クレタ盆地の戦いは劣勢にあったシノン軍の勝利で終わった。五千の敵兵の内、討ち取ったのは千五百程度。残りは壊走して散り散りになっている。
対してシノン軍の被害は三百程度で済んだ。五対三で包囲されていたにしては驚くほど被害が少ない。大勝利と言って良かった。
シノンは褒美として敵の死体からの略奪を許可した。兵士達は価値のありそうな物を根こそぎ奪い取って主君を褒め称え、夜には勝利の美酒を浴びるほどに楽しんだ。
―――――夜半。未だ騒いでいる兵士達の宴会場から離れた本陣にてヤトとヘファイスティオンはシノンの前に立たされていた。天幕には数名の魔導騎士とシノンの側近がいる程度だ。
「勝利の後の夜というのは心地良い。しかし私は総大将として責務を果たさねばならん。両名はなぜ呼ばれたのか分かっているか?」
シノンの言葉と向ける眼光に二人は少し気まずい想いをしていた。戦での命のやり取りに比べれば屁でもない重圧でも、何となく自分達が悪い事をしたと思うので居心地が悪かった。
それでも黙っているわけにはいかないので最初にヤトが、次にヘファイスティオンが答えた。
「二人の王子を会談中に殺した事です」
「総大将の号令を差し置いて勝手に戦端を開いたのは悪かったと思ってるぞ」
「分かっているなら話は早い。断っておくが私もあそこで膝を折って戦いを避ける選択が絶対に無い以上は、あれが最適解とも分かっていた」
実際下手を打ってディオメスの策略に嵌って軍を危機的状況に追い込んだのはシノン自身だ。それを無理矢理にでも盤面をひっくり返して勝利に導いた戦鬼二人には幾らかの感謝と敬意は抱いてた。それは身の内に秘めたまま、勝手に戦を始めた事を許す気は無い。
叱責は続くが最初の蛮行以降に責める言葉が無くなり、段々と戦の中で幻獣部隊を殺し尽くし、魔導騎士を多数討ち取り、敵本陣を壊滅させた一騎当千の活躍を褒め始めた所で本筋から外れたのに気付いて、わざとらしく咳払いして叱責を切り上げる。
「ともかくお前達は最初の失態を戦場の功で取り返した。よって咎めは無しだが褒美も無い。不服か?」
「いえ、全く」
「俺もどうでもいいな」
シノンは戦以外役に立たないし興味もない鬼共の動かし方を理解した。そして用は済んだので二人を追い払うように下がらせた。
鬼が居なくなった天幕で、シノンは側近にタナトスの所に酒と菓子を届ける様に命じた。
「よろしいのですか?」
「あの二人個人にではない。それに表向き功罪相殺とはいえ、あまり厳しくするとこちらが心苦しい」
先走りの結果とはいえ戦を勝利に導いた戦士を無体に扱うのは心情的に好ましくない。同時に好き勝手しても功さえあれば褒美は思いのままと良からぬ前例を作るのも困る。そういう意味ではあのような功名心に乏しい輩が実例を示してくれたのは幸いだった。これで功を焦り軍紀を軽視する者は減るだろう。先程手配した酒の菓子はその礼だ。
これで一つ小さな問題は片付いた。あとは大きな問題が、それも早急に方針を決めねばならない問題が一つ残っていた。
「勝ったのは喜ばしいが、これからどうすべきか」
まさか同盟者のディオメス兄に謀られていたのは予想外だった。本来ならイドネス兄との戦に勝って、動くのは冬を越してからと思っていたが、前提が狂ったのだから早急に戦略に修正を加えねば敵地で全滅しかねない。
シノンの頭の中に幾つかの方針が浮かぶ。まずここから領地に帰って冬を越すか、今から動くかだ。帰るだけなら敵は壊走して組織的な動きは無いので簡単だ。ただ、兄二人を亡き者にしてしまった時点で政局がどう転ぶか分からない中で、自領に引き籠って安穏と過ごすのは自殺行為と己の王族としての勘が危機を告げている。ここは能動的に動く時だ。
となればこの戦で多くの将兵を失い、混乱しているイドネス兄の領地を落とすだけ落として自領に併合して実効支配してしまうべきか。いや、手堅く実が取れて家臣達が喜ぶ案だが大局的には利が薄い。
