東人剣遊奇譚   作:ウヅキ

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第9話 生贄

 

 

 恩赦を賭けたバトルロイヤル勝者になったヤトは戦いの後、身を清めてから閲覧席に招かれて領主コルセアからの歓待を受けている。予定通りの展開だ。

 コルセアは誕生式典のたびに罪人を殺し合わせて勝者を自分の傍に招くのが通例となっていた。民衆に己の度量を示すためのパフォーマンスだが、これから事を起こす≪タルタス自由同盟≫にとっては都合が良い。

 勿論護衛の兵士や魔導騎士らしき者達が側に控えて警戒しているので、今すぐに何かをする気は無いが行動に移しやすい場にいるのは確かだった。

 現在アレーナでは血生臭い闘争とは打って変わって、煌びやかな衣装を纏った踊り子たちの演舞の真っ最中である。

 殺し合いは観衆が好むところだが、そればかり見せつけられれば些か飽きが来る。ゆえに合間に今行われているような芸事を見せたり、唄を歌わせて気分転換を図っていた。

 踊り子達の艶やかな舞が終わると、アレーナにはラバに曳かれた何台もの荷車が登場する。観衆は先程の踊り子に送った倍の声援で迎える。彼等の視線は荷車に山と積まれた大きなパンに突き刺さっていた。

 男達がパンを掴んで次々に観客席に投げ入れると、人々は砂糖に群がるアリのようにパンに飛びついた。それだけでなくパンを奪い合ってあちこちで殴り合いの喧嘩になる始末。もっと酷いと人が雪崩のごとく崩れて下の席の人が圧し潰されていた。あれでは下手をすれば死人が出ている。

 

「やれやれ、民草は品の無い事だ。パンなどいつでも食べられるというのに」

 

 コルセアは心底見下した様でテーブルに置かれたパンを小さく千切って口にする。周囲の貴族達も彼に追従してパンを奪い合う民を軽蔑した。

 彼等のような支配者にとって食料などあって当然の物であり、毎日食べ切れずに捨てているのが当たり前。だからその日の飯にすら事欠く民が一つのパンを巡って殺し合うのが微塵も理解出来ない。

 ヤトはそんなタルタス貴族達を無視して砂糖たっぷりの菓子を頬張っている。昨日から闘技場に来てまともに飯を食っていなかったので、今後を想定して素早く栄養に変えられる甘味を選んで腹に入れていた。当然こうした甘味は平民の口にはおいそれと届かない貴重品だが、コルセアは自由を勝ち取った勝利者に気前よく振舞った。

 コルセアは甘いものばかり口にするヤトを見て笑いを零す。

 

「自由を勝ち取った英雄殿は酒や肉よりも菓子の方が好みのようだな」

 

「この国では甘味はあまり口に出来ませんから」

 

「この国か……」

 

 貴族達は初見でヤトがタルタス人ではない事を気付いていたが、大方他国から売られてきた奴隷が逃げ出して食うに困って盗みでもして捕まり、この街の闘技場に連れてこられた程度にしか思っていない。

 人一人を片手で振り回す怪力には目を惹くがタルタス貴族特有の理力を持たない事から、彼等はヤトをただの物珍しい動物としか見ていない。それがタルタスの常識だった。

 

「ところでお前はこれからどうする気だ?既に罪を許されて自由となった身だが禄を得る手立てはあるまい。その気があるなら私の下で剣闘士として使ってやっても良いぞ」

 

 コルセアの言葉は尊大だが事実であり、彼なりにヤトの価値を認めている証拠でもあった。この国で土地も財産も無しに良い暮らしをするのは不可能で、路頭に迷えばその先は奪うだけの盗賊か乞食しか道は無い。

 その点自由を勝ち取った栄誉を持つ剣闘士、それも領主お抱えの英雄ともなれば貴族並の待遇を約束される。ヤトは強さもあるが何より若く美形だ。すぐに闘技場の売れっ子として人気者になって統治の一助となる。そのために良い思いをさせて歓心を得るのを惜しむ気は無かった。

 一方ヤトはそんな待遇はどうでも良かったが、今この場で疑惑を持たれたら困るのと間を繋ぐために一つ条件を付けた。

 

「ほう、不遜にも私に要求するか。聞くだけ聞いてやろう」

 

「雑魚はいりません、強い相手を用意してください」

 

「ははは!面白い奴だ。気に入ったぞ」

 

 心底楽しそうに笑うコルセアに周囲は追従して笑うべきか迷ったが、その前にパンの配給を終える銅鑼が鳴り、続いて楽士がラッパを吹き始めたので多くはそちらに興味が逸れた。

