崩壊する水晶床から脱出した一団。数名の兵士が地下への扉を閉ざして、プロテシラとシノンはようやく一息吐いた。
とはいえあの閉じ込められていた魔人や竜が本気で暴れれば、この小さな扉一つで抑え切れるなどとは誰も思っていない。すぐにでもどう対処すべきか方針を決めねばならない。
「センチュリオンを全員集めて迎撃だ。城の者は全員街の外に逃がせ。民も何とかして逃がせるようにしろ」
「ですが兄上、今は真夜中で冬。着の身着のままでは凍死します」
「構わん!下のドラゴンが這い上がってくるのはここではなく城の外だ。街が戦場になるのは避けられん!!」
プロテシラの言葉にシノンは絶句した。真冬の夜中に王都を舞台に市街地戦など、考える限り最も不利な条件での戦いだ。しかも敵はどこから出てくるか全く分からず、前もって兵を配置しての迎撃も困難を極める。
「センチュリオンなら理力で先読みも出来るだろう。お前達、何とかしてもらうぞ」
「はっ!全滅覚悟で挑みます!」
センチュリオンの一人が不退転の覚悟を以って新たな王プロテシラに敬礼した後、手近な者達と組んで隊を編成した。
一先ず現場への差配はこれでいい。彼等は戦の専門家だ。自分のような政治畑の王子があれこれ口出しするより好きにさせた方が余程上手く働く。
一つ仕事を片付けたプロテシラは、もう一つ問題に目を向ける。彼の視線の先には王冠を被ったままのタナトスが居た。
タナトスの素顔には何の感情も宿っていない。泰然と、あるいは心あらずといった様相のまま、ぼんやりと周囲を眺めている。王を拉致して王子達や騎士を散々に振り回していた時のふてぶてしい態度を微塵も感じさせない。まるで抜け殻のような空虚さだった。
ある意味ではこの変貌も仕方のない事だった。何しろ生まれてすぐに実母に埋められたと思えば、親への復讐のためにだけ生き続け、今日親殺しを完遂した。その上自ら生み出した反政府組織の理念『不当な差別の根絶』を成就した。生涯の目的を果たしたのだから、これから何をしていいのか分からなくなってしまった。それを理解してしまったが故の空虚さだった。
プロテシラは顔には出さずとも、この不遇の弟をどうすべきか悩んだ。今この窮地は紛れもなくこの男がしでかした事だ。今この場で処断したいが仮に首を刎ねた所で事態が好転する事は無い。
ならどうすべきか?王なら一時の感情に囚われずに最大限の利を求めるべきではないのか。決してこの哀れな生まれの弟を殺したくないなどと、個人的感情は一切持ち合わせていない。
「タナトス……お前もフォトンエッジを使えるなら戦え。断るか逃げるというならこの場で潔く死ね」
「俺は………」
「お前が壊したかったのはこの国の上に立つ者と狂った先王だろう。街に住む多くの民草を死に追いやるのもお前の望みか?今まで多くの者を扇動してきて、いざとなったら切り捨てれば、お前が殺した父とさして変わらぬぞ」
「…そう……だな。後始末ぐらいはしてから死ぬべきだ」
兄の叱咤を受けて気の抜けたタナトスの顔に覇気が幾らか戻り、双刃のフォトンエッジを強く握りしめた。
「俺は街の外に待機している兵達に街の住民の保護を指揮しよう。シノン兄者も手伝ってくれ」
「あ、ああ。プロテシラ兄上、兵を幾らか借りて今から民を誘導する。街の門も全て開けておくぞ」
王子三人は今までの事を一時棚上げして国難に立ち向かう姿勢を示した。ただ、タナトスはその前にヤト達にどうするか聞いておかなければならなかった。
今のヤト達は王殺しの一味だったが、全ては雇い主のタナトスの責任であり、彼自身の罪科を棚上げした状態では断罪も道理が通らない。それに今この場で彼等をどうにか出来る手合いは一人も居ない。
