東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第16話 それぞれが失った物、残った物

 

 

 ヤトは脂の焼ける匂いで目を覚ました。

 身体を起こそうとしたが身体の方は全く動かない。それどころか呼吸をするだけで肺が痛む。

 肺が痛むのは当然というか、そもそも肺を一つ失っていた事を思い出した。

 手足の感覚が無く、首も動かせないので自分の身体がどうなっているかさえ知る事もかなわない。

 ただ側に誰かいるかぐらいは気配で分かった。

 

「おっ、起きたな」

 

 椅子にもたれ掛かっていたクシナが立ち上がってヤトを覗き込んだ。

 

「ク……ぐ…」

 

「無理に話さなくていいから寝てろ。水は飲めるか?」

 

 声が上手く出せなかったが、辛うじて頷くぐらいは出来たので言われた通り水を頼んだ。

 クシナは水差しからコップに水を注ぎ、ヤトが自力で水も飲めそうにないと気付く。

 だからまず自分の口に水を含んでから、ヤトに口移しで水を流し込んだ。

 少し生暖かくなった水をどうにか飲み下すと全身に力が湧いてくる。水とはこれほどに美味いものだったのかと感動すらした。

 喉が潤い、少し話せるようになった。

 

「僕はどれぐらい寝ていました?」

 

「一日と少しだな。死なないとは思ってたが儂をあまり心配させないでくれ」

 

 クシナの左手がヤトの頬を優しく撫でる。それに声も少し湿っているのは気のせいではない。

 

「すみません。どうにも性分で抑え切れそうになかったんです」

 

「分かっている。だが、儂はまだ孕んでいないんだぞ」

 

 その声はヤトを責めるような、甘えるような、睦言のように艶やかだ。

 とはいえ、さすがにここで子作りを始めるような事は無く、もう一度口移しで水を飲ませてもらい、ヤトは再び眠りに就いた。

 クシナはその晩、ずっと隣で子守をするようにヤトを見守っていた。

 

 

 翌日。ヤトはベッドから身体を起こすぐらいは出来るようになった。そこでようやく寝ていた場所がミソジの家だと気付いた。

 ヤトが多少話せるようになると、カイルとロスタも顔を見せて、心配したと怒られた。

 

「そりゃさあ、僕だって盗賊で殺しもしてるからどっかで怨まれる事はやってるけど、神様相手に真っ向勝負は無茶だよ」

 

 正論だったが逃げる事は無理なので結局は戦うしか無いと返すとカイルは沈黙するしかない。

 それと一度見舞いに来たサロインの話では≪神降ろし≫を行ったミートはまだ意識は戻っていないが生きているらしい。

 サロインの心境は酷く複雑だ。ヤトは勝手に村を出て行った家出娘の仇だったが、結果的にもう一人の娘の暴走を止めた恩人だ。

 それにある意味ではミートもヤトに救われたと言っていい。

 ≪神降ろし≫とは最高位の神官でなければ行使出来ない奇跡であり、行使した者は例外なくその後、魂が砕けで死亡している。

 神の権能をこの世に降ろす憑代とするには人であれ魔人であれ肉体が脆すぎる。だから一度≪神降ろし≫を行えば必ずその者は死ぬ。

 例えるなら素焼きのコップに湖の水を全て押し込むような無茶をしているようなものだ。神の時間にとって一瞬、現世の者でも持って数時間で肉と魂は粉々になる。

 ましてミートは神器を使って無理矢理に神を降臨させた。それでも死ななかったのは、身に降ろした『愛と復讐の女神』の魂をヤトが斬ったからだ。

 だからサロインは娘を救ったと同時にニートの仇のヤトを責められない。

 仮にもしヤトが彼女を殺していたら、娘を二人も殺したヤトと仲間達が村に留まるのを許さなかった。

 なおミートに≪神降ろし≫の秘法を教えたミトラとアジーダは祭事の後に忽然と姿を消してしまって、行方は全く分からなかった。

 祭具の銀の杯も、去り際にサロインの手に渡している。

 結局彼等は祭具を欲していたわけでもなく、何のためにミートに≪神降ろし≫を教えたのかも分からない。

 単に復讐を遂げようとする少女に力を貸しただけとは思えなかったが、利益を得たわけでもなく、居ない者に話を聞くのも無理だった。

 何もかも分からずじまいだった村は、全てを祭という非日常として捉えて、自然と日常へ回帰していった。

 

