第1話 熱砂の洗礼
砂漠とはどのような環境か。
この問いに、実際に過ごした事のある者ならきっとこう答えるだろう。
『死の世界』あるいは地上の『煉獄』と。
間違いではない。むしろ大部分の者は同意するに違いない。それほどに砂漠という土地は生命にとって極限の環境だ。
なにしろ昼間は人の体温よりも暑く、夜は水が凍り付くほどに寒い。一日の気温差がこれほど激しい環境は他に無い。
それだけでなく見渡す限り砂と岩が形作る荒涼とした大地には多くの生命にとって最も必要な水が殆ど無い。それが一層過酷な環境を形作っている。
ただ、そのような煉獄と見間違うような世界にさえ生命は確かにいる。
乾燥と気温変化に強い虫や蜥蜴のような小さな生き物以外にも、人の背丈ぐらいはあるサボテン、捕食者であるスナネコや蛇などだ。あまり知られていないが地中には砂エイや砂クジラのような大型の動物も生息している。
地獄のような環境は確かに生命を容易く受け入れてはくれないが、それでもそこに生きる者達は力強く根付いて生きている。
しかし、それでも自然は理不尽に生命を追い立てて一片の容赦も無くあらゆる生命を殺しにかかった。
それは動く山脈に等しい巨体を誇った。
それは雷を纏って神威を見せつけた。
それは比類なき暴力の熱風の化身だった。
それは鉄すら撃ち抜く石の雨を降らせた。
それは砂嵐と呼ばれる竜すらも殺しかねない凶悪な天災だ。
砂漠において考え得る限り最悪の天災の砂嵐を皮肉にも運良く察知したヤト達は予備知識は無かったものの、自分達が非常に危険な状態にあると確信した。
「アレの中に入ったら健康に悪そうだよね」
「儂も今すぐアレより上に飛ぶのはちょっとしんどい」
「横に避けるには広がり過ぎて逃げられそうもないですね」
三人が共に砂嵐を最大級の脅威と断じて対応を考える。
そのまま突っ込んで切り抜けるのはカイルの言うように生命の危機もあって論外。
古竜のクシナでさえ山脈に匹敵する特大の砂嵐よりも高く飛んで躱すには時間が足りない。かと言って今から横に避けるのも無理だ。
すぐに引き返せば逃げられるだろうが、ここまで来てもう一度戻るのは何となく時間が惜しい。
「皆様、南側に集落の廃墟が見えます。あそこで砂嵐をやり過ごしてはいかがでしょうか」
メイドのロスタが指差す方角には確かに石造りの住居二十ほど固まっているのが見える。あちこち穴が開いているように見えるから人が住んでいるとは思えないが、嵐を凌ぐだけなら何とかなるかもしれない。
ここで迷っている時間は無い。ヤトはクシナに南の廃墟に降りるように伝える。砂嵐はあらゆるモノを巻き上げて目前に迫っていた。
ヤト達は集落の廃墟に降り立ち、クシナも竜の姿から人の姿になる。四人は急いで目星をつけておいた建物に入った。既に砂塵が空気に混じっていて息をするのも辛い。
石造りの廃墟の中は灼熱の日差しを遮っているので炎天下の屋外よりも涼しかった。それでも一息つくにはまだ早く、すぐに二階に駆け上がってポッカリと空いた壁や窓枠を朽ちたベッドなど残っていた家具の残骸で塞いだ。
それでも半分しか穴が埋まない。その間にも砂塵混じりの熱風が廃墟の穴から入って来るし、建物全体を礫が叩き付ける音が襲う。
「あーもうどうしよう!アニキ他の家の壁を壊して建材に使う!?」
「落ち着いてくださいカイル。こういう時は冷静にしないと。……貴方が砂の精霊に頼んで壁を作ってもらうのは可能ですか?」
「あっその手があった!えっと―――――うん、ちゃんと話が出来るよ」
ヤトの提案に落ち着いたカイルはすぐに近くに居る砂の精霊とコンタクトを取って助けを乞う。
するとすぐに部屋中の砂礫が集まって壁の穴を塞ぎ始めた。
