ここ数日ヤトとアンジェリカは休む間もなく稽古を重ねていた。
ヤトは出来れば探している剣の情報収集をしたかったが、アンジェリカの方が朝から日沈まで誘うので、気がすむまで付き合っていた。
その甲斐あって柔肌の生傷は絶えなかったが、貪欲なまでに身体を苛め抜いた結果たった数日で彼女の剣の腕は見る見るうちに磨き上げられて、同僚の女騎士達を驚嘆させると同時に二人を生暖かい目で見始めていた。
稽古の合間。二人は水分補給の休憩中に軽い雑談をしていた。と言っても色気のある話など微塵も無く、ひたすらに剣をどう振るのか防ぐかぐらいしか話をしていない。
ここでヤトはこの国の貴族が所有する二振りの剣の事を聞き出せばいいのではないかと今更ながら気づいた。どうやらアンジェリカと稽古をするのが思ったより楽しかったのでそこに気が回らなかったようだ。
というわけで改めて剣について聞いてみた。
「アンジェリカさんはコレット家とデュプレ家という貴族を御存じですか?」
「知っているも何も私はコレット家の者ですが」
ヤトはこんな身近に手掛かりがあったのに放置していた己の迂闊さを恥じた。
反対にアンジェリカは剣術だけでなく、自分に少し興味を持ってくれたのが嬉しくて上機嫌になった。
「街で小耳に挟んだのですが、その両家には素晴らしい剣を所有しているとか。アンジェリカさんは見た事ありますか?」
「ええ勿論です。私の家の地下に安置されていますよ。その…ヤト殿は御覧になられたいのでしょうか?」
「一剣士として興味はあります。出来れば手に取ってみたいのも事実ですが、貴女のご迷惑になるのでしたら無理な事は言いませんよ」
アンジェリカは悩んだ。名誉騎士とはいえ部外者に家宝の魔法剣を触れさせるのは当主である父が許さない。しかしヤトを家に招く絶好の機会をむざむざと捨てるのはあまりにも惜しい。
悩んだ末に彼女は直接剣の事は告げずに、ただ午後から家に来てほしいとだけ口にした。
ヤトはアンジェリカが何を言いたいのかすぐに分かり、笑顔で感謝を述べた後は上機嫌で稽古を再開した。
その一部始終を見ていた数名の女騎士達は離れた所でひそひそと小声で話した。
「アンジェリカ先輩なりふり構ってませんね」
「あの人、浮いた話も全然聞かないし今年で22だから結構焦ってるのよ」
「でもあの名誉騎士さん、既婚者だって聞きましたよ」
「だよねぇ。恋は盲目って言うけど大丈夫かしら」
「それって略奪する気ってこと?」
「じゃあ剣を見せる口実に家に招いて、既成事実を作るとか?子供作ったら言い逃れ出来ないとか言って」
「貴女達はお芝居の見過ぎよ。もうちょっと淑女としての品格を大事にしなさい」
女三人寄れば姦しいのは騎士でも例外は無いようだ。コイバナのネタにされているのを知らない二人は、約束の刻限までただひたすら剣の稽古を続けた。
午後。ヤトはアンジェリカと共に彼女の家の所有する馬車に乗って自宅へと招かれた。彼女の家は名のある貴族の邸宅らしく、広大で歴史を感じさせる威厳ある佇まいをしていた。門には十人を超えるメイドと執事の老人が出迎えた。
「おかえりなさいませお嬢様。そちらのお方はお客様ですか?」
「ええ。大切なお客様ですから、くれぐれも丁重に」
「畏まりました」
老執事は多くは聞かずに自分の仕事を淡々と務めていたが、内心では長年世話をしてきたアンジェリカが年頃の男を連れてきたことを喜んだ。彼は早速厨房に今日の夕食はとびきりの御馳走を作れと命じた。
ヤトは早速剣を拝見したかったものの、アンジェリカから少し時間が欲しいと言われたので、逸る気持ちを抑えてお茶に口を付けていた。
しばらく待っていると、なぜかメイドから毛皮の防寒着を渡された。ヤトが疑問符を浮かべると、先に着込んだアンジェリカがやんわりと答えた。
「当家の宝剣は地下の氷室に保管していますから、手に取るには普段着では差し障りがあるんです」
剣が氷室にある。彼女の言葉でおおよそ剣の性質が察せられた。
ヤトが防寒着を着るとアンジェリカが手を引っ張って地下にある氷室へと連れて行った。
屋敷の地下は階段を一段一段降りるにつれて寒さが身を貫く。氷室は冬に作った氷を使って部屋を冷やして食品を保存する施設だが、ここの寒さは明らかに通常の氷室と異なる。
「アンジェリカさんはこの寒さが平気ですか?」
