台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題 作:まかみつきと
一日の仕事を片付けて堂室に戻る途中、横合いから声をかけられて、楽俊は走廊の外に首を出した。
「こっちだこっち」
呼ぶ声に見れば、重たげに咲いた牡丹の枝の向こうで、くつろいだ恰好の男が笑っている。
「桓魋……そんなところでなにやってんですか」
乱れ咲く牡丹の真ん中でただの石段に腰を下ろした禁軍左将軍は、呆れた顔の同僚に手元の竹筒を振って見せた。
「花見さ。ここの牡丹があまりに見事なんでな、ただ見るのも惜しいから花を肴に酒を酌んでいるってわけだ」
「人に見つかったら叱られますよ」
「なに、そうしたら酒に誘えばいい。こんな景色を見ずに放っておくなど花に失礼だぞ」
すでにほろ酔いなのか、桓魋がくつくつと笑う。
「というわけで、話を聞いたからには共犯だ。仕事は終わったんだろう、楽俊もどうだ」
「自分から声をかけといて共犯はねえと思いますけどね」
苦笑しながら、楽俊も走廊をはずれて園林に出た。
「将軍に花を愛でる趣味があったとは知りませんでしたよ」
桓魋の隣に腰を下ろしてからかうと、こいつ、と杯を持った手で頭を小突かれた。
「どうせ風雅の似合う性質じゃないさ。今日だってたまたま目に付いただけだ」
笑いながら酒を酌んでよこすのに、軽く頭を下げて受け取る。どうやら最初から誰かを連れにしたかったようで、杯はあと二枚ほど余分があった。
すでに夜半もいい刻限だが、この時期空にはまだ月がない。
あちこちにある灯火と降るような星の光で互いの顔が見える程度の薄明かりのなか、色とりどりの牡丹が咲き競うさまは、ただ美しいと言うよりいっそ艶かしかった。
「なるほど、たしかにいい景色ですね」
「俺は学も風情も知らんからな、花と言えば牡丹ぐらいしか思いつかん」
いかにも武骨な将軍らしい物言いに、楽俊が軽く笑う。
「牡丹は百花の王と謂うくらいだし、いいんじゃねえですか。おいらは、梨や桃なんかも好きですけど」
「お、さすが文官は言うことが違うな」
「なに言ってんですか」
ひとしきり笑って、そういえば、と楽俊は園林を眺めやった。
「陽子が、こっちにはさくらはないのかなって言ってましたよ」
「さくら?」
「蓬莱では、花と言えばさくらなんだそうです。枝ぶりは梨や梅のようで、花はごく淡い薄紅だって話しですよ。赤子の爪の色みてえな」
へえ、とまたたいた桓魋が、淡い色を載せた花を引き寄せた。
「こんなかんじなのかな」
「さて、どうですかね」
いかんせん、さくらというものを見たことがないから、二人して首を傾げるしかない。
「学校や道の脇によく連ねて植えてあって、春先のまだあったかくなりきらねえ時期に、小さな花が一斉に咲くんだそうです。それの散るさまが、花びらの吹雪みたいでまたいいって」
---それはまるで、視界に霞がかかったみたいに綺麗なんだ
微笑んだ少女の顔が浮かぶ。
故国への郷愁と懐古の下に見える、悲哀。
どんなに望んでも手にいれることのできないものが、彼女にはある。
そして、たぶん自分にも。
「楽俊」
やや押さえられた声が、楽俊の意識を引き戻した。
振り向いた先にある蒼い目が、真摯な色を浮かべている。
「おまえ、今のままでいいのか?」
「桓魋……」
その言葉の意図することを正確に読んで、だからこそ咄嗟に返事ができなかった。
「俺も半獣だからな。ほかの連中よりは、もうすこしおまえのことがわかるつもりだ」
つもりなだけかもしれんがな、と呟いた男が、ややうつむきながら二人分の杯に竹筒を傾けた。
「実際、おまえはたいした奴だと思う。浩瀚様が是非にと言うくらいの知を持つくせに至って控えめで、人柄も温厚。ほかの何よりも主上の最善を優先するありかたは、称賛どころか尊敬に値するほどだ。だが、おまえ自身はそれでいいのか?」
まっすぐな視線に表情を選びかねて、結局笑った。
「---おいらは、陽子の役に立ちたいだけですよ」
「おい」
眉をしかめた桓魋に、ちいさく首を振る。
「本当のことがわかったあとでも、陽子はあっちに帰りてえって泣いたんです。だけども、陽子はまちがいなく景王だ。それを捨てるわけにはいかねえし、捨てたら陽子だけでなく民も宰輔もみんなが辛い思いをする。どうあってもやらなきゃならねえことなら、少しでも気が楽なほうがいいじゃねえですか。おいらにできることなんてたかがしれてるけど、ちっとでも陽子の役に立てるんなら、おいらはそれで充分だと思ってます」
「そうやって、ずっと自分を騙す気か」
「騙してなんていねえですよ。最初から、それがおいらの望みなんですから」
平静を装った返答に、桓魋は深い息をついた。
