東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第9話 亡き友に捧げる焼き菓子

 

 

 自律式ゴーレムのロスタは自問自答する。なにゆえ己は族長夫人のケレブを含めたエルフの婦人達の着せ替え人形にされているのか。確かにゴーレムは自分で動く人形の類と言えなくもないが、その役割は主に侍り世話をするのであって、決して玩具扱いを受けるためにあるのではない。

 もし主が様々な衣装を着せて夜伽を命じたり愛でるのであれば全力で応えるつもりだが、残念ながら主のカイルは興味津々な様子でも奥手で手を出そうとしない。あるいは遠方に居る懇意にする王女に操を立てているのかもしれないが、自分のような人形相手ならば気にするほどでもなかろうに。

 話が逸れた。ともかく主が望むならどのような事も受け入れるが、今回の相手は世話になっているとはいえ大して関わりの無い婦人達だ。断る事も出来るがどうにも断りづらく、結局流されるがままに玩具にされてしまった。

 幸い遊び心を満たしたケレブ達からは解放されて元のメイド服に着替えたが、今度はお菓子作りを手伝ってほしいと言われて、いつの間にか厨房で臼を引いて小麦粉を作らされている。

 臼は重いので回すには意外と力が要る。女手には重労働だから疲れない人形の自分が選ばれたのではないかと疑うが、隣で談笑しながら軽々と臼を引く婦人達を見て、主カイルを筆頭に神代のエルフは人間より身体能力に秀ででいるのを実感する。

 大量の小麦を粉にし終えて調理台に乗せ、卵とヤギの乳から作ったバターと粉を根気よく混ぜ合わせて生地を練る。生地作りはかなり力のいる重労働だが、エルフの婦人達は誰もが鼻歌交じりにそれをやってのけた。

 

「ふふふ」

 

「どうなさったのですか奥方様」

 

 ロスタは唐突に笑みをこぼすケレブを訝しむ。奥方は疑問に答えず、ロスタの鼻先に付いた白い小麦粉を自分のエプロンで拭き取った。

 

「ずっと昔、まだ夫と一緒になる前にあなたとよく似た女の子とこんな風にお菓子を作ったの。その子も今みたいに顔を汚していたわ。それが懐かして」

 

「その方は今は?」

 

「……遠い昔に死んだわ」

 

「残念です」

 

 それっきり話は途切れたが、生地作りは続けられた。

 よく練った生地を手の平に収まるぐらいの大きさの四角に整えて、十字を刻んだ上の部分にハチミツを塗る。それらを温めた大きな石窯に入れて焼き上がるのを待つ。香ばしい匂いが辺りに広がる。

 待っている間、婦人達は傍にある切株の円卓でお茶会を始める。椅子は切株から伸びた太い根だ。ロスタはメイドとして給仕をしていたが、それが終わると同席を勧められた。

 ロスタが席に座ってからケレブはポツリポツリと昔話を始める。

 

「もう三千年も前。定命の者にとっては伝説の時代、私達神代のエルフにとっても遠い昔の出来事。この大陸…いいえ、世界の命運をかけた大戦乱があったの」

 

 ケレブの言葉を皮切りに婦人達が唄うように一人また一人、森の小鳥のように美しい声に乗せて朗々と太古の歴史を語り始める。

 

「『アーリマ戦役』。後から生まれた私達にはそう教えられました」

 

「それは魔人族の不死王アーリマが邪精霊や醜悪な亜人達を率いて世界を手にしようと挑んだ戦いでした」

 

「不死の王に対して我々エルフは種族の壁を越えて結束、人間、ドワーフ、幾多の獣人、ミニマム族と共に自由のために戦いました」

 

「中には気まぐれに古竜が両方の陣営に参加して、夥しい災厄を撒き散らしたとも」

 

「あらゆる種族に悲劇が生まれ、星の数ほどの命が散って逝き、誰もが嘆き悲しんだのです」

 

「それでも戦士たちは華々しく、雄々しく、誇り高く戦い、ついには不死王アーリマも自由の戦士たちの手で討たれたと聞きます」

 

「魔人族の多くは死に、邪精霊は世界から追放され、悪しき亜人は衰えて、人々は今の繁栄を手に入れました」

 

 婦人たちの唄はここで終わるが、悲し気な眼差しでロスタを見るケレブが後を引き継いで過去を悔いるように語る。

 

