東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第24話 しばしの別れ

 

 

 奥に進むにつれて緑は深く逞しくなり、襲い掛かって来る獣はそれなりにいた。

 大型の虎が三頭、腹を空かせたヒグマが一頭、縄張りを荒らしたのを怒って襲い掛かるサイの番。どれも先程の猪よりは小さく弱い。どうやらアレが森の主だったのだろう。

 それでも仕留めた獣はどれも大きく、肉は食えそうだったので後で持って帰るように縄で縛って置いておいた。

 あと妙に大きな蜘蛛やら蠍が多数襲い掛かってきたが、こちらは食えそうにないのでクシナとクロチビが見つけ次第、炎で消し炭にかえた。おそらく虫は幻獣の類だろうが竜の炎に耐えられるほど頑強ではなかった。

 ちなみにオットーはクシナが火を吐いた事に腰を抜かすほど驚き、さらに彼女が古竜と教えられてそれまた驚くが、同時になぜ岩竜がこうも懐いて言う事を聞くのか合点が行き、竜を平然と嫁にしたヤトを尊敬すべきか呆れるべきか真剣に悩んだ。

 襲いかかる幾多の原住生物を狩った一行は、森の中にある小さな湖を見つけた。湖は透明度の高い澄んだ水で、陸からでも魚が泳いでいるのが見えた。さらに水の深い場所には明らかに人間より大きな魚影もちらほら確認出来る。

 

「魚もいいですねえ」

 

「お前は泳げるか?」

 

 クシナの問いにクロチビは首を横に振って無理だと言った。

 

「おいおい魚より見るべきモノは他にあるだろ。湖の真ん中にある建物とかよー」

 

 食い物の話ばかりする連中に、オットーは呆れて湖で一番目立つ物を指差した。

 確かに指の差す先には白い壁に赤い屋根の六角形の小さな家が湖の真ん中にポツンと建っていた。

 こんな幻獣の多数棲み付いた森の中の、それも湖の真ん中に建っている時点で不自然極まりない。それに湖を見渡してもどこにも家に繋がる橋が無い。渡る船も、足場になる石なども一切見当たらない。まさか毎回あの家の主は湖を泳いで中に入るのだろうか。それとも翼を持つ類の種族が家主か。

 家は気になるが今すぐ調べる必要も無いので、狩った獲物を持ち帰って後日出直して来ればいいと、ヤトの提案に誰も反対しなかった。

 踵を返す一行だったが、後ろから大きな水音がしたため振り返る。

 そこにはビチビチと暴れる魚を咥えた猫ならぬ、緑かかった黒髪の全裸女性が巨大なウナギを咥えて水辺から這い上がっていた。

 あまりにシュールな絵面過ぎて誰も声を上げる事も出来なかった。

 

「モガモガモガモガ!」

 

「いや、口から魚を放せよ」

 

 地に付くほど長髪の女性は口に魚を咥えたまま話しているので何を言っているのか分からない。だから一番早く正気に戻ったオットーが魚を放せと教えた。

 女性は言われた通りウナギを放して逃がさないように手に握るが、ウネウネと動くウナギは女性の身体に巻き付いて、ひどく背徳的な光景になった。

 

「お前達ここはアタシの家だよ!中に入るなら挨拶ぐらいしなっ!」

 

「えっ、ここ外……あー湖周辺全部敷地ということですか」

 

 女性の言わんとする事はつまるところ、外との境界線は森の木々で、そこから先は家の庭という意味だ。門や柵があるわけではないのだから他人に分かる筈が無い。

 彼女は御怒りのようだが、襲い掛かる素振りを見せないのだから、過去に同じような経験をしているのか単に心が広いかだ。

 ここは反発せず、ヤトが勝手に土地に入った事を謝罪しつつ、それぞれが名を名乗った。

 

「よしっ、素直で良いぞ。客人なら殺しはしない。腹が減ってるならこいつを食わしてやる。どうだ?」

 

