台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題   作:まかみつきと

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月影後、即位前。
No.56楽俊サイド。


||69|| 高く、低く、そして貫け。(楽俊・陽子)

 

「大丈夫だよ」

 振りかえった拍子に揺れた紅の髪が、月光をはじいて甘く波打った。

「もう、逃げない。わたしにどれだけのことができるかなんて全然わからないけど、やれるだけやってみる」

「陽子」

 名を呼ぶと、翠の瞳が微かに揺れて微笑んだ。

「楽俊や延王の助力があったから、景麒も助け出せたし、反乱軍もなんとかおさめることができた。あとは、わたしがやらなくちゃ」

「そうか」

 うん、と頷く顔に、出会った頃の陰はもうない。

「まあ、喋るのはいいとして、文字は書くのも読むのも駄目だし、法律も常識も全部いちから勉強しないといけないから、目下はそっちのほうが大変かもしれないけど」

 指を折る少女の懸念はもっともで、そのあたりは自分も気になるが、まあ悩むより覚えるしかないのだろう。

「政は景台輔がおいでなさるし、専門の官がいるさ。わかんねえことは順繰りに覚えていけばいい。焦って一気にやろうとしても頭になんか入らねえんだから」

「そうだね」

 欄干にもたれかかった少女は、でもなあと空を仰いだ。

「あの景麒が、ゆっくり教えてなんかくれるかな。ものすごい鬼教師だったりして」

「なんだそりゃ」

「だって、わたしを迎えに来たときなんてひどかったんだよ。どこまでおろかな方か、とか言って」

「ええ?」

 呆れて聞き返すと、まったくの異世界から連れてこられた少女は、そのときを思い出したのかおかしそうにくすくすと笑う。

「せめて一言、慶国の王として迎えにきました、とか、自分は慶国の麒麟です、とか言ってくれれば、そのあとの展開だって相当わかりやすかったと思うんだけど」

「そりゃあおいらもそう思うが、本当になんにも言われなかったのか?」

 しかつめらしく腕を組んで眉をしかめる少女に並んで欄干にもたれかかりながら、首を傾げる。

「そうだよ。あなたは誰、って聞いて初めて名乗ったくらいだもの。それだって、わたしはケイキです、じゃあ、なんのことかさっぱり」

 肩をすくめる少女に、思わず額を押さえた。

 たしかに、出会った頃の彼女はなにも知らない海客だった。

 ここがどういう世界で、自分がどうやって辿りついたのかもなにひとつ知らなかった。

 だからこそ、ここまでくるのに酷い苦労と辛い経験を余儀なくされたのだ。

 その元凶が宰輔なのだとしたら、これからさきのことが思いやられる。

「でも、おかげで楽俊に会えたんだから、そういう意味では感謝していいのかも」

「……そういう問題か?」

 そうだよ、と笑った顔はごく普通の少女で、一国を背負う王にはまだとても見えない。

 だが、いずれは彼女も女王の顔になるのだろう。

 それを思うと、胸のどこかが痛んだ。

「あちらから来たばかりのわたしでは、たぶんいけなかったんだと思う。憎悪をぶつけられて、裏切られて、でもたくさんの人に助けられて。人の心や、さしのべられた手の温かさや、それを受け入れられない自分の弱さも愚かさもひっくるめて、そういうのを知ること全部が必要だったんだ」

「……そうか」

 真摯な翠の瞳が、淡い月の光を受けて綺麗に輝く。

 この世界で王になろうとする者は普通、天の選定を受けるため、麒麟の待つ蓬山へと昇る。

 同じ世界にありながら異境であるという黄海をゆくその道は、長く険しく、襲いくる妖魔や苛酷な環境との戦いだという。

 異界から還り、それを辿ることなく王に選ばれた少女には、巧を彷徨(さまよ)辛酸(しんさん)を舐めたあの旅こそが、昇山の道だったのかもしれない。

 その頃の荒々しさを微塵も感じさせない穏やかさで、少女が微笑んだ。

「楽俊に会えたことは、そのなかでも一番大事なことだから、景麒にはちょっとだけ感謝、かな」

「こらこら、宰輔にそんなこと」

 一番大事、と言われるのはおもはゆいが、まがりなりにも一国の宰輔と秤にかけられるのは身の丈にあわない。

 たしなめてはみたものの、少女はいっこうに畏れ入らなかった。

「いいの。景麒のせいで、わたしは散々な目に遭ったんだから」

「陽子にかかったら、景台輔もかたなしだな」

 苦笑しながら手を伸ばし、紅い前髪を撫でると、少女が嬉しそうに笑った。

 望んで昇山したわけではない。

 我こそがと意思をもって誓約を受け入れたわけではない。

 迷って迷って、悩んで悩んで。

 決めかねて泣く彼女に、それでもと言ったのは、誰あろう自分。

 それはもうさだまってしまった道ではあったけれど、その重荷を捨てることも彼女にはできたはずだ。けれどそれだけはして欲しくなかったから、やってみろと励ました。

 重責は承知の上。

 それでも、彼女に死んで欲しくはなかった。

 酷いことをしたのかもしれない。

 その嘆きを知ってなお、彼女からもどるすべを奪ってしまったのだから。

 なのに彼女は一言の非難も愚痴も言わず、こうやって無防備なほどに信頼を寄せてくれるのだ。

 それはとても嬉しいことではあるが、彼女の心内を思うと切なくもなる。

「わたし、頑張るから。きっと慶をたてなおしてみせる」

「陽子」

 喉まで出かかった謝罪の言葉は、柔らかな笑顔に阻まれた。

 不安でないはずはない。

 王など、政など知らぬ身で、昨日まで敵であったような者たちのなかに、たったひとりで踏み込んでいかなければならないのだから。

 けれども心配させまいとそれを表に出さず笑うのは、彼女の持つ強さであり優しさなのだろう。

 いつまでも、それを失わないで欲しかった。

「楽俊も遊びに来てね、慶に」

 まるで隣の(むら)に越すような挨拶に、思わず笑ってしまう。

「ああ、きっとな」

 たとえ二度と交わらない道であったとしても、自身がその気にさえなれば変えられないことはないはず。

 毅然と顔を上げて進む彼女に恥じぬよう、誇れる友であれるように。

 自分もこの道を歩いていこう。

 

 いつか、彼女の力になるために。

 

 

初稿・2005.05.20




お題56の楽俊サイドです。
同一場面で双方向というのは一度やってみたかったんですが、面白さ85%ムズカシさ15%てとこですね。
前向きな陽子ちゃんに比べて楽俊が珍しくちょこっとダークサイド入ってみたりみなかったり。
宜しければ、並べて読んでやってくださいませ。

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