東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第6話 風評被害

 

 

 翌日。ヤトは噴水の前で弓を携えたバインを見つけた。横にはクーとサリオンもいる。

 

「ほう、逃げずに良く姿を見せたな。――――なんでロスティンさんがいるんだ?」

 

「今日の勝負の見届けを頼まれた。ついでに終わったらお前たちの不作法の説教もしようと思う。おっと、言い訳はするな」

 

 何か言う前にロスティンは先手を取って黙らせた。バインは他の二人共々顔色が変わる。浮かんだのは恐れの色だった。ヤトはこの時点で面々の力関係を大体把握した。

 それはさておき、ロスティンの口から勝負は別の場所で執り行う事が告げられた。彼には既に勝負の方法は伝えてある。

 ヤトを先頭に、三人は言われるままに村の外にある湖へと向かった。

 

 湖は朝日に照らされて眩しいが朝の冷気と陽の光が混ざり合い心地良い。風で湖面は波紋を生み澄んだ水を揺らす様は芸術家なら大枚を叩いてでも絵画として残したいと思えるほどに美しかった。

 湖畔には既にカイルとクシナが待っていた。その横ではロスタが二人のお茶を用意している。三人は特に何かをするために来たのではない単なる野次馬だ。

 ロスティンは彼等を気にせず、ヤトとバインの勝負の立会いを始める。

 

「ではこれよりヤト、バインの両名の勝負を始める。バインの矢がヤトに当たり出血した時点で勝ちとなる。ヤトはバインの身体に一度でも触れたら勝ちとなる。なお両者の距離が百歩離れた場所から勝負を始める。異論は無いか」

 

「僕は無いです」

 

「待ってくれロスティンさん!そんな条件じゃ俺が勝って当然だ!!もっと別の方法で―――――」

 

「黙れこわっぱ!!お前はいつから俺に指図できるぐらい弓の腕が上がった!?つべこべ言ってるとお前の負けにするぞ!」

 

 怒気を孕んだロスティンの一喝でバインは後ずさりする。離れていたクーもサリオンも同じように怯んだ。それを見たカイルは昨日からの教師役が意外とおっかない人だと分かって、これから大変になると天を仰いだ。

 異論が無くなった二人は改めて勝負の準備に入る。ヤトは歩数を数えながら離れて、バインは弓の張りを丹念に調べたり矢の本数を確認している。

 十分に二人の距離が離れたのを認め、ロスティンは手を高らかに上げる。あれが振り下ろされた時が開始だ。

 ヤトは腰の大小を抜かずに構えも無い。対してバインは既に矢を二本手にして、いつでも弓に番えられるように態勢を整えている。

 そして手が振り下ろされ、静かな湖に大音声が響く。

 

「はじめぇぇ!!」

 

 弾かれたようにバインは矢を番えて二本同時に上に放った。さらに矢筒から三本を抜いてヤトめがけて放つ。この間二秒に満たない。

 自身に向かって飛翔する矢を見てもヤトは慌てず回避したが、すぐさま次の矢が飛来する。それも真横から左右に一本ずつと上から二本。三本を躱して態勢が崩れた所を直前で曲がるように風を読みつつ曲射して真横に流れた二本の矢と最初の上に向けて射た矢が同時に当たるように仕組んだのだろう。

 しかしそのどれもが地面にへばりつくように身を下げて回避されてしまう。一気に七本の矢を失ったが、それでも構わずバインは矢を放ち続けた。

 

「あいつの弓は大した事無いな」

 

「いやいや、あの人凄い腕前だから。僕よりずっと上手いよ」

 

 クシナが全然当たらない矢を見て下手くそ扱いするが、弓を扱うカイルが反論する。あれは二人の距離が離れているのとヤトが回避に専念しているので下手に見えるだけで、同時に数本を正確な位置に射つつ曲射と時間差まで工夫するバインの腕は一流以上と言って差し支えない。

 

「とはいえそれが分からず無駄に矢を射続けるのは相手の術中に嵌っている証拠だ。まだまだ青二才よ」

 

「えっ誰?」

 

