東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第35話 魔窟

 

 

 階段を下りる六人と縛られたジュピテル王。先頭にはランタンを持つロスタとタナトス、最後尾ではヤトとヘファイスティオンが警戒している。さらに後ろには無数の魔導騎士が続く。

 カイルは自分達が踏み付ける階段の感触や全く凹凸の無い壁の肌触りに寒気を感じていた。この地下へと続く空間の材質はただの石でしかないが、階段は全ての段が均一に加工されて真っ平、壁や天井に一切の繋ぎ目が無い。昨年フロディス王国で見つけた、一つの山を穿って築いた古代ドワーフの地下都市に匹敵する技巧が詰まっていた。

 階段はかなり長い。もう三百段は降りているがまだ先に続いている。戦力的には何ら心配はしていないものの、先の見えない深淵へと続く道と後ろから追いかける存在は精神に悪い。

 タナトスの言う通り本当に地獄の底に続くかのように思えた階段も、およそ五百段を数える辺りでようやく平な地面を踏めた。

 問題はその地面もまた異質だったことで、六人は少なからず驚いた。

 

「なにこれ氷…いや、ガラスでもない。水晶なのかな」

 

 カイルの呟きは他の面々の感想を代弁していた。

 階段を下りた先の空間は天井が見えないほど広大な洞窟で、眼前に広がるランタンに照らされた地面は一面ガラスのように透き通っていた。それも驚きだったが、さらに驚くべき光景がヤト達の目に留まる。

 

「人ですか………いや、あれは竜?」

 

 ヤトの目には水晶の中に閉じ込められた人らしき物体が何十と、さらにその下には巨大な角と赤黒い鱗を持った竜が二頭いた。その全てが苦悶と怒りに満ちた顔のまま、永遠に時が止まったように閉じ込められる様相は、さながら伝承に伝わる氷地獄そのものだった。

 

「タナトスさん、これは一体?」

 

「俺も師から口伝で知っただけだが、これは―――――」

 

「魔人族………この下にいるのは魔人族です。何故か分かりませんが、私には分かります」

 

 タナトスの言葉を遮るようにロスタが痛みを伴うように呟いた。以前ミニマム族のフロイドと会った時にも彼女は魔人族の話に反応して戸惑いを見せていたが今はそれ以上だ。ゴーレム特有の無機質な普段の顔立ちとかけ離れた困惑の顔が酷く痛々しい。やはり彼女と魔人族には何かしらの因果関係があると見て間違い無い。

 

「ああ、その通りだ。こいつらは全部お伽噺に出てくる魔人族と言われている。元々―――――――」

 

 ロスタに話を中断されてもタナトスは不快に思わず先に話を進めようとしたが、上からドタドタ降りて来る王子と騎士達には舌打ちをして再度話を中断した。

 後から降りて来た一団も眼下に広がる異様な光景に思わず言葉を失った。しかし騎士達はすぐにフォトンエッジを構えて、いつでもヤト達を斬れるように身構える。それを止めたのはシノン王子だ。

 

「タナトス、ここはなんだ?お前は色々と詳しいようだが、なぜ王族の私達でさえ知らない事を知っている」

 

「ここまで入り込めたのはアンタのおかげだ。知ってる事ぐらいなら話してやるよ」

 

 シノンの問いにタナトスは本心はどうか分からないが気安く答えた。当然だが王の身柄は手放さない。そして吟遊詩人の如く太古の出来事を語り始めた。

 

「かつてタルタスが出来る遥か昔、この地で人間やエルフの連合軍と魔人族との神話の戦いがあった。ここは主戦場とは離れた小さな戦場だったが、それでも戦の余波で山が台地になるほどの凄惨な戦だった。足元の水晶の下に眠るこいつらはその時の戦いに参加した魔人族だ。こいつらは生きたまま三千年もの間封じられているんだよ」

 

「さ、三千年だと!?」

 

「そうだ。そして水晶の中に封じた上に、当時の人々はもう一つの封印を施した。あの奥にある台座の魔導書がその重石だ」

 

 タナトスの視線を全員が追った先に確かに台座には一冊の書物が置かれている。

 

「当然、何かの拍子で封印が解かれてしまわないように厳重に出入り口を閉じて監視せねばならない。それがタルタス王家の始まりだったが、子孫も忘れてしまったんじゃあご先祖も浮かばれないね」

 

 自由を奪った王や王子二人を見渡して首を振った。普通なら不敬罪に問われて首を刎ねられるような行為だったが、誰もタナトスを黙らせる事すら出来なかった。何よりなぜこの身元不詳の男がそんな重要な情報を知っているのか、聞き届けねばならないと思ってしまう。

 

「なんで俺が知ってるかって顔だな。本来、この話は代々新しい王が就く時に賢者から教えられるはずだったんだ。けどその賢者は放蕩三昧の王子に嫌われて、王位を継ぐ直前に主だった資料を抱えて田舎に隠居しちまったのさ。それで話が途絶えてしまったんだ」