砂の壁で日差しを完全に遮ってしまうほどに隙間が無くなったが四人は暗闇を苦にしないので問題はない。空気の取り込みは階段を半分塞いで下の階で行っているので窒息は避けられる。
これでようやく一息吐けた。
「いやぁ砂漠というものを甘く見てましたよ。よくこんな土地に人が住めますね」
「ほんとほんと、もう体中が埃と砂まみれだよ!って、姉さんいつまでも裸はやめて服を着てよ!!」
「はいはい、分かった分かった」
弟分に急かされてクシナはロスタに手伝ってもらい肌を拭いてもらって、いつものヘソ出し短パンに着替えた。
それから四人は車座になって荷物を確かめた。
衣類や武器等に欠損は無く、食料を入れていた皮袋も無事だった。ただし水袋の一つに穴が開いていて中身が空になっていて、残りも節約すれば三日ぐらいなら持つが、この砂嵐がいつ止むのか分からない中で水が途切れる恐怖は酷く強い。
しかもここは砂漠のど真ん中の廃墟。過去に人が住んでいた以上は水のアテはあっただろうが今も水を確保できる保証は無い。頼みの綱の精霊も周囲に水そのものが無ければ頼む事すら叶わない。
カイルはそうした恐怖を紛らわせるために、わざと明るく振舞って話を盛り上げようとする。
「知ってる?砂漠には昔の王様の墓とかあって、そこには凄い財宝が沢山眠ってるんだって」
「石を山のように積み上げた墓に隠された財宝の話は知っています」
「それそれ!盗賊ギルドでもまだ見つかっていないお宝の山だから誰が最初に見つけるか盛り上がってたよ」
「ふーん。あの剣の刺さってたデクの坊の入ってた墓みたいにか?どこでも人族は死体を埋めるだけの場所にそこまで手を加えるのか」
かつてフロディスの王家の霊廟を見たクシナは同じような墓がこの地にもあるのを不思議がる。彼女のようなドラゴンにとって死体を自然のままに朽ちさせるのが当たり前なのに、なぜそこまで大仰な死体放置所を作らなければならないのか未だに理解出来なかった。
「で、場所は知ってるのか?」
「いや~それは分からないや」
「せめて現地人と会えれば情報ぐらいは得られるんでしょうが会えますかね?」
部屋に沈黙の間が生まれて外で礫を叩き付ける音がやけに大きく聞こえた。
この住居があるのだから人は住んでいるのは確かだろう。それでも今日の砂嵐のような災害が度々起これば人はもっと住みやすい別の土地に移動する事を考える。
一応東西を行き交う交易商人から、この死の世界にも定住する者や牧畜を行う者がいるとは聞いている。大抵そういう者はオアシスの付近や比較的草のある土地にいるから、そうした土地を目当てに飛べば話ぐらいは聞ける可能性はあった。
「まあ何にせよ今は動いても余計に水を減らすだけですから、この嵐が止むのをじっくりと待ちましょう」
「うぃー」
如何に最強を求める剣鬼も、妖精王の末裔も、神の化身と呼ばれる古竜とて自然現象だけは抗いようがない。
ロスタを除いた三人は余計な体力と水分の温存のために、それぞれ床に外套を敷いて簡素な寝床を作って寝転がった。
初日から砂漠の洗礼を受けた異邦人の前途は多難だった。
嵐は翌日には去っていた。
太鼓の中に放り込まれていた昨日に比べて今は静寂の世界そのもの。
カイルは狭い家に押し込められていた鬱憤に当たるように砂で埋めた窓を蹴り崩した。
「うゎあ!」
少年は眼前に広がる光景に思わず感嘆の声を上げる。
黄金の海と群青の空の境から朱の太陽が顔を出し、世界というカンバスを無限の色に染め上げていた。
極限の環境が生み出した秒ごとに配色が代わり続ける芸術は、どんな権力を振るう王でさえ手に入れられない財宝と言ってもいい。
カイルは自然という書き手による窓枠の絵画に魅入った。
しかし腹は減るもので、クシナの腹の音で現実に引き戻された一行は何はともあれ朝食を執る事にした。