東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第2話 前金ありの依頼

 

 傭兵ギルドと呼ばれる組織がある。大陸西部の複数国にまたがり支部を持ち、傭兵達に仕事を斡旋する代わりに手数料を得る営利団体である。

 元はとある小国が外貨獲得のために国民を他国に派遣していたのが組織の始まりとされている。残念ながらその小国は既に滅びてしまったものの、そのノウハウは現在もギルドに引き継がれて有効活用されていた。

 ここヘスティ王国にも傭兵ギルドの支部はある。大抵のギルド支部は酒場と事務所が併設されており、受付にまで酔っ払いの景気の良い話や怒鳴り声が聞こえてくるが、事務員達はそれらの雑音を一向に気にした様子が無いまま機械的に書類を決裁して、ギルドへの依頼者も淡々と手続きを進めている。要は慣れである。

 額に横一文字の刃物傷のある受付の中年男性と話をしていた黒髪黒瞳の青年剣士も、喧騒にはまるで無関心のまま血生臭い革袋を手渡していた。

 

「どうぞ、仕事の成果です」

 

「ご苦労。お前が受けていた依頼はオークの討伐だったな。―――――ふむ、鼻は八つ。まあ、被害規模ならこれぐらいか」

 

 受付の男は討伐した証であるオークの鼻を念入りに調べて、その上で青年の口頭報告に虚偽が無いのを確認した。

 オークは豚に似た容姿をしているので、市場で豚鼻を買って誤魔化す輩が多い。故に受付は丹念に調べて偽っていないかを確認せねばならない。

 それは誰にでも出来る仕事ではない。確かな知識と経験を要求されるので、ギルドの受付は現役引退した傭兵が務める事が多かった。当然、女性は少ない。

 受付の男は青年が提出した鼻は間違いなくオークの鼻と判断した。

 ここでようやく依頼達成と判断されて、傭兵は報酬を得る事が出来た。

 今回青年剣士が受け取る報酬は銀貨30枚。街に住む平民一家なら半月分の生活費にあたる。命懸けの報酬としては高いか安いか判断が分かれる金額だが、金に執着の無い青年にとってはどうでもよい事である。

 

「これで依頼は完了だが、次の仕事は受けるか?トロル討伐はどうだ」

 

「亜人討伐は飽きたので、人間を斬れる依頼でしたら受けます」

 

「盗賊退治も戦も今は品切れだ。諦めろヤト」

 

「つまらない世の中ですね」

 

 ヤトと呼ばれた青年剣士の心底うんざりとした独白に、受付は深い溜息で返答した。

 若い傭兵が名声や金を求めて矢継ぎ早に依頼を受けるのは日常的な光景だが、目の前のヤトに関してはそれに該当しない。こいつはそんな俗な欲望を持ち合わせていないのは、短い付き合いながら身に染みて理解していた。

 ギルドは傭兵個人の気質や思想で差別しない。必要な依頼遂行能力さえあれば―――――明らかな犯罪行為や依頼者との諍いでもあれば別だが―――――人格云々は査定対象外であり、依頼を回さない理由にもならない。単に受付が気疲れするからオーガ≪人食い鬼≫より鬼らしい戦闘狂のヤトの相手をしたくないだけだ。

 

 ヤトもお目当ての依頼が無い事にガッカリして、当座の金は入ったのでしばらく近くの森にでも引き篭もって鍛錬に費やそうと考えていた。

 

 ――――騒動は外より舞い込んだ。

 

 ギルドの玄関から大音量の哄笑と共に二人の男が入ってきた。

 一人は全身余す所なく鍛え上げた筋肉を革鎧で包み込んだ2メートルに達する禿頭の巨漢。手にはアダマンタイトを荒く削り出した重厚な槍。いかにも荒くれ者といった風体の、しかし長い戦歴を感じさせる強者特有の雰囲気を纏わせた戦士だった。自画自賛が煩い。

 もう一人は巨漢のすぐ後ろを付いて歩く子供ほどの小さな髭面の男。背には小さな馬上弓と矢筒を引っ掛け、重たそうに両手で抱えた革袋には血がこべり付いている。小男は巨漢に常に相槌を打ちつつ、会話の中に時折賞賛を添えていた。男は人族ではなく、ミニマム族と呼ばれる亜人種だった

 彼等を見たギルド内の傭兵たちは口元を隠しながらヒソヒソ話をしている。

 

「煩い奴が戻ってきたぜ」

 

「ああ、どうせまた酒場で自慢話が始まるんだろ」

 

「実力があるのは認めるけど性格はクソだからな」

 

「同感。この前も酒に酔って暴れて酒場を荒らしてやがったからな」

 

「そういえばあいつら、前に別の奴と討伐対象の取り合いになって相手に重症を負わせてたぜ」

 

