台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題 作:まかみつきと
あ、ギャグですので。
「陽子ぉ」
「………」
「ねえってば」
「…………」
「ちょっとくらい聞いてよ、主上!」
「………………」
紺青の髪の少女が地団太を踏まんばかりに迫るのを、慶国の王は一顧だにせず黙々と筆を動かした。
過去はともかく、現在の慶で王が臣下の奏上を無視することなどありえないのだが、かれこれ小半時近くこの攻防は続いており、その横では灰茶の髪の青年が先刻から懸命に笑いを噛み殺していた。
「ねえ陽子、お願い」
女史である少女は、たとえふくれっつらであろうが泣き顔であろうが相手を魅了できるだけの美貌を持っている。
だが、それで落ちない男はいない、と裏で囁かれる哀願の表情にも、翠の瞳は一切の妥協を示さなかった。
彼女の美貌は見慣れているとか、自身も引けをとらないだけの容貌なのだとか、そういうことはこの際関係ない。
ここで負けたらあとが悲惨だということがわかっているから、ただひたすら公務にのみ没頭しているわけである。
そしてそれにくじけず食い下がる祥瓊に、陽子の補佐をしている楽俊が気の毒そうながらも笑いを隠せない顔で肩をすくめた。
「祥瓊、そろそろ諦めろ。折角の休みなのに、これで一日潰したら勿体ねえだろ」
「休みだからこそよ。こんなこと、仕事中にやるわけにいかないでしょう。それに、陽子がいますぐにうんと言ってくれれば一日なんて潰れないわ」
「言うんだったら最初っから言ってるって」
腰に手をあてて憤然といいつのる祥瓊に、楽俊がますます笑ってしまう口元を隠す。
他の官なら呆れる場面かもしれないが、陽子を含めお互い旧知の仲である。別段公務に障ることでもなし、それぞれの性根も性格も重々飲みこんでいるだけに、むきになっている二人がおかしくてしかたない。
「ちょっと、ほんのちょっとでいいのよ。ね?」
拝み倒しにでた祥瓊に返ってきたのは、当初からまったく変わらない沈黙だった。
ぴくりと上がる柳眉と、またもや噛み殺された苦笑。
何度繰り返されたかわからない応酬に、さすがの祥瓊も声音を下げた。
「……ちょっとおめかしするのが、そんなにお嫌なのかしら?」
「祥瓊の『ちょっと』は、わたしの『ものすごく』に相当するんだ」
祥瓊の一方的な懇願に初めて口を開いた陽子が、書面から目を離さずにぼそりと呟く。
「うっかり乗ったらとんでもないことになる」
「そんなことないわよ」
「ある」
断言した陽子は、それでも目を上げない。
「このあいだなんて、根負けして了解したらそのまま昼頃から夜まで衣装部屋から出られなかった」
「祥瓊……」
さすがにそれはひどいと楽俊にも溜息をつかれ、紫紺の瞳が慌ててあらぬかたを見た。
「あ、あら、一応夕餉前だったわよ」
「それだって充分夜だ」
陽子がむっつりと言い、眉間に皺を寄せたまま次の書類をめくる。
「だって、もうじき冬至でしょう。その時のお衣装も選びたいし」
「式典の衣装は決まっているだろう。なにも選ぶ必要なんてないじゃないか」
「あら、お衣装も冠もいろいろあるもの。まして一枚や二枚じゃないのよ。その色を合わせて着丈をなおして。選ぶのは服だけじゃないわ。帯や簪や飾りもあるし、髪の結い方にお化粧だって考えなきゃ」
熱を込めて指を折る少女の羅列に、力のこもった筆先が、紙面にべたりと直しようのない墨跡をつけた。
一瞬うっと肩を強張らせた陽子に、楽俊が笑いを堪えながら新しい紙を差し出す。情けない顔でそれを受けとった陽子が溜息をついた。
「……毎回こんな調子なんだ」
「同情するよ」
