東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第8話 カイルののんびりした日々

 

 

 エルフの村は暦の上で冬真っただ中でも暖かい。既に一か月以上寝起きしていたカイルは住み心地の良さに段々定住したくなっていた。

 カイルは今、村の横を流れる川に素足を突っ込んでボケっと座っていた。流石に水は冷たいがそれでも真冬の雪交じりの水よりはずっと温かい。

 彼がなぜこんな事をしているかと言われると、決して暇を持て余しているとか、洗濯に来ている女性達の無防備な艶姿を覗きに来ているわけではない。多分。

 足を水に漬けているのは指導役のロスティンに言われて水の精に触れて仲良くなるためだ。

 カイルはおそらく森で生まれたが、そのまま育っていない。盗賊に攫われて幼少期を街で過ごした。そのためエルフとして森にすむ精との付き合い方を知らない。

 幸い育ての親がエルフの血を引くロザリーだったので、基本的なエルフの知識は教えられているのが救いだが、一番大事な精霊との付き合いは実際に経験しないと身につかない。なので村に来てから一か月、ずっと水に漬かったり草の上で寝たり木登りに費やしていた。

 おかげで少しは精霊の存在を認識出来るようになった。今もすぐそばで形容しがたい不定形の水精が周りを踊っているが、残念ながら何を伝えたいのかは分からない。

 横を見てみれば女衆が持ってきた洗濯物を水の精が洗浄して綺麗にしていた。その間彼女たちはお喋りに興じて若い娘は水遊びだ。街の洗濯に比べれば随分と楽なものである。

 

「カイルお兄ちゃん、今日も精霊さんたちと仲良くなる練習?」

 

「そうだよパドラ。なんだか楽しそうに踊ってるのは分かるよ」

 

 カイルに話しかけてきたのは彼より少し年下に見えるパトラと呼ばれた少女。茶色というより銅色の髪を右サイドで結んだ可愛らしい娘だ。村に来て最初に仲良くなった。

 パドラはそばで踊っている水精に頷いては同意したような仕草をする。彼女は水精が何を言いたいのかすぐに分かった。

 

「水精さんはお兄ちゃんの手品が見たいって」

 

「またか。僕は盗賊で手品師じゃないのに」

 

「えー私も見たいーお願いー!」

 

 後ろから抱き着いてお願いしてくるパドラにやれやれと思いつつも、妹が出来たみたいで何だかんだノリが良くなったカイルはポケットに入れてあったドングリを取り出して上に向かって放る。

 落ちてきたドングリを幾重にもフェイントを混ぜた素早い手つきで掴んで両手を差し出した。手品の基本コインマジックだ。

 

「ほい、どこにある?」

 

 今まで何度もやったやりとりだが、その都度パドラも水精も当たったためしがない。

 

「えっと昨日は左手だったけどその前は胸ポケットの中だったし、私は右手。――――うん、水精さんはお尻のポケットだって」

 

「二人ともハズレ。正解はぺっ、っと」

 

 カイルは両手を開けて空を見せつけながら口からドングリを吐き出した。これにはパドラはずるいと非難轟々、水精も身体をウネウネ動かして抗議の体を取っていた。

 二人は何度もこうしたやり取りを繰り返しては仲良くなっている。それを周囲の大人たちは微笑ましく見守っていた。

 

 

 水辺で一仕事終えたカイルは森に移動すると、そこで見知った顔に出くわした。ヤトに突っかかったバインに引っ付いていたサリオンが森に落ちている枝木を拾っては籠に入れている。

 

「やっほーサリオン、今日は一人?」

 

「やあカイル。今日も精霊と仲良くなりに来たの?」

 

 二人は互いの手を叩いてイェーイと言い合う。まるで十数年来の幼馴染のような振る舞いだった。

 この二人が仲良くなったのには深い理由は無い。単に年の近い同性が他に居ないからだ。年の近いバインやクーは強制的にヤトの鍛錬に付き合わされているか、自己鍛錬で忙しい。だから二人より年下のサリオンは微妙に放置されていた。そこで何気なくカイルと接していたらいつの間にか仲良くなっていたわけだ。

 

「師匠からそろそろ炉に使う木を集めて来いって言われてさ」

 

「ふーん、じゃあその内何か作るんだ。もしかしてアニキの剣とか?」

 

「多分違うんじゃないかな。ヤトさんの剣を打つのは長に駄目だって言われてるし」

 

 師匠とは鍛冶師のナウアの事で、サリオンは鍛冶見習いとしてナウアに師事している。枝木を集めるのも見習の仕事だ。

 カイルはただ見ているのも暇なので枝木集めを手伝う。ただ拾うだけではなく、森の精霊と仲良くするために木々に触れたり、時折草花に話しかけたりもした。

 すると水の精と似たような、花の形をした浮遊体や木の形の発光体がカイルの周りに集まる。これらは全て森の精霊だが、やはりまだ意思疎通は無理そうだ。

 単に枝集めは退屈なので二人は適当に喋りながら作業をしていた。

 

「それにしてもあのヤトさん滅茶苦茶強いね。稽古だけど師匠と互角の相手なんて長ぐらいしか知らないよ」

 

「僕としてはアニキが勝てないナウアさんの方がビックリだよ。なんで鍛冶屋してるのさ」

 

「『剣を使えない奴に良い剣は作れない』師匠の口癖。でも他の年寄りから言わせたら昔に比べて腕はかなり鈍ってるんだよ」

 

「うはっ、さすがは神代のエルフ戦士。おとぎ話の勇者みたい」

 