「あんなのがいつまでも幅を利かせていたら俺達まで仕事がやり辛くなるってのに」

 

 禿の巨漢に対する傭兵仲間の評価は概ね『強いが粗暴で協調性に欠けるから関わり合いになりたくない』だった。暴力を糧にする傭兵には、よくいるタイプである。

 傭兵は食い詰め者や貧困の中で一獲千金を夢見る無知以外にも、堅気の仕事に就けないはみ出し者の受け皿として機能している面もあるが、その中でも巨漢の禿男のような簡単に暴力を行使する者は鼻つまみ者として忌避されやすい。

 同僚達からの刺すような視線など意に介さない禿は連れの小男から袋を手渡されて、そのままヤトが報告していた受付の男へ近づいて、ドシャリ!と机に革袋を乱暴に置いた。

 受付が一瞬ジロリと鋭い眼だけを禿男に向けるが、興味なさげに革袋の閉じ紐を緩めた。中には巨大な醜い人型の頭が鎮座していた。

 大きさは優に人間の二倍はある。オークと異なる亜人種、トロルの首だった。

 

「どうよっ!このピラー様の槍にかかれば、トロルなんざゴブリンと変わらないぜっ!」

 

「確かにトロルの首だな。―――が、わざわざ首を持ち込まなくとも鼻で十分だったろうに」

 

「ははっ!!今からこいつを眺めながら酒場で一杯さ!」

 

「飯を食う場所に臭い首を持ち込むな」

 

 受付の至極真っ当な苦言にもピラーは豪快に笑うだけで取り合わない。己の武勲を侍らせての酒盛りは古来から続く伝統かもしれないが、この男は他の客への迷惑など考えもしない。

 何を言っても無駄だと悟った受付はさっさと報酬を出してピラー達を追い払った。

 

「よーし!酒だ酒だ!今日は俺の奢りで飲ませてやる!お前ら付いて来なっ!!」

 

 ピラーの気前の良い誘いに、事務所にいた傭兵たちの一部は喝采を上げた。この男は粗暴で自分勝手だが、金がある時は気前が良い。そして報酬は大抵酒か博打でその日の内に使い切ってしまい、また仕事に精を出す。その繰り返しだった。

 そういう意味ではこれ以上に無いほど傭兵を体現する男と言えた。

 タダ酒にありつけるのを喜ぶ連中を尻目に、興味の無いヤトはどうでも良いとばかりにギルドを出ようとしたが、ピラーに目を付けられて呼び止められた。

 

「そこの女みたいな顔の若造!お前、駆け出しだな。俺様が奢ってやるからお前も来い!」

 

「いえ、僕は酒が苦手なので遠慮します」

 

「おいおい、坊ちゃん。せっかくピラーさんが奢ってやると言ったんだから、ベテランの言う事は素直に聞くもんだぞ」

 

 腰巾着の小男が馬鹿にしたように諭す。

 彼等にとってヤトは明らかに駆け出しの新人である。故にベテランなりの親切心から、傭兵の何たるかを教えてやろうと声をかけたのだ。

 ここでただの新人ならタダ飯タダ酒に惹かれるか、巨漢の威圧に怯えて素直に言う事を聞くだろうが、今回の相手は極めつけの難物だ。彼等が望むような返答などあり得なかった。

 

「これから僕は鍛錬ですので酒など飲んでいる暇は無いんです。他を当たってください」

 

 ヤトもヤトなりに相手の善意を鑑みて努めて丁重にお断りしたつもりだったが、問題は相手がそれを侮辱と受け取った事だ。

 ただの新人が自分の最大限の善意を踏みにじった。そう感じたピラーは全身に怒気を漲らせて睨みつけた。生意気な新人に少しばかり痛い目を合わせて教育してやるべき。彼はそう結論付けた。

 

「そうかい。なら俺様が今からお前に鍛錬を付けてやる!」

 

「えっ、いやピラーさん――――」

 

「止めるなっチン!こういう駆け出しは今のうちに鼻っ柱を折って世の中を教えてやるべきなんだよ」

 

 ざわめく周囲の事などお構いなしにピラーはアダマンタイト製の魔法槍をヤトに向ける。ヤトはそれをまるで他人事のように涼しげな瞳で見つめていた。

 それが腹立たしいが、周りが思うほどピラーは我を忘れていない。相手はただの新人。それも自分より頭一つは低い痩せっぽち。傭兵などやらずに色街で金持ち女の情夫でもやっていればいい優男だ。そんな奴は顔に傷の一つでもつけてやれば大人しくなる。おまけに槍相手に剣では近づくことすら無理。それを今から痛みと共に教えるだけだ。

 