 突如荘厳なラッパの響くアレーナの地面が割れてぽっかりと穴が開き、穴からは何本もの巨大な円柱が姿を現した。より一層式典を派手にする演出なのだろう。

 

「ほう、今回は変わり種が混じっているな」

 

 貴族の誰かが鎖で円柱に縛り付けられたモノを見て呟いた。

 五本の円柱には白いキトンを纏う麗しい容姿の五人の女性が鎖を巻かれて自由を奪われていた。その中で貴族の視線は一人の角の生えた片腕の亜人に向けられていた。

 誰とは言わずとも分かる。クシナだ。その隣にはロスタも無表情で縛られていた。今回の二人の役割は御覧の通りである。

 

「毎度エルフや人では飽きる。たまにはああいうのも悪くは無かろう」

 

「全くですな。流石はご領主」

 

「あの亜人めはこれから何をされるのか分かっていない様子。あの暢気な顔が恐怖で歪む様はさぞや見ものですね」

 

 貴族達は口元の笑いを隠して囀る。彼等の言でこれから何が行われるのか想像がつく。

 

「式典を彩る美しい贄ですか」

 

「散らす命が罪人やむさくるしい男ばかりでは華が欠ける。そして散る華は美しければ美しい程に悲劇的で人の心を揺さぶる物だ」

 

 コルセアは血のように赤いワインを片手に悦に入っていた。こうした趣向は彼個人の好みによる指示だった。

 その言葉を証明するように民衆の興奮は否が応でも高まり、アレーナにさらなる役者が投じられた事で最高潮に達した。

 獰猛な唸り声を上げながら登場したのは一体の大型獣。獅子の胴体と頭にヤギと毒蛇の頭が加わり、蝙蝠の翼を持つ幻獣キマイラが涎を零しながら咆哮を轟かせた。

 クシナとロスタを除いた三人の女性は己の未来を絶望視して泣き叫び、それが一層観衆の興奮を呼び寄せる。

 同じくキマイラも目の前の生贄が自分の餌として用意されたのだと気付き、土煙を上げながら喜び勇んで駆け出した。

 腹を空かせた獣が鋭い牙を一人の生贄に突き立てる前に赤の軌跡が獅子の頭を斬り飛ばし、獣はその図体に似合わない情けない声を上げて後ろに下がった。

 獅子の頭はアレーナの地面を数度バウンドして動かなくなった。

 闘技場は静まり返り、万を超える目がゆらゆらと揺らぐ炎の光剣を握るロスタの神々しさに釘付けとなる。

 

「あれはフォトンエッジ!ではあの娘は貴族――だが何故武器を持って贄の中にいるんだ」

 

「ご領主、如何なさいますか?」

 

 閲覧席の貴族達が俄かに騒ぎ立てたが、最も位の高いコルセアは騒がず顎に手を当てて思案した後、手振りで貴族達を座らせて静観の構えを見せた。

 下では予期せぬ急展開に観客が徐々に騒ぎ出して、無邪気にこれからの予想を話し始めたり、ロスタを応援する声、反対に貴族への憎しみから死を望む声があちこちから上がった。

 キマイラは頭の一つを斬られてもまだまだ元気な様子を見せて、ロスタに飛び掛かるタイミングを図っていた。

 しかし呼吸すらしないゴーレムでは隙など見えず、痛みに業を煮やした怒れる獣はその図体を生かして一気に相手を殺そうと突進した。

 自らの十倍以上の重量はある凶獣が一気吶喊してもロスタは端整な風貌を動かさない。代わりに自らも吶喊、スライディングしながら相手の腹元に潜り込みつつ光剣を天に突き上げて、喉・腹・股の順に切り裂いた。

 交差した両者の位置が入れ替わり、ロスタが立ち上がって振り向いた時、キマイラは力無く伏せるしかなかった。

 これには観衆は総立ちとなり、美貌の少女に惜しみない拍手と喝采を送る。

 貴族達の中にも同調する動きがあったが、コルセアは特に感情を見せずに使用人に何か伝えて下がらせた。

 しばらくすると闘技場全体に地響きが伝わり、観衆は困惑の色を見せ始める。

 そして新たにアレーナに姿を見せたモノに誰もが驚愕の声を上げる。

 それは小さな翼を持つ黒い四つ足の巨岩のような姿だったが、自らの意思で動き、咆哮を轟かせ、獲物を見定める、生態系の最上位に位置する捕食者。先のキマイラさえこの黒岩に比べればなんと可愛い猫と言えよう。

 ヤトは眼前に捉えた巨大な玄武岩のような生物を良く知っていた。

 

