東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第29話 勝者の権利

 

 

 ヘファイスティオンが槍を担いで渾身の力で振り下ろしてヤトに叩きつけた。鬼の一撃を剣で受け止めた瞬間、全身の骨格が軋みを上げて石畳が爆ぜた。同時に己の全力を完全に受け切った鬼の目に驚愕の色が宿る。

 その隙を見逃さず、ヤトは前に踏み込み槍を持つ指を狙って突きを放つ。しかし鬼は咄嗟に槍から手を放して、左手だけで槍を払って弾き飛ばす。

 片手で力が籠っていない薙ぎは常人なら骨折ものだが、ヤトには間合いを離す以外に効果は無い。

 両者の距離はおよそ5~6メートルは離れた。剣にはかなり遠いが槍にとって、それもオーガの血を引く2メートル半を超えるヘファイスティオンにとっては絶好の間合い。

 彼は息をつかせぬ連続突きでヤトを串刺しにしようとする。速く速く、ただ速く。炎刃が放たれるたびに陽炎が生まれ、二人と合わさり周囲がぼやける。

 三叉の炎刃を躱し、弾き、逸らして一度たりとも掠らせない。しかしその場から動けず剣の間合いに入れない。ならばと槍を叩き切るつもりで気功を纏わせた剣で斬っても、傷は入るが切断には至らない。

 既に百を数える突きでも戦いは膠着したままだが、殺し合いをしている二人の顔には笑みが張り付いている。部屋の隅で見守っていたタナトスは狂人共を見て、室温が上がっているのに冷や汗が止まらない。

 このままヘファイスティオンの攻勢が続くと思われたが、瞬きからの隙に一気に間合いを詰めたヤトの剣が鬼の腕を掠めて赤い肌と異なる血が噴いた。

 さらなる追撃に胴を薙ぐが、それは不可視の力によって身体ごと遠ざけられた。理力によるものだろう。

 ヘファイスティオンは斬られた腕を見て、城外にまで響き渡るような哄笑を上げる。傍から見れば隙だらけだったが、不思議とヤトは攻撃の手を止めて声は出さなかったがニヤリと口端を吊り上げる。

 

「ガハハ…強い強いなあ!!俺の部下が束になってもお前には敵わんわ!!それに俺の全力を真っ向から受けて左腕が痺れるだけで済む奴は初めてよ」

 

「おや、ばれてましたか。意外と観察眼がありますね」

 

「ふん、分かってて仕留められなかったのは俺がまだ至らぬ証拠だ」

 

 鬼は途端に笑いを止めて不敵に笑うヤトを睨む。竜の血を得たヤトでも卓越した技を修めた鬼の全力は流石に堪える。それでも片手が動かない好機に傷の一つも与えられず、逆に一撃貰ってしまったのだから、不機嫌になるのはやむをえまい。

 そして感情に応える様に腕の筋肉が膨張して傷が塞がる。否―――全身の筋肉が膨張して上着が耐えられずに弾け飛ぶ。その上、鬼の全身から湯気の様な水蒸気が立ち込めて、部屋はさらなる熱気に晒された。ヤトは油断はしなかったが、心の隅では呑気に汗臭そうとだと思った。

 

「小手調べはそろそろ止めて、本気を出していこうか!!」

 

 部屋のガラスが勝手に割れて石組みの暖炉が崩れた。次いで実体を持つ凄まじい破壊力を伴った槍が水平に叩きつけられた。ヤトは翠刀の刃を立てて防いだが、破城槌の如き一撃を軽い身が捌き切れずに吹っ飛ばされる。

 受け身を取って十回は床を転がり、威力を利用してすぐさま立ち上がれば、目の前には筋肉を岩のように隆起させた豪鬼が再び槍を薙いだ。

 まともに受ければ胴から上が消し飛ぶ一撃も、ヤトは腹這いになって紙一重で躱し、その態勢のまま蛇のように地を這って鬼に肉薄。両足を斬るように見せかけて、鬼の股を潜り抜けて背後を取って腰を斬り付けたが、後ろ蹴りに邪魔されて足を斬るだけにとどまった。足もヤトが体勢を崩していたので軽く肉を斬っただけだ。

