東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第5話 老騎士

 

 

 その日、ブレスの街の代官屋敷はここ十年の間で最も慌ただしかった。

 数日前に秘書官の一人が殺され、その犯人と思わしき集団を壊滅させて生き残りを捕らえてホッとしたと思ったら、今日の昼にはもう一人が無惨な死体となっていた。

 そちらの犯人は目撃者の話から他国人の四人組と分かっている。この街で他国人は非常に目立つ。どこに逃げてもすぐに目撃情報は入ってくるだろう。

 今は兵士達がいつでも出動出来るように屋敷に待機していた。

 最初に気付いたのは正門の警備をしていた門衛だった。

 彼は中の慌ただしさを人事のように感じながら欠伸をしたが、屋敷に近づく男女の二人組に気付いて注視すると彼等に既知感を覚えた。

 既知感の元を辿り、すぐに探していた外国人四人の内の二人と気付いて異変を知らせる笛を鳴らした。

 門衛は自らの役目を果たしたのだから後は他の兵に任せて逃げれば良かったが、選択をしなかった故に最初の犠牲者となった。彼はヤトの投げた短剣を喉に受けて倒れる。

 笛によってゾロゾロと集まった大勢の兵士は探していた手柄が自分からやって来たのを知り、喜び勇んで捕らえようと殺到する。

 中には代官に突き出す前に美貌のクシナを味見しようと考える下種が何人もいて、舌なめずりしながら襲い掛かったが、相手が何であるのかを死を以って知る羽目になる。

 兵士達が頼りとする粗末な剣や槍は肉体ごと圧倒的な暴力で粉砕された。

 残る兵士もヤトの剣によって瞬く間に殺し尽くされた。

 二人は守る者の居ない正門から堂々と屋敷に入った。

 同時刻には手薄になった裏門からカイルとロスタ、それとヤニスが捕虜救出のために潜入していた。

 

 ヤトとクシナは屋敷に入るなり兵士達の手荒い歓迎を受けたが、鎧袖一触とばかりに兵士を薙ぎ払いながら奥へと進む。

 屋敷の中は予想より簡素で調度品は数えるほどしかない。てっきり民を絞って贅沢三昧かと思ったが、どうにもここの主は質実剛健を好む性格のようだ。あるいはヤニスに担がれたか。否、結論を出すには代官と手合わせしてからでも遅くはない。

 若い兵士の一人を掴まえて代官の居場所を尋ねると、食堂と答えが返ってきた。

 これだけ騒いでいたら食事など執っている暇は無いと思ったが、一応信じて兵士に案内させた。

 予想に反して広い食堂の中央にポツンと置かれたテーブルで一人の白髪の老人が優雅に食事を執っていた。近くには給仕の男が一人、少し離れた若い男は黒く長い棒を両手の上に恭しく乗せていた。

 

「……今日は来客の予定は無かったが歓迎しよう。食事はいるか?」

 

「いえ、さっき済ませたのでお気持ちだけで」

 

 老人は提案を断れても特に気にせず、手早く料理を平らげた。

 片づけを給仕に任せて老人は招かれざる客の周りを回りながら質問を投げかける。

 

「それで私の首でも獲りにきたのかね?誰かに頼まれて」

 

「有り体に言えばそうなります。頼まれなくても貴方と戦うつもりですが」

 

「やれやれ、私は騎士を引退して名ばかりの代官をやっている老人だぞ」

 

 老人は真っ白な顎髭を撫でながらカラカラと笑う。この仕草だけを見れば人は彼を好々爺と思うが、膨れ上がる鬼気が穏やかな空気を一変させた。そしておもむろに右手を若い男に向けると、手にある黒い棒が宙に浮いて見えない紐で手繰り寄せられるかのように老人の手の中に納まった。

 ヤトは老人の殺気に当てられて鬼の顔をさらけ出して翠剣を抜き放ち、クシナは旦那の邪魔にならないようにテーブルに残っていた果実を皿ごと持って壁際に座る。

 対峙する二人。ヤトは剣を正眼に構え、老人は棒を両手で握って突き出す構えをとった。

 

「そういえばまだ名を聞いていなかった。私はドウだ。あの世への手向けにしたまえ」

 

「僕はヤトと言います。では始めましょうか」

 

 果たしてそれはいかなる手妻か魔法か。突如としてドウの握った黒棒の先端から揺らめく赤い光が生まれ、ヤトの頬を掠めて肌を焼いた。

 予備動作の無い奇襲を避けられた理由は二つ。一つはヤトの常識外の勘、もう一つはドウの遊び心。眉間から少しずらして目を狙ったおかげで回避が間に合い、掠っただけで済んだ。

 ヤトは老騎士の黒棒改め黒槍の本来の姿を注視する。炎のようにゆらゆらと不規則に揺らぐ光刃が穂先として形成している。そっと焦げた肌を撫でれば、光刃の殺意の高さが容易に伺える。恐らくはこの国特有の魔法の武器だろう。

