台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題 作:まかみつきと
鈴の視界に奇妙なものが映ったのは、彼女が焼きあがった菓子を皿に移して振りかえったときだった。
「陽子?」
訝しく思って問い掛ければ、びくりとはねる鮮やかな紅の髪。
「ああ、鈴か」
ほっと息をついた王宮の主と対照的に、腰に手を当てた鈴が眉をしかめた。
「陽子ったらなにしてるのよ。厨房なんかで、それもそんな恰好で」
どことなく幼い顔立ちの女御が呆れるのも無理はない。
現景王はもともと着飾るのを好まないが、それでも女官や冢宰たちの説得で日頃は官服どまりである。それがさながら辺境の貧しい農夫のような恰好で、しかも厨房のすみにうずくまっているとはどういうことだ。
「景麒から逃げてるんだ」
「またぁ?!」
ぼそりと呟いた陽子に、鈴が頓狂な声を上げた。
この国の王と麒麟の関係は、さほど悪くない。
登極当時から比べれば政も人心もずいぶん安定してきたし、有能な官も増えた。その分王や宰輔にかかる負担も減り、あの頃の二人の間にあった微妙な緊張感のようなものも、今では見られない。
生真面目で融通のきかない頑固者同士だからたまには衝突したりもするが、言いたい放題口論した挙句に両方が折れるという、まあそれなりに微笑ましい主従だったりするのだ。
あとの問題といえば、最近政務が僅かながら楽になってきた王が、あるかなしかの隙を狙って遁走したがるようになった、ということぐらいで。
むろん雁の主従のように国外に逃亡するようなことはないが、気分転換と称して王宮内をちょろちょろとほっつき歩く王を、青筋立てた景麒が追い掛け回して説教するという光景が、金波宮のあちこちで目撃されている。
最初こそはらはらして見守っていた諸官女官一同も、この頃ではすっかり慣れてしまい、台輔をからかったり王に協力したりと、この騒動を楽しんでいる始末だ。
なにしろ、麒麟がその気になれば王の居所などあっという間に探し出してしまうのだから、この勝負は一方的に王が不利なのである。
「逃げるのはともかく、なんでそんな恰好なのよ? っていうより、どこからそんなもの持ち出してきたの?」
「この服はこっちにきたばっかりのとき貰って着てたやつなんだ。こういう恰好したら少しは見つかりにくくなるかなぁって」
調理台やらかまどやらのかげにこそこそ入りこみながら言い訳する少女に、鈴は小さくうめいて額を押さえた。
これが国内外に武勇と才色を謳われる慶国の女王とは。
いかに風聞が尾ひれ葉ひれのつくものだとは言っても、この陽子の姿を見たら慶国の者どもは万民揃って泣き伏すだろう。
「麒麟は王気を頼りに王を探すんでしょ。見た目を変えてもどうにもならないと思うけど」
「そうなんだよねぇ……」
かまどと水桶の隙間にもぐりこむことを断念したらしい陽子が、髪といわず手足といわず灰をつけ、憮然とした顔で口を尖らせた。
「そりゃ王を探してる麒麟には不可欠な能力かもしれないけど。ちょっとの休み時間にも王様タンチキついてるみたいに見つけられたんじゃ、息抜きもできないよ」
「まあねえ……」
タンチキとはなんぞや、という疑問はこのさい横へ置いて、他の部分では鈴もおおむね同感である。
「だから、どうやったら景麒を出し抜けるか、試してるんだ」
「……」
握りこぶしで力説する、景女王。
王気と言うものが気迫であるとするならば今まさに彼女を取り巻いている気配こそが王気であろう。
そんなに気合を入れていたらあっというまに景麒に見つかるんじゃないかと思ったが、忠告を口にする前に、陽子言う所の「王気探知装置」が大きな溜息をついた。
「麒麟を出し抜ける王などおりません」
「台輔!」
自分の真後ろに気配もなく立った人物に鈴が悲鳴を上げ、彼女が死角となって襲来に気づかなかった陽子がこのうえなく嫌な顔をした。
「台輔、いらっしゃるならひとこえかけて下さい!」
「そのようなことをしたら、主上が逃げます」
「うっ……」
的確すぎて冷淡に聞こえる反撃に、君臣がそろって顔をゆがめる。
淡い金の鬣を揺らし、景麒が情けなさそうに主を見やった。
「それよりも主上、いい加減にそのような子供じみた真似はおやめください。主上の威信にかかわります」
「威信なんかいらん!」
「そういうわけには参りません!」
ここいらが潮時だ。
睨みあう主従に、これ以上巻き込まれないよう鈴が足音を殺して逃げを打つ。その裳裾を、陽子がはっしと掴んだ。
「待って鈴、助けて!」
「ちょっと、あたしをまきこまないでよ!」
「女御にすがらないでください、情けない!」
三人三様の絶叫が、さしてひろくもない厨房にこだまする。
涙目の陽子が、鈴にしがみついたまま己の半身を睨む。
「だいたい、麒麟だけ王気がわかるなんて不公平だ。王だって麒麟の気配を知ることができればいいのに!」
「無茶なことを仰らないでください!」
お願いだから勘弁して。
足元と頭上で叫びあう主従にはさまれて、鈴は眩暈のする額をおさえた。
よろめく華奢な女御の裾を掴んだ情けない姿で、景王がぱんぱんに頬を膨らませる。
「もう、おまえなんて、おまえなんて、おしおきだ!!」
びしぃ!と音を立てて突きつけられた指に、景麒が目をむいてのけぞった。
「主上?!」
「勅命をもって命ずる!今日から三日、私の居所を探すな!」
「はぁ?!」
かつてここまで私情に走った勅命があっただろうか。
いや、ない。
形式どおりの反語形で、鈴が確信する。
「待ってください、主上!」
「駄目!もう決めた!」
怒号と悲鳴の飛び交う厨房で、呻くことすらできなくなった女御はひたすら誰かが助け出してくれるのを待つのだった。
まとめらんなくて苦心惨憺。
ちなみに場所は金波宮の遠甫んち。(描写で説明しろよ・