東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第8話 自由を賭けた死闘

 

 

 ヤトは薄暗い石造りの控室でアレーナから伝わる熱気と騒乱の混じり合った狂気のうねりを感じ取っていた。

 控室からはアレーナは見えないがそこで何が起きているのかは耳の良い者なら察せられる。

 人の断末魔と獣の唸り声。そして人が生きたまま獣に貪り食われるのを目の当たりにした狂った観客の歓声。哀れな食料が人生最後の叫びが上がるたびに、控室にいる数名が天を仰ぎ震えながら神に向かってブツブツと命乞いをしている。

 ここは次の催しの出し物に使われる剣闘奴隷達の待機室だった。今から彼等は命を賭して戦い、血を流し、観客と領主コルセアを楽しませねばならない。

 奴隷達は全員粗末な服と簡素なサンダルを履き、それぞれ右手と左手どちらかを鎖で繋がれて離れられないように二人一組にさせられていた。

 ヤトは利き腕の右手に鎖を繋がれて、その右隣には左腕が鎖で繋がれた尖ったネズミ顔の小男が震えながら悪態を吐いている。言うまでも無いが彼が相方だ。

 

「ちくしょうちくしょう……俺がこんな所で死ぬのかよ。もっとうまいもん食っていい女を抱いて年取ってから温かいベッドで死ぬはずだったのに……」

 

 相方の小男―――顔立ちからネズミ系獣人との混血だろう――――の小言が尽きた。現実を受け入れて戦う覚悟を決めたのかと思ったが、ちらりと相方になったヤトの顔を見てまた絶望したように情けない声を出す。

 

「くそぉ。なんでこんな軟な若造と組ませたんだよ。もっと強そうな奴と組ませろ」

 

「いい加減煩いですから黙ってくれませんか」

 

「なんだとぉ!俺は領主の元傍仕えだぞ、若造が舐めた口をきくな!」

 

「あなたが元はどんな職だろうが今この場にいる四十名は鎖で繋がれた罪人ですよ」

 

 淡々と突き付けられた事実に立ち上がった男は歯噛みして押し黙る。

 ヤトの言う通り、控室に集められた二十名の男達は全員が罪人だった。闘技場で催される領主の誕生式典では午前の部に罪人を獣に食わせる見世物と、罪人同士を殺し合わせる剣闘試合が組まれていた。

 この場にいるのは全員が罪人であり、これから凄惨な殺し合いに興じねばならない。暗い未来が待っていても反抗しないのは最後まで生き残った二人には恩赦が与えられて自由の身になれるからだ。だから男達は僅かな希望に縋るためにこれから言われるまま死闘を演じる。

 ヤトの場合は罪を犯しても捕まっていないがここにいる。闘技場の内部協力者に殺しても後腐れしなさそうな連中を所望したらここの枠に放り込まれた。だから一時の相方共々皆殺しにしても何ら気に留めない。

 それを知らない男は冷静になり、一蓮托生になったヤトを観察しながら長椅子に座り直した。

 

「…お前、戦った経験は?」

 

「多少ですよ。そういうあなたは喧嘩すら経験が無さそうですね」

 

 ネズミ男は図星を刺されて悔しそうに項垂れた。ネズミ系の獣人は他の獣人と違って筋力に乏しく狩りや戦いに向かない。反面手先が器用で職人や盗賊の適性が高い傾向にある。普通に暮らすならそれでも十分だろうが、今回のような場の限定された殺し合いには全く役に立たない。その一般常識に漏れず、男の身のこなしはお世辞にも優れているようには見えない。まだ見た目優男のヤトの方が強そうに見えた。

 周囲を見渡せば自分達の組と似たように見るからに荒事に向かないように見える組もいれば、いかにも殺しに慣れた剣呑な気を放つ者と組まされた気弱な者の組、繋がった者同士で今にも殺し合いを始めそうな雰囲気を纏う危うい組などもいる。

 そんな連中を皆殺しにして生き残らねばならないのだ。ひ弱なネズミ男にとってぶら下がった恩赦は決して届かない希望だったが、それでも手を伸ばさずにはいられない甘美な果実だ。

 

「まあ人間誰もがいつかは死ぬんですから、いっそ死んだ気で戦えば意外と生き残る事もありますよ。僕もそういう経験はあります」

 

「気楽に言いやがって。ちくしょうちくしょう……やってやるよ」

 

 どうやらヤケクソでやる気になったようだ。適当な言葉でその気になるのだから案外乗せられやすい性格なのかもしれない。

 そして銅鑼の大音が鳴り響き、一層大きな観客の歓声が控室まで届いた。どうやら猛獣による処刑が終わり出番が迫っている。

 部屋に武装した兵士が入ってきて、罪人達を鉄格子の扉の奥へと進ませた。

 彼等は鉄格子の先で粗末な槍と大型の円盾を与えられた。右手が自由な者は槍を、左手が自由な者は盾を持つ。ヤトは後者、左手に木製の簡素な盾を持たされた。

 アレーナへの扉の先から流れる血と糞尿の入り混じった死臭が罪人の鼻を刺激する。おまけに男の中には恐怖で立ちながら失禁する者も居て、足元に臭気のする水たまりを作った。

 そして外で何回目かの銅鑼の打音が鳴り響き、扉が開け放たれて罪人達は押し出された。湧き起こる熱狂的な歓声に闘技場が揺れる。一万人の観衆の金切り声はそれだけで地を揺らした。