(見ろ。あの小僧、ビビって剣の柄にすら手をかけていねえ。すぐに詫びを入れて頭を下げるぜ)

 

 ほんの僅かに意識を逸らし、ごくごく先の展開を想像したがそれが致命的となった。

 ――――――――首を冷風が通り抜ける。

 鍔鳴りの音に意識を正面に戻すと、いつの間にかヤトは赤剣の柄に手をかけて数歩距離を詰めていた。しかしまだ剣の間合いではない。

 

「ほら、どうした?さっさとかかって来い」

 

「いえ、その必要はありません。もう終わってます」

 

「あ?何が終わったん―――――――――」

 

 ピラーはそれ以上の言葉を紡ぐ事が出来なかった。いや、それだけでなく視界が床を向いていた。

 彼の身体から首が離れて、ゴトリと床を跳ねた。首が転がるたびに血が石床を赤く染めた。

 

「ピッ、ピラーさーーんっ!!!」

 

 相方だったミニマム族の小男が絶叫した。事務所も緊迫した空気が最高潮に達し、ところどころから呻き声と悲鳴が漏れた。

 暴力で日々の糧を得る傭兵に喧嘩や諍いは付き物だが、それでも街中での刃傷沙汰は意外と少ない。まして殺人に至るケースは極めて少ない。それはある種の不文律や時として協力し合う間柄故の仲間意識が一定の歯止めをかけているからだ。

 しかしヤトはそれを容易く飛び越えてしまった。事故でも、勢い余っての結果でもない。純然たる殺意の元に相手を死に至らしめた。

 これにはギルド職員も黙ってはいない。

 

「おいヤト。どういうつもりだ?」

 

「脅したのはあちらですし、槍を向けられた以上は戦です。となれば後はどちらかが死ぬのは道理では?」

 

 受付の男はヤトの言葉に窮する。確かに槍を向けたのはあちらが先だ。

 元々粗暴でたびたび同じような問題行動を起こしていた札付きだから、いずれはこうした結末を迎えると思っていた。しかしだからといって殺人に対して御咎め無しはギルド内の秩序に差し障る。

 現場では手に余ると感じた受付は支部長あたりに判断を仰ごうと思ったが、その前に場違いな拍手が響き渡る。

 

「素晴らしいっ!強者とはまさに君のような男を指すのだろう!天晴よ!」

 

 拍手と共にヤトを称賛した男は傭兵ではなかった。仕立ての良い絹の服に身を包んだ、片眼鏡を掛けた品のある老紳士だ。明らかに荒事には向いていないが不思議と鉄火場が似合う、そんな相反する印象を持つ男だった。

 紳士は血で汚れた床などまるで気にすることなくヤトに近づき、美麗な顔を覗き込む。

 

「ふむ、面構えも良い。急な話だが、私の元で仕事をする気はないかね?」

 

「はあ、仕事ですか?」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいロングさん!ギルドを介さないギルド組員への仕事の依頼は違反です!」

 

 妙な提案をする老紳士のロングを受付が咎めた。

 ギルドは明確な規約があり、組員の傭兵がギルドの仲介を介さずに仕事をするのを許さない。当然発覚したら仕事を依頼する方も今後は依頼を断られるし、傭兵も除名処分によってギルドの恩恵は受けられない。フリーでやっていけるぐらいに実力と信用があればそれでも構わないだろうが、そんな傭兵は極僅かである。そうなれば後は犯罪者か夜盗にでも鞍替えが関の山だ。

 老紳士がどのような地位にある人物かヤトは知らないが、ギルドは確実に突っぱねるだろう。

 しかしロングは笑みを絶やす事なく、極めて理性的に反論した。

 

「では彼を期限付きでギルドから除名すればよい。今回の殺人への処分としては妥当だ。その後に私が彼を個人的に雇う。それならギルドの面子も保たれる」

 

「いや、しかしそれは――――」

 

「勿論、今回ギルドに依頼した盗賊退治の傭兵募集は取り下げるつもりはない。報酬も契約に則って支払おう」

 

 反対意見が封じられてしまった受付は困った。今回の諍いはどちらかと言えば殺されたピラーに過失があるが、ヤトにもなにがしかの処分は必要だ。ロングの言う通り、それがギルドからの除名なら公正な裁きだろう。問題はなぜそこまでして彼が初対面のヤトを庇うかだ。

 

「現場の判断で決めかねるなら後日、私から支部長に提案しよう。どうかな、仕事を請け負ってくれるかね。青年剣士君?」

 

「戦える場を提供していただけるなら了承します」

 

「覇気があってよろしい。三日後の朝に街の西門に旅支度で来なさい。これは前金だ」

 

 ロングは懐から出した革袋をヤトの手に握らせた。中身は銀貨と異なる重み。つまりより価値のある金貨だった。

 

 

 


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