「その戦で私の父や兄を始めとした多くのエルフも散りました。犠牲となった者の中には妹のように思っていた幼いレヴィアも」

 

 レヴィアという名を聞いたロスタは胸の奥からこみ上げる説明しようのない声無き慟哭に混乱する。以前に魔人族の話を聞いた時も同じような衝動を味わったが今回はそれ以上だ。なぜ人形であるはずの己がこうまで動揺しているのか理解出来なかった。

 ロスタの内面を知ってか知らずか、ケレブはそのまま遥か昔に亡くなった少女との思い出を話し始めた。

 レヴィアは幼い頃から非常に活動的な少女でいつも森の外に出かけては傷だらけで帰って来ては家族に叱られていた。時に近くで悪さをしているゴブリンを討ち、親の居ない狼の子供を拾っては自分で育てる。一人で雪山に登って雪精と仲良くなったと思ったら喧嘩になって雪崩を起こすなど。

 とにかく手のかかる少女だったが、それでもケレブにとっては一番大切な年下の友人だった。

 彼女達の楽しくも騒がしい子供時代は大陸全土を覆う魔人族との戦乱によって容易く崩れ去った。

 多くのエルフの大人や若者が戦士として参戦し、村には他種族の戦士が幾人も訪れた。

 レヴィアは何を思ったのか、その中の戦士の一団に加わり村を出て行ってしまった。

 

「そして戦いの中で彼女は命を落としました。その時ほど戦乱を怨んだ事はありませんでした」

 

 ケレブの悲しみに暮れる言葉に他の婦人達も同調する。彼女達も直接ではないにせよ古い親族を亡くしている。悲しみを共有するには十分だった。

 そこで窯の焼き菓子が焼けたのに気づき、中から取り出して焼き加減を確かめる。焦げたハチミツの光沢と程よく焼けた小麦の色に婦人達は満足げだ。

 彼女達は小さめの菓子を幾つか千切って試食する。ハチミツの甘さとバターの深い味わい、焼けた小麦の香ばしさに誰もが頬を緩ませた。この焼き菓子はレヴィアが好きだった菓子らしい。

 出来上がった菓子は婦人達のお茶のお供にして二度目の焼きに入る。こちらはそれぞれの家のお土産用だ。

 ケレブは菓子を楽しみながら話を続ける。

 

「ロスタ、貴女はまるでレヴィアの生き写しです」

 

「では私の容姿の元になったのでしょうか?」

 

「それは私にも分かりません。あの子が死んでから随分と時が経ちますから全くの偶然と考えた方が良いのでしょう」

 

 ケレブはそう言うが、それでは己の身から湧き上がる衝動の説明がつかない。しかしこの場で族長の奥方を問い詰めるのは作法に反する。道具である己が主に恥をかかせるのは認められない。

 結局疑惑はそのままに、ロスタは二度目の焼き上がりまで無言のままだった。婦人達は出来た焼き菓子をバケットに詰めてそれぞれの家に持ち帰る。ロスタも人数分の菓子を持たされて、しこりが残ったまま帰路に着く。

 心なしかしょんぼりしたゴーレムの背中をケレブは見守り、誰かを責めるかのような呟きを漏らした。

 

「顔に似合わず感傷が過ぎますよ。あの子がもう居ないのは貴方も分かっているのに」

 

 呟きには悲しみとも呆れともつかない、しいて言えば聞き分けの無い子供をどう叱っていいのか分からない苦悩が宿っていた。

 

 

 ロスタが家に帰ると居間にはソファに寝転がってダラダラしていたクシナが出迎える。

 

「ただいま戻り――――駄目ですよクシナ様」

 

 挨拶をする前にクシナが焼き菓子の甘い匂いを嗅ぎつけてバケットをひったくろうとしたが、その前にロスタが両手で高く持ち上げて防いだ。

 

「むー、ちょっとぐらいいいではないか」

 

「もうすぐご夕食なんですから駄目です。それにこれはカイル様やヤト様へのお土産でもあるんですから、お二人が帰ってからです」

 

「その前に儂が味見をだな」

 

「すでにエルフの方々が済ましていますからご心配に及びません」

 

 二人のお菓子をめぐる攻防はヤトとカイルが帰ってくるまで決着が付かなかったが、いつの間にかロスタの悩みは思考の片隅に追いやられていた。

 

 


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