 遊ばれた事に腹は立ったが、これはこれで面白いとも思った。世にはまだまだ自分が出会った事の無い強者が数多くひしめいている。それが実に楽しい。

 お返しに目にも留まらぬ四連の斬撃で槍を明後日の方向に弾き、がら空きとなった老体に本命の一撃を入れようとしたが、不思議と槍の柄に阻まれて防がれてしまった。そのまま力で押し切ろうにも、逆に不可視の力で押されてドウとの距離を開けてしまう。

 それでも圧倒的な脚力による追撃で距離を縮めて攻めるが、やはり攻撃を防がれてかざした手による不可視の力で弾かれてしまう。

 ならばと残っていたテーブルと椅子を蹴りつけて飛ばし、ドウの視界を塞いだ上で気功の刃を飛ばした。

 直撃したテーブルが真っ二つに割れ、同一線上にいた老騎士もまた一刀両断―――とはいかず、不可視の気功刃を槍で払って打ち消した。ただし完全には無力化出来ず、余波で顔には細かい切り傷が走る。

 互いに顔に傷を負い、傍目には互角と言えよう。

 

「まったく、この老骨で若者の剣を防ぐのは堪えるわ。それに先読みの理力も上手く働かん」

 

 衰えたかな、と自嘲気味に老人は哂う。

 ではその衰えた老人一人満足に斬れない自分はそれより弱いという事か。事実なだけにヤトは反論する気が起きないが、今までの攻防から幾つかの情報は得られた。

 まず、老人は魔法に似通った特異な力を操る事。その力は手を介して操作している。

 二つ目、炎の槍は肉や床は焼いても魔法剣を融かすほどの力は無い。柄も翠剣で斬れば傷ぐらいは付く程度の強度。

 三つ目、ドウは自分と同様に戦いでは先読みを用いるが今は思うように出来ない。そこも条件は一緒らしい。どうにもあの老人の殺気が読めず攻め辛い。

 四つ目、技量と身体能力はこちらが上を行く。

 ならば己がどう戦うか自ずと答えが出る。

 ヤトは気功で強化した翠剣を石畳の床に突き刺し、捻りながらドウに向けて振り上げた。砕かれた床石が無数の礫となって老兵に殺到する。

 避けられないと判断したドウは左手をかざして自分に当たる石だけを不可視の力で弾いた。その隙にヤトは背後に回り込んで斬りかかるが、それは右手で振り回した槍に阻まれた。

 もっとも片手で後ろに振り回すような無理のある態勢では碌に力も入っていないので悪足掻きでしかなく、逆に槍は弾かれた。

 致命的な隙を見せたドウは身体を両断されるはずだったが、彼の左手がいつの間にか後ろを向いており、その手には剣の柄のような棒が握られていた。

 それが何なのかすぐに気づいたヤトは舌打ち一つで後ろに飛んで、左手から伸びるもう一つの赤い光刃を避けた。

 両者は再び向き直って対峙する。

 

「なかなか便利な道具ですね」

 

「そうでもない。これは我々のような魔導騎士にしか使えない、道具としては欠陥品だ」

 

 ドウは言葉通り道具を誇示するような真似はせず、淡々と左手の柄から光を消し、腰のベルトに差して槍を構え直した。先程の剣はあくまで予備ということか。

 ヤトはもう一度床に剣を突き刺す。しかしドウはすぐさま対応して左手でヤトの身体を動けなくした。こうなっては碌に指も動かせない。

 だがこれはヤトの誘いだった。

 

「『旋風』≪つむじかぜ≫」

 

 突如として食堂の床に渦潮のような亀裂が入り、突き刺した翠剣を中心に礫と共に粉塵を巻き上げた。

 これにはドウも驚き、粉塵を吸い込んでしまい咳き込む。束縛を脱したヤトは懐の短剣を投擲。

 鬼灯の短剣は咳をする老騎士の鳩尾に突き刺さり、彼は膝を折った。

 それでも欺瞞を警戒して様子を窺うが、赤い血が服を染め始めたのを見て勝敗は決したと確信する。

 

「ごほっ…ごほっ………若者に踏み付けられていくのは老人の役目、存外悪くない戦いだったよ」

 

「老兵が長年積み上げた業、堪能させてもらいました」

 

 ドウは口から血を零すが、その相貌には笑みが浮かんでいる。老いても騎士として恥ずかしくない戦いの中で死を迎えられた事は何よりの誉だった。

 そして老騎士は満足そうに眼を閉じてゆっくりと伏した。

 ヤトは優れた老人に一度頭を下げて敬意を示した後、彼の腰に差してある柄を手に取る。

 柄をよく観察すると、先端近くに何か突起がある。それを押してみたが、何も反応が無い。彼の言う通り、この国の魔法使いでなければ使えないのかもしれない。

 クシナは戦いを見届けてから旦那の傍に侍る。ヤトは彼女にも柄を渡して試してもらったが、結果は変わらず。一応後で合流するカイルにも試してもらうために柄を懐にしまって食堂を後にした。

 

 

