六人とスナザメの肉を満載したソリは翌日も朝から快調に無人の砂の海を航行している。
途中砂漠に潜む犬種のジャッカルの集団が肉の臭いに誘われて襲撃してきても、たかが犬如きにやられるような六人ではなかった。その狗共も砂漠では貴重な食料なので解体して肉として持ち帰った。
砂漠で恐いのは大きな獣ではない。むしろ小さな毒虫ほど警戒しなければならなかった。あるいは砂嵐のような災害か日照りと渇きこそが最大の敵だろう。
今日の所はそうした災害も起きる気配はないようだ。しかし嵐は気まぐれで明日にはまた空が荒れるかもしれないと、砂漠の狩人ミソジは話していた。
そういうわけで六人はやや急ぎでソリを走らせてローゼ親子の村へと向かっていた。
現在は砂漠の中の峡谷を進んでいる。
道は狭く曲がりくねっていて、ソリの幅とほとんど同じぐらいしか空いていない。そしてカイルが岩肌を手で触ると驚くほどに滑らかな感触だった。これは道具で削って出来た道ではない。
「驚いた?ここの岩は風と水が削って道になったんだって」
「風はともかく砂漠で水?」
「そうよ。砂漠にだって百日に一回ぐらいは雨は降るの。その雨が風と共に流れ込んで何千年もかけて岩を削り取ったんだって先生が教えてくれたんだ」
「へえ、物知りな先生だね」
「うん!時々しか会いに来ないけど、先生が来るとみんな喜ぶの。毎年この時期に来るからカイルも会えるかもね」
砂塵除けの布で顔は見えないがローゼの本当に嬉しそうな声にカイルも笑みが零れる。
年少組が談笑しているのを横目にクシナが鼻をひくつかせて「野菜の匂いがする」と人二人分程度の幅の横道に視線を向けた。
ヤトも注意深く見ると道の右側が一段掘り下げられている。
「あれは水路ですか。あの溝にさっき言っていた雨水を流して貯水池に貯めて、農業用水か生活用水にしている」
「よく気付いたね。お二人さんの言う通り、あの道の奥の畑で野菜を作ってるんだよ。砂漠で生きるには色々工夫がいるのさ」
ヤト達は砂漠の民の知恵に感心する。水の乏しい土地で生きるには様々な知恵と工夫が必要というわけだ。
さらにクシナは果実は作っていないのかと聞く。残念ながら食べる事を優先して嗜好品に近い果実は無いと答えが返って来た。ただ、砂漠のサボテンの中には甘い種があるので潰してジュースにする事はあると教えてくれた。
期待とは少々違うが甘味が食べられると知ったクシナはソリを曳く砂クジラのバーラーを急かした。
急かされてもソリの速さは変わらなかったが単調な岩肌の通路が無くなり、前方の行き止まりの岩壁に穿たれたトンネルを潜る。
短いトンネルを抜けた先は岩壁に周りを囲まれた小さな集落だった。二十に満たない日干しレンガの質素な家が立ち並び、奥には小さな家畜小屋も見える。住民はミソジ親子と同様に目だけを出す日よけの外套を身に纏い、乾いた畑で野菜の世話をしていた。
村人はミソジ達が帰って来たのを見て安心した後にヤト達を見て困惑した。そしてすぐに一人が走って行き奥の少し大きな家に入る。
また村人の一人がソリに近づいてミソジを見上げて言葉を投げかけた。
「ミソジ、なぜ余所者を連れて来た」
「こいつらが稀に見る馬鹿だからだよ。着の身着のままで歩いて砂漠を超えようなんて考えるアホなら、あいつらとは関係無いさね」
「いやしかしなあ」
「それにスナザメの狩りも手伝ってもらったからね。どうしても疑うなら長に判断してもらうよ」
底から大量の肉を見せつけられては男や他の村人も隔意が鈍る。特に子供は露骨に腹一杯食べられると喜んだ。
村人が迷い始めた時、最初に走って家の中に行った一人が別の村人を連れて来た。服の上からでもがっしりとした体格の男と分かる村人は乳白色の杖を持っていた。杖をよく見ると先端には頭に麦の環冠を乗せた牛の彫刻が据えられていた。あの意匠は農夫や子を求める母親に信仰の厚い『生と豊穣の神』の象徴だ。こんな不毛の砂漠で見かけるのは意外だった。
「ようサロイン、今回の狩りは手伝いが居たから大成果だったよ。あんた達、長のサロインだ」