 

「あっ……まさかオデュッセウス?」

 

 プロテシラが直感的にある人物の名を零した。タナトスはその名に頷いて肯定する。王は自分を粗雑に扱う不遜な覆面男を過去から蘇った亡霊のように恐れた。

 

「王家に代々仕えた賢者の家の最後の一人オデュッセウスは俺の育ての親だ」

 

「ふん、オデュッセウスだろうが誰だろうが、つまるところ城を追われた怨みを晴らそうと企てたという事か?」

 

「その程度のチンケな怨みで国を傾けるかよ。師の怨みは他にもあるが、怨みそのものは俺の方がずっとつよいんだぜシノン。見せてやるよ、俺の……いや、この畜生が何をしたのかをな」

 

 タナトスは捕まえたジュピテル王の猿轡を外して地面に仰向けに放り出してから、逃がさないように腹に足を乗せた上でフォトンエッジの炎刃を眼前に突き付けた。そして王や王子達からよく見えるように覆面を外した。

 露になったのはそれなりに端整な面構えの二十代の若者。巷で噂されている醜面や火傷などとは無縁の面だった。

 ヤト達にはその程度の印象だったが他の、特に王や王子達は目を見開いて驚きを隠せなかった。王を人質に取った謎の覆面男の素顔は自分達王族によく似た風貌だった。

 シノンはどこか納得したようにつぶやく。

 

「お前は腹違いの兄弟だったのか」

 

「半分はその通り。俺の父は情けなく這いつくばってる、そこの畜生だ」

 

「兄弟と言うのは分かった。だが半分と言うのはどういう意味だ?」

 

「そのままの意味さプロテシラ兄。俺はこの畜生の息子であり孫でもある。………俺の母はミルラ王女だ」

 

 地下は静まり返った。その後、多くの者は唸り、ジュピテル王は突き付けられた炎刃よりも己の過去を暴き立てられる事に恐怖した。

 

「もう二十六~七年前の事だ。この畜生はまだ十三歳の実の娘を犯して俺を身籠らせた。何度も父に犯されて日々大きくなる胎を抱えた娘の苦悩は大きかった。そしてミルラ王女は一つの決断を下した。生まれた父との子を人知れず葬り、全てを悪夢として忘れる事を」

 

「ち、ちがう……余はそんな……し、しらない………」

 

「空々しいぞ犬畜生。どれだけ否定しようが余人に知られないわけがあるか」

 

 タナトスは力無く否定する王に怒りをぶつける様に、炎刃で彼の右手首を焼き切った。反射的に魔導騎士の一人が王を助けようとフォトンエッジを投擲したが、タナトスのフォトンエッジの柄の反対からもう一つの短い刃が生まれて切り払われた。

 

「冠を被っただけの狗を護るために腕を磨くのは虚しくないのかねえ。おっと、話を続けようか。元より王女が一人で子供を産むなんてできる筈が無い。ミルラは密かに王都から離れた領地に移され、ごく少数の使用人がお産に立ち会い俺を産み落とした。そして赤子はへその緒が付いたまま、その日の内に森の奥深くに掘った穴に埋められた。最後に出産に立ち会った使用人と護衛の兵士を皆殺しにして、全てが無かった事になった」

 

「という事にはならなかった。誰かがお前を助けた」

 

「その通りだシノン兄者、いや叔父か?俺を助けたのはオデュッセウス師の娘でミルラの使用人だったアタランテ。彼女が俺を埋めた穴にこっそり空気を取り入れる管を差し込んでおいてくれたんだ。そして何か月も前に真相を記した手紙を父親に出して、機を見て赤子を回収させた」

 

 背徳の子タナトスは一度言葉を止めて天を仰いだ。そこに何を見たのかは本人にしか分からないが、己を生かした親子の幻影を見ていたのかもしれない。

 思うにタナトスを助けたアタランテは己の終焉を予見していたのだろう。口封じに殺される未来は避けようがない。だから父親に真実を伝えた後、救った赤子に自らの復讐を遂げてもらおうとした。

 ある意味、タナトスは今までずっとオデュッセウス親子の傀儡として他人に言われるまま復讐に生きていた。それ以前は望まれぬ子として生を受け、ただ死だけを望まれた。彼は誰よりも不運で孤独だった。

 

「………話が逸れちまったな。あーなんだったか、王家の始まりの話だったな。封印された魔人の管理人から始まったタルタス王家も代を重ねるごとに、それで満足しない奴が出てきた。そいつらは監視対象の魔人に利用価値を求めて、ある方法を編み出して己が権力の源泉とした。ここまで言えば分かるだろう?」

 

「それが≪誓いの間≫で貰う魔導の力、俺達魔導騎士の力の源ってわけかよ。やれやれ変な気分だぜ」

 