 共に体勢を崩してはいたが、先にヤトが体勢を整えて巨体のヘファイスティオンの背中に翠刀を深々と突き立てる。

 

「あっまずい――――」

 

 普通ならこれで勝負ありだったが、むしろヤトは自分が下手を打ったと直感して、翠刀から手を放してでも逃げようとしたが些か遅かったようだ。突如として鬼の背が盛り上がり、鋼のような肉体から太く白い杭が飛び出てヤトの脇腹を抉った。

 勘を頼りに一瞬速く離れたので串刺しは避けられたが、腹の肉がごっそり削り取られて内臓が見えていた。

 ヤトは激痛で脂汗が噴き出す。それでもどうにか調息で気を操って止血だけは済ませて、鬼灯の短剣を伸ばして備える。

 ヘファイスティオンは追撃せず翠刀を引き抜いて筋肉の収縮で傷口を塞いだ。刀は壊れた窓に向かって投げ捨てた。飛び出た鋭い骨はまた背中に引っ込む。

 

「……便利な身体をしてますが、骨が肉を突き破って痛くないんですか」

 

「痛いぞ。だからあまり使わんし、そもそも使う程の相手に恵まれん」

 

 口の割にヘファイスティオンは喜びを露わにする。

 その理由はヤトにも分かる。彼ほどの突出した身体能力と確かな技量があれば、先程の様な異能を用いずとも真っ向から相手を叩き伏せて終わりだ。この様子では同じセンチュリオンでも互する魔導騎士は居なかったと見える。

 骨を操る異能――――先程の杭は位置からして肩甲骨辺りを変形させて体外に露出したのだろう。オーガとは過去に一度戦闘経験があるが、その時はお目にかかれなかった。個体差があるのか混血の場合は違うのかは分からないが、ともかく全身の骨を変形させて武器に出来るなら使い勝手は良い。使用に痛みがあっても必要なら躊躇わずに使うのは腹を見れば一目瞭然。強さは言うに及ばず、その精神性が何よりも良い。

 

「いいですねえ、今日は本当に気分が良い。久しぶりに本気が出せます」

 

 ヤトは腹の痛みを忘れて歓喜に身を委ねる。同時に爆発的に膨れ上がった殺気は無数の剣となってヘファイスティオンに突き刺さり、鬼の口元から笑みが消える。離れている味方のはずのタナトスにも余波が伝わり、こみ上げる吐き気をどうにか抑えていた。

 

 ――――――――閃――――――――

 

 音を置き去りにした剣閃がヘファイスティオンの右太ももを切り裂き血の噴水が生まれる。さらに左太ももの後ろからも血が噴き出て鬼が膝を着いた。

 首が下がった所にいつの間にか姿を現したヤトが死神の鎌となった剣を首に突き立てるも、寸前に右肩から飛び出た骨が首を守り剣を防ぐ。

 反撃の炎刃が空気を揺らめかせて迫るが、既に後ろに回り込みながら左腕を浅く流し斬った。切断するつもりで斬ったが硬い物で阻まれた感触だ。おそらく腕の骨を肥大化させて耐久性を上げたのだろう。

 背中を取ったが今度は背中からハリネズミのように無数の骨が飛び出てヤトを穴だらけにしようとする。しかも数本は伸びるだけに飽き足らず、矢の如く射出して襲い掛かった。

 短剣を広げて盾にしても突き破られると察して回避に専念。それでも当たりそうな骨は剣で切り払って全て避け切った。

 このわずかな時間でヘファイスティオンは傷を塞ぎ体勢を立て直して再び槍の間合いを作り、目にも留まらぬ突きの乱舞で火傷を伴う裂傷を幾つもヤトに与えた。

 槍の戻しの隙を突いて正面から斬りかかるが、体中から脈絡無く飛び出す鋭い骨によって容易に近づかせてもらえない。骨は切り払えば痛みはあるようだが、それで止まってくれるほど赤鬼は軟弱ではなかった。

