高地の短い夏が終わり、そろそろ秋になるタルタスだったが、別の意味で熱く燃え上がるような日々が国内を覆うようになっていた。
タルタス全土で繰り広げられる小競り合いから発展する貴族達の戦は、次第に後ろ盾である王族の後継者争いにまで飛び火するようになった。
巻き込まれる形になった王子たちは表向き無益な戦を止めるように配下の貴族に命じたが、実のところ当の王子達はこの騒乱を歓迎する節があった。
彼等も長兄で王太子プロテシラの後継を狙って他の兄弟を追い落としたいと考えて、敢えて配下の小競り合いを止めずに拡大するよう仕向けていた。勿論タナトスが各地の火種に油を注いだ影響もあるが、割合で言えば半々といった所だ。
プロテシラが宰相として各地の鎮静化を命じても、弟達は口だけ立派な事を言いつつ戦乱を助長し、子飼いの貴族は自分の領地以外には無関心を決め込む。父親である国王は既に政治的関心を失って年を考えずに毎日寝所で若い女を抱くだけの生活。実際の所、宰相は孤立無援のまま毎日どこかの領地で起こる戦の報告を聞く羽目になって神経をすり減らす日々を送っていた。
宰相の神経をすり減らす原因の半分を担ったシノンは実兄の心労などお構いなしとばかりに着々と支配地域を広めていた。
実を言えば日常的に諍いの絶えない境目の村人が王子とはいえ関係の無い者からいきなり争いを止めて仲良くしろと言っても素直に聞くものでもない。
領主も現場の事を何一つとして知らない王族が偉そうな事を言っていると仲裁を黙殺した。実力行使といってもどうせ脅しだろうと高をくくって、誰も本気と捉えなかった――――その仲裁を黙殺したツケを実際に支払うまでは。
シノンは小競り合いを止めない領主が忠告を無視したとして翌日には両方の領地に兵を派遣。その日の内に領主一家を捕縛して、争いの元になった村を住民の倍以上の兵で囲んで二度と諍いを起こさないように恐怖で躾けた。
鎮圧のための派兵を繰り返しては次々と領地を併合して勢力拡大に努め、噂が広まる頃には素直に小競り合いを止める村や領主も増えたが、いつでも兵を送り込む用意があると思わせて影響力を強めた。
こうした動きに併合された他の兄弟からは苦情の手紙が何通も届いていたが、逆にシノンは『最初から国の乱れを正すように動くと伝えてその通り動いたに過ぎない。むしろ誰も動かないから私が率先して王族の務めを果たしている』と兄弟達を批判する返事を出して苦情を退けた。
とはいえそれで王子達が素直に納得するはずもなく、どうにかして目障りなライバルの一人を蹴落とすまではいかずとも掣肘しておく必要を感じていた。
そこで最初に動いたのが第三王子イドネス将軍だった。彼はさして仲良くなかった弟にある贈り物を送った。
≪タルタス自由同盟≫の戦士の大半は暇を持て余していた。何せ戦の動員が掛かっていないので、彼等は訓練するか開墾作業ぐらいしかする事が無い。
一応裏方仕事は割り振られているので国内各地に工作員を派遣するぐらいはしているが、そもそも裏で暗躍する特殊技能を持つ者はかなり少ない。だから大半は本拠地の古城付近で屯田兵のような生活を送っていた。
兵の中にはせっかく戦う術を身に着けたのに、こんな田舎で無聊を慰める生活を送る事になって不満も聞こえたが、いずれ再び戦いに赴く前の休息と思ってそれぞれ過ごしていた。
そんな訓練漬けの一日も日が沈み、夜ともなればそれぞれ休息を取る。勿論寝ずの番は城の外にも中にも交代で居るが、城はヒュロスの内地ともあり最低限の人数に絞られていた。
ヤトとクシナも毎日昼間そこそこ働いて、夜は拡張した城壁の外の天幕で平穏に過ごしている。
住居が城の外なのはペットのクロチビの巨体の都合だったが、二人とも屋内で寝るのに拘る性格でもないので気にしていなかった。決して二人の子作りの声が煩すぎて苦情の嵐で叩き出されたのではない……はず。
この選択が後に自由同盟の未来の明暗を分けたのだから、神の振るサイコロというのは数奇なものだろう。
その日、ヤトとクシナはいつものように城外の天幕でまったり過ごしていた。住めば都というもので、布一枚しかない仮家でも隣にかけがえのない伴侶がいれば、そこは豪華な城より価値のある場所だった。
