る。

 説明されれば策と呼べないようなごく単純な騙しだ。これが訓練された兵隊ばかりの正規軍ではこうはいかない。士気が底まで落ちている奴隷や徴用兵だから上手くいったに過ぎない。

 

「そういうわけで大したことはありません。むしろこれからが大変ですよ。何せやせ細った二百以上の元奴隷を一端の兵士にするんですから」

 

「そこらへんは首領が何とか考えるでしょう。それにここには飯も寝床もたっぷりあるんだから何とかなりますって。あーただ――――」

 

「何か?」

 

「大した事じゃないんですが、最近うちの連中が余剰の麦とか武器とかを荷車でどっかに運んでいるんですよ。一応タナトスの首領の命令だって正式な命令書は持ってるからどうこう言えないんですが、どこに持っていくのかを言わないんで、どうも気になるつーか」

 

「正式な命令なら横流しのような問題は無いでしょう。――――貴方は隠れてやっていませんよね?」

 

「―――――や、やだなー旦那。俺を疑ってるんですかい?へっへへ、じゃあ俺はこれで―――――」

 

 尖ったネズミの鼻をヒクヒクさせながらケイロンは脱兎のごとくその場から逃げて行った。あの様子では隠れて良からぬ事をしているらしい。

 とはいえこれは内政担当が気付くべき案件だ。用心棒のヤトがどうこう言う気はサラサラ無い。

 横領疑惑はさておき中断していた後片付けを再開して戦の後始末は問題なく終わった。

 案の定、その夜は戦勝を祝って≪自由同盟≫は多くが酔い潰れるまで酒を飲み続けて翌日はまともに仕事をする者はごく少数であった。

 

 


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