真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束- 作:chemi
休日が明け、学生の多くが憂鬱に感じる週の初日。そんなこととは無縁そうな集団が、川沿いの道を歩いていた。その集団――風間ファミリーは全員揃って登校中であり、京が隣にいる大和の制服の袖を引っ張る。
「ねぇ大和、現世でも結婚してって言ってみてくれる?」
「言いません。しかも、でもってなんだでもって。俺が前世でも言ったみたいな言い方」
「覚えてないの?」
そんなやり取りに翔一が混じる。朝から元気いっぱいの声である。
「おいおい京。それくらい俺だって罠だと見抜けるぜ」
「いいの。こっちも成功すると思ってないし……でも宝くじは買わないと当たらないわけで――――」
そんな3人の後ろをついていく一子と凛。彼女の手には、ダンベルがしっかりと握られていた。「腕はもっとこういう感じに」と彼が指導をする中、彼女が言われた通りしながら話題を振る。
「ねぇ凛。昨日七浜にUMAのフライングヒューマノイドが出たって話聞いた?」
「あれだろ? 月夜に浮かぶ黒い人影、ビルからビルへと飛び移り、やがてふっと消え去ったってやつだよな。くそう……俺がいれば捕まえていたものを」
そう言うと、凛は空を掴む勢いで、拳を握り締めた。彼なら本当にしてしまいかねない。一子がその姿を見て笑う。
「あーそれ多分私だ。ちょっと大ジャンプして移動してた」
2人の会話に割り込んできた百代が、そのUMAだと分かり、凛がすかさず一子に指示を出す。
「フライングヒューマノイドの発見した! 確保する! ワンコ左腕を掴んで!」
一子が、突然の命令に素直に従ってしまうのは、誰かの調教のせいだろうか。
百代の左腕を一子が、右腕を凛が捕まえ、歩きながらではあるが、某捕獲された宇○人の格好をとる。
「……これは一体どこへ持っていけば……って、モモ先輩! その手に作り出した黒い物体はしまいなさい! シャレになってない!」
凛が首をひねったところで、殺気を感じたのか、百代から距離をとる。一子は相変わらず楽しそうに、彼女の左腕と自分の腕を組んでいた。そして、問題の彼女の右腕――のさらに先端である右手には、見覚えのある光を通さない黒い球体が浮かんでいる。
それに、興味を示したのはクリスだった。由紀江は梅屋で一度見ているので、様子を見守っている。
「モモ先輩……それなんなんだ? 触ってもいいか?」
「ダメダメ。これ触れたものをなんでも吸い込んでしまうから、凛に当てないと」
その言葉を聞いた瞬間、クリスは小さな悲鳴をあげ、伸ばしかけた手を引っ込めた。百代も扱いに気をつけているのか、右手の突きは遅く、凛はそれ以上危険が周りに及ばないように手首を掴む。もちろん、足は学園へと向かうため、歩いたままだ。
そのまま一進一退の攻防を繰り広げながら、凛は気になったことを百代に尋ねる。
「思ったんだけど、吸い込んだあとの物はどうなるの?」
「どうしてそんなこと聞くんだ?」
「いやだってほら……モモ先輩、あと10センチくらいで、その不気味な物体が俺に当たりそうだから」
凛の言葉通り、彼の胸元から拳一つ分の距離にそれはあった。2人の腕はプルプルと震え、黒い物体が彼らの間を行ったり来たりする。
「大丈夫だ……どこかにつながってる……と思う。多分」
百代は、凛から若干目をそらせ質問に答えた。自信がないのか声も小さい。
「おいおいおいおい! 勘弁してください。出来心だったんです。朝の一時に、楽しい冗談を一つかまして、場を和ませようとしてたんです」
「そうかそうか。それで、遺言はそれでいいのか?」
「どっかにつながってるんじゃなかったのか!? 死んでる……それもう死んでるよモモ先輩!」