 琥珀色の瞳の女性は未だに暴れているウナギを見せつけると、真っ先にクシナが喜んだ。ヤトやオットーも腹は減ってなかったが嫌とは言わなかった。クロチビは道中ガルムを二頭も食ったので満腹だった。

 女性は機嫌を良くして、指先をウナギの頭に添えると、ウナギの頭が綺麗に落ちて断面から血が噴き出した。

 彼女が空いた手をかざせば、平らな土地に炎が生まれた。

 おまけに森からは何本もの木の枝が飛んできて、全てがウナギの身体に突き刺さった。そのウナギを頭同様に指を這わして身全体を輪切りして火の回りに並べた。

 全てヤト達は手を出していない。状況から察するに彼女が起こした事象と思われる。

 真っ先に思い当たったのはオットーだ。

 

「なんで理力使えるんだよ。いや、なんか違う……お前一体」

 

「アタシか?アタシは………なんだったかのう?最後に名前を呼ばれたのは結構前だから、今思い出すわい」

 

 ウナギが無くなり全裸のままウンウン唸る女性に、オットーは顔を赤くして目を背ける。意外と純情らしい。

 ヤトは肌を直視した所で何も感情も抱かず、別の事柄に気を取られていた。すなわち彼女が強いかどうかだ。

 先程の動きで魔導騎士が用いる理力に似た力や魔法のような事象を引き起こす力があるのは分かっている。後は身のこなしや素の身体能力がどのようなものかはまだ測りかねた。

 ついでに言えばウナギの脂が火に炙られて香ばしい匂いのする状況ではヤトでも戦う気が削がれるという事情もあった。

 

「――――――ああ、思い出した。アタシの名はナイアスだ。いかんいかん五十年も話していないとすぐに忘れる」

 

「は?五十?いやそんな年じゃ――――つーかいい加減服着ろよ」

 

「なんだ小童、こんな婆の裸見て恥ずかしがるのか?」

 

「なっ、んなわけねーだろ!いいから何か着ろよ!」

 

 オットーが怒るとナイアスと名乗った女性は「最近の童は分からん」などと年寄り臭い事を言う。

 そして突然、彼女の長い髪がウネウネと動き出して自らの身体に巻き付き、肌の大半を覆い隠してしまった。さらに髪は肌にぴっちりと張り付いて光沢のある深緑の服となり、ナイアスの髪がうなじまでのショートヘアに変わっていた。

 

「これなら童も恥ずかしくないだろう」

 

 彼女は豊満な胸を張って偉そうに言う。確かに全裸よりは幾分マシになったが、ぴっちり身体に張り付いた服はそれはそれで目の置き場に困った。

 ヤトは戦う気がかなり削がれていたので、手慰みに輪切りにしたウナギに持っていた塩を振って、切り身を焦げない位置に調整した。クシナは脂の焦げる匂いに涎を垂らしてワクワクした。

 代わりにオットーがナイアスに質問を投げかける。

 

「で、あんたは何なんだ?理力が使えるんだから貴族か魔導騎士なのか?」

 

「アタシはアタシだよ。ずっと一人でここに住んでて森から出た事は無い。童みたいにたまに訪ねて来る奴は大体同じことを問うね、騎士とか理力とか」

 

「あんたは違うのか?」

 

「さあ?昔訪ねてきた耳長達はアタシを魔人とか言ってたけどねえ。何かアーリとかいう奴に味方しないなら敵じゃないとか言ってたけど」

 

 ナイアスの話に、ウナギを見ていたヤトは以前エンシェントエルフの村で聞いた古い戦話を思い出した。

 

「魔人でアーリ?それはアーリマという魔人族の王の事ですか?」

 

「あー多分そんな名前だった気がする。あちこちで戦になっててアタシの同族が暴れてるから敵かどうか見極めに来たとか言ってたような」

 

 彼女はおぼろげな記憶を頼りに自信なさげにヤトの確認の言葉を肯定した。エンシェントエルフの話では魔人王アーリマは三千年も昔の魔人族の王だ。その王が生きていた時代となればナイアス自身も最低三千年は生きている事になる。

