東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第19話 覆面男は笑う

 

 

 ヤトは捕らえたラース側の大将イーロスとラモンを指導者タナトスに引き渡した。彼はクロチビを背後に控えさせてラース軍の残りに降伏を訴える一方でヒュロス軍には敵対の意思が無い事を宣言した。

 ラース軍は指揮官が居なくなり統制が崩壊して動ける兵は全員バラバラになって逃げ、ヒュロス軍は乱入者の圧倒的な武力に警戒しつつ話を聞く態度を示した。

 ヒュロスの兵士は≪タルタス自由同盟≫に近づかずにラース軍が残していった物資漁りに忙しい。こうした戦場跡での乱取りはどこの国でも一緒だ。

 自由同盟の兵士は犠牲になった両軍の獣人兵の埋葬をしていた。彼等のような亜人は誰も埋葬などしないから野晒にして朽ちさせるしかない。

 仮に生き残っても怪我をした亜人を手当てしてくれるようなお人良しは普通の領地軍にはいない。まして敵軍の奴隷兵など止めを刺してやるだけでも慈悲があると言われるような扱われ方をしている。だから自由同盟の兵士が手当てをした。

 交渉はタナトスの仕事なのでヤトやクシナは他の連中が何か仕出かさない様に見張り役をして待っていた。二人に顔を布で隠したオットーが近づき話しかける。手には青いフォトンエッジが握られていた。

 

「今日は五人斬ったぞ」

 

「なら挑戦権は五回です。そのフォトンエッジは使うんですか?」

 

「――――ああ。使えるモノは何でも使って勝ってやる!」

 

 光刃は出さなかったが柄を強く握りしめた拳を突き出す。他人の剣を頼りにするのは奪われた剣への裏切りのように思えて気が引ける。だがそれでもなまくらで戦える相手ではないのは身に染みて分かっている。彼なりに考えた末の決断だった。

 とはいえ今日は立て込んでいるので決闘は明日以降に持ち越しだ。

 しばらく負傷兵の手当てと死者の埋葬を眺めていると、交渉していたタナトスが帰って来た。

 無事な身体とほっとした顔から交渉は上手く纏まったらしい。

 土豪や末端領主の軍は現地解散して引き上げて行った。残ったヒュロス軍の三分の一は≪タルタス自由同盟≫と共にこれから領主の街へ赴く。そこでヒュロス家当主の第七王子シノンと謁見することが決まった。

 

 

 夕刻まで歩き続けた一団はようやく街が見える所まで来た。

 ただし≪タルタス自由同盟≫はゾロゾロ来られると無用の混乱を招くとの事で離れた場所で野営をすることになった。例外は弁明に指導者のタナトスと供が数名、それも亜人は謁見に相応しくないと言われた。

 タナトスが選んだのは文官の青年のビヨルン。それと護衛としてヤトもだ。後は外で野営を命じられたがそれなりの量の食料と酒を渡された。ヒュロス側も兵力の多さから露骨に悪く扱うのはまずいと思ったのだろう。特に岩竜の存在感は凄まじいので彼には肥えた豚一頭が与えられた。クロチビは豚を喜んで生きたまま口に放り込んで、ゴリゴリと磨り潰しながらペロリと平らげて街の商人を慄かせた。

 三人は騎士達の後ろを歩き、暗くなって人通りの減った街の中を通る。ヤトはヒュロス家のお膝元の街パルテノはトロヤの街に比べて寂れていると思った。ここは家々の灯りも少なく、商店の数もそう多くない。何よりも表通りの道幅がトロヤの半分程度しかない。トロヤはあれでコルセアがやり手の領主で栄えていたらしい。

 ほどなく領主の住まう屋敷に着いた。外観は古風な石造りの重厚な屋敷だ。歴史があるといえば聞こえはいいが、所々外壁の石が欠けていたり罅が入っているのを見ると手入れもあまりしていないのだろう。もしくは補修する金が無いかだ。

 流石に屋敷の中は手入れが行き届き、調度品も派手過ぎず見る者が見れば価値のある彫像や壺がそこかしこに飾られている。

 しばらく廊下を歩き、大きな扉の前でタナトス達は止められる。衛兵から武器を全て出せと言われた。当然だが武器を帯びたまま主に謁見させるつもりは無いらしい。

 三人は素直に従って武器を提出した。と言っても剣を持っていたのはヤトだけで、タナトスもビヨルンも護身用のナイフぐらいしか持っていない。

 先に騎士達が扉の奥の部屋に通された。それから荘厳なラッパの音が鳴り響き、何やら大仰な演説が始まった。

 

