東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第37話 炎を超えて

 

 

 天を裂く白銀の古竜の咆哮。常人ならばそれだけで魂を破壊されてしまう。まるで人類種が神から授かった魔法である。それを生まれながらにして自在に扱う事実が、彼等ドラゴンが神に匹敵する種族と言われてる所以だ。

 しかしこの場においては全くの無意味どころか、大きな隙を生む事に繋がってしまう。

 

「『颯』≪はやて≫」

 

 振り下ろした赤剣から殺意を具現した刃が放たれ、左の翼がズタズタに裂かれた。白銀竜は生まれて初めての苦痛に戸惑いと怒りを覚えた。

 ヤトの『颯』は気功の刃を遠距離に飛ばす技だ。射程が長いが威力はそれほど無く、気功を練る時間もかかるのであまり使う機会がないが、赤剣『貪』の蓄えた魂を糧にして威力を飛躍的に上げて、さらに余波を生み出している。おかげで竜の中でも比較的防御力の低い翼の皮膜ぐらいなら斬れる。

 地を這う生物にとって頭上を常に取られているのは非常に危険である。故にヤトは最初に翼を攻撃して飛ばせないようにした。

 先制攻撃を貰ってしまった白銀竜は翼の痛みに思考を乱されながらも、巨体に似合わない俊敏な動きで突進。生意気な二本足を圧し潰そうとするが、初動を読まれて避けられてしまった。

 反対に、すれ違いざまに剣で胴体部を斬ったが、気功を纏っていないただの魔法剣では、最硬度のアダマンタイト製鎧すら上回る古竜の鱗には傷一つ付けられない。

 さらにお返しとばかりに長くしなやかな尻尾が、まるでハエを打ち払うようにヤトを襲う。

 尾の一撃を紙一重で躱したものの、掠っただけで脇腹の肉が裂けた。恐るべき威力と器用さである。あれは人間の腕以上に自由で繊細な動きをする。それこそ後ろに回り込んでも背に乗っても、容易く相手を打ち払うだろう。相手の死角に移動する戦い方を得意とするヤトにとってはやり辛い相手だ。

 出血による身体能力の低下はバカに出来ないので、一旦離れてから剣の魂を使って治癒力を強化するとすぐさま傷は塞がった。

 ヤトはたった数度の攻防で竜の強さを文字通り身に染みて感じた。否、魂に響いたというべきだ。その上で冷静に勝ち筋を探ろうと知恵を巡らせる。

 

(力は圧倒的に不利。速さはこちらが上。間合いは不明ですが『颯』では骨が斬れない以上は直接斬るしかないので、炎を吐く分あちらのほうが有利。防御は考えるのも馬鹿らしい。治癒力は不明)

 

 大雑把に彼我の能力差を挙げただけでも絶望的である。

 だが、ヤトにとってそれがたまらなく嬉しい。これほど不利な状況は未だかつて無い。しかし己は強い。だから勝てる。例え他者から根拠が無いと言われようが、そんな事は知った事ではない。勝てると言ったら勝てるのだ。その想いが全てを覆すと信じていた。

 様子見はここまで。後は己が持ちうる全てをつぎ込み、恋焦がれる美しい竜を斬る。

 瞬間、赤剣とヤトの周りの空間が揺らぐ。彼の全身から湯気のようなものが立ち昇り、剣呑な威圧感が台地を侵食し始めた。

 それはあたかも世界を己の色で染め上げるかのような不遜で魔的、それでいて美しさすら宿した光景であった。

 相対する白銀竜は傷ついた翼の痛みよりも、ヤトから発せられる全身を突き刺すような威圧感の方を忌避したかった。だが、それでも矮小で小癪な人間から目を背ける事が出来ない。

 何故か―――――竜もまたヤトの傲岸不遜さと、己と対等に戦うために全てを懸ける狂気と呼べる一途さに魅入っていたのだ。それはもしかしたら、恋と呼べるものなのかもしれない。

 しかし今この場は殺し場である。互いに恋慕の情を抱こうが殺し殺される間柄でしかない。

 故に竜は己の身を焦がすような強烈な感情に負けぬ炎でヤトを焼き払った。――――はずだったが、既にその場を離れて肉薄していた。

 剣閃―――――――右の前足が浅く斬られて血飛沫が舞う。この世で最も強固な鱗の護りを只の人が剣一振りで覆した。

 この一撃は単なる剣戟ではない。剣鬼の業、気功術、優れた魔法剣、そして外法。それは剣に蓄えられた魂を全て斬る事のみに傾けて消費した結果実現した、聖浄とは対極にある凶魔の剣である。

 ヤトは握った柄から徐々にそして物凄い勢いで今まで斬って殺した者の魂が失われていくのを感じ取った。魂たちは例外無く、己の存在が消えていく喪失感と虚無感、痛みと恐怖、嘆きと哀しみ。全てが混ざり合わさり慟哭した。

 しかし剣鬼は止まらない。弱者の嘆きなどに微塵も心を動かす事なく、ただひたすらに愛しい竜を斬り、血で大地を赤く染める。

 古竜が反撃に出て、尾が、爪が、翼が、あるいは巨体そのものをぶつけるも、それらは全て躱すか、剣によって叩き落されるか受け流された。そうでなければ脆弱な人の肉体は簡単に挽肉になっていただろう。

 その度に少しずつ魔剣によって美しい白銀の鱗が剥がれていくが、ヤトも竜も全く意に介さず全身全霊を以って触れ合った。

 

