素直に赤髪の女騎士に従った二人は城の中の客室らしき部屋に通された。部屋の調度品はどれも一流、メイドが用意していた茶と菓子は匂いだけで貴族が食すと分かる上等な品だ。間違っても単なる旅人へのもてなしではない。
ますます疑問に感じるヤトとは違い、クシナは席に座る前にお菓子を摘まんでご満悦だ。傍から見れば実に行儀が悪い。
女騎士はそんなクシナの様子を見て呆れながら苦笑するも、すぐさま元の引き締まった顔を作り直した。
「それで茶菓子を用意してくれたのは礼を言いますが、そろそろ連れてきた理由を話してもらえませんか。えっと―――」
「名乗りが遅れました。私は騎士カレンと申します。お二人といいますか、私が命じられたのはお連れの婦人を連れて来る事です。もうすぐいらっしゃると思いますが」
数分後。言葉通り、何人もの足音と客室の扉をノックする音が響く。
カレンが扉を開け放つと、最初に飛び込んできたのは身なりの良い5~6歳の幼児だった。子供は一直線に茶菓子を齧っていたクシナに近寄ってじっと顔を見据える。
凝視されて心なしか居心地が悪そうなクシナと対照的に、子供は咲きほこる花のような笑顔で叫んだ。
「やっぱり似てる!!母上だっ!!」
「んん?儂の事か、ちっこいの?」
「そうだよ!あっカレン、連れてきてくれてごくろうさま」
「もったいないお言葉ですルイ様」
ルイと呼ばれた幼児がクシナに抱き着く。クシナは生まれて初めての経験に珍しくオロオロしてヤトに助けを求めたが、ヤトも何が何だか分からずにカレンに事情を聞く。
「このお方はこの国の王子のルイ様でございます。お二人を連れてくるように私に命じました。理由はその……ルイ様の母君にお連れのご婦人が似ていらしたからでしょう」
ヤトはその母親がどうなっているのかを聞かない。母親に似ているだけで兵を使って連れてくるような真似をする以上、死んでいるのか遠く離れて容易に会えないのはすぐに分かった。
ルイは幼児特有の遠慮の無さでベタベタと顔や角を触ったり、怒涛の如く質問を浴びせてクシナを困らせていた。助けても良かったが嫁が困る姿が珍しかったので、ヤトは黙って二人の微笑ましい触れ合いを眺めていた。
子供故にあちこち話が飛んで分かり辛かったが話の内容を統括すると、城の塔からクシナの顔を見たルイが側付きのカレンに頼んで城に招いた。本当の母親は二年前に死んでいる。父は仕事が忙しいから構ってくれないのと、今は新しい母親がいるらしいが、本当の母ではないので嫌らしい。それと新しい母親に子供が出来て、父がそちらに興味を向けているのも面白くないとこぼしていた。
「そしたら母上がそとにいたから来てもらったの!」
「いや、儂はお前の母ではないからな」
「そんなことないもん!母上は母上だもん!!」
クシナの言葉にも耳を貸さず、駄々をこねて母だと言って聞かず騒ぎ立てる。
一方で部屋の外が騒がしくなり、待機していた兵士と別の一団が整然と足音を立てて中に入って来た。そして最後に入って来たのは兵士ではなく純白のマントを靡かせた壮年の男性。ルイと同じ金髪の上には無数の宝石を散りばめた金細工の冠を乗せている。
男は部屋の中を一瞥して、クシナを見た時に一瞬だけ目を見開いたが、すぐさま目を閉じて何かを振り払う仕草をしてから、膝をついてルイに向き合う。
「父上!!あのね母上がね――――」
「ルイよ。数学の勉強はどうした?」
「でも、母上が…」
「お前の母はどこかに行きはしない。後で話す時間はたっぷりあるのだから、今は勉強をする時間だ。分かったな」
父親の有無を言わせない気迫に気圧されたルイは反論せずに、クシナに笑みを向けた後に大人しくカレンに連れられて部屋を出て行った。
ルイの父親は息子の後姿を見送ってからヤト達に向き直る。
「息子が粗相をしたようだな許せ。名乗りが遅れたが、この国の王を務めるルードヴィッヒだ。お前達も名乗るがいい」
決して高圧的な口調ではないがそれでも問われた者は緊張を強いられる、そんな威厳に満ちた王に相応しい声を持っている。
ただしヤトもクシナもその程度で委縮するほど可愛げのある育ちはしておらず、ごくごく自然体で素っ気なく名乗った。
ルードヴィッヒはふてぶてしい二人を特に気を悪くせず、ただついて来いとだけ言ってスタスタと部屋を出て行ってしまった。
別段ヤトは無視しても良かったが、なぜ子供がクシナを母と呼んだのか話を聞かねばならないので王について行った。
王とともに二人が来たのはルードヴィッヒの私室と思わしき部屋だった。中は手の込んだ調度品で埋め尽くされていたが煌びやかな装飾は少ない。部屋の主の性格が出ているのだろうが、問題はそこではない。
壁に飾られた一枚の女性の絵が最も目を惹いた。温和な笑みの美しい金髪の女性だった。
「なるほど。この絵の婦人があの子供の母ですか」