それにここまでやってしまったら、部下への襲撃の報復の域を超えてしまい、宰相のプロテシラ長兄から反逆者として討伐されかねない。先に王都へ赴き、義のための戦だったと申し開きぐらいはしておいたほうがいい。
ただ、軍を王都に近づける名分ぐらいは用意しておかねば要らぬ警戒を招く。シノンは何か無いか思考を巡らせて、一つ思い至る。
「死体……兄達の死体はどうしたか?」
「身を清めてから明日にでも埋める予定です」
「死体はここに埋めるより、王都の兄か父に引き渡して正式に葬儀を執り行った方が私の徳が高まると思わぬか?」
側近は即答しかねた。例え遺体を丁重に扱った所で殺した事実は覆せない。戦場での命の奪い合いに怨恨を残すのは将の恥だが、血を分けた血族の遺体を見て王や宰相が何を思うかは判断しかねる。ただ、正論として亡骸を丁重に扱った者を罵倒する謂れは無いと思いたい。
「私如きでは王族の御心は推し量れませぬが、敵であっても弟として兄に礼を尽くした確かな証拠としてお渡しするのがよろしいかと」
「やらないよりはマシ程度か。分かった、では我々は明日王都を目指す」
シノンは側近に指示して休むと伝えた。
この選択が吉と出るか凶と出るか答えが出ず、シノンは中々寝付けなかった。
翌日、軍は総大将の命令通り手早く準備を整えて、クレタ盆地から離れて王都に進軍した。軍の遅い脚でもイドネスの領地に隣接した王都には五日もあれば辿り着けるだろう。今は晩秋なので運ぶ死体が腐る心配は少ない。
シノン軍の道は無人の荒野を行くが如く遮る物が何も無い。途中物見が周辺の村で煙が上がっているのが見えたので探りを入れると、昨日の敗残兵が略奪行為に明け暮れているのを目撃しただけで、行軍の邪魔になる事態は無かった。統率を欠いた武装集団など野盗とさして変わらない。
王領に入るまでの数日間はこうした狼藉行為が何度も見られたものの、流石に王のお膝元となると治安も良く、そうした行為はぱったりと途絶えた。代わりに巡回兵に度々出くわして緊張した空気になる事もあり、その都度王子の帰郷(二人分の死体も込み)と言う形で無理矢理にでも押し通した。
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どうにか順調に荒事抜きで王都まで辿り着いたシノンは軍を街に入れずに外に待機させて、少数の供と兄二人の死体を運ばせて城に赴いた。
王都タルタロスはさすが一国の王都と言える偉容を誇った都市だ。城壁、道路、建物全てが石造りの堅牢な造りで、都市そのものが外より高い台地に造られているので山城並に防御特化した都市と言える。
正門の番兵達がシノン軍を神経質そうに監視している。曲がりなりにも王子の手勢なので押し攻めるような事は無いと思いたいだろうが、兵には街へ入る許可は下りていない。初冬の寒空の下で待たされているストレスから何かやらかさないか疑って、常に見張っていないと安心できないのだ。
実際、軍の兵の中には外に締め出されて不満に思う者もそれなりに居る。せっかく戦の後に死者から戦利品を略奪して臨時収入を得たのに、使えなければ宝の持ち腐れだ。どうにか物品の豊富な王都で買い物をして、大手を振って家に帰りたいと思っても咎められるものではない。
一方≪タルタス自由同盟≫の兵は外に留め置かれても全く気にしない。元々亜人の多い彼等は差別を受けるのが当たり前なので街に入りたいとさえ思わない。まだ軍の野営地で、他の貴族の兵に憎まれ口を叩かれながらも対等に扱われた方がマシだった。
シノン軍の兵はタルタス国民の例に漏れずに亜人を差別するが、クレタ盆地で勇猛果敢に戦った亜人兵の姿を見ていたので、口では悪しき様に語るが内心ではその強さに恐れと共に頼もしさも感じていた。だから亜人兵を見る目はどことなく柔らかく、少しばかり気安さも感じられた。