「ドラゴン……あれも場を盛り上げる小道具ですか」

 

「本来の出番はもう少し後の予定だったが、繰り上げた方が面白そうだったのでな」

 

 コルセアは上機嫌に語るがドラゴンをただの誕生祝いの席に使うとは剛毅極まりない。派手好きで虚栄心に満ちた気質もここまでくれば一種の才覚だろう。

 あのドラゴン―――容貌から察するに岩竜と呼ばれる種族だが随分と苛立っている。本来は岩地や火山地帯に棲んでいるやや大人しい竜と言われているが、このような狭い場所に無理矢理押し込められて見世物にされていれば怒る。おまけに身体を見れば所々岩のような鱗が剥がれ落ちて肉が露出している。散々に痛めつけられて言う事を聞かせられていれば狂暴になっても仕方がない。

 怒れる岩竜は鎖に繋がれた女達と炎の光剣を構えたロスタを見比べてすぐにロスタに牙を剥く。彼、あるいは彼女は自らを散々に痛めつけた光の剣の恐ろしさを十二分に分かっていた。だから今この場で最も脅威となる相手を殺すつもりだ。

 竜が牙を剥き威嚇しつつ四肢に力を籠める。ロスタが剣を構えていつでも斬りかかる姿勢を取る。観衆は息を止め、唾を飲み込みただ見守る。

 しかし対峙は場違いな金属音で破られた。

 

「おーいロスタ。そこのチビ助は儂に任せろー」

 

「クシナ様……承知しました」

 

 ロスタは鎖を引き千切って竜との間に割って入ったクシナの言葉に従って剣を納めて一歩下がった。

 彼女は碌に警戒をせず無防備のまま竜に近づく。竜は牙を見せて威嚇するが、彼女が近づくにつれて困惑と怯えが見え始め、ズルズルと後ろに下がり始めた。

 そして壁際まで下がって逃げられなくなった竜の頬にクシナの手が触れた。すると今まで怯えていた竜がすっかり落ち着き、自分から顔をクシナの小さな身体に摺り寄せた。

 予想外の展開に闘技場は困惑の色を強め、その上突如として岩竜が観覧席に向けて火炎を吐き出した。

 ただし距離が離れていたために直撃はせず、数名の貴族が熱風を浴びただけで被害は軽微だったが、竜の明確な敵対行動に観衆は大混乱に陥った。

 さらに竜は手当たり次第に火を吐き始めた事で人々は無秩序に逃げ惑い、貴族達も我先に逃げ始めたため、最早式典は続行不可能となったのは明白。

 ここでコルセアは怒気を漲らせながら兵士に岩竜とアレーナの女達の駆除を命じた。しかし兵士は自分達では竜退治は手に余ると腰が引けている。それを見たコルセアは忌々し気に追加の命令をぶつけた。

 

「なら客人として招いた魔導騎士に協力を要請しろ!私の名を出せば嫌とは言うまい」

 

 怒鳴られた兵士は一目散に観覧席から出て行き、残ったのは主人のコルセアと最低限の使用人。そしてなぜか出て行けと言われなかったヤトだけだった。

 逃げ惑う人々の声で埋め尽くされた喧騒の中、コルセアが枯れた声をヤトに向ける。

 

「………それで私の命は取らんのか?」

 

「おや、気付いていましたか」

 

「気付かないわけがあるまい。外の者がこのタイミングで売られて、あまつさえ闘技場で自由を勝ち取るなど出来過ぎている。誰が送り込んだかは知らんが大方私を狙った刺客だろうが」

 

「その割に護衛を全て遠ざけていますが、観念して首を差し出すつもりですか?」

 

 ヤトの言葉にコルセアは無言の嘲笑で返して懐に手を入れた。彼の手には黒い棒が収まっていて、次の瞬間には棒から炎が噴き出してまるで鞭のように垂れ下がる。

 

「領主の立場を狙う者は殊の外多い。護衛が居なくとも身一つ護る術は持っている。まして力の強いだけの丸腰の平民一人、私がこの手で処断してくれよう」

 

 タナトスから聞いた臆病な性格とは少々かけ離れた実像だ。嗜虐的な笑みを浮かべて、まるで足元を這い回るネズミを追い散らすかのように光鞭をヤトの足元に叩きつけて床を砕く。

 しかしそのようなチャチな脅しなどどこ吹く風とばかりに、ヤトは傍のテーブルから銀製のナイフを二本手に取って距離を置いて構えた。食器でしかないナイフは酷く頼りないが素手よりは幾分マシだった。

 

 


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