後はやる事が無ければ寝るまで子作りに励むのが日課のようなものだったが、今夜は少し事情が違った。
最初に何かに気付いたのは二人ではなく、側にいたペットのクロチビだった。彼は北の空を見上げてしきりに唸り声を上げていた。
「えっ、空から沢山ドラゴンや変な臭いの獣が来る?」
上下関係があるとはいえ同族のクシナがクロチビの鳴き声を正確に翻訳してくれた。
ヤトも手に剣を持ち、北の空を見上げると新月の闇にポツポツと何かが近づいてくるのが見えた。数は三つ。
近づくにつれてはっきりと形が分かる。クロチビの言う通り確かに飛行体はドラゴンだった。
城の者はまだ誰も気付いていない。ヤト達も気付いてはいたがアレが敵かどうか分からない。もしヒュロスの陣営だった場合、撃墜したら大問題だ。だから迂闊に動けなかったが、その選択が誤りだったのを数秒後に知る事になる。
三頭のドラゴンは背に人型を乗せたままヤトの上空を通過して、そのまま城に突っ込んだ。
次の瞬間、大炎が上がり何人もの悲鳴が上がった。ドラゴンは敵だ。
「クシナさん!一緒に空に!!」
「分かった!いくぞチビッ!!」
ヤトは自分が次に何をすべきか瞬時に決断して、クシナと一緒にクロチビの背に乗って後続の敵の迎撃に空へ上がった。
クロチビは空へと上がったが、敵騎の高度まで随分遠い。岩竜はその頑強な鱗が仇となって重く、力はあっても飛ぶのはあまり得意ではない。
相対距離がなかなか縮まらず、さらにワイバーン二騎がすれ違うも、無防備な後ろから巨大な緋色の火柱に飲み込まれる。
炎を吐いたのはクシナだ。彼女の口から必滅の炎が放たれ、下級眷属の翼竜と人二人が塵も残さず消滅した。
突如として暗闇に巨大な炎が生まれたのを見た後続の空中騎兵隊は、固まっていては纏めてあの炎に焼き尽くされると判断して陣形を崩して散開した。
その隙にクロチビは必要な高度まで上がり、敵の概要が分かった。数は残り十。内ドラゴンは二、ワイバーンが二、残りはグリフォンとヒッポグリフが六。全部に人一人が乗っている。騎乗者の力量は分からないが、ただ乗っているわけではないだろう。最低でも魔導騎士を想定しておいたほうがいい。
「で、どうする?」
「クシナさんは近づいてくる敵を火で炙ってください。僕は―――」
言うなりヤトはクロチビの背から一足飛びに空へ身を投げ出した。
念のために言っておくがヤトは投身自殺を図ったのではない。彼は一番手近にいたヒッポグリフ目がけて跳躍したのだ。
竜由来の卓越した跳躍力で一気に騎兵へと飛びつき、翠刀をフルフェイスヘルムのスリットに差し込み、眼窩を貫いて一人仕留めた。
主の血を浴びたヒッポグリフは暴れて仇を振り落とそうとしたが、逆に首を刎ねられて力無く落ちていく。
ヤトは首無しの獣と心中せず、すぐさま馬に似た背を足場にして再度跳ぶ。
近くに居たグリフォンは血の臭いに気付いて警戒を促す。主の騎士はフォトンエッジの炎刃を展開。揺らめく炎に照らされた鬼のごとき笑みを浮かべたヤトを迎撃する構えを見せた。
騎士から見れば空中で自由に動けず一直線に近づいてくるヤトは格好の的だったが、突然愛騎のグリフォンが悲鳴を上げてバランスを崩す。よく見れば右の翼から出血していた。翼の付け根には艶消しした短剣が刺さっていた。
愛騎の異変に気を取られた騎士は致命的な隙を晒してしまい、ツケを首で支払う事となった。主従が力無く暗い大地へと落ちていく。これで二騎墜ちた。
この時点でクシナとクロチビ以外に何かが居ると気付いた一部の騎士達は急いで高度を上げたが今回に限っては悪手だ。
ヤトは高度を上げて腹を晒したヒッポグリフ目がけて跳び上がり、鬼灯の短剣を腹に突き刺して剣身を伸ばす。伸びた剣は瞬時にヒッポグリフの馬に似た胴を背中まで貫くに留まらず、腰かけていた獅子人の女騎士の股から首までをも貫き串刺しにした。三騎目が死亡、これで残りは七。
短剣を戻し、即死した女騎士を引きずり降ろしてから、重症のヒッポグリフの背に立つ。今度は前後からドラゴン騎士に挟み撃ちされるが、一騎は突如翼に矢が数本生えて苦しんで落ちていく。今のは矢羽にカイルの特徴があった。ようやく城の方も事態に気付いて迎撃に動き出したようだ。
