東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第11話 砂漠の神殿

 

 

 祭事が翌日に迫った日。

 村の男衆は夜明けから総出で出かけている。明日の祭事の場になる北にある神殿に荷を運ぶためだ。アジーダはその護衛として同行している。

 女衆は明日に身に付ける色とりどりの正装や装飾品を互いに見せ合ってワイワイと姦しい。収穫祭や謝肉祭の類の無い土地なので、十年に一度の祭事は数少ない娯楽だった。

 女達はこの時ばかりと着飾って砂と岩しかない世界の中で色とりどりの花を咲かせるだろう。

 特に主催を務める村長兼神官の家は朝から慌ただしい。何しろミートは明日『豊穣神』への奉納の舞を行う。準備は念入りにし過ぎても惜しくはない。神への捧げものはそれほど村にとって重要だった。

 ヤトは一人で岩壁の上から村を見下ろしている。盗賊団は来ないと思うが一応護衛として周囲の見張りをしていた。

 クシナは村の女達に連れて行かれて着せ替え人形にされている。本人はヒラヒラしたスカートを嫌がったが女衆は護衛でも同じ女が着飾らないのを黙って見ているはずもなく、半ば強引に服を着せられていた。

 嫁が着飾るのを嫌がるのは知っているが、それでも旦那としてはいつもと違う姿を見たいと思うのはどこの男も同じ。何気に楽しみにしているヤトだった。

 一つ気になるのがこんな砂漠では布どころか糸と染料を手に入れるのすら困難を極めるはずなのに、なぜ何色もの生地を使う衣装や金銀宝石を誂えた装飾品を村人の多くが所持しているのか。

 交易で手に入れたのかと思ったが、それにしては村に金になりそうな産業や商品の類が見当たらない。

 仮に貴重な資源を元手に交易で手に入れたと仮定しても、その時は財貨の臭いを嗅ぎつけて武装した盗賊団が襲っているはず。

 あるとすれば村の井戸の日陰に腰かけて涼んでいるミトラが持ち込んだのか。

 ヤトはミトラが何者なのか興味はない。しかし何故自分が彼女を斬れないのか原因を知りたいとは思っている。

 もしかしたら明日の祭事であの神官団にぶつけてみたら何か分かるかもしれない。

 剣を手に取り、陽光を跳ね返す妖しい緑の刀身を見て溜息をつく。今まで剣一振りで全てを解決してきたというのに、今回ばかりは最も頼みとした物差しが役に立たずに腹が立つ。

 幾多の幻獣を斬った。練達の騎士や戦士も倒した。古の魔人も屍を晒した。最強の種族と謳われる古竜とて己の前では伏すしかなかった。

 

「一体何が足りないんでしょうか。まさか………」

 

 一つ頭をよぎった想像を振り解いて否定した。そんなことは早々あるまい。

 だが、もしそうなら是非とも斬ってみたいとも思う。

 いずれにせよ明日になれば少しぐらい理由が分かるかもしれない。根拠の無い期待でもあった方が楽しみがあって良いだろう。

 

「祭りは楽しんだ方が得ですかね」

 

「そうね、せっかくのお祭りなんだから楽しみなさい」

 

「そうしますよ」

 

 ヤトは振り向く気すらなく相変わらず唐突に現れるミトラに適当に返事をする。この神出鬼没の女のやる事を一々気にするだけ無駄だ。

 それにしてもこの女はどこにでも瞬時に移動できるのだろうか。それこそ大陸の外にある別の大陸にも軽々と渡れるというのか。

 神から授かる神託魔法の一つには『転移』と呼ばれる一瞬で別の場所に移動可能な魔法があると聞く。

 その『転移』ならこうしてどこにでも行けるだろう。便利といえば便利と思った。

 しばらく無言のまま二人は岩山の上で砂漠を見続けている。

 それから少し時間が経ってから、ミトラの方からヤトに話しかけた。

 

「ミートのことだけど、あんまりあの子を怖がらせちゃダメよ」

 

「それは無理でしょう、何しろこの村は戦とは無縁です。僕みたいな殺す者への耐性は持ってないですから」

 

「それでも女の子には優しくするのが男の子の義務よ」

 

 優しいとは一体なんだ?ヤトにはとんと見当が付かなかった。

 それにそういう役回りは大抵カイルの領分だろう。あの弟分なら自分より余程女の事を理解して親身になってやれるはずだ。

 

「今更ですね。それにどれだけ長居した所であと数日で村を去るのだから、そう何度も顔を合わせませんよ」

 

