ミレーヌの天幕を出たヤト達はドロシーが使っている天幕に招かれた。既にスラーが居て人数分の杯と水差しを用意していた。
天幕は七人が使うには手狭で風通しは良くても多少蒸し暑さがある。
入り口に立つロスタを除いて六人は車座になる。最初に口火を切ったのはドロシーだった。
「さてと……お互い持ってる情報を擦り合わせしようかしら」
クシナとスラー以外は頷いた。
「まず、あの村の住民が全員魔人族で邪神の儀式をしてるってのは本当なのかい?」
「ロスタが魔人と判断したから本当だよ。でも邪神崇拝は多分違うと思う。あそこは『生と豊穣の神』を信奉してて、二日後の祭事は豊穣神のためらしい」
カイルの返答とロスタの頷きを見たドロシーとヤンキーの顔が険しくなった。そこにヤトが補足にサロイン村長から殺生と流血を禁じる制約を受けた事を告げると、ドロシーのかさかさ肌の眉間に深い皺が出来た。
「生まれが魔人だから平和に暮らしていても力づくで祭具を奪っていいってのかいフェラー大神官め!……ミレーヌは貧乏くじだね」
ドロシーは悪態を吐いて、ここにはいないフェラー大神官とやらを罵倒した。
「察するに上から無理な仕事を押し付けられたという事ですか」
「そういうことになりますかねえ。あたくしやお嬢も最初から面倒な仕事とは思ってましたが、騙して汚れ仕事をさせようとあっては不愉快ですわ」
いつも飄々としていた態度のヤンキーでさえ切れ目に力が入り不快感を露にしている。
カイルはそもそもドロシー達がどういう経緯でここにいるのかを尋ねた。
ドロシー達三人はフロディスの鉱山都市でヤト達と別れた後は適当に旅をして、最近この砂漠の南東にある生国のデメテーに里帰りをした時に、実家と所属している『法と秩序の神』の神殿から仕事を強引に頼まれた。
断る事も出来たがミレーヌの補佐役と知って不承不承ながら仕事を請け負い、ここに居るという事だ。
ドロシーとミレーヌは親戚で姉妹とはいかないがそれなりに知った仲もあって昨日までは上手くやっていた。
また、この拠点に居る者達も神官として邪教崇拝の儀式を行う邪悪な魔人との正義の戦いに戦意を漲らせている。
「なるほど、ドロシーさん達の事情は分かりました。それで上司から言われた通り、あの村の祭具を持ち帰るつもりですか?」
「どうかしらねえ。例え首尾よく祭具を持ち帰った所で大神官やその一派に政争のオモチャにされるのがオチだけど、失敗を理由にミレーヌに泥を被せるのはちょっとね」
聖と俗は両方程よく知ってこそ正しく運用できるとは言われている。聖職者といっても生臭い政治からは逃れられないのだろう。
しかしヤト達には関わりの無い事だし、まして襲撃を受けて大事な祭具を奪われる側にある魔人の村には甚だ迷惑な政治駆け引きでしかない。
当然ながら村人から一宿一飯の恩を受けたヤト達は祭事が無事に終わるまで村を守るために働く。
こうして杯を交わしていても六人の関係は未だ敵同士である。
「おいどんは皆さんと喧嘩はしたくないです。また一緒にご飯を食べる方が好きです」
「そうは言うけど僕達だってあの村で一宿一飯の恩を受けた以上は譲らないよ。その……遺跡でお世話になったドロシーさん達と戦いたくないけどさ」
スラーの情けないが親情のある言葉にカイルは敵対の意思は示しても些か勢いが弱い。
一年前にドロシー達に遺跡で助けられたのは覚えているが、その時の仮は既に食事を奢るという行為で返却している。お互いそれで納得した以上は貸し借り無しだ。
それに一応こんな砂漠で再会した奇縁と、かつてドロシーの言ったように『真面目な同業者とは助け合う』という言葉には幾らか同意しているので、助けるのは嫌ではないがお互いの立場が悪い。
どうしたものかと思案している横で、クシナが思いついた疑問を口にする。
「村のあいつらは前から何度も祭りを邪魔しに来たから毎度叩き返したと言ってたぞ。また負けるのはそんな気にするような事か?」
「うちは秩序の神に仕えてるから豊穣神の祭具が無くてもそんなに影響無いけど失敗をネチネチ言われると腹が立つのさ」
「ふーん。よくわからん」
「分からない方がいいよ。知っても楽しい話じゃないし」
ドロシーは自嘲気味にクシナを諭す。この時点で最悪自分がミレーヌの代わりに泥を被る気になった。どうせ自分は勝手に家を出た身だ。今更泥の汚れの一つや二つ増えた所で支障はあるまい。