 ならばと横に回り込んでも視線すら向けずに、どこからでも刺し貫く杭を生やしてみせて、切り落とす間に槍の壁が加わった。

 相手の隙と死角を見つけて攻めるのを基本とするヤトにとっては少しやり辛い相手だ。槍と無数の杭を繰り出すヘファイスティオンを攻守に長けた堅牢な城のように思った。

 

(城攻めの基本は壁を拠り所とする兵の士気を砕く事にある)

 

 そのためには堅固な城壁が無意味なものと目に見えて教える、内通者を用意して士気を下げる、食糧か水瓶の底を打たす、など幾つかの策がいる。

 一つ目は骨の堅牢さと隙の無さで難しい、二つ目は論外、三つめは腹が減ってくれるまで粘るか……そこまで悠長な性格には見えない。

 ヤトはふとヘファイスティオンの足元に転がった数本の骨に気付く。あれは自分が斬った骨だ。常人なら骨を何本も切断されれば激痛で発狂必至だというのに平然と戦えるのだからオーガの血の恩恵は大きい。

 ここで一つの考えが浮かぶが、すぐに無理と切り捨てる。そこまであの赤鬼は馬鹿ではあるまい。………いや、先程の言動ならそうとも言えない。少し試してみる価値はある。

 槍の間合いの一歩手前まで踏み込み、剣を床の隙間に差し込んで石畳を跳ね上げる。石畳はヘファイスティオンの顔面目掛けて矢の如き速さで飛来。並の相手ならぶつかれば頭が潰れる。

 

「ふん!こんなもの!!」

 

 しかし今の相手はオーガ。逆に頭突き一つで同じぐらいの石塊を砕いてしまった。それがヤトの誘いと分かっていても受けずにはいられないのが愚直なオーガの血だ。

 その隙に背後を取り、心臓に狙いを定めた刺突を放つ。無論、鬼がそのまま心臓をくれてやるはずもなく、振り向く事すらせずに背中からハリネズミの如き無数の杭を生やして迎撃する。

 ヤトはその杭を気功剣『風舌』≪おおかぜ≫によって半数以上切り落とした上で、一度距離を取り再度心臓狙いの刺突を放った。当然、ヘファイスティオンも同様の手段で対処する。

 部屋の床には切り落とされた無数の骨が撒き散らされて、墓場か屠殺場のような異様な空間が形成されつつあった。

 この攻防がさらに五度繰り返された時、唐突にヘファイスティオンの身体が揺らいだ。頭がふらつき、膝に力が入らず、槍を持つ手は震えが止まらない。

 それでも迎撃のために痛みを無視して八度目の骨杭を展開した所で槍が手を離れて骨の山に沈む。

 ヘファイスティオンは己がなぜ得物を取り落としたのか理解出来ず、呆然としたまま膝を折るも闘志は折れていない。

 側面に回り込んだヤトへ無数に杭を生やした腕を乱暴にぶつけたが剣で受けられて、逆に骨が砕けてしまった。

 明らかな不調と骨が脆弱になったのに当惑しても鬼は戦いを止めず、どうにかその場で動く両腕で骨を砕きながら対応していた。

 二度、三度、四度と砕くうちにとうとう骨も出なくなって、だらりと力の抜けた腕が下がり、無防備となった鬼の胸にヤトの剣が無慈悲に振り下ろされた。

 袈裟切りの傷から鮮血が雨のように降り、巨木が切り倒されるように轟音を立てて伏した。

 ヤトは骨の山から槍を拾って翠刀と同様に窓から捨てた。さらに剣を鬼の首に添える。勝敗は誰の目にも明らかだった。

 

「なぜこうなったか分かります?」

 

「………わからん。俺が分からないのにお前は分かるのか?」

 

 竜の咆哮のような大音声は見る影も無く、今は病人のように弱弱しくなった声で尋ねる。

 