「あれでミートは意外と根に持つ性格だから、その数日に何かされても知らないわよ」

 

「食事に毒でも入れて殺しにかかると?」

 

 砂漠には蠍のような毒虫が多い。そうした生物から毒を入手して殺そうとする可能性も無いとは言えない。

 尤もそれも無駄な努力だ。毒殺の経験は幾度もしている。食べ物に毒を入れたらすぐに気付くし、寝ている時に何かしようものなら即座に気付いて取り押さえるか反射的に斬るだけだ。素人が慣れない事をしたところで成功する筈が無い。

 毒と聞いたミトラは何がおかしかったのか形の良い口元に手を当ててクスクスと笑う。

 

「良い洞察をしているわね。精々体には気を付けなさい」

 

 それだけ言い残してミトラは現れた時と同じように跡形も無く消えてしまった。

 意味深な事だけ言われて煙に巻かれた形になったヤトはうんざりした気になって、砂漠の変わらぬ景色で心を洗い流した。

 

 

 翌日、夜明け前から村は慌ただしかった。

 この日は誰もがいつもより早く起きるか、興奮して眠れずに家族に叩き起こされるかの二択だった。

 起きればすぐに朝食を手早く腹に納めて祭りの準備に取り掛かる。

 村長一家はミトラとアジーダと共に一足先に祭事の場となる北の神殿に行っている。

 ヤトも世話になっているミソジの家から叩き出されてしまった。母娘とクシナが着替えに使うためだったから文句も言えない。

 他の男達も同じような理由で家から追い出されてしまったが、毎度こんな感じだったので慣れた様子だ。

 しばらく男連中のそわそわする様をボケっと眺めていると、ようやく女達も準備が終わって家から出てきた。

 待たされた男達は着飾った女達を見て不機嫌な様相がガラリと変わる。

 女達はいつもの全身を隠すようなゆったりとした服は同じだったものの、それぞれ赤、青、紫、緑を基調とした布地に裾や袖口まで丹念に刺繍の施された衣装を纏い、色とりどりの宝石のネックレスやブレスレッドを身に付けていた。

 まるでそれは単調な白と黄色い砂漠を彩る色鮮やかな花が咲き乱れているような幻想的で不思議な光景だった。

 男達は咲き誇る砂漠の花々に見とれていたが、女達の責めるような視線に押されるように、それぞれの伴侶や意中の相手を褒めた。

 ヤトもクシナを探すと、ミソジ親子と一緒にいた。

 親子はお揃いの赤い衣装を着て露出した目だけは笑っていた。そしてヤトの前に同じようなデザインの青い服を着た赤い瞳のクシナを差し出す。

 

「うぅ……また変な感触の服を着せられたー。こいつらがヤトが喜ぶって言うから着たけどなぁ……」

 

「いえ、凄く似合ってますよ。また違うクシナさんの素敵な姿を見られて嬉しいです」

 

 嫌々祭りの服を着ていたクシナはヤトの言葉で顔が火照ってそれ以上文句を言えなくなった。

 旅の夫婦の惚気を間近で見ていた親子は二人で顔を見合わせてニカリと笑う。

 

「いやはや服のサイズが合わないから急ぎで直したにしては良い仕事だったね」

 

「ね~。クシナさん、母さんより背がかなり低いのに胸が大きいから苦労したよね」

 

 ミソジとローゼがケラケラと笑う。二人はクシナの為に昨日から遅くまで昔ミソジが使っていた服を仕立て直していた。その甲斐あってどうにか間に合わせる事が出来た。

 ヤトは手間をかけさせてしまった二人に深々と頭を下げた。

 

「お二人ともクシナさんの為にありがとうございます。それとカイルは祭事が始まる頃には合流すると思いますから、待っててください」

 

「本当は朝から一緒に楽しみたかったけど、村のためなら仕方がないよね」

 

 ローゼは年が近くて村の少年より大人びたカイルが居ない事を残念に思う。上手くいけば一緒に祭を楽しめると思って誘うつもりだった。

 仕方ないので今は年の近い村の少年にエスコートを任せるつもりで、途中からカイルが合流したらそちらに移るつもりだ。女は割と冷淡だ。

 村人はひとしきり騒いだ後に浮足立った様子で村を出て北を目指した。

 目指す神殿は村からさほど離れていない。徒歩で一時間もあれば着く距離で、砂クジラに曳かせたソリなら半分の時間で済む。

 それでも村人は盗賊を警戒してしきりに周囲を見渡す。

 まあヤトが殺気を感じていないのとクシナの鼻にも引っかかっていないから、まだ近くには来ていないのだろう。しばらくはのんびりソリに揺られていられる時間だ。

 軽い警戒に留めて精神を休めていると、あっという間に神殿に着いた。

 神殿と言っても街で見かける『法の神』や『戦神』のような荘厳な神殿とは些か趣が異なる。

 