 重症のヤトはベッドで暇を持て余していたが寝るしかない。

 何しろ両腕は古竜由来の高い再生力でも骨に多少肉が張り付いただけで未だに指が動かない。右足も同様で左足一本では立ち上がるのも苦労する。

 よって食事や排泄は全てクシナとロスタの手を借りねば何も出来ない状態だった。

 とにもかくにも身体を元に戻す必要のあったヤトは食べて寝て不味い薬を飲む事に専念していた。

 実はその苦い薬は村の物ではなく、ヤンキーの置き土産だ。

 彼等は祭事が終わった後にどうすべきか意見が割れた。

 一つは正午を過ぎてしまい、岩山の保管庫に納められなかった祭具奪取の戦いを続ける事。もう一つは損耗の大きさを鑑みて奪取を諦めて帰還する事。

 結論を言えば神官達は戦いを諦めた。

 ミトラによって散々に痛めつけられて、まともに戦えない状態だったのが理由の一つ。

 他にも十全とは言えなくとも≪神≫を斬ったヤトを恐れたのも理由に挙げられる。

 ただ、それらは指揮官のミレーヌの判断にはさしたる価値を持たない。

 神官団を率いるミレーヌにとって最も大事なのは、己の信仰を穢さないかだ。

 魔人族は不倶戴天の敵ではあったが、決して邪神崇拝はしていない素朴な信仰を持つ純朴な民だった。

 彼女の信仰にとって種族と生まれを理由に一方的に邪悪と断じて相手を討滅する事はどうにも納得がいかなかった。

 それに『法と秩序の神』の教義には日々厳しい自然の中で懸命に生きて、ただ豊穣の糧を願う者を殺せなどと一文たりとて記されていない。

 上官に謀られた事もあって、ミレーヌは己の信じる教義に恥じない選択をした。

 彼女は反対する神官を抑え込んで責任者として村に謝罪した。

 村としては長年祭具を狙って襲撃を仕掛けてきた盗賊だ。祭事の時には酒を勧めても、一度祭りの熱が抜けて冷静になれば、残るのは過去に幾度にも渡って蓄積された怒りと不快感しかない。当然恨み言や罵りもあった。

 それでも直接的な暴力を加えなかったのは、全てミトラとアジーダによって流血が未然に防がれた事と、村人自身が血で贖う事を求めなかった故にだ。

 結局村はミレーヌや神官達に何も代償を求めず、ただ二度と来るなとだけ言い放った。

 謝罪を受け取られず、和解も成立しなかった。

 自分自身と自らが属する神殿の犯した罪の重さに打ちのめされたミレーヌは涙を流して帰還を選んだ。

 彼女は帰還した後に上司から糾弾を受けるだろう。仮に邪教崇拝が偽りだったと弁明しても、祭具を持ち帰らず魔人族を討伐しなかった事実は残る。

 神殿での立場も危うくなるかもしれない。しかしそれでも彼女は自らの信仰に正直に生きる事を決めた。

 指揮官の命令により神官達は砂漠を去った。去り際にドロシー達は無惨な両手片足を晒したヤトに謝罪してせめてと薬を置いて行った。

 薬は苦く、どれだけ再生力に寄与するかは未知数でも、謝罪の品とあらば使わないわけにはいかない。

 

 

 祭事から三日が経った。

 一つ村にとって良い事があった。ミートが目を覚ました。

 目を覚ましたミートはただ泣いて、両親に自らの罪の許しを乞う。

 

「この馬鹿娘め。お前が本当に謝罪しなければならないのは私達ではない」

 

「えっ?」

 