 男達は武装した兵士によってある程度間隔を開けて配置される。まだ開始の合図は無い。

 ふとネズミ男は臭いに釣られて下を見る。アレーナの地面は黒ずんだ血を吸った砂がダマになり、周りには獣が食い残した肉片や小さな骨が散らばっていた。彼は震えながら目を背ける。

 反対にヤトは観客席の上段に設えた閲覧席に目を向ける。そこは一般客とは壁で仕切られた別空間、身なりの良い者ばかりが集められた貴族の席だった。その中で奥側に赤い緞帳の垂れ下がった最も格式高い席には太ったハゲの中年男が血のように赤いワインの入ったグラスを傾けていた。おそらくあれが領主のコルセアだろう。

 ハゲ男がワインを飲み干し、左手を上に掲げて銅鑼の傍にいる男に目を向けた。武装した兵士がアレーナの外に退避する。罪人達に緊張が奔り、観客は声を抑えてその時を静かに待った。

 コルセアの手が勢いよく振り下ろされ、続いて開始の銅鑼が闘技場に強く鳴り響いた。

 男共が雄叫びを上げて自由を勝ち取るために目を血走らせたまま入り乱れて武器を振るう。

 見るからに弱そうなヤトとネズミ男のコンビはいきなり前後から二組に挟み撃ちを受けて窮地に追いやられるが、まずヤトが後ろから襲い掛かる槍を盾で弾き飛ばして、勢いを殺さずに攻撃してきた組の頭を盾の端で叩き潰した。ついでに襲われて悲鳴を上げるネズミ男を繋がった鎖で引っ張って助けた。よく見たら持っていた槍は無くなっている。つくづく役に立たない男である。

 

「ひぃぃぃ!!お、お前何とかしてくれぇぇ!!」

 

 情けない声を上げる相方にうんざりしながらも盾を鈍器のように扱い迫る槍を罪人の腕ごと叩き折ってそのまま大柄の二人を殴り殺した。

 とりあえずの危機は去ったがすぐさま次の攻撃を警戒して周囲を見渡すが、今の所二人に襲い掛かる者はいない。罪人達は自分達以外を皆殺しにしようと理性を失った狂犬のように手当たり次第に襲い掛かっては殺し殺され死体を晒し、惨たらしくおぞましいほど観衆の興奮の呼んだ。

 

「はぁはぁ……お前強かったんだな。俺も何とか生き残れるか?」

 

 口元を反吐塗れにしたネズミ男が一抹の希望を抱き始めるが、ヤトは彼に冷ややかな目を向ける。隣のネズミ男は何もせずにたまたま組まされた他人を当てにして助かろうとしている。己の力で明日を勝ち取る気が無い情けない男に付き合ってられない。いっそこの場で殺して好きに戦おうと思ったが、気まぐれに一度だけチャンスをくれてやろうと思い、男に盾を持たせた。

 ヤトは意図をよく分かっていない男を引っ張って乱戦の中に突入した。

 

「死にたくなかったらしっかり盾を持っててください」

 

「おっ、おい一体何を―――――」

 

 ネズミ男は最後まで口に出来なかった。ヤトは鎖で繋がった男を振り回して手近な男に叩きつけて圧し潰した。呆気にとられる罪人達は碌に動けず、次々とぶつけられる盾と必死でしがみつく男に潰された。

 悲鳴を上げる男をまるでハンマーのように操って罪人達を叩き殺していく美形のヤトの登場に観客の興奮は一気に高まった。

 男達は突如現れた暴力の嵐に対抗しようと敵である者達と自然と寄り集まって団結を示す。

 彼等は振り回している右手を盾役が防ぎつつ、がら空きの左手側から槍で攻めかかった。

 しかし動きを読んでいたヤトは落ちていた数本の槍を足で蹴飛ばしてもの凄い勢いで飛ばして襲おうとした男を串刺しにする。さらに落ちている一本の槍を中ほどで蹴り折って短くしてから器用に足で持ち上げて左手に持つ。右手に鎖付きハンマー、左手に短槍の変則二刀流だ。

 右手で泣き叫ぶハンマーを振り回しては力任せに相手を叩き潰し、左手の槍で流麗に攻撃を捌きつつ無慈悲に貫く様はもはや芸術の域にまで達していた。

 次々と死んでいく者を見ても罪人達はそれでも恩赦を求めて暴風雨と化したヤトに向かっては叩き潰され、刺し貫かれる。

 遂にアレーナに立っている者はヤト只一人となり、鈍器として扱われたネズミ男は辛うじて生きたまま解放された。

 観客席から一人の手を叩く音が聞こえる。やがて音は喝采を伴って徐々に数を増やし、最後は闘技場全体を覆い尽くほどの大音となって響き渡る。この歓声と拍手は全て勝者一人に向けられた観客からの心からの賛辞であったが、ヤトにとってはどうでもよい雑音でしかなった。

 雑音が止んだのは主催者たるコルセアが立ち上がり観客に姿を見せた時だ。彼は低いだみ声ながら闘技場全体に響く声で勝者となったヤトに話しかける。

 

「見事な戦いだった。お前を勇者と認めこれまでの罪を許し、自由を約束しよう」

 

 兵士がヤトとネズミ男を繋げていた鎖を外し、付き添う若い美女が純白のマントをヤトに着せた。ついでとばかりに血と汚物に塗れて足元に転がっていたネズミ男にも嫌々ながら同じ白マントを被せた。

 そして万雷の拍手の中、ヤトは兵士に先導されてアリーナを後にした。第一の目的は達せられた。

 

 


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