そして復讐と組織の悲願を遂げた今、もはやタナトスがヤト達を雇う理由は無くなった。雇い主として何かを命じることは出来ない。
だからタナトスは一人の男として頭を下げる。
「ヤト、クシナ、カイル、ロスタ、ヘファイスティオン。どうかこの国の民を助けてくれないか」
「いやです」
「えっ?アニキ、そこは仕方ないけど請け負うとこじゃ……」
ヤトの明確な拒絶の言葉に一番驚いたのが仲間のカイルだった。兄貴分の質ならなんだかんだ言っても仕事を請け負うと思って、報酬のソロバンを弾こうとした瞬間に思惑を外してきた。しかもこれは値上げ交渉のための前振りとか、そういう駆け引きですらない。
「僕は嫌ですよ。これから心躍る戦いの中で余計なモノに気を取られたくありません。僕がしたいのは戦いであって人助けなんかじゃない。受けたいのなら貴方自身がタナトスさんと契約して人助けしてください」
「あーつまりアニキは率先して魔人やドラゴンと戦うけど、救助とかはしないってことね」
ヤトは頷く。その顔は既に鬼気を纏い、強者と戦いたくてウズウズしている。
王子の頼みをすげなく断るのは問題あるが、変に人助けと戦いを併行するよりはどちらかに専念した方が効率が良いのは事実だ。
カイルはヤトの主張を受け入れてタナトスに良い笑顔を向けて言い放つ。
「というわけで僕達は敵と戦うから報酬よろしく。勿論危険手当込みでね」
「ははは、お前達は変わらんな。良いだろう、好きに戦え」
新たな契約を済ませた五人は地下から死地へと向かう。
タナトスは何時いかなる時も真っすぐ己の思うままに突き進むヤトと、それを平然と受け入れるカイルに羨ましさを覚えた。
そして三人の王子も騎士に急かされて地下を離れた。ここもすぐに戦場となる。護身程度に戦えてもお伽噺の魔人と戦うには不足もいいところだ。彼等の戦場はまた別にあった。
街に住む民の中で最初に異変に気付いたのは真夜中が一番盛況の娼館だった。今は王子の弔いという事で派手な催しや酒場の営業は自粛していたが、遠方から訪れた貴族の護衛や兵士達の相手をする娼婦のいる娼館は目こぼしを受けて繁盛していた。
幾つもの狭い部屋で男女が一夜限りの交わりを繰り返す中で一人が奇妙な違和感を感じた。
最初は同じ階下の何人もの男共が腰を振る揺れかと思われた。しかし不思議と揺れは隣より床下より伝わってくる。たまにある地震とも思ったがそれとも異なる不気味な揺れは次第に強くなり、娼館の者達は情事を止めて下を見下ろす。
やがてソレは地の底より大地を突き破り、数多くの家屋をなぎ倒して月下に堂々たる偉容を現した。
多くの者はそのまま瓦礫に呑まれ、運よく生き残った者達は月明かりに照らされた地底からの異形者を呆然と見上げた。
「ド、ドラゴン?」
その言葉が全裸の男がこの世に残した最後の言葉だった。彼は瓦礫に埋まったままの人々と共に、竜の息吹により痛みを感じる間もなく骨すら残さず焼き尽くされた。
幾多の命を奪ったドラゴンの胸中には歓喜と共に憎悪が渦巻いていた。深く冷たい水晶の牢獄からの解放は喜びに満ちていたが、同時にそのような場所に己を長きにわたって閉じ込めていた敵への憎悪もまた大きかった。
だから八つ当たりのように小さな虫けらが築いた巣を一息で潰しても湧き上がる怒りは全く衰えを見せない。目に映る全ての巣を焼き尽くしてようやく溜飲が下がるというものだ。
それは後から上がって来た同族や仲間も同じ想いに違いない。彼等と共に積年の恥辱を雪いでやる。
首を二頭の同族に向け牙を見せれば、どちらも同じく牙を見せて笑みを返す。全員これから何をすべきか分かっていた。
ドラゴン達は同時に全身を震わせて王都の一角を焼き尽くした。