「もしかしてここで待たされるんですか?」

 

「多分そうだろう。俺達は客として招かれたわけじゃないから別室で待機とはいかんのだ」

 

 歓待を受けるとは思っていないが、なかなかの扱いに三人は溜息が出る。

 それから一時間は経過しただろうか。隣の部屋では領主らしい男が今日の戦で活躍した三人の騎士の名を呼び、武勇を褒め称えた。内容は今日の戦の後半部には触れず、ただ軍全体が劣勢になったのを盛り返したとだけ褒めていた。

 騎士達は皆一様に領主に礼を述べていたが、全員声が強張っていたのは緊張だけが理由では無かろう。若い騎士ならお膳立てされた功を褒め称えられても却って屈辱としか受け取れないが、それを隠す程度に処世術の心得はあった。

 それでも戦勝式は滞りなく終わり、続いてタナトス達に入室の許可が降りた。

 部屋は思ったより狭く、奥行きは三十歩、横幅は二十歩程度しかない。壁側には兵士と騎士が整然と並び、部屋の最奥の椅子には蝋燭の灯で照られされた悪人面の中年男が座っている。察するにあの椅子の男がヒュロス家の入婿で第七王子シノンだろう。

 先頭のタナトスが椅子から二十歩の位置で立ち止まり膝を着く。後の二人もそれに倣って膝を折って頭を下げた。

 

「先頭の者、顔を上げよ。――――ふむ、顔を隠すのは見られて困るのか。まあ良いわ、下郎の顔などいちいち気にする必要も無い」

 

 シノンはタナトスに興味を失い、気だるそうに召使から酒杯を受け取り中身を飲み干した。

 

「して、何故我が軍とラース家の戦に割って入った?特別に直答を許す」

 

「それはシノン殿下ご本人にお伝えせねばなりません。失礼ですが、貴方は殿下ではない」

 

 タナトスの確信めいた言葉に部屋に居た全員の顔が強張った。この反応から椅子に座っている男がシノン本人では無い事が読み取れた。

 事実だからこそタナトスへの侮蔑の感情が無い。

 椅子の男はどうしたものかと振り向いて後ろのタペストリーを見る。

 すると布の後ろから部屋の中で最も格式高い服を着た黒髪の中年男が現れる。騎士達は現れた男に最敬礼をして、椅子の男も立ち上がって席を譲った。

 男が椅子に座ると、不思議と部屋の雰囲気が引き締まる。まるでデコボコだった石壁が真平に均されたような感覚だった。

 

「下郎なりに目は肥えているのか、あるいは最初から私の顔を知っていたのか。まあ、どちらでもいい。私が本当の第七王子シノンだ」

 

 そっけない言葉と裏腹に本物のシノンは口元に僅かだが笑みを称えていた。

 

「先程のカドモスの問いの答えを聞こう」

 

「我々の忠誠を形にしてお見せするためです殿下。いえ、未来の国王陛下」

 

 周囲が騒然とする中で、当のシノンは特に感情を示さなかった。おそらくは過去に似たような事を吹き込まれた事があったのだろう。

 

「私は御覧の通り王都から離れた地方の家に入り婿になったしがない王族だ」

 

 言外に旨い汁をすすりたいと思ったら他の兄弟を当たれ、と言っている。しかしそれで『はいそうですか』と素直に聞くようならタナトスは最初から国に喧嘩を売ったりしない。

 無論シノンとて王子に生まれたのだから玉座を目指した事は一度や二度はある。だが、彼が置かれた立場と持って生まれた才能は王冠に手を伸ばす事さえ赦さなかった。他の兄弟に比べて圧倒的に才能が足りなかった。生母の家格、財、人脈もだ。

 ゆえに早々に後継者レースを諦めてヒュロス家へと入る事でそれなりの安寧と人並みの幸せを得た。

 それで十分ではないのか?シノンの瞳がタナトスの瞳を射抜く。

 

「何を御謙遜を!私には貴方様以上に王に相応しい方が見当たりませぬ。玉座よりタルタスの隅々まであまねく民を仁の光で照らす慈悲深き君主とお見受けしました」

 

「見え透いたお世辞を使いおって。だがお前の望みはある程度見当がついた。お前達叛徒は声高にこの国の身分を否定しているが、私が王になった時それを失くせと言いたいのか?」