 唐突に後ろから話しかけられたカイルが後ろを振り向くと、そこには腰に短剣を差した大柄な男のエルフがまるで最初からそこにいたように悠然と佇んでいた。

 エルフは基本一定年齢を過ぎると肉体的には老化しないので外見からは何年生きているのか分からないが、纏う雰囲気からこの男はロスティン以上に生きた古のエルフぐらいは分かる。

 

「わざわざ見物に来たのか親父。相変わらず年寄りは暇そうだな」

 

「若い奴のお守りは若いのにやらせるのが筋だからな。年寄りが出しゃばっても良い事なんぞ無い」

 

 ロスティンが父と呼ぶエルフとを見比べると確かに二人はよく似ていた。彼は『火』を意味するナウアと名乗り、普段は村の鍛冶をしていると話してくれた。

 そのナウアは何故かクシナの顔を凝視していた。二人にはかなり身長差があり、クシナを大きく見下ろす格好になるので豊かな胸を覗いているように見える。

 カイルはエルフにもドスケベ親父がいるものだと呆れた。息子のロスティンも恥ずかしいから止めろと父親に説教し始めるが、ナウアは断固否定した。

 

「勘違いするなっ!私はその竜の顔に見覚えがあっただけだ!本当だぞ!!」

 

「それ街の娘を口説く定番なんだけど」

 

「クシナ様はヤト様の奥方なのに平然と口説くなんて最低です。カイル様はこんなロクデナシのクソエルフにはならないでくださいね」

 

「ひどっ!!この人形口悪すぎ!こんな年寄りをイジメおって、お前達には情けは無いのかっ!!」

 

 イジケて地面の草を抜き始めたエルフを放っておいて、カイル達の視線は再びヤトとバインの勝負に戻る。

 あちらはちょうど動きが止まっていた。正確にはバインの矢が尽きてしまい、あとはヤトが彼の身体に触れればそこで勝負は終わる。

 一歩一歩ゆっくりと近づくヤトを前に、バインは悔しそうにする。

 両者の距離が五十歩まで近づいた時、唐突にヤトが足を止めた。

 

「そういえば矢の補充は禁止してないので、仲間に分けてもらってはどうですか?」

 

「なっ、なんだと、俺に情けをかけるのか!?どこまで馬鹿にしやがって」

 

「ではその安い矜持を守って情けない敗者になるといいですよ」

 

 そこでヤトは見届け人のロスティンを見る。

 

「確かに取り決めには道具の規定は何もしていない。お前が取る手は二つだバイン。このまま負けを認めるか、矢を補充して薄くとも勝ちを目指すかだ」

 

 ロスティンの言葉に迷いが生まれたバインは葛藤する。その間にもヤトはさらに距離を詰めて三十歩まで近づいた。

 葛藤の末にバインは近くにいたクーとサリオンから矢筒を受け取り、随分近づいた敵へと矢を放つ。

 ここで初めてヤトは腰から鞘ごと脇差を抜いて矢を払った。流石にこの距離では避けるだけでなく剣で払わねば当たる。

 ヤトが一歩進むごとにバインは矢を射る。近づけば近づくほど矢は避けにくくなるのに、まったく顔色を変えず羽虫のように矢を打ち払う様は理不尽と恐怖そのものだった。故にただひたすらに負けたくない一心で弦を引く。

 それでも矢はかすりもせず、とうとう両者の距離はあと十歩まで縮まった。この距離ならヤトの剣は一足で届く。

 

「次で終わりです。まあまあ緊張感のある稽古が出来ました。そこは礼を言っておきますね」

 

「はぁはぁ―――ふざけるなっ!どこまで俺を愚弄する!!」

 

「それは貴方が弱いからです。悔しかったらもっと腕を磨いてください」

 

 その言葉に怒りのまま最後の矢二本をほぼ狙いを付けずにノータイムで放つ。が、来るタイミングが分かっている攻撃に当たるほどヤトは抜けていない。

 距離を詰めながらあっさりと矢を躱してバインに触れようとしたが、右手に握られた短剣がヤトの胸に吸い込まれた。

 ――――――はずだったが、最後の賭けはレイピアの柄で受けられて失敗した。そして鞘入りの脇差で右手を叩かれたバインの負けとなる。

 