もう一騎は上を取ったクロチビの火で焼かれて焦げた臭いを振りまいて落ちていった。竜は炎に耐性があっても騎士はそうでもない。残りは五だ。
足場が限界だったヤトはクシナに近くまで来てもらい、再びクロチビの背に戻った。
この頃になると城側から散発的ながら上空へと矢が射掛けられたが、暗闇ではどれだけ数を撃った所で早々当たらない。むしろクロチビに当たりそうになって、クシナが下に罵倒したぐらいだ。
たまに狙いが正確な矢が飛んで行き敵騎を掠めるのは多分夜目の利くカイルの矢だろう。エルフの村で修練を積んだのは無駄ではないが、それでも一騎しか墜とせなかったのだから、まだまだ修練が足りない。
ワイバーン、グリフォンとヒッポグリフの混成五騎は矢を躱しつつ、離れた場所で集結して城へ向かう。
ヤトはクロチビを城の上で滞空させて迎撃の姿勢を取る。クシナもいつでも火を吐けるように息を整えた。
敵集団は無謀にも加速しながら一直線に突っ込んで来た。
破れかぶれの決死行に対し、クシナとクロチビが同時に炎を吐く。二つの炎が混ざり合い極大の炎となって敵騎を襲う―――――はずだったが、直前に五騎は同時に散開して全騎炎を躱した。
その上、三人が騎獣から飛び降りた。普通ならこの高さでは墜落死するが、落下速度がやけに遅い。
「あっ」
ヤトは己の迂闊さに気付いて思わず声を漏らした。あれは理力を自分に使って落下速度を殺して無事に降りるつもりだ。
「クシナさんは残った二人とワイバーンを相手にしてください!」
相手の返事を聞かずにヤトも三人の後を追ってクロチビの背を蹴って、今夜二度目の投身を図った。
先に飛び降りた三人の騎士は自分達を追って飛び降りたのを見て、驚きと共に墜落死する結末を想像した。
実際ヤトの落下速度は騎士達よりも速い。だが、ヤトは落ち着いて鬼灯の短剣を目一杯伸ばして地面に突き刺し、しなる剣身で落下速度を十分に殺してから手を放し、受け身を取って無傷で地に降りた。
そして後から三人の騎士がそれぞれ得物となるフォトンエッジを手にゆったりと降り立った。
「うわっマジで無傷だ!こいつ頭イカれてやがる」
金髪の青年が呆れつつ獰猛な笑みを浮かべて、両手に持った花のように広がる鍔のある三股に別れたフォトンエッジから短い炎刃を放出する。防御に適した短剣、パリーイング・ダガー型式のフォトンエッジという所か。
青年は今すぐにでもヤトに襲いかかろうとしたが、隣の茶色の毛の直立した二本の長い耳を持つ兎人の女性に肩を掴まれて押し戻された。
「空での戦いは見ただろ、迂闊に近づきなさんな坊や。こっちは三人居るんだから数を使いなよ」
「うっせえ!俺達はセンチュリオンだぞ!!それが数で囲って恥ずかしくねぇのかよ!?」
「我々の目的は決闘ではなくここの壊滅だ。センチュリオンなら任務を第一に考えて動け」
青年がいきり立つが、もう一人の巨漢が宥めると少しばかり矛先を鈍らせる。
しかしヤトの一言で空気が一変した。
「ええ、そうしてください。三人同時にかかってこないと多分まともな戦いにならないですから」
「てめぇ!!」
涼し気な、同時に―――結果的にだが―――三人を侮蔑するヤトの言葉に青年はいきり立って、他の二人の制止も聞かずに突撃する。
青年は城で上がる火の手にうっすらと照らされる程度の闇夜を疾走して斬りかかるが、ヤトがカウンター狙いで突きを放つ。
避けられるタイミングではないが、それでも彼はこめかみに裂傷を負いつつ紙一重で回避した。ただしヤトの剣はそれだけに留まらなかった。
翠刀の切っ先を避けた青年の同軸線上にいた巨漢の左肩が抉れ、三人の魔導騎士は驚愕に目を見開いた。
「颯≪はやて≫二の型・長風」
ヤトは青年が避けても後ろに突っ立っていた二人が喰らうように突きの気功刃を伴っていた。男が死ななかったのは運かどうかは分からないが、生きているならそれはそれで構わない。
「数的優位を生かすと言って戦場で棒立ちとは、舐めているのは貴方自身では?」
心底つまらない物を見るような冷淡な瞳を向けられた巨漢の騎士は抉れた肩の痛みを忘れて、無言で右手にメイス型のフォトンエッジから炎を出す。兎人の女騎士も長巻型の反りのある炎刃を形成して油断なく構えた。