「骨の再生成で必要な栄養が急速に失われて身体が変調をきたしたというだけです」

 

「なに……?そんなことで?」

 

 信じられないと目を見開く。単なる栄養失調で生涯初めての敗北を喫するなど到底信じられるものではない。しかし、今こうして立ち上がる事すら出来ない有様は言い訳のしようも無く現実だった。

 

「己の限界を見極める機会を得られなかったのが貴方の敗因です。あるいは槍と理力のみで戦った方がもっと良い勝負になってたでしょう」

 

 ヤトは久しぶりの死闘を味わえて充実していたが、多少の不満を感じていた。ヘファイスティオンが異能の特性を十分理解して戦っていたら、もっと手強く余裕の無い戦いになっていただろう。最終的に自分の勝ちは揺るがなかったが、相手が力を完全に出し切れなかったのは純粋に惜しいと思った。

 それでも勝ちは勝ちだ。勝者は敗者の首を斬る権利がある。

 

「―――――俺は馬鹿だ」

 

「惜しい事です」

 

 辞世の句としては冴えないが、それ以上言う事は無い鬼は口を閉じて首を取られるのを静かに待った。

 しかしそこに待ったをかける者がいた。さっきまで部屋の隅に退避していたタナトスが斬首を止めた。

 

「この人を城の目立つところで処刑するつもりですか?」

 

「いや、そんなことはしない。≪赤鬼≫ヘファイスティオン、このまま死を望むか?」

 

「おかしなことを聞く。敗者は首を落とされるだけだ。他に何がある?」

 

「お前は負けた。だが、まだ命は尽きていない。ならば鍛え直してヤトと再び戦う気は無いか?」

 

 ヘファイスティオンは当惑しつつも力を振り絞って顔を上げてタナトスを見上げる。負けた経験も初めてだが、つい先ほどまで殺そうとした男に見下ろされる経験もまた初めてだった。

 

「ヤトはどうだ?お前もこの男を是が非でも殺したいとは思ってはいないだろう。さらに強くなったこいつと心行くまで戦いたいと思わないのか?」

 

 ヤトはこの先の展開が何となく読めた。というか自分がオットーという前例を作ったのだから言うに及ばず。他のセンチュリオンがどれだけ城で暴れ回って兵を殺したかは定かではないが、ヘファイスティオン一人を味方に引き入れればそっくり損害は補填出来る。兵の感情さえ無視できれば有効な手段だろう。

 本音を言えばヤトもタナトスの提案には賛成したい。この鬼は経験に恵まれなかっただけの不運な戦士だ。今日の負けを糧にすぐさま強くなってくれる。その時改めて全力で戦っても遅くは無い。

 

「―――確かに今日の戦いは良い戦いでしたが、不満があるのは事実です」

 

「勝者がこう言っているのだから、しばらく首はそのままだ」

 

 代わりに飯の対価ぐらいは働いてもらう。そうタナトスは言い残して城の混乱を収拾するために部屋を出て行った。

 ロスタはまだ上手く動けなかったので鬼の手当ては戦ったヤトが一人でする羽目になった。

 

 

 翌朝になって城の被害状況が知れた。十五名のセンチュリオンの襲撃により兵の死者が百名超、負傷者も同程度。対してセンチュリオンは一人取り逃がしたものの、副団長ヘファイスティオン以外の十三名が討ち取られた。乗って来た騎獣は二頭のドラゴンが生き残り、今後は≪タルタス自由同盟≫が使用することになる。

 当然というかヘファイスティオンの処遇には誰もが反対して即刻処刑するよう意見が出たが、タナトスの一言でそれも霧散した。

 

「ならば不満のある者が自ら≪赤鬼≫の首を刎ねろ。言っておくが重傷で無手でも恐ろしく強いぞ」

 

 こうなっては誰も処刑などと言えず、唯一勝てるヤトとクシナ夫妻は無関心を決め込んだために、ヘファイスティオンは城に居座る事になった。

 

 


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