「ご苦労だったなミソジ。それと昨日から先生達が来ているから、肉は宴会に使わせてもらうが良いか?」
「勿論だよ。それに先生が来てるなら後で娘と一緒に挨拶しておかないとね」
「今は腰の悪い年寄りを診てくれているから後の方がいいだろう。それと客人よ、何も無い寂れた村だがゆっくりしていけ」
長のサロインは言葉では歓迎しているように思えるが、声の質は明らかにヤト達を迷惑がっているように聞こえる。まあこういう閉鎖的な辺境の村は外部の人間を厭う気質が珍しくない。とりあえず出て行けと言われない以上は砂嵐を避ける一刻の仮宿程度に思って深く立ち入らなければいいだけだ。
ソリから降りたヤト達は狩りの成果の肉をミソジと共に貯蔵庫に運び、ローゼは村の外れへバーラーを連れて行った。
蔵に肉を運び入れた所でミソジが申し訳なさそうに謝った。先程の長のサロインは村を守るのに気負い過ぎて余所者を敵視し過ぎているだけで悪い奴ではないと。
「特に今は十年に一度の祭事も重なってて、妙な輩もうろつくから村全体がピリピリしてるのさ」
「妙な奴?」
「『生と豊穣の神』に捧げる祭事に使う祭具を狙ってこの村を襲う盗賊が出るんだよ」
「村人は僕達をその仲間と疑っているんでしょうね」
ヤトの確信めいた言葉にミソジは言葉に詰まって、迷った末に頷いた。無理もない、盗賊の襲撃と同時期に素性の分からない旅人が村の中へと入りこむのだ。例え村人の一人が弁護しても猜疑は拭い難い。
こればかりはどうしようも無いし、時間をかけて解消するほど長居をするつもりも無い。だから水を補給して一定の距離を保ったまま早めに出て行った方がお互いのためだろう。
申し訳なさそうにするミソジはせめて村にいる間は快適に過ごしてもらおうと四人を自分の家に招いた。
家は締め切ってあったので外の熱気を完全に遮断していて涼しく快適だ。しかし何日も家に居なかったので砂埃がテーブルに積もっている。それに家の中にはベッドが三つあるが台所の食器は二組ばかりだ。父親が居ないのだろうか。
「食器は隣から借りるからいいけどベッドは三つだから、あたしとローゼが一つ使って、あんたら夫婦で一つ、それとカイルの坊やが一つだね」
「僕とクシナさんは外でも構いませんよ」
「何言ってんだい、客を外で寝かせるなんてあたしがさせると思うのかい!」
「たぶん煩すぎて近所迷惑だから叩き出したくなると思うよ。それでもいいの?」
「……あーそういうことか。寝る時は好きにしていいけど食事は一緒に食べなよ」
ヤトの提案にミソジは最初は怒ったもののカイルの解説で何が言いたいのかすぐに理解して、さすがに母親として娘に他人の情事を見させるのは拙いと判断して渋々と認めた。
それから帰って来たローゼがヤト達を『先生』とやらに挨拶するよう勧めた。挨拶程度なら特に反対する理由も無かったので掃除を申し出たロスタ以外の三人とローゼは家を出た。
サロインが言っていた老婆の治療は終わっていて家には既におらず、サロインの家に居ると聞いてそちらに向かった。
村の中では一番大きな家に入る。年かさの女性が食事の用意に追われていた。彼女は家の中なので砂塵除けの布はしておらず、褐色肌の素顔と黒髪を露にしていた。
「フィレおばさん、こんちわー!」
「あらローゼちゃん狩りから戻ったのね、ご苦労様」
「カイル達が手伝ってくれたから大猟だったよ。それで先生達に挨拶したいんだけど」
「…今はミートの部屋に居るからどっちも呼んでくるわね」
彼女はちらりとヤト達を見て一瞬だけ顔を強張らせたが、ローゼに気付かれないように顔を背けて別室に向かった。
ヤト達はすぐに戻って来たフィレの後に姿を現した長身の男の顔を見て面食らった。
「こんなところで会うとは偶然というのは恐ろしいものだなヤト」
「それは僕が言うべきセリフだと思うんですがアジーダさん」
「誰かと思えば貴方達だったの。また会えて嬉しいわ」
『先生』と呼ばれていたのは死なない男アジーダと青い瞳の美女ミトラだった。
思わぬ二人組との再会には何か騒動の予感がした。