「山だな」

 

「岩山に見えますね」

 

 初めて見るヤトとクシナは同じような感想を口にする。

 二人の言う通り、着いた場所には村と同規模の岩山が鎮座していた。

 勿論、よく見るとただの岩山ではない。

 街の神殿が全て切り出した石材を組んで建てた積み木細工とするなら、砂漠の『豊穣神』の神殿は岩山一つを丸ごと削って一つの建築物に作り替えた代物だった。当然規模はこちらの方が大きい。

 ドワーフの地下都市に比べたらかなり小さいだろうが、あれは採掘場や生活空間を込での話だ。単純に信仰の場だけでこれだけの規模の施設を用意するのは相当な労力と信仰心を試されただろう。

 正面には巨大な二頭の人面獣身像――――スフィンクスという幻獣らしい――――が出迎え、その先には多様な人型の彫像が二列に整然と並んでいた。

 像は風塵に晒されて幾分削られていたがそれでも見事な出来栄えの彫像だ。

 人の顔以外にも蛇頭や鷲頭だったり、魚面もあれば竜のような顔を持つものもある。あるいはケルベロスのように複数の頭と六本の腕を持つ異形の人像もあった。中には体中に目を持つ人型もある。

 体も多様で腕そのものが鳥の翼で足も鉤爪を持つ鳥の足の鳥人像や、両腕が蛇の物、体全体だったり下半身だけが魚やクジラのような奇妙な人型もあった。

 

「これは魔人族を模った像でしょうか」

 

「よく分かったね。これは何千年も前に居た私達のご先祖様なんだよ」

 

 ミソジが感心したように補足してくれた。

 ヤトが知っているのは当然だ。何しろつい十日程前にタルタスの王都で散々斬った魔人に似た姿がちらほら混じっていたからだ。

 そうなると一つ妙な事実が浮かび上がる。ここには『豊穣神』の祭事の為にやって来た。つまりここは『豊穣神』神殿のはず。だとすればシンボルは牛でなければならないが、今まで牛の像は見当たらない。

 それを指摘すると別の村人の男が理由を教えてくれた。

 

「実を言うとここは元から神殿じゃなかったらしい。村の先祖がちょうどいいから豊穣神の神殿に使い始めた古い住居と聞いている。ほれ、あの像がここの本来の家主だ」

 

 村人が指差す先には向かい合う男女の像の男の方が居る。

 男の像は鎧兜を身に纏い、髭面で巨大な戦斧を手にしている。威風堂々たる様はどこかの王のように思える。

 反対を見れば女の像は首から上を砕かれていて身体しか残っていなかった。それでも装飾品から王族か貴族のような高貴な女性に見えた。

 

「名は知らないが、かつての魔人族の王だったらしい。向かいの首無しの女性像は妻と言われている」

 

 かつての王の住居も今や祭事の場とは死んだ王も嘆いているのか。…いや、王より神の方が位は上だから神の方が文句を言いたくなるのか。

 それでも原型を残しているのだからマシと言えばマシか。世の中には朽ち果てた神殿や要塞から建材を持って行って自分の家に使ってしまうような農民も居ると聞く。どうせ砂で削られて埋もれてしまうよりはそのままの形で有効活用してもらえるだけ情けはある。

 村人たちが通り過ぎる際に太古の王夫婦の像に挨拶して行く。一応敬われているというか、単にかつての家主に挨拶しただけなのかもしれない。一応ヤトは頭を下げて、クシナも手を上げて挨拶はしておいた。

 彫像の林を抜けると次に目に入るのは、地面に石材を敷いて一段高くなった四角い台の四隅に建つ四本の柱だ。

 ヤトはこの形式に見覚えがあった。これは生国の葦原にも似たような場所がある。

 

「あれが儀式というか舞をする場ですか?」

 

「正解だよ。今年はあそこでミート姉ちゃんが舞うの」

 

 ローゼが楽しみだと言う。

 そのミートは既に両親やミトラ達と舞台の横で村人たちを待ちわびていた。

 

 


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