陽子と同じく着飾ることを好まない楽俊には、彼女の苦労がよくわかる。
それにしても、老若男女を問わず誰もが憬れるであろう絹や錦の衣装をいやいや着ている王がいるだなどと、いったい誰が思うだろう。
「けど、衣装選びなんか女史の仕事じゃねえだろうに」
「こういうことに関して、祥瓊は氾王のお墨つきがあるから。わたしの着る物だけじゃなくて、ほかにもいろいろ相談がくるみたいだし」
溜息混じりに筆を取りなおした陽子に、祥瓊が軽く口を尖らせた。
「それに、他の女官じゃ陽子を説き伏せられないもの。勅命に従わない者なんて、幾人もいませんからね」
「……自慢できることじゃないと思うけど」
ねめあげる王に、祥瓊がつんと顎を上げる。
「必要なことをやろうとしているだけですのに、勅命を使って逃げようとする王がいらっしゃるんですもの」
とりすました物言いに、だから、と陽子が口の端を下げた。
「儀式の衣装なんて型どおりで充分じゃないか。飾りや髪型も適当に考えておいてくれればいいから」
「考えるのと実際あわせてみるのでは全然違うのよ。だから前もって一度お衣装あわせをさせてって言うんじゃない。それに、日頃のちょっとした服だって」
「ほら、やっぱりそっちが目的なんじゃないか!」
機に乗じて詰め寄った祥瓊に、とうとう陽子が筆を放り出した。
「そんなの、官服で充分だって言ってるじゃないか。やっと他の官にも納得させたところなのに、またあんなずるずるした格好させられるのは御免だ!」
「ずるずるしなければいいんでしょう。大丈夫、わたしに任せてくれれば、余計な物をぞろぞろつけなくても陽子の美貌をひきたてる着付けをしてあげるから」
「そんなものひきたてなくていいんだってば!」
「だってあんなにたくさんお衣装があるのに、もったいないわよ」
「それは祥瓊たちで使っていいから」
「あのねえ。お衣装にだって、位によってそれぞれ格ってものがあるの。女王や王后のお衣装にわたしたちが袖を通すなんてとんでもないわ。だったらあとは陽子しかいないじゃない!」
握りこぶしで力説する女史に女王が頭を抱え、内豎の青年が声を殺して笑った。
「もう、勘弁してくれ……」
ほとほと疲れ果てた態で、陽子が椅子の背によりかかる。
「聞いてるだけで百着くらい試着した気分になるよ」
「だから、最初からすんなり協力してくれれば……」
「試着するのは二百着になる」
折角の猫なで声に陽子から絶妙のあげあしとりが入って、祥瓊の目が半眼になった。
「……あらそう。そこまでいやがるのなら、しょうがないわね」
不穏極まりない声に、陽子がぴくりと目を上げる。それににやりと笑んで、祥瓊は軽く腕を組んだ。
「あーんなことやこーんなこと、みんな楽俊に喋るわよ」
「へ?」
唐突に名を呼ばれて、楽俊が黒い目をまたたく。
同じく目を見開いた陽子は、だがすぐに落ち着き払ってにこりと微笑んだ。
「いいよ。わたしは、楽俊に聞かれてやましいことなんかしていないもの」
見栄でもそうは言えない台詞をさらりと返されて祥瓊が絶句し、楽俊は照れるでもなくくすりと笑った。
「……本当にいいわけ?」
「どうぞ」
「公式の場で癇癪起こしたとか、延王に暴言吐いたとかも?」
「泰麒救出の時のことか?」
「それなら延台輔から聞いたな。延王にあれだけ言えるとは、陽子もずいぶん王様らしくなったって誉めてたぞ」
まったくこたえていなさげな陽子と既知の楽俊に、祥瓊の口元が引きつった。
「……下が気になるからって政務放り出して街に降りたとか、衆目も気にせず台輔と喧嘩したとか」
「今更だね」
「今更だな」
声をそろえた二人が、顔を見合わせて笑う。
いかにも睦まじい様子に、怒りの矛先は楽俊にまで波及した。