 二人は仲間が戻ってくるまで屋敷を探索して価値のありそうな物を物色した。と言ってもあまり貴重品は見つからず、幾つかの剣や書籍の類を手に入れただけだ。カイルはさぞガッカリする事だろう。

 屋敷の裏で待っていると、返り血を浴びたカイル、ロスタとヤニスはそれぞれ一人ずつ捕虜の男を抱えて姿を見せた。

 

「アニキ達は終わった?」

 

「ええ、代官は強かったですよ。それとカイルが期待していたお宝は殆ど無いですね」

 

 カイルは渡された袋に入った数振りの剣や本の数を見て少し落胆した。

 

「それで仲間はそこの二人だけですか」

 

「ああ、助かったのはこの二人だけだ」

 

 ヤニスは悲しそうな顔で笑って見せた。抱えられた二人は応急処置を受けて死んだように眠っている。彼等は至る所に切り傷と殴打の跡が見えて、拷問の激しさを物語っていた。それでも二人はまだマシな扱いを受けていたらしい。

 同じように捕らえられたヤニスの仲間には見るも無残な死体となっていた者がいる。彼等は獣人で必要以上に苛烈な拷問を受けて虫けらのように殺されていた。

 ともかく目的は達せられたので一行は屋敷を離れて別の隠れ家に身を隠した。

 

 代官屋敷から虜囚を救い出したヤト達は街のとある家に身を寄せていた。この家の主は≪タルタス自由同盟≫の協力者で医者でもあった。

 生き残った仲間の治療を家主に任せたヤニスはヤト達に向かって感謝を述べた。しかし彼の態度はどこか余所余所しい。理由を尋ねると、恩人に返せる物が何も無い事が恥ずかしいと申し訳なさそうに答えた。

 その上、彼は重ねて頼みごとを聞いてほしいとまで口にして焼け爛れた頭を限界まで下げた。

 

「恥知らずな事を言っているのは分かってる!気に入らなければ俺の命を奪ってもいい!だがどうか俺の頼みを聞いてくれないか」

 

「貴方の命なんていらないです。ですが、聞くだけは聞いておきましょう」

 

「恩に着る。実はあんた達に応援を呼んで来てほしいんだ」

 

 ヤトとカイルは応援という言葉で大体の事情を察した。

 この街は秘書官と代官が倒れて、やっと圧政から抜け出せたがあくまで一時的な事だ。王都から別の行政官が着任すれば、また元に戻ってしまう。だからその前に一日でも早く自分達で独立した統治機構を構築せねばならない。

 しかしそのための人材がこの街には碌に居ない。ヤニスの仲間の中にはそうした行政に長けた者も居たらしいが、運悪く数日前に亡くなってしまい手が足りない。それ以前にまともに動ける人材すら事欠く現状では余所から応援を引っ張ってこなければどうにもならなかった。

 そこでヤニスは自由に動けるヤト達に頼んで≪タルタス自由同盟≫の本拠地まで事情を認めた手紙を届けてもらおうとした。

 本拠地は街から山道を歩いて半月を超えるが、クシナの翼なら二日もあれば着くだろう。とは言え厚かましいお願いには違いない。

 それでも即答で拒否しないのは、ヤトもカイルもこの頼みには大きな利があると思ったからだ。

 国の長年に渡る支配と価値観を否定して国家転覆を働く集団ならそれなりの情報網と非合法活動の繋がりを構築しているはず。それを利用出来れば、この国での面倒を減らせる。容易に情報の買える盗賊ギルドが無いタルタスでは、情報は黄金より遥かに価値のあるモノだ。それを手に入れられるツテを逃してはならない。

 ヤトとカイルが快く引き受けてくれてヤニスは胸を撫で下ろし、早速本部の記された詳細な地図を用意する。それと援軍を送ってもらう内容を書いた手紙を書き、指輪で封蝋した。

 

「この印が身分証の代わりになる。何から何まで頼んでしまって済まないな」

 

 彼は何度も頭を下げた。

 一行はその日はこのまま協力者の家に泊まり、明日の朝に街を出る準備を整えた。

 その夜、ヤトは代官から巻き上げた光刃の柄をカイルに渡して使えるか試してもらった。代官のドウは魔導騎士でなければ使えないと言っていたので、何かしら魔法的な資質があれば使えると考えて、エルフなら或いはと試してもらったが結果は外れだった。

 カイルでもダメとなれば、もうこの柄は只のガラクタに過ぎない。精々外国の好事家か研究者にでも売り払うしか道が無い。

 ただ、カイルは駄目元でロスタにも試させてみたいと提案した。自律ゴーレムは魔法によって動いている。反応する可能性ももしかしたらあるかもしれない。

 どうせ試すのはタダだ。ヤトも了承してロスタに使わせてみた。

 すると驚いたことにロスタの手からあの炎のような赤い光刃が生まれたではないか。理由は分からなかったが、使える者がいるのなら道具はその者に使わせるのが一番良い。

 かくして魔導騎士の剣はメイドゴーレムの剣としてその夜、再出発を果たした。

 

 


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