「実を言うと寒くて辛いです」
彼女は寒さに震えてさりげなくヤトに腕を絡ませて、おまけに慎ましい胸を押し付けてくるが厚着をしているのでその感触は微塵も伝わっていない。仮に伝わった所でヤトが動ずるはずもないので完全に徒労だった。
様々な食材の置かれた氷室は奥に進めば進むほど寒さが厳しく、天井や床が凍り付いていた。部屋の最奥に重厚な扉が建てつけてあり、アンジェリカが力強く扉を開け放てば流れ込む強烈な冷気が露出した顔を痛めつけた。
奥の部屋は狭く、中央の台座とその上に置かれた、柄に青い大きな宝石の嵌め込まれた一振りの青白い片手剣以外には何も無かった。魂をも凍らせる冷気は中央の剣から発せられている。
「あの剣が当家に代々伝わる宝剣『凍魔の剣』です。触れるのは構いませんが、あまり長く持っていると腕が凍り付いてしまいますから、気を付けてください」
ヤトは忠告に頷き、凍気に満ちた小部屋へと足を踏み入れる。途端にまるで縄張りを荒らされた獣のように牙を剥いて侵入者を排除しようと冷気が強くなった。
しかし構わずどんどん近づくと剣も負けじと抵抗するも、とうとう手が剣に触れて冷気が静まる。
手に持った剣をじっくりと見定める。光源はアンジェリカの持つランプの灯りだけだったが、その弱弱しい光でも剣の輝きは少しも衰えない。そして彼女の言う通り厚手の皮手袋をしていても、徐々に体の熱が奪われていくのを感じた。
実は半人半竜となり火の精霊を身に宿すヤトだからこの程度で済んでいたのは本人も気付いていない。
剣を何度も振り使い勝手を確かめる。長さと重さ、共にヤトの好む良い剣だ。しかし握り続けると強烈な冷気で握力が失われてしまうのが実に惜しい。実戦で剣がすっぽ抜けて負けるなど笑い話にもならない。さりとて幾重にも手袋を重ねて持てば手の感覚を損なう。せっかくの名剣もこれでは戦に使えず、氷室に置かれてしまうのはやむを得ない。
どうにか使い物にならないか知恵を巡らせるが、そもそもこの剣は自分の物ではないので考えるだけ無駄だった。
惜しいと思いつつ、剣を台座に戻して扉を閉めた。
地下から戻った二人を出迎えたのは四十歳を過ぎた痩身の中年貴族だった。金髪とアンジェリカに似た顔立ちから、おそらく血縁と分かる。
「おっ、お帰りなさいませお父様」
「うむ、ただいま。して、隣にいるのは客人かね?私はコレット家当主クルールだ」
「これはご丁寧に。先日名誉騎士を頂いたヤトと言います」
「名誉…ああ、貴殿が噂の。それにその服は―――いや立ち話はここまでにして何か温かい物を用意させよう」
クルールは多くを聞かず娘とその客をもてなすようにメイドに命じた。
二人は防寒着を脱いで暖炉のそばの席でホットワインを飲ん冷えた体を温める。
同席したクルールはじっと二人を見ながらワインに口を付けている。そして二人が落ち着いたのを見計らって話を切り出す。
「まずヤト殿には感謝を述べさせていただく。甥でありいずれ国王となられるルイ様の命を救っていただき感謝に絶えぬ」
「甥ですか?」
「ええ。ルイ様の亡き母は父の妹なんです」
「つまりアンジェリカさんはあの王子様の従姉弟でしたか」
ヤトは屋敷の規模やそれなりの地位にあるので良い家柄なのは気付いていたが、王妃を輩出するほど高い家格だったとは思わなかった。まあだからと言って態度が変わる事は無いが。
「年が近かったので叔母というよりは姉のように親しく接して、私が騎士になるのを一番応援してくださった方でした」
「シャルロットが病で亡くなった時、一番悲しみ取り乱したのがお前だったな」
二人は当時を振り返り感傷に浸るが部外者のヤトは興味が無いので聞き手に回っている。
そこからクルールは頼みもしないのにアンジェリカの昔話を始める。
彼女は昔は大層おてんばのわんぱく娘で、礼儀作法より外で遊ぶか冒険譚を好む男のような娘だった。特に好きだったのが『姫騎士マルグリットの冒険』という、この国に古くから知られている冒険譚だ。
貴族の娘マルグリットが仲間と共に心躍る冒険に出かけて遺跡から宝を持ち帰り、時に悪人や怪物を退治しては民から感謝される。中には知恵比べなどもあり子供の教育にも使われた。最後は白い竜と戦うところで物語は終わるが、結末は語らないのが作法と言われた。