 

「殿下のご賢察に恐れ入ります」

 

 タナトスはシノンの言葉を否定しない。それは大いなる矛盾を孕んだ願いだった。魔法を使えぬ者への理不尽な差別に抗って立ち上がったというのに、よりにもよって王族に頭を垂れる。≪タルタス自由同盟≫の者がこの光景を見たら赦し難い裏切り行為と思った事だろう。

 シノンも自由同盟の掲げる理念とその首魁の弁の著しい差をどう判断してよいか悩んでいた。それを目ざとく気付いたタナトスがわざとらしく咳払いして発言の許可を求めると、主は仕方なく許した。

 

「誤解無きように申しますが、私も同志も不当な差別と圧政を憎む心は同じです。ですが国という多くの民を纏め上げる王を否定してはおりません。我々は徒に民を虐げる王と貴族こそ敵と断じて剣を向けるのです!」

 

「なるほど、つまりお前達、いやお前個人は少しばかりマシな者を王にして慈悲のある扱いをしてもらいたい。そう願って戦を起こしたのか」

 

 タナトスと後ろに控えるネイロスが無言で首を縦に振った。

 確かに幾ら≪タルタス自由同盟≫が自由と圧政からの解放を声高に叫んで戦いを仕掛けても、階級制度が根差した国そのものを完膚なきまで叩き壊すのは不可能に近い。今は連戦連勝の負け無しで徐々に土地を奪って賛同者も増えたが、国が本気で潰しにかかれば烏合の衆でしかない集団は必ずどこかで負ける。負ければ求心力は失われ、二度と歯向かわないように徹底的に弾圧して身の程を骨の髄まで叩き込まれる凄惨な未来しか残らない。

 だからその前に自分達の願いを聞き届けてくれる者の軍門に下って、その者を王へと担ぎ上げて見返りを得た方が賢いやり方だろう。尤も王になるはずの無い者を王へと押し上げる困難さに目を瞑ればの話だが。

 そしてタナトスが目を付けたのが今ここに居る第七王子のシノンというわけだ。その人選が適当かどうかは他国人のヤトには分からないし興味も無い。

 

「それでお前は私が素直に王を目指すと本気で思ったのか?むしろ今この場でお前の首を父に送り付けた方が功になると思わなんだのか?」

 

「私の首に如何ほどの価値がありましょうか。王都の城では精々食い詰めた貧民が一揆を起こして騒いでいる程度にしか思っておりませぬ。むしろ首など送り付けたら口の曲がった宮廷雀どもは殿下をお笑いになられるかと」

 

「ふん。お前の言う通り、雀も父も関心は隣人の失態だけで離れた地方の事など毛筋にも気にも留めんのを良く知っているではないか」

 

 ここにきて周囲はシノンの視線が随分と柔らかくなっているのに気付いた。家臣達は入り婿の王子に十年以上仕えてきたのだから、彼が腹の中で何を考えているのかぐらいすぐに分かる。危険な兆候と分かっていたが、王族の話を遮るのは命に関わるので誰も口を開くことが出来なかった。

 

「まあいい。お前の首に価値が無いのは分かった。では繋がったままの首と身体で何が出来る?」

 

「まず私の作った荒くれの集団がそっくり殿下の軍となります。戦経験豊富な亜人兵が六百、訓練途中の兵がさらに六百。それと用心棒としてセンチュリオン級、あるいはそれ以上が五名。オマケで竜が一頭。それと―――」

 

 これには部屋の魔導騎士達がたまらずいきり立った。センチュリオンは全ての魔導騎士の憧れ、強さは並の騎士と一線を画す。その選ばれた騎士より用心棒風情が強いなど嘯くのは凄まじい侮辱だった。

 しかしシノンは騎士を黙らせてタナトスに続きを言わせる。

 

「我々が奪い取ったコルセアの領地とその周辺領主の土地を全て殿下に差し上げます。如何様にでもお使いくださいませ」

 

「欲の無い事だな。他人を陥れてでも領地を増やそうとする貴族に今の言葉を聞かせてやりたいものだ。お前は領主にはなりたくないのか?」

 

「私のような無頼漢では力で支配した所で、いずれは信を失い立ち行かなくなるのは目に見えております。そうなる前に正しき者に統治を委ねる方が民のためとなりましょう」

 