 エンシェントエルフが数千年を容易く生きるのだから魔人族も同じぐらい生きても不思議ではないが、定められた時しか生きられない人間には何とも壮大な神話だった。

 

「ふーん。あんたが人間じゃないのは分かったけどよ、なんで触れずに物を動かせる理力が使えるんだよ。それは俺達タルタス人の中でも限られた者しか使えないって話だぜ」

 

「そうでもないですよ。僕も過去に魔人族と戦った事がありますが、その魔人は魔導騎士の理力と似た力を使っていました」

 

 だから世の中探せば似たような力は意外と転がっている。

 ヤトの話にオットーは自分がどれだけ世界を知らなかったのか恥を感じたが、周囲はほどよく焼けた魚に気を取られて少年の内面には気付かなかった。

 四人はひとまず話を中断して、香ばしく焼けたウナギを頬張った。塩だけの簡素な味付けだったが、身が肥えたウナギは中々の味だ。特にヤトとクシナは久しぶりの魚だったので舌鼓を打つ。

 食べている最中、ナイアスはオットーの腰に差したフォトンエッジに目をやり何かを思い出す。

 次の瞬間にはオットーのフォトンエッジはナイアスの手の中にあった。

 

「おっ、おい!」

 

 突然武器を奪われて狼狽するが、彼女は素知らぬ顔でフォトンエッジを弄って炎刃を展開させて、懐かしい物を見るように揺らめく炎を眺めた。

 

「あんたやっぱり魔導騎士じゃないか!魔人族なんて嘘っぱちかよ!」

 

「んなもん知らんわい。アタシの事はどうでもいいけど、この炎の棒を持ってた奴が騎士で良いのか?」

 

 ナイアスはフォトンエッジを玩具のように振り回しては炎刃を出したり消したりする。それが持ち主のオットーには面白くないので理力を使って彼女の手から取り返した。

 

「そうだよ。あんたが騎士じゃないのなら何でフォトンエッジの事を知ってるんだよ?」

 

「アタシに力の使い方を教えてほしいって頭下げた若造が持ってたからだよ。どれぐらい前か忘れたけどね」

 

「じゃあ意外とこの森に修行してた騎士の話は本当なのか」

 

「その割にアタシの事は知らんのか」

 

 ナイアスが不満そうな顔をするが、オットーは騎士が教えを乞うた話を全く信じておらず鼻で笑う。何しろ誇り高い魔導騎士がこんな変な奴に、それも魔人などという胡散臭い種族を自称するよく分からない騎士っぽい女に教えを乞うなど有り得ない。

 しかしその態度が気に障ったナイアスは念動力で鼻持ちならない小僧を宙吊りにした。オットーも負けじと自分の理力で対抗しようとしたが、まるで抗えずに成すがままだ。

 結局オットーが非を認めて地に降ろしてもらったが、彼は往生際が悪くまだナイアスの話を疑っていた。

 

「なら童があそこの岩を浮かせてみな」

 

 彼女が指差す先には、スリーズの魔猪より二回りは大きな巨岩があった。

 見るからに動かせそうもない大岩だったが、オットーは力の限り理力で動かそうとしたものの、僅かに震えるだけで碌に動かない。

 そのうち力尽きてひっくり返ったオットーを尻目に、ナイアスは軽く手を捻ると大岩はあっさりと宙に浮いてしまう。

 この時点でオットーは彼女が魔導騎士ではないと確信した。どれほど優れた騎士でもこれほどの理力を操る者はタルタスの歴史でもおそらく誰一人として居ない。

 さらに彼女は岩を動かして、仰向けになって空を見上げるオットーの真上まで移動させる。視界いっぱいに広がった大岩と額に感じる零れ落ちた土の感触には素直に負けを認めるしかなかった。

 一方ヤトはウナギを齧りつつ、一連のやり取りを冷静に分析していた。単純にナイアスの念動力は以前戦った女魔人ニートよりかなり優れていると見て良い。精神操作の魔法が使えるかどうかは分からないが、使えると思った方が対処もしやすい。とはいえ身のこなしは話にならない素人振りなので実際に戦った場合、勝つのは己だろう。