「そうだ。そして私の最初の妻でもあった。ルイはよくこの絵を眺めていた」
「この絵の女が儂によく似ているのか?よくわからん」
クシナは絵の人物をしげしげと眺めて自分の仮初の顔をしきりに触っているがよく分かっていない。
ヤトも絵を観察すると、なるほど顔立ちがクシナとよく似ている。髪の色の違いと角の有無を除けば、ほぼクシナと言って差し支えない。母の恋しい年頃のルイがクシナを母と呼ぶのも納得だ。
ルイの事情は分かったが問題はクシナが母親でもなければこの国の事情に付き合う必要が無いと言う事だ。今すぐにでも出て行ったところで咎められる謂れはない。
ルードヴィッヒもそれを察しているのだろうが、内心を表に出さずヤト達にテーブルに就くよう促す。二人が椅子に座り話を聞くのを見て、少しだけ申し訳なさそうに話を切り出した。
「お前達には暫くこの城に留まって息子の相手をしてもらいたい。無論礼は望みのままに与えよう。そう悪い話ではないぞ」
「返答する前に不躾な質問になりますが、貴方はクシナさんを見てどう思いました?」
「………本音を言えば一瞬亡き妻のシャルロットを思い出したがすぐに違うと悟った。私はお前の連れ合いを奪うつもりはない」
ヤトの質問の本質を察した王はすぐさま否定する。王の目を真っすぐ見つめたヤトはその瞳に嘘を見出さなかった。もちろん王たるもの感情を表に出さないよう振舞うのは当たり前のように出来るが、おそらくは偽らざる本心のように思えた。
仮にルードヴィッヒが妻の幻影をクシナに求めて彼女を手籠めにしようとしても不可能と分かっている。下手をすれば怒ったクシナに城どころか都全てを焼き払われるのを心配したほうがいい。
それにカイルの修業はあと二か月かかる。その間、どうせ宿をとるのだからこの際、城に客として居着いてしまえば衣食住に困るまい。
「僕は構いませんが、当事者のクシナさんはあの子供に二か月付き合えますか?」
「儂は親など知らんが、要はあのちっこいのと遊んでいればいいのか」
「そういうことになる。妙な頼みを聞いてくれたのだから、こちらもお前達の要望には可能な限り応えよう。城に居る間は遠慮せずに申し出るがいい」
ルードヴィッヒとの私的な謁見は終わった。
そして王から実質的な白紙命令書を貰い、ヤト達は用意された部屋に案内された。部屋は隣接した貴族用が一人一つ。おそらくこれはヤトとルイが顔を合わせないよう配慮したのだろう。快適な生活は手に入ったが夫婦生活は中々難しそうである。
ヤトは部屋付きのメイドにルイの授業時間を聞き、まだ幾らか時間があるのを確認してから隣の部屋を訪れた。こちらの部屋の床にはなぜか何着ものドレスが乱雑に落ちていて、若いメイドが非常に困った顔をしていた。
クシナは貴族用の大きなベッドでダラダラ過ごしていたが、ヤトの顔を見て勢いよく起き上がる。
「ヤトぉ、こいつが儂に服を着ろとうるさい」
ジト目でメイドを睨む。多分ルードヴィッヒが気を利かせてラフな格好のクシナのために色々と服を用意したのだろう。
「そのぉ、失礼ですが今のお姿でルイ様にお会いになられるのは色々と差し障りが……」
メイドが言いにくそうに申し出る。言いたいことは分からないでもない。王子の遊び相手を務める女が半袖短パンでは城の貴族共が格式が何だのと余計な口を挟むだろう。だからせめて格好でも整えさせたかったのだろうが、そもそも竜である彼女が服そのものを好まないのを知るはずもなく、結果は御覧のありさまだ。
ヤトは床の赤い長袖のドレスを拾って広げてみる。絹製で細部にまで丹念に刺繍の施されたドレスはこれ一着で平民の年収を楽に超えるはずだ。金の問題ではないが、これほどの良い品を粗雑に扱うのは気が引けるし、クシナが着た姿を見てみたいと思った。
なのでヤトは嫁にドレスを着てほしいとお願いした。
当然クシナはあからさまに難色を示したが、ヤトの懸命なお願いにより渋々メイドに手伝ってもらい生まれて初めてドレスを纏う。
赤いドレスはクシナの赤い瞳と銀髪に良く似合った。ただし当人は服の感触が気に入らずに顔をしかめている。
「うーなんか変な感じだぞ。なんで二本足どもはこんなものをいつも着けていられるんだ」
「慣れないと辛いですが我慢してください。でもそのドレスを着た貴女もすごく綺麗ですよ」
「むぅ、ヤトがそう言うなら仕方が無いから着る」
非常に嫌そうだったが、旦那に言われては我慢するしかない。メイドは役目を果たし上役からの叱責を免れてホッとしていた。
ヤトはルイが来るまでの間、珍しい嫁のドレス姿を十分に堪能してから一旦割り当てられた部屋に戻った。
その後、夕食は一緒に食べようとしたが、ルイがクシナのそばからずっと離れず、寝る時まで一緒だったのでヤトは仕方なくその日は一人で寝る羽目になった。