 タナトスはシノンに深く頭を下げた。土地の譲渡を言葉だけでなく態度で示したという事以上に首を預けるという意味合いも含まれていた。

 一連のやり取りにヒュロス家の若い家臣達は内心喜びを露にしていた。頼んでもいないのに阿呆が勝手に領地を差し出してきたのだから当然だろう。それも自家と同規模の領地がだ。上手くいけば家の収入は倍どころか独立を許されて家を興せるかもしれない。

 是非とも申し出を受け入れるべき。家臣達の視線はシノンに注がれた。

 

「急に言われても困るのだがな。……今日はもう遅い。明日の朝、また屋敷に来るが良い。それまでには返答を出そう」

 

 それだけ言ってタナトス達を退出させた。

 

 

 屋敷を出て人気のない表通りを歩く三人。夜道の用心に渡されたランタンを持つヤトが歩きながら話を切り出した。

 

「どこまで予想通りです?」

 

「屋敷に招かれた時点で大体予想通りだったな」

 

 タナトスはしれっと答えた。ヤトは正直言って首を落とす事も考えていたが、こうも穏便に話が進むとは思っていなかった。答えは保留だが、あの様子では提案を呑む可能性は高い。

 

「首領は何年も王族の性格とか動向は綿密に調べてたからね。あの入り婿は思ったよりヒュロス家と家臣と上手くいってないし、野心が無いわけじゃない」

 

 ビヨルンが得意顔をする。彼はタナトスの命令で長年タルタス各地に人を放って情報を集め続けた。その情報をもとにこれまでの組織の活動を支えてきて、今日もまた首領の期待に応えたのだから、少しぐらい得意げになっても罰は当たらない。

 

「まあ予想通りだったのは良い事だが、これから同志を説得するのは骨が折れる。古参連中は何とかなるが、最近入った奴等は煩いだろうな」

 

 タナトスの溜息にビヨルンが同調した。ヤトは単なる用心棒なので素知らぬ顔だ。

 彼の選択に自由同盟の面々が不満を持つのは当然だ。身分制度を否定したのに王族の下に付くなど明らかな矛盾だ。百歩譲って亜人を差別せずに民を分け隔てなく慈しむ真の仁君ならまだ理解も出来よう。

 だが今日の戦のように獣人奴隷をゴミのように扱い、死なせる様を見せつけられては誰も納得などすまい。それを押し通して納得させられるかがタナトスの指導者としての器量とも言える。

 

「ヒュロス家が了承すると思いますか?」

 

「するさ。でなければわざわざ屋敷に呼んだりしない。例え要求を拒否したくてもこちらの兵をちらつかせれば一先ず首を縦に振らざるをえない。それにぶら下げた領地を前に突っ張るほどあの家に余裕は無いからな」

 

 何から何まで計算尽く。最初から相手の退路すら絶ってここに来ていたと知ってヤトは舌を巻く。

 問題は提案を受け入れて≪タルタス自由同盟≫を臣下とした後、裏切りを働いた場合だが、その時は全力で殺しに行くだけと答えが返って来た。分かっていた事だが、完全に利用し合う関係と割り切って下に付くわけだ。

 

「ですが領地を取られた場合、貴方達はどうやって集団の維持費を捻出するんですか。あの家に頼むんですか」

 

「当面はトロヤの街の貴族や富豪から巻き上げたり、領主が貯めてた財産でやりくりするよ。いざという時のために結構外に隠しておいたから」

 

 ビヨルンがニンマリと笑う。こういうやり繰りはずっと昔から慣れているそうだ。いざという時のために軍資金だけでなく、武器や麦のような穀物も少しずつ街から運び出して幾つかの隠し倉庫に貯め込んでいるので、節約すれば今の組織の規模でも二年程度なら戦えるとの事。抜け目がない事だ。いや、そうでなければ幾ら王家が圧政を敷いていても反体制組織など立ち上げ維持していくのは不可能だったに違いない。

 

「ともかくこれで大義名分とこの国をもっと引っ掻き回す算段が手に入った。明日から楽しくなるぞ」

 

 妖しい覆面男の笑い声が月明かりの無い暗闇に木霊した。

 なお当然ながら勝手に王族と臣下の礼を交わしたタナトスに批判が殺到して古参数名と殴り合い取っ組み合いになったが、最終的に一人の離反者も出なかったのは彼の人徳故か奇跡か判ずるのは難しかった。

 

 


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