アンジェリカはこの話に感化されて冒険者になりたかったらしいが、さすがに貴族の娘が家出するのは家そのものの不祥事として周囲に迷惑が掛かる。だから身分があり王に嫁いだ叔母やいずれ生まれる従姉妹を護れる騎士の道を選んだと話した。
ヤトはどこかで聞いた名前と話だと思ったら、エルフの村で聞いた数百年前にクシナに挑んで死んだ家出娘の事だと気付く。もちろん結末は伏せておいた。
「貴族としては騎士は誉ある仕事だが、親としては早く嫁いで女として幸せになってもらいたいのだがな」
「またそのお話ですか。何度も言いましたが、私は自分より弱い殿方とは結婚いたしません」
「男の強さは何も剣の腕だけではないのだぞ。時に娘よ、最近随分と生傷が絶えないようだが誰と稽古をしているのかね?」
「へっ?あ、あの……そのヤ、ヤト殿とです……」
「ほうほう。その名誉騎士殿をわざわざ家に招いて、あまつさえ家宝の剣まで見せる仲だったとは。いやぁ随分と親しい間柄なのだな」
クルールは笑みを浮かべるが、目だけは真剣そのもので娘から視線を外さない。アンジェリカは父親がいつになく真剣な様子なので居心地が酷く悪く、視線が右往左往してヤトに無言の助けを求めた。
「剣を見せてほしいと無理を言ったのは僕ですから、あまり怒らないであげてください」
「しかし断る事もできたはず。なにゆえ頼みを聞いたのか、夕餉を共にしながら是非とも聞いておきたい。なあヤト殿?」
ヤトにねっとりとした視線で釘を刺す。正直言って面倒な事に巻き込まれたと思ったが、目当ての剣を見せてもらった以上は必要経費と割り切る外なかった。
何とも言えない空気の中で三人の饗宴が始まった。料理そのものは城で出される物と遜色無く美味だったが三人ともあまり食が進んでいない。主な理由はクルールがあれこれと話しかけているからだ。
ヤトの旅の目的、滞在期間、毒の知識など、失礼のない早さで間を置かずに質問するので落ち着いての食事が難しい。
「――――では当家の宝剣はどうだったかな?」
「相当な名剣ですが扱いが難しいですね。半端者では相手を斬る前に己の腕が凍り付いて落ちます」
「私もそう思うよ。そしてあれは魔剣であり真の竜殺しゆえ気軽に余人に触れさせる事は無いのだが困った娘だ」
「魔法剣ではなく魔剣」
「そうあれは魔剣だ」
クルールはワインを一口含んでから剣の由来を話し始める。
あの『凍魔の剣』は一から人類種が鍛えた剣ではなく、太古の昔に居た氷の魔人族の魂を封じた封印具だ。しかし完全には魂を封じ込められず、あのように周囲を凍らせる冷気をまき散らしているので余程必要に迫られなければ使わない。だから普段は氷室の氷代わりとして使っていた。
そんな使い辛い剣でも必要とあらば使うのが人であり、百年以上前にこの国で火竜が暴れ回った時、この家の若者が剣を使い己の右腕と引き換えに竜を殺した。それが竜殺しの逸話だった。
「そういうわけで欲しいと言っても易々と差し上げるわけにはいかんな」
「絶対にやらないと言わないんですね」
「条件次第で譲ってもいい。例えば娘と結婚するとか」
「お、お父様!!いきなり何をおっしゃるのですか!!」
「僕は既婚者ですから無理ですね」
「そういうことだから諦めろアンジェリカ」
動揺していたアンジェリカは父の無情な一言で冷や水を浴びせられたように静まった。
クルールの言う事は正しい。ヤトがルイの遊び相手を務めるクシナと夫婦なのは城の者なら誰でも知っているし、王都に住む貴族も同様だ。そのような相手に不義密通するのは家の恥でしかない。それが分からない、あるいは分かっていても突き進むのが恋が盲目と言われる所以だろう。
ついでに言えばヤトはアンジェリカを強い騎士と思っても女としては微塵も見ていないし魅力にも感じていない。そこまで言ってしまえば父親のクルールも黙っていないが、ヤトはお喋りではないので口には出さない。
「まあ今回は大事な甥の命を救ってくれた恩人を招いて感謝を述べた。それで当家の面目が立つ。よろしいかね?」
「はい。馳走を頂き今宵はこれまでと致しましょう」
男二人が納得して落とし所を決めてしまった。そしてアンジェリカは一つだけ分かった事があった。己の恋は成就しないし祝福もされないと言う事だ。
その夜、一人の乙女が涙を流して少しだけ強くなった。