「ちょっと楽俊、あなたはどうなのよ。陽子に綺麗な格好をさせたいとは思わないわけ?」
王にさえ手加減しない少女が、同僚相手に容赦するはずがない。噛みつかんばかりにつめよられて、楽俊がたじろいだ。
「いや、仕事のしやすい格好てのもあるだろうし、陽子がよけりゃあどっちでもいいんじゃないかと……」
「そうじゃないわよ! 華やかな女らしい格好の陽子を見たいか見たくないかって言ってるの!」
「祥瓊……」
完全に頭に血が上っている少女に、追い詰められた楽俊とそれを脇で聞かされる羽目になった陽子がそろって天を仰ぎ、額を押さえて呻いた。
「わかったから楽俊まで巻き込むな。つきあえばいいんだろう、つきあえば」
これ以上なにか言われてはたまらないと早々に立ちあがった陽子に、祥瓊がにっこりと笑った。
「まあ、やっと御理解下さいましたのね?」
「……作り笑いはやめろ、怖いから。それと、長くて二刻。それ以上は付き合わないから。いいね?」
「わかったわ」
懸命に威厳を保とうと努力する王に、元公主の少女は婉然と微笑んだ。その変貌ぶりに溜息をつきながら、陽子が楽俊を振り返る。
「……どっちみちこれじゃ仕事にならないし、行って来ます」
「まあ頑張れ」
苦笑と慰めのないまざった激励に疲れた頷きを返し、足取りの軽い祥瓊について堂室を出る陽子だった。
「女性というのは大変だね」
「浩瀚様」
陽子たちと入れ替わりに入ってきた冢宰に、楽俊が振りかえる。どうやら通りすがりに話を聞いたようで、陽子同様疲れた顔を隠せない楽俊に、浩瀚が小さく笑う。
「主上は女性にしては珍しく飾るを好まない方だから、女官たちは腕の振るい甲斐がないと嘆いているよ」
「その筆頭が祥瓊ですか」
話には聞いていたものの、聞くと見るとは大違いという奴で、実際目の当たりにすると陽子が気の毒なほどだ。
「なまじ飾り甲斐があるだけに、頓着しない主上が歯痒いらしい。ときどきこうやってひと騒ぎあるのだよ」
「はあ」
なんとも言えず曖昧に頷くと、浩瀚が意味ありげに笑って楽俊を見た。
「それで、実のところ、楽俊はどうなのかな?」
「お聞きになってたんですか……」
上これあれば下それに倣うと謂うとおり、金波宮もなかなかどうして侮れないようである。
一方。
下位の女官を指揮し嬉々として腕をふるう祥瓊に、抵抗を諦めた陽子がげんなりと肩を落した。
「どうでもいいけど、なんでそんなに着せ替えが好きかなあ」
「あら、好きじゃない陽子の方が変わってるのよ」
「さようで……」
時間がもったいないということで、色合わせも髪形も同時にやってしまおうと熱意と気迫のこもった女性たちに囲まれて、それだけで窒息しそうな陽子である。
袖をたくし上げ、やる気充分の祥瓊がうふふと含み笑った。
「……気持ち悪いよ、祥瓊」
嫌な顔の王にかまわずいそいそと着物をあてがいながら、満面の笑みで陽子を見た。
「折れたのは、楽俊のためかしらねえ。それとも、返事を聞かないようにかしら?」
「……やめてもいいんだよ?」
「あらあ、ここまできて逃がすとでも思ってるの?」
照れ隠しに仏頂面をしても、まったく意に介す様子はない。
「本当に、陽子は楽俊に弱いわよね。お互いさまなんでしょうけど」
「祥瓊」
「はいはい、まったく照れ屋さんねえ」
押しの強い姉といいように遊ばれる妹、としか見えない主臣に、手伝う女官たちから忍び笑いがこぼれた。
初稿・2005.05.23
ほの甘(のつもり)楽陽ベースの陽子vs祥瓊でした。
考えてみれば、彼女は女史なんですよね。
身の回りのことは女御の鈴がやるべきなんだろうけど、どうもお衣装なんかは祥瓊がやってそうな気が・笑