 ヘファイスティオンが軽口を叩いて肩をすくめる。他の騎士達は事の真相を知って狼狽える者の方が多かった。健全な反応はおそらく後者だろう。誰だってよく分からない生き物の一部を自分の体の中に入れるのは拒否感がある。ましてそれが親から引き継がれ、子にも引き継ぐとなれば穏やかにはしていられない。

 本来魔法とは神から不特定の者が授かる奇跡のような力。それを疑似的にでも誰もが扱える技術を生み出した事は確かに偉業だろう。独占して己の権力保持に利用したのも褒められた事ではないが、為政者としては正しい面もある。

 ただし魔法至上主義による身分制度まで作り出して多くの民や亜人を虐げるのは不要だ。だからこそ≪タルタス自由同盟≫なる反政府集団の跳梁を許した。

 この国は封印したモノを都合のいいように利用した時から誤った方向に進んでいたのかもしれない。

 

「さて、俺が知ってる事は大体喋り終えた。後一つ、いや二つやる事やっておしまいだ」

 

 タナトスはそう言って王冠を自らの頭に乗せ、暴れる父にして祖父のジュピテル王を無理矢理に引っ張り、奥の書の置かれた台座を目指す。兄だった二人の王子と騎士達は彼を止められなかった。生まれを望まれず、ただ死を望まれた男に憐れみと同情を感じていた。タナトスという死の神の名を自ら名乗ったのも、己の境遇を一番疎んじていたのは他ならぬ彼だったのだ。

 ゆっくりとした足取りの後、息子が父を台座に叩きつける様に投げ捨てた。したたかに頭を打った王は己が犯した罪の象徴に媚びるような瞳を向けた。しかし彼に慈悲は与えられなかった。

 

「あの世で一足先に逝った娘に詫びを入れろクズ親父が」

 

「ま、まって――――――」

 

 願いは聞き届けられず、人面獣心の王はあっけなく首を飛ばされて、放蕩と悪徳の限りを尽くした生を閉じた。己の撒いた因果といえばその通りだろう。

 しばし静寂が辺りを支配した。それを破ったのはタナトス自身の大きな息づかいだ。その後、シノンが一つの疑問の答えを求めた。

 

「………ミルラ姉上はお前が既に?」

 

「ああそうだよ。他の奴に取られる前にな」

 

「そうか……その、何と言葉をかければ良いのか分からんが、お前に生まれの責任は無いぞ」

 

「………ありがとよ兄者。けどこれからアンタ達は俺を許さないだろうがな」

 

 タナトスは一筋の涙を流しつつ、台座に置かれた書を無造作に掴み取った。この一手の意味が何なのか正確に分かる者はここには一人も居なかったが、誰もが良くない事への兆しだと直感的に気付いた。

 

「おいそれを戻すんだ!」

 

「そいつは聞けないお願いだプロテシラ兄者。俺は復讐者としてではなく≪タルタス自由同盟≫の首領として、この国の魔法至上主義と差別を否定する」

 

 はっきりとした拒絶の返答と共に首無し死体になった王の死体を理力で投げ飛ばして騎士達の動きを止めた。その僅かな時間により事態は不可逆的に悪い方向へと進む。

 始めは微かな地面の揺れ、次にメキメキと何かが壊れ始める音、さらに床を見れば瞬きをしてこちらを見上げる竜と目が合った。

 

「これで新しい魔導騎士は生まれない。今いる貴族や王族もいずれは魔導を失い、百年もすれば魔導騎士はただの伝説になる。間違いは誰かが正さなければならないんだ」

 

「あら、じゃあその本は私が貰っても構わないわね?」

 

 声と共に突如としてタナトスの隣の空間が陽炎のように歪み、そこから生えた細腕が魔導書を掴んで消える。

 再びその細腕が姿を現した。今度は腕だけでなく、青い瞳を持つ妙齢の女性の身体を伴ってだ。誰も彼女の容姿に見覚えが無い。ただヤト達を除いて。

 

「やれやれ、また会いましたかミトラさん。アジーダさんならともかく、貴女はお呼びじゃないんですけど」

 

「つれないセリフね。女よりも男の方が良いなんて隣の奥さんが泣くわよ」

 

「儂がそんな事で泣くか!………儂よりあの色黒のほうが良いのか?」

 

「そんなわけないです。僕にとってクシナさん以上はこの世に存在しませんよ」

 

「ほれほれ!ヤトは儂が一番なんだ!!汝はお呼びじゃないぞ、どっか行け!!」

 

「はいはい、ごちそうさま。なら私は馬に蹴られないうちに退散させてもらうわ」

 

 現れた時と同様にミトラは歪んだ空間に消えるように姿を消した。

 クシナは自慢気にヤトに抱き着く傍らで、地面の下から轟く咆哮を止める手段が無くなったのを誰もが理解する。

 センチュリオンはひとまず王子達を上に逃がす。その間にも地面の水晶には大きな亀裂が入り、足場をどんどん崩していく。

 これではまともに戦えないと判断した騎士やヤト達も階段を上がり退避を選んだ。

 

 


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