東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第13話 空振り

 

 『戦と狩猟の神』の神殿には多くの者が共同生活を営んでいる。神職に携わる者以外にも神殿に伝わる武芸を学ぶ目的で寝食を共にするものも幾らか居た。

 彼等のような修練者は金銭を喜捨の形で神殿に納める者と、金銭の代わりに下働きとして日々の雑用を担いながら千年を超える歴史ある武芸を学んでいた。

 修練者の来歴は様々だが、世俗と明確に異なる点を一つ挙げるとすれば神殿には街で見かけなかった獣人が驚くほど多い点だ。

 大陸西部は亜人種に対する隔意が強い。エルフやミニマム族のように殆ど人と変わらない容姿を持つ種族なら偏見の目もさして無いが、明確に異なる容姿の獣人はその限りではない。

 例外となるのが神殿だ。神の前では皆須らく平等であり、彼等の教義は種族を差別しない故に、庇護や社会的保証を求めて門を叩く亜人は多い。

 この『戦と狩猟の神』は狩りと戦を司る戦士の神なので、日常的に戦う機会の多い狩猟民族の獣人族と相性が良い。そのため強さを求めつつ、人類国家の中で一定の信用を得ようとする獣人が多かった。

 なにしろ大陸西部の都ではただの獣人なら買い物拒否や宿泊を断られる事もあるが、神官の法衣を纏って説法の一つでもすれば商人は上客として彼等を据え膳上げ膳で持て成した。

 勿論神官となるには長く厳しい修行に耐え抜き、強さと共に教養を身に着けるのが大前提にある。さらに神殿の武を司る神官戦士となれば神に認められた存在と同義で、一国の近衛騎士でさえ一歩譲る屈強な戦士だった。

 そのような選ばれた戦士に無礼な物言いをした青年に現実の厳しさを教えるため、幾人もの屈強な戦士達が訓練所に集められた。訓練生も何事か気になり鍛錬の手を止めて見物に回る。

 当のヤトは敵地同然の訓練所で多くの戦士や見習いに囲まれていようが恐怖を感じるような可愛らしさを持ち合わせている筈が無く、実に楽しそうにしている。

 最初は新しい見習いが入って来たのかと思った神官達だったが、事の次第を聞くにつれて怒りが伝播し、すぐさまヤトと戦わせろと手を挙げる者であふれた。

 すったもんだの末に最初の相手となったのはヤトより頭二つは大きな牛の亜人だ。彼は見せつけるように木製の長大な槍を体躯に似合わない繊細さで操り、一匹のハエを打ち落とした。力だけではない確かな技量に神殿の業が窺える。

 ヤトは感嘆の声を気にすることなく、淡々とそばに置いてあった木剣を一振り選ぶと牛人の神官戦士と対峙した。

 

「はじめぇ!」

 

 審判の声とともに牛人は一瞬で二度槍を突くも、挨拶代わりの攻撃など予測していたヤトにはかすりもしない。それどころか二度目の突きを引く時に合わせて間合いを詰めて槍の柄を握り、牛人の身を引き込んで鳩尾に木剣の切っ先を突き込んだ。

 牛人はたまらず膝を着いて咳き込み、審判は仕合を止めた。

 訓練場は動揺に包まれる。どう考えても体格差だけでなく神官戦士の技量からして負けるのはヤトの方だ。それをあっさり覆したのだから困惑はかなり大きい。

 とはいえそこで臆するような者は戦士にあらず。余計に闘志を燃やした戦士が次は自分と名乗りを上げてヤトと向き合った。

 二人目の神官戦士はネスと名乗った人間の男だ。彼はヤトより幾ばくか短い木剣と丸盾を構える。

 開始の声が聞こえたが、今度の仕合は両者とも動かず静かな戦いとなった。

 ヤトが横に一歩位置をずらせばネスはその分だけ盾の位置をずらす。どうやら彼は自ら攻めずに攻撃を受けて反撃に出るカウンター型の戦法を執るつもりのようだ。

 盾を起点にした戦いは防御面で非常に有効だが、ヤトに対しては大きな欠点を持つ。

 一気に距離を詰めたヤトの剣を受けるために盾を正面に構えたネスだったが予想した剣戟は来なかった。尤もそれは彼も予想しており、盾に隠れ切らなかった右側からの攻撃に対処するよう、すぐさま右手の剣で迎撃しようとした。