「ここは慶で、俺は慶の民だ。女王を憂い、恋着によって国を傾けた王を恨む民を知らんわけではない。だから、おまえの懸念はわかる。だが……」
「桓魋」
その先を言わせずに口を挟む。
「陽子は王です。この慶至高の」
暫し沈黙の降りた二人の間を、さやと花を揺らしながら風が通りぬけた。
「……王だと思ってなどいないくせに、よく言う」
口の端だけで苦笑った桓魋が、竹筒を差し出して杯を催促する。不敬と言われかねない評価に、楽俊は渋面をつくった。
「そりゃあ心外だなあ。おいらだって陽子はいい王様だと思ってますよ」
「そうじゃない。おまえにとっては、王も官職のひとつみたいなもんだろうが。でなけりゃどうして王を友人扱いできる」
「それは……陽子が」
「むこうからきた主上ならともかく、こちらで生まれ育った人間がそう簡単に割りきれるわけがないだろうが。つまり」
一拍おいて、桓魋がにやりと笑った。
「おまえも、主上に一己の人間として向かい合いたかったってことじゃないのか」
「…………」
どうにも返事のしようがなくて、膝についた肘で顎を支えてそっぽを向く。それで表情は見えなくなったろうが、朱がのぼった耳までは隠しようがない。あんのじょう、隣から忍び笑いが聞こえた。
「本当に嘘がつけんな」
「この顔は酒のせいです!」
「ほお、俺はなにがどうとは言っていないがなあ」
「……桓魋、実は性格悪いんじゃねえですか?」
横目でねめつけると、同じ半獣の男はふふんと鼻先で笑った。
「ただの善人が、戸籍をごまかしてまで官吏になったり反乱軍を組織したりするもんか」
「いや、そりゃ浩瀚様が……」
「乗ったのは俺だ」
「はいはい」
胸を張っていっそ自慢げな同僚に、がっくりと肘が折れる。
「金波宮も、御多分に漏れず狸の根城と言うわけだ。いつなんどき好機が巡ってくるかもわからんからな、おまえもいざというときにそなえて腹黒くなっておけよ」
「いざってなんですか、いざって!」
「備え有れば憂いなしと謂うだろうが」
「憂いなんてねえですって」
「素直じゃないな、この」
応酬に業を煮やしたのか、桓魋の片腕が楽俊の首にかかった。締め上げられて、簡単に息が詰まる。
「か……んた、いっ!」
さして太くはない腕だが、この男は熊の半獣である。見かけに騙されては痛い目を見る。
冷や汗をたらす楽俊に、桓魋はたいした力も込めていないような顔で笑った。
「最初からあきらめる必要はないさ。第一、おまえが逃げようとしても主上が捕まえにきたらどうしようもないだろうが」
「だ、から、なんの……」
「ほー、この後に及んでまだそらとぼける気か」
締め上げる腕に力がこもる。さすがにまずいと思ったとき、きわめつけに呆れた声が降ってきた。
「なにやってるの、二人して」
「よう、祥瓊」
外廊から不審げに顔を出した少女に、桓魋が愛想よく手を振った。無論、楽俊に手を振る余裕はない。
「祥瓊、助けてくれ!」
無理矢理向けた首は、桓魋がひょいと腕をひねっただけで引っ張り戻されてしまった。
「ああ、こいつの言うことはほっといていいぞ。それより、おまえ一人か?」
「陽子たちもくるけど……だから、なにやってるの?」
「牡丹を見ながら酒を飲んでたんだが、余興がわりに組み手をな」
楽俊の抵抗を歯牙にもかけていない桓魋に、祥瓊が顔をしかめた。
「なに馬鹿言ってるの。桓魋の力で締め上げたら骨が折れるじゃない、いい加減離しなさいよね!」
「はいはい」
美貌の女史に睨まれて、ようやく楽俊を解放する。
「祥瓊、時間が空いてるなら一緒に花見でもしないか」
ちょうど酒の追加も欲しいし、と竹筒を振る桓魋に、祥瓊が肩をすくめた。
「どうしてこう、主従揃って同じようなこと考えるのかしらね。陽子たち呼んでくるから待ってらっしゃい」
主従揃って、というからには、陽子たちもにたようなことを考えているのだろう。祥瓊を見送ってようやく息をついた楽俊は、まだ悲鳴をあげている首や肩をさすってなだめた。
「……桓魋」
「さっきの話は黙っておいてやるさ。これであいこだ」
恨みがましく唸る楽俊に、桓魋が笑った。
初稿・2005.05.09
うあ、シリアスのつもりがラストでコメディになっちった。
熊さん優しいからなー。人選ミスか・笑
まああれです。陽子も楽俊も、近い人たちにはモロバレってことで。フフフ
中国で花と言えば梅か牡丹ですが、梅を愛でるような風雅な人ったら遠甫くらいなので(苦笑)わかりやすく牡丹でいってみました。
牡丹も芍薬も好きですが、個人的にはやはり桜に勝るものはないと・
つーか、やっぱあちらに桜はないんでしょうかね?
そのうち陽子ちゃんが路木にお願いしてくれることを祈ります・笑