 カイルが楽しそうに口笛を鳴らすと、サリオンも連れられて口笛を鳴らすがいまいち上手くいかない。口笛は盗賊の必須技能で仲間への合図として使われるので、盗賊として育てられたカイルが上手いのは当然だった。

 なかなか上手く出来ないサリオンにカイルが口笛の手ほどきをすると、森の精霊たちは口笛に合わせて楽しそうに踊っていた。こちらの精は音楽が好きなのだろう。

 サリオンが上手く口笛を吹けるようになる頃には必要な枝は集まった。鍛冶に使うには全然足りないように思えるが、古代エルフの鍛冶は人やドワーフと違って火の精の助けを借りて行うので、燃料になる木や炭が圧倒的に少ないのが特徴だ。その上、ドワーフの名工に匹敵する作品も多いので羨ましい限りだ。

 彼はカイルに礼を言いつつ、言伝を預かっていたのを思い出して伝える。

 

「師匠から話を聞きたいから鍛冶場に来てくれって」

 

「僕に?何だろう」

 

「それは本人に聞いたほうが早いよ」

 

 それもそうだと思ったカイルはサリオンと一緒に鍛冶場に向かった。

 

 

 枝木を分けて運んで来た二人は鍛冶場に居たナウアに迎えられた。

 

「手伝ってもらってすまんなカイル。サリオンは枝木をいつもの所に置いておくように」

 

 サリオンは言われた通り枝木を鍛冶場の裏手に運び、残ったカイルは椅子に座るように勧められた。

 ナウアも椅子に腰かけて対面になる。この態勢は理由も無いのに結構緊張する。

 

「わざわざ来てくれて助かる。それでお前に聞きたいことがある」

 

「僕に答えられることならいいよ」

 

「そう大したことではない。お前の仲間のクシナだが、あの容姿が元は誰の顔なのか知っているか?」

 

 やや厳しい口調で問われ、カイルはすぐさま答える事が出来ない。

 なぜナウアがそのような事を聞きたがるのか分からなかったが、威厳に満ちた声に流されるように答えてしまった。

 

「昔クシナ姉さんを倒そうとした女の人だって事ぐらいしか知らないよ。強かったから少し覚えてて姿を借りたって言ってた」

 

「そうか、あの娘は古竜に挑んだのか。莫迦なことをしおって」

 

 ナウアは深い知性を宿した瞳を閉じて完璧な均衡の面に慙愧の念を浮かべた。しばらく後悔に満ちた冥福の言葉を呟いた。

 ほんの一分続いた死者への言葉が終わり、老エルフはカイルに礼を言う。そして彼はつい先日の事を思い出すかのように話し始めた。

 

「あの娘マルグリットはほんの三百年前にこの村に来た旅人だ。太陽のように明るく温かい笑みの娘だった。剣も中々才があってな、私が一振り拵えてやった」

 

 彼のような長い時を生きるエンシェントエルフにとって三百年はつい最近だ。

 

「姉さんみたいに角が生えてて小柄だったの?」

 

「小柄なのはそうだが、角は生えてなかったぞ。あれは人族でこの国の貴族だと言っていた。家が窮屈で勘当されて仲間と旅をしているともな」

 

 まるで近所の悪戯する子供を叱ろうか諭そうか迷っているような顔を見せる。あるいは孫に手を焼く祖父のような心境なのかもしれない。

 

「私や村の者たちの戦いの詩や冒険話を楽しそうに聞いていてな、自分達も同じような事をしたいと笑っていた。身の丈に合わない事は身を滅ぼすと言い聞かせたのだが」

 

「姉さんを怨んでる?」

 

「まさか。当人達も納得して挑んだだろうし、所詮私達エルフとはともに歩けぬ定命の人族だ。どう死んだところでさして変わらん。野垂れ死にしなかっただけマシよ」

 

 口では何ともないように言っても寂し気な瞳を見たカイルは少しだけお節介をしたいと感じて、どんな剣だったのか尋ねた。

 

「あの娘の力量に合わせた並のミスリル剣だ。家出したくせに家の紋章を刻んでくれと注文を付けた困った奴だった。確か花の紋だったな」

 

 思い当たる節があったカイルは中座して家に戻って荷物を漁り、勝手にヤトの使っていた折れたミスリル剣を持ってきた。

 半ばまで折れた剣を手にしたナウアは我が子の頬を撫でるように指を錆びた刀身に這わす。

 

「この剣は間違いなく私が鍛えた剣だ。しかしミスリルが錆びるとは何を斬った?」

 

 元来ミスリルは錆びる事の無い魔法金属。それも古代エルフの名匠が鍛えたミスリルが錆びるなど尋常な事ではないが、実際に錆びているのでナウアは首を捻るしかない。

 カイルが大雑把に死霊術で蘇らせたドワーフの王を斬ったとだけ伝えると、死者を弄んだ術師に悪態を吐きながら腐毒を操る力量を褒めもした。

 さらに彼は有無を言わさぬ口調で折れた剣を預からせてもらうと告げる。ヤトの持ち物なのでカイルの一存では決めかねるのだが、前に持ち主が適当な所で処分しようと言っていたのを思い出して、事後承諾でも良いだろうと思って了承した。

 

 話が終わると雑用を済ませたサリオンが戻って来たので、夕方まで鍛冶場でダラダラ喋りながら時間を潰してから家に帰った。

 村に来てからは毎日このように充実した時間を過ごすカイルだった。

 

 


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