 戦ってもさして得る物が無いと判じたヤトはナイアスへの興味を失くしていたので、ウナギを御馳走になったら退散するつもりだった。

 そしてクシナが最後のウナギを食べ終えたので、ナイアスに礼を言って退散しようとしたが、ただ一人オットーだけは、じっとナイアスの琥珀の瞳を射抜く。

 

「な、なんだ童?」

 

 彼女の言葉にオットーは黙って片膝を着いて頭を下げた。まるで君主に忠誠を誓う騎士のように、彼は魔人に傅いた。

 

「先程の無礼を許してほしい。その上で頼みがある。どうか俺を鍛えてくれ!」

 

「いいぞ、どうせアタシは暇だし」

 

 軽い!オットーは内心一世一代の頼みを易々と受け入れられて複雑な想いだったが、断られるよりは遥かに良い返事だと思い直して喜んだ。

 彼が何よりも倒さねばならないと思い決めた者こそヤトだ。そのヤトの倒すために顔を隠してまで自由同盟などという胡散臭い連中に組してまで実戦を経験した。そこで得た経験は確かに自身の糧となったが、それだけではあまりにも足りないのを今日実感した。

 なら今から山籠もりでもして修行に明け暮れる?それで何とかなるなら苦労は無い。

 ならどこかの騎士に師事して教えを乞う?身分不詳の貴族を弟子にするような酔狂者など知らない。

 なら諦めるか?ふざけるな!そんな負けっぱなしで終わるほど根性無しではない。

 憧憬、あるいは敬意にも似た感情を抱いた男に一太刀入れられずに負けを認めるのを許せる筈が無い。

 鬱屈した感情を持て余していた矢先、ナイアスに出会った。これこそ天啓と言うべき邂逅ではないか。

 だからこそ恥も何も捨て去り、弟子入りを願った。結果は拍子抜けするほど上手くいった。否、まだ何も教えを受けていないのに勝ち誇るのは早い。

 そしてオットーは立ち上がってヤトに向き直る。

 

「そういうわけだ。あんたとは暫くお別れだ」

 

「いいですよ。元々僕達は仲間でもなんでもない間柄ですから。強くなって僕に挑むなら大歓迎です」

 

 オットーは良い笑顔で別れを惜しまないヤトに鼻を鳴らす。味方とは言い難かったが共に戦場を駆けた相手にさえ、まるで親近感を抱かない剣鬼には閉口した。いや、斬るべき相手として親愛の情は抱いているのだろう。短い間でも行動を共にしていたオットーには何となく分かった。

 

「ですが僕はずっとこの国にいるわけではないので、あまりのんびりしていると機会を逸しますよ。そうですね、センチュリオンを全滅させたらタルタスを離れますか」

 

「そうかい。なら気合入れて頑張るか」

 

 ここで無理とか、いつまでかかると言わないだけオットーのヤトに対する理解は深い。

 それっきりヤトは湖から背を向けて森の方に引き返した。あの少年がどれだけ強くなるか間近で見たい気もあったが、本人が離れる道を選んだのだから好きにさせておくべきだ。

 同時に彼がどんな強さを身に着けるか想像する楽しみが増えた。今はそれだけで満足しておくべきだろう。

 ヤト夫婦とそのペットは森で狩った獲物を持って古城に帰還した。持ち帰った獣の数以上にスリーズの魔猪の巨体には誰もが驚き、食べられるのか疑った。それでも貴重な肉には違いないと食い意地の張った者が試食をした。

 結果はそこそこ美味いと分かり、引っ越し祝いの主菜として工夫を凝らして全員に行き渡るように振舞われた。

 途中タナトスがオットーが居ないのに気付いて、ヤトから説明を受けると特に言う事も無く受け流した。敵にならなければ気にするほどのものでもない。むしろ不確定要素が減って気が楽になったぐらいだと笑っていた。元見習い騎士一人などその程度の影響力だろう。

 

 


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