 そして剣閃が三十を超え、返り血で目も開けられない様を呈する頃。ヤトは腕に痺れを感じた。否、痺れだけではない。全身の骨格、筋肉、臓腑が悲鳴を上げ始めた。

 何の事は無い。人と比べ物にならない頑強さを誇る古竜の肉を切り裂くには、剣以外に膂力を総動員して一撃一撃を放つ必要がある。それ以外にも迎撃のたびに常識外の負荷が全身に掛かっているのだ。筋肉だけでなく全身の骨格や臓腑にも大きな負担をかけている。その限界が近いというだけの事だ。

 反対に白銀竜の方はまだまだ平気な様子。多少痛みで動きが乱れるものの出血は少なく、無数の傷を負っても致命傷には程遠かった。明らかにヤトの方が不利である。

 ただ、それならば『貪』の中の魂を治癒に回せばいいが、そうなると攻撃に振り分ける魂の量が減ってしまう。既に魂は半分近く消費してしまっていた。このペースでは、あとどれだけ戦えるか。

 そう考えてしまったら、途端に心に飢えが込み上げる。

 

(もっと戦いたい。もっと斬りたい。勝ちたい。負けたくない。生きたい。死にたくない。愛しい方を殺したい。でも死んでほしくない。こんなにも楽しい時間が終わって欲しくない)

 

 心に生じた矛盾、衝動、渇望。それは迷いと呼べる空白の時間。戦場においてそれがどれほど命取りになるのか、ヤトは知っていたにも拘らず、己を律する事が出来なかった。

 勿論その代償はすぐさま支払われる。白銀竜の剣のように鋭い爪が身体を引き裂いた。ヤトの身体はそれでも無意識に反応して、半分だけ身体をずらして直撃を避けた。

 しかしそれでも竜の一撃は途方もない力が籠っていた。ヤトは掠っただけで数十メートルは弾き飛ばされて、石ころのように転がる。

 竜は追撃に炎を吐く事も出来たが、敢えてそれをしなかった。侮ったわけでも情けをかけたわけでもない。ただ、恋情を抱いた敵が立ち上がって、再び挑んでくるのを待っていたかった。

 ヤトはその期待に応えるように剣を杖代わりにしてふらつきながらも立ち上がる。が、左腕がボトリと落ちた。先程掠った爪が切り裂いたのだろう。そして己の左腕が落ちているのを見て安堵した。

 

(利き腕が残っていて良かった。剣が握れるのなら斬れる)

 

 全身血塗れになり、今は腕すら失っても、ただ相手を斬る事しか心に無い。これこそ生まれながらの剣鬼にしか到達しえない境地と言えた。

 とはいえ既に体力と気力は限界に近い。いくら赤剣の魂を消費しても失われた腕までは再生しない。精神疲労も回復しない。

 最低限紐で左肩を縛って血止めをすると、ふらつく足を叱咤して震えを止める。

 

「――――名残惜しいが、次で終わりか?」

 

 白銀竜が轟くように、それでいて寂しげな声をかける。

 ヤトは無言で剣を構える事で竜に応えた。今は声を発する酸素すら惜しい。

 竜が後ろ足で立ち上がり天を見上げる。そして限界ギリギリまで息を吸うと、巨大な身体が二回りは膨張する。古竜の体内に宿った原初の炎の精霊が活発に活動して灼熱の炎を練り上げていた。

 対してヤトもまた、残る全ての生命力を気功で練り上げて赤剣を強化した。さらに内包する魂を限界まで消費して終わりに備える。

 遂に竜の喉が脈動し、全てを灰燼に帰す炎が解き放たれた。

 迫り来る炎の壁。古竜の炎は聖と魔、清と邪、ありとあらゆるものを分け隔てなく焼き尽くす必滅の理。

 ヤトはそれが分かっていても、なお前に一歩踏み出す。そして何年も傍らに置いた赤剣を灼熱の炎に突き出した。

 

「『旋風』≪つむじかぜ≫!!」

 

 喰らった魂によって極限まで強化された赤剣『貪』。その剣に上乗せした気功の暴風が奔流となって炎を逸らす。微かに出来つつある竜への道を、おぼつかない足を叱咤して駆け出した。

 途絶える事無く生み出される炎をギリギリ逸らしながら疾走る。それでも余熱は容赦無く身体を焦がす。既に服は完全に燃え尽き、体毛は頭髪を幾らか残して失われ、皮膚は焼け焦げ、体全体の筋組織が露出する。痛みはとうに無くなっていた。最早生命そのものの機能が壊滅していた。

 しかしそれでもヤトは足を動かす。彼には炎の先の竜しか考えていない。だから手の中の剣が断末魔を上げている事にも気付かない。

 いかに業物の魔剣といえども必滅の炎には耐えられず、内包する魂によって極限まで強化され、その上足りないとばかりに剣そのものが宿す魔力すら強引に汲み上げている。限界を超えて酷使されている剣には無数の罅が入っていた。

 それでも剣鬼は止まらない。ただひたすら前へ前へ。

 果たして戦いの女神はヤトに微笑んだのだろうか。剣が砕ける前に炎の壁が消え失せ、眼前には白銀の竜。彼、あるいは彼女はきっと驚愕していただろう。己の炎をもってしても人一人を焼き払えなかった事に。そして辿り着いた男が既に死にかけていた事に。

 

「―――――――――――――!!!!!」

 

 声帯すらとうに焼け付いた半死人の声無き咆哮と共に、赤い軌跡の剣が閃光のように振り下ろされた。

 

 

 


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