当然ヤト達は貴族でも何でもないので留守番組だった。ヘファイスティオンはまだセンチュリオンの副団長なのでシノンと別口で辞表を出してくると言って城に行った。意外とけじめを分かっている男である。
王都近郊での最初の食事をヤト達が食べていると、タナトスが顔を出した。彼も留守番組だ。一応貴族に任ぜられているので望めば城は無理でも街ぐらい入れるが、彼は街と城には何の関心も抱いていない。
彼もヤト達の横で干し肉とチーズを挟んだパンを齧る。そんなタナトスの腰に差したフォトンエッジをヤトはじっと眺める。
「前から気になってましたが、ここの王族や貴族はなぜ誰でも魔法に類する力を持っているのでしょうか。その力の性質は魔人族が有するのに近いのも疑問です」
「エルフみたいに精霊に頼んでるようにも見えないし、何かこの国は変だよね」
「―――――今までお前達は殆どタダ同然で命懸けで戦ってくれた。せめてその理由ぐらいは教えよう」
タナトスはパンの残りを一気に口に押し込んで嚥下する。食いながらするような話ではない。
「実は貴族でも代を重ねれば魔法の力は衰える。孫の代なら何とか実用的な力は残るが、それ以降は有って無きが如し。貴族同士で交配すればある程度は魔導の力を保てるが、いずれは先細りだ」
「でもこの国は何百年も前からあって、今も魔法至上主義が偉そうにしてるよ。エルフでもないのに幾らなんでも寿命が長すぎる」
「補充してるのさ、魔導の力を持った貴族、あるいは王族を新しくな」
タナトスの侮蔑を含んだ言葉にヤトとカイルは理解が追い付かない。彼の言い方は子を作るという意味ではあるまい。二人にはあのような力を自由に増やせるカラクリが思いつかなかった。
「それは≪誓いの間の儀式≫って奴だろ?」
タナトスが答えを口にしようとした時、後ろから割り込む声が聞こえた。
声の主はヘファイスティオンだった。彼は小さ目の酒樽を呷り、牙の間から酒臭い息を吐いた。
「後ろから割り込まんで欲しいんだがな……まあその通りだ。王城の一角に≪誓いの間≫という特別な部屋がある。そこで貴族が忠誠を捧げる代わりに王から魔導の力を与えられるのさ」
「俺は受けてないがな。だから魔導の力は並の貴族より下だ。まっ、そんなもの無くても俺は強いから構いやしない!ガハハハ!!!」
ヘファイスティオンの豪快な意見は置いておき、原理はともかくヤトとカイルはなぜ魔法至上主義のような他国ではありえない身分制度が保たれているのか理解した。
代を重ねれば消えてしまう魔導の力も、王に膝を着いて媚びれば手に入る。王に背けばその時は何とかなっても、いずれ家は力を失い衰える。忠誠は王の権威と権力を保証し、貴族は確かな力を得て領地と民を支配する。どちらにも利のある理想的な主従関係は長く制度を保つ秘訣だが、間接的に支配される魔導の力を持たない多くの民にとっては甚だ居心地の悪い制度だろう。
「それって一年に何回とかの人数制限があったりするのかな?」
「さあな、それは王かあるいは次期国王しか知らないんじゃないのか。今の王は昔は結構儀式もしてたと聞いたが、最近は歳のせいかあんまりやらんと聞くぞ」
「………詳しく知りたいのなら実物を見た方が早い。もしくはもっと深淵を覗く気はあるか?」
タナトスは急に声のトーンを落として側にいる面子に告げる。覆面で隠れていない瞳には爛々と燃える情念の炎が宿っていた。彼が何に心を燃やしているのか誰も分からなかったが、その瞳に引き込まれるモノを感じ取ったヤト達は否と言わず、ただ頷いた。
城ではシノン王子が宰相の兄と丁々発止の言い争いの後、どうにか己に非の無い事を認めさせて兄二人の死体を引き取らせた。
宰相のプロテシラは各地の騒乱に対処しつつすぐに葬儀の準備を始めねばならず、連日徹夜で働かねばならなかった。