 しかし右を向いても相手はいなかった。そしてネスは首筋に強い衝撃を受けて倒れ込み意識を失った。後ろに立っていたのはヤトだった。

 何の事はない。ネスの予想速度を大きく上回って盾を持つ左側から音も無く後ろに回り込んで首に剣を叩き込んだだけだ。彼が未熟というより、ヤトの隠形が上手すぎて捉え切れなかったのだろう。負けたのは決して恥ではないが、神殿の看板を背負った者が立て続けに負けた事には変わりがない。

 周囲は色めき立ち、今度こそ無様な真似を晒さぬよう武芸師範が対戦相手を指名した。

 

 三十分後。訓練所は葬式の方がまだ賑やかに思えるほど静まり返っていた。最初は興奮した戦士や見習いが汗ばむ熱気の中で騒いでいたが、今はその熱も冷めきり意気消沈する者ばかりだ。

 既にヤトは九人目を相手取り、今しがた剣の柄を相手のこめかみに叩き付けた所だった。これで約束の十勝まであと一人。

 ヤトは喜色を隠しもせずに気を失った武芸師範を見送る。数日前まで居たエンシェントエルフの村の戦士には技量で及ばないが、流石は『戦と狩猟の神』の神官戦士だけあって業の質が非常に高い。

 神官に必要な最低限の礼法や知識を学ぶ以外は全て鍛錬に費やす神官戦士のあり方は剣鬼であるヤトの生き方に酷似している。故に模擬戦であっても同類と戦える喜びは大きかった。

 その上あと一人勝てば竜殺しの剣を拝見出来るのだから否応にも感情が昂る。

 反対に神官戦士たちは悪夢に取り憑かれたかのような絶望感を味わい、最後の戦士を誰に推すか視線を巡らせている。訓練所にいた者の中で最も強かった戦士は今しがた医務室に運ばれた。最後の希望を託す相手もとい、不名誉を押し付ける相手を自分以外から選ばなければならなかった。

 しかし待っても一向に次の対戦相手が名乗り出ない様子に落胆したヤトが不戦勝を仄めかす。そこまでしてようやく一人のしがれた声が上がった。

 

「ほほほ。誰も相手をしたくないのなら儂が最後の相手を務めていいかのう」

 

 声の主が群衆の隙間を縫ってヤトの前に姿を現す。腰に脇差ほどの短い木剣を差した恐ろしく小柄な老人だった。僅かに残った白髪とシミだらけの皺の多い面が彼の過ごした年月を物語っていたが、背筋は伸び切り挙動にも加齢による阻害は見受けられない。

 

「ラーダ僧正、なにも貴方様が戦わずとも!」

 

「何を言うとるか、強者を前にして臆した未熟者に出る幕はないわッ!!」

 

 戦士の一人を一喝して黙らせる。ラーダと呼ばれた老人の言う通り、負けるのが嫌で戦おうとしなかった者が止めに入る資格はない。

 静まり返る訓練所でヤトとラーダは向き合い、無言で剣を構えた。もう少し話をしても良いが、双方共に百の言葉より一手交えた方がより相手を理解するのが戦士だった。

 ヤトの剣気が研ぎ澄まされ、ラーダの剣気とぶつかり合う。その余波に耐えられなかった見習いが情けない声を上げた。声が契機となり二人は互いに一歩間合いを詰める。

 リーチの長いヤトが突きを繰り出すが、既にラーダは視界より消え失せていた。

 老剣士は跳躍しながら身体を捻り、無防備なヤトの頭上を取っていた。そして予想も回避も出来ない一撃を振り下ろす。

 

 『カンッ』

 

 軽い音が響く。ヤトが剣を上に投げてラーダの剣を防いだ。

 着地したラーダが無防備な相手を追撃しようとするも、ヤトは既に近くにいた見習いから木剣を奪って体勢を整えていた。

 再び対峙する二人。今度はラーダが仕掛ける。

 速くはないが音も無くすり足で間合いを詰めるも、ヤトの横薙ぎが小柄な人影を捉えた。

 と思わせたが一瞬で加速した老戦士を捉えるには僅かに遅く、懐に入り剣鬼の脇腹を斬り付けた。

 かと思いきや、ラーダの木剣はヤトの左手に握られていたもう一本の木剣―――見習いから奪ってベルトに挟んで背に隠していた―――によって防がれて、逆に彼の首筋には躱したはずの右手の木剣が据えられていた。