「ヤト殿にだ」

 

「ッ!!で、でもあの男はニート姉さんを―――――」

 

 ミートは父親に食って掛かろうとして体勢を崩してベッドから落ちて身体を打つ。

 サロインとフィレは娘を抱きかかえて、ベッドに寝かした。

 

「落ち着いてミート。私もお腹を痛めて産んだ娘を殺した男が憎いわ。でもね、ニートが砂漠の外で一体何をしたのか貴女も見てたんでしょ?」

 

 ミートは母の問いに答える事が出来ない。

 そう、姉が外で一体何をしていたのか見ていた。

 最初は姉の第三の目を通して見る物全てが真新しく刺激に満ちた世界に心が躍った。砂漠では決してみられない緑豊かな世界、見た事も無い華やかで美味しそうな食べ物、多くの種族が行き交う街を自ら歩きたいと思った。

 しかし段々と姉が良からぬことをしているのも見るようになった。

 時に力を用いて相手を破滅させたり、無関係な人間を殺す場面も見た。

 大好きな姉がそんな事をするのは悲しいと思ったが、見るだけで声を伝えられない自分には止めさせることも出来ず、段々と無関係な相手と割り切って見ないふりをした。

 その果てに姉がどうなったかは既に言わずとも分かる。

 

「ヤト殿とクシナさんからニートの事を聞き、ただ悲しくなった。父として神官として子供一人導けなかった。娘のお前にも頼ってもらえない情けない父親だ」

 

「母親として娘の辛さに気付いてあげられなくてごめんなさい」

 

 夫婦は娘を抱き留めて泣いた。娘も堰を切ったように声を上げて泣いた。

 三人が失った物は大きい。されど残った物は確かにあった。

 

 サロイン一家はその日の内に静養していたヤトに謝罪とミートの命を奪わなかった事への感謝を告げる。

 ヤトは右足の踵が使えるようになっていて、辛うじて歩くぐらいは出来るようになっていた。

 

「うーん………」

 

 正直言ってヤトは謝罪など受ける謂れは無かったし、感謝される事すらどうでも良かった。

 傭兵として渡り歩いていた時から怨まれて仇討ちを仕掛けられる事は日常的で、時に十人以上から闇討ちを受けた事も一度や二度ではない。

 色々と怨まれる生き方をしている自覚はあったので、仇討ち程度でいちいち腹を立てるような繊細さは持ち合わせていない。

 それにミートを殺さなかったと言うが、ヤトからすればミートが生きていようが死んでいようが関係無い。結果的に生き残っただけで、戦った相手の生死など些末な問題。

 たまたま生き残ったのなら己に感謝するより、精々その運の良さを信奉する『豊穣神』に感謝すればいいと思った。

 

「断っておきますが、僕は殺し殺される生き方をしていますから、遺恨など持ってませんよ」

 

「それでも私の娘が二人も迷惑をかけた事には変わりはない」

 

「正直ニートを殺した貴方を憎む気持ちはまだあります。でも神の教えに背いた悪事を止めてくれた事は感謝しています」

 

 ヤトはこの手の結論を出してしまった相手に、これ以上何を言っても無駄だと気付いた。

 だから反論などは一切せずに適当に返事をして、さして意味の無い謝罪と礼を受け取っておいた。

 そしてミートもボロボロになったヤトにただ一言「ごめんなさい」とだけ呟いた。

 

「腕がこうなったのは僕が弱かっただけですから。逆に不完全とはいえ神と戦えた事に感謝したいぐらいです」

 

「………やっぱり、あなたやクシナさんのことは理解できません」

 

 まあそうだろう。ただの復讐心に駆られて失敗しただけの村娘に、『剣そのもの』になりかけたヤトの心情など分かるはずもない。

 それでいいのだ。彼女はこのまま辺鄙な砂漠で辛くとも幸福に生きればいい。

 謝罪を済ませた三人はヤトの身体を気遣い長居をしないうように帰って行った。

 ヤトはさっさと忘れて療養に努めて寝る事にした。

 

 

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