問題は真相を知ったミレーヌが素直に任務を断念するかだ。あの娘は未だ政治の生臭さを知らず愚直に信仰のために動いている。そこを付け入られて上から良いように使われている。出来れば事実を伝えた上で賢く立ち回って欲しいのだが、あの気性では望みは薄い。
そもそもヤト達の証言だけでは信憑性に乏しく納得させられるものではない。例えドロシーの知己であってもまともに取り合いはしないだろう。
むしろ魔人族に操られていると断じて邪悪な種族と判断する方が妥当だ。
魔人族の存在は数千年を生きる神代のエルフなら当事者であったり、親族から直接話を聞いて詳細な知識を持っている。
他の百年程度しか生きられない定命の種族にとっては殆どお伽噺として忘却の彼方に追いやられた存在だった。
それでも例外的に神殿では何千年にも渡り書の形で今でも魔人族をオークやトロルと同列の人類種に仇なす種族と伝えている。
そのような種族を前にすれば、如何に『法の神』の同陣営である『豊穣神』を信奉していたところで、討伐しようとするのは目に見えていた。
カイルはどうにか村とここの神官団が戦わずに済む道を探したかったが中々良い案は思いつかない。
「アニキは下らない戦いを避けるいい方法を何か思いつかない?」
「あるにはありますよ。魔人族や祭具の他に手柄を他に用意して、そちらに注意を向ければいいんです」
ヤト以外の全員が首を捻った。教義に凝り固まった世間知らずの若い神官達が魔人族を前にして他に目を奪われるような餌がこんなところにあると思えない。
「ドロシーさんは『死霊魔法』の使い手がすぐ近くに居たらどうしますか?」
「勿論討伐するわよ………もしかしてあの女魔法使いがいるの?」
あの女とはミトラに他ならない。ドロシーはかつて古のドワーフ王を蘇らせて弄んだミトラを思い出して不快感に顔を歪めた。
「邪神の儀式の妨害と邪悪な魔法使いの討伐を両方するには戦力が足りません。まずはどちらかに注力するか僕達が片方を担当するように調整すれば―――」
「時間を無為にして『豊穣神』の儀式は滞りなく終わると。神官団の誘導はあたくし達の仕事というわけですか…ククク」
ヤンキーが長い髭を揺らしてケラケラと笑う。さらに気を良くして煙管に火を付けて煙を吸い始めた。
つまるところヤトは魔人達の代わりにミトラの首を差し出すと言っているのだ。
ヤト達が一宿一飯の恩を受けたのは村であってアジーダとミトラではない。
あくまで儀式が滞りなく終わるまで村を守るのがサロイン村長との約定だ。それにさえ抵触しなければ、あの二人がどうなろうと知った事ではない。
「確かに僕達あの二人に酷い目に遭わされたから味方じゃないよね。村を守るための致し方ない犠牲かな?」
カイルも同意する姿勢を示した。
といってもヤトとクシナはあの二人の不死性を嫌というほどに知っているので、ここの神官達が殺せるかどうかは未知数だ。まあそこは信仰心に篤い『法と秩序の神』の若々しい神官達の奮闘に期待するとしよう。
おおよその方針は固まった。後は各々のやり方で戦わせる相手を誘導すればいい。
ここでヤトはもう一つ手を打っておくことにした。
カイルとロスタを神官達に張り付かせておくという提案だ。
「なんで僕達まで?」
「僕達を信用していない神官達を人質という形で安心させた方が動きを制御しやすいからです」
「あーまた村に夜襲を仕掛けられたら面倒か。年下の僕達の方が人質には向いているね」
それでも勝手に動くようなら盗賊技能を活かした妨害工作をするのも良いだろう。こういう時はカイルの方が適している。
「そういうわけでカイルとロスタはここに残ってもらって、僕とクシナさんは日暮れ前に村に戻ります」
「二人の待遇は私に任せなさい。食と住には苦労させないから」
ドロシーは微笑みを浮かべてヤトの提案を快諾した。主導権を握れない以上は取り決めはこれぐらい緩くしておいた方が色々と柔軟に動ける。
そしてヤトとクシナは太陽が傾いて暑さが和らぐのを待ってから神官達の拠点を後にした。
ミレーヌや御付きの神官達には、残ったカイルとロスタは『法と秩序の神』の教義に興味があり、ここでしばらく手伝いたいと申し出ると、彼女達は心から喜んで親しい仲間のように二人を遇した。
当然二人を疑う神官の中には丸わかりの疑心の目を向けて監視をする者も居るが、一端の盗賊のカイルには居ないも同然で、拠点の中を好き勝手に動けた。