 

「…ほほっ。儂の負けのようじゃのう」

 

「貴方とはあと二十年早く戦いたかったです」

 

 ヤトの言葉は決して世辞ではない。老戦士の技量は名工の打った名剣のように非の打ち所が無かったが、それ故に加齢による身体能力の衰えがより一層鮮明であった。もちろん己の勝ちは揺るがないが、心技体全てが充実した全盛期に剣を交えられなかったのを心から惜しんだ。

 負けたラーダは腰を手で叩きながら、どこか嬉しそうにヤトを手招きする。

 

「まあいいわ、約束通り神殿に伝わる『竜殺し』を見せてやろう。それとお前達は負けたのを恥じなくともいいが今以上に励むが良い」

 

 ラーダはヤトを案内する去り際、負けた戦士達を叱咤せず激励して背を向けた。

 彼等は懸命に悔し涙を堪えて今まで以上に鍛錬に打ち込み始めた。

 

 

 ヤトが連れて行かれたのは神殿の武器庫と思わしき部屋だった。中は隙間が無いほど棚が並び、その上には無数の武具が整然と置かれていた。どれもが一級の魔法の品であり、さすが一国の都に鎮座する偉容と言えた。

 ラーダはその中から一振りの長大なトゥーハンドソードを指差した。ヤトはそれを遠慮無しに手に取って鞘から引き抜くと、剣身は松明の火に照らさせて鈍い光を放っていた。

 自身の身長に匹敵する長剣を構えて軽く振ってみると、丹念に鍛えたアダマンタイト製の剣が空気を切り裂いて聴覚に程よい刺激を与えてくれた。柄や剣身の細かい傷から相当に使い込まれているようだが重量配分に僅かなズレも無く、かなりの名工の作品である事に疑いはなかった。アダマンタイトはミスリルやオリハルコンより頑強性に優れた金属なので、竜の力を得た今のヤトの膂力に耐えてくれるだろう。

 惜しむらくはヤトが好む刃渡りの倍はあることか。使いこなせないわけではないが、長い得物は取り回しに難があるので好んで使う気が起きない。いっそ短く切り詰めて好みの長さにすることも考えたが、これほど見事な出来の剣に下手に手を加えてしまったら台無しになってしまう可能性の方が高いだろう。

 そもそもがこれは神殿の所有物でありヤトの物ではない。譲ってくれと頼んでも決して首を縦に振る筈が無い。無理に持ち出そうとすれば神官戦士が総出で阻む。それはそれでヤトの好みの展開だ。幾多の神官戦士との命がけの戦いはきっと素晴らしい一時になるだろう。

 

「あまり物騒な事は考えないでもらいたいのう」

 

「顔に出てましたか?」

 

「いいや。じゃが、何となく分かるわい」

 

 さすがは高位の神官だけあってラーダはヤトの内面をおおよそ察して釘を刺した。

 ヤトは釘を刺された形になったが、実際に行動に移す気はほぼ無い。この都にはまだ候補になりそうな剣が幾つかあり、今はそちらを拝見するのを優先したいのと、実際に剣を強奪したところで剣の出来を落とさず打ち直してくれる鍛冶師の当てが無いのではあまり意味が無いからだ。

 それが分かっているので、これ以上は何も言わずに剣を鞘に納めて棚に戻した。ラーダは鞘に収まった剣を見てあからさまに安堵の息を吐く。

 

「良いものを見せていただきました」

 

「お前さんが何故剣を見たいと言ったか何となく分かるが、若いのじゃから気長に構えなされ。いずれ相応しい剣が手に入るじゃろう」

 

 そして本心なのか社交辞令なのかは分からないが、ラーダは知り合いの腕のいい鍛冶師を紹介すると言ってくれたが、そこまでしてもらう義理は無いので自ら固辞して神殿を後にした。

 それなりに有意義な時間を過ごせたが、都での最初の剣探しは空振りに終わった。

 

 


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