「そこまで。勝敗は言わなくても分かるな」

 

「くっ!」

 

 バインは右手を抑えて苦悶の声を上げる。腕の痛みよりヤトに負けて絶対の自信を打ち砕かれた事が一層精神を打ちのめす。

 

「僕の勝ちですね。では勝者として命令します。僕が村にいる間はこれからも稽古に付き合ってもらいます」

 

「ぐぬぬ、良いだろう」

 

「そうそう、僕に矢を当てたら命令は破棄しますので頑張って腕を上げましょう」

 

「言われなくともっ!!」

 

 バインはクーとサリオンとで、あちこちに散らばった矢を回収してから怒りのままに村に帰って行った。あの様子では悲嘆に暮れるよりすぐさま鍛錬を始めるだろう。実に都合が良い。

 ヤトは見届け人を務めてくれたロスティンに礼を言い、隣にいたナウアの事を尋ねると本人が名乗る前にカイルがクシナの胸をガン見したエロジジイと説明した。

 クシナはたかが胸を見られた程度で動じるような価値観は持ち合わせていないが、旦那のヤトは無言でニコニコしながらナウアに近づき、レイピアの柄で彼の腹を突く。

 普通なら奇襲に反応すら出来ないが、驚くことにナウアはあっさりと柄を横に動いて躱す。さらに躱すのを見越した反対からの脇差の横突きも腕を掴んで止めた。

 

「胸を見たのは誤解なのだがな。少しは落ち着いたか?」

 

「いいえ全く。なんて素晴らしい」

 

 何がとは言わない。ヤトの判断基準は生まれてから一度たりとも変わる事が無い。すなわち相手が強いかどうかだ。

 一瞬の交わりでナウアの力量を読み取ったヤトはすこぶるご機嫌だ。今のに比べれば先程のバインとの勝負など子供の遊びに等しい。

 剣鬼の笑みを見たナウアは面倒な相手に目を付けられたと感じてそそくさと退散しようとしたが、剣鬼が先に逃げ道を潰すように立ち回る。

 

「クシナさん、村に帰ってたらこの人に舐めまわすような視線で胸を見られたって言いふらしてください」

 

「ん?まあいいが、胸ぐらいいいだろうに」

 

「僕が嫌なんです。他の男に奥さんを必要以上に見られるのは腹が立ちます」

 

「お、おう。それならしょうがないな」

 

 何だか分からないが、番のヤトに強く言われてはクシナも照れながら了承せざるを得ない。

 何だか知らないままに変質者にされた挙句に若い夫婦のイチャつきに利用されたナウアは世界の無情に内心抗議したが状況が好転する筈が無い。せめて息子に助けを求めると、ロスティンは不承不承ながらヤトとクシナに思い留まってもらおうと説得する。

 

「僕も外道では無いのでナウアさんと正々堂々戦う事でケリをつけましょう」

 

「良かったな親父、戦いでケリが着くぞ」

 

 殆ど言いがかりからの脅迫で戦う羽目になったナウアは疲れたから明日にしてほしいと頼んで村に帰った。今日は酒を飲んでふて寝でもするに違いない。

 ヤトはなんの打ち合わせもしていないのに即興で合わせてくれた面々に礼を言った。特にロスティンは自分の父親を虚仮にしたのに同調してくれたのは意外だった。

 

「親父はずっと暇そうにしてるから、たまには運動ぐらいしたほうが良い。ただ分かってるだろうが恐ろしく強いぞ」

 

 なぜ協力してくれたのか分かった。彼は父親がヤトに負けないと信じているから安心して戦わせられるのだ。

 曰く今は鍛冶師の親父だが、かつては本物の竜殺しで闇の精霊とも戦った稀代の戦士だったそうだ。

 普通なら大ボラの類だろうが、先程の動きを見るに真実だろう。だからこそヤトは喜びを隠さなかった。

 明日もこの平和な村に一騒動起こるのをロスティンは予想した。

 

 


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