そんな2人を見守るファミリーは、随分と落ち着いていた。ああ、またかといった感じである。卓也と岳人も一瞥したものの、今はそれよりジャソプが気になるらしい。へんたい橋では挑戦者も現れず、珍しく穏やかな登校であった。
そして午前の授業が終わり、昼休み。ファミリーの男たちは、教室で昼をとっていた。珍しく誰も購買に行かないのは、机の上に広げられた重箱が、今日の昼飯だったからである。日曜に、由紀江の両親から北陸の食材が届き、夜に食べ切れなかった分を使って、寮の料理上手3人が弁当にしたのだった。もちろん女性陣の分も用意され、百代と由紀江は学年が違うため、個別の弁当が手渡されている。忠勝も密かに、自分の弁当分は確保しており、一緒の昼食とならないことに大和が嘆いていた。
それをつつきながら、凛が今週に迫った一大行事の話題を取り上げる。
「土曜日はいよいよ水上体育祭かぁ」
「ああ。凛は初めてだから結構楽しみなんじゃないか? 海ならではの競技も多いしな」
魚の煮付けを食べる大和が答えた。さらに、岳人がテンション高く乱入してくる。重箱からから揚げをとり、ご飯と一緒にかきこみ、頬をふくらませながら喋りだす。
「俺様もチョー楽しみだぜ。筋肉の仕上がりもそのために調整してきたんだからな! そして、何より女子の水着! これに限る!! ……このから揚げ最高に美味い」
「口の中の物飲み込んでから喋りなよ岳人。って、そのままクシャミはやめて!」
「燃えてくるよなぁ。やるからには優勝目指すしかない! 大和! 作戦はお前にまかせるぜ!」
卓也はクシャミをしようとする岳人の口を押さえ、その隣で翔一が総合優勝を目指して燃えていた。大和が、次の獲物である出し巻きを取りながら話し出す。
「まかせろ。凛はなんか出たい競技とかないのか? 得意なものとかあったら聞いておくけど」
「そうだな……素手でなんとかできるものならOKだ。得意なものも同じく」
「なんとも使い勝手の良いオールラウンダータイプ」
凛の発言に、大和は感心するとともに、作戦に幅をもたせられる戦力強化に喜ぶ。
「去年も行われた競技も入ってるだろうけど、また新しい競技とかもありそうだよね」
「あーできることなら、女の子同士くんずほぐれつの競技を見たい! な!凛!」
卓也の言葉を受けて、岳人がまたもやハッスルし、凛に絡んでいく。
「そら興味がないとは言わんが、俺は岳人ほどおおっぴらに言う度胸もない。おまえのそういうとこは凄いと思う」
「ちゃんと晴れてくれるといいけどな」
外の天気を気にしながら、大和がつぶやいた。
朝は晴れていたが、昼前から雲行きが怪しくなり、今となっては重そうな雲が空を覆いつくしていた。彼が携帯で調べた天気も、週末は曇りマークとなっており、その前日は雨マークになっている。
そして、重い雲から雨が降り始めた放課後。凛は、聖域の新たな住人とにらみ合っていた。ただし、両者がにらんでいるのは、2人の間に置かれた将棋盤である。
弁慶は杯を飲み干すと、満面の笑みで深く息を吐いた。
「あー雨の音を聞きながら、静かに飲む川神水も最高。凛も一杯どう?」
「もらっとく。このまま弁慶を酔わせて、長期戦に持ち込む」
渡された杯を勢いよくかっくらう凛。弁慶がその勢いをテンション高く褒めた。杯を返した彼が、金と書かれた駒を前へ進める。
パチリ。
茶道教室に駒を置く音が響いた。
「弁慶ってまじで強いんだな。ヒゲ先生は弱いから、対局もあんまり参考にならなかったし、油断してた」
「そう言いながらかなりの接戦に見えるけど……んーこれかな?」
白魚のような手がするりと桂馬へ伸び、そのまま駒を進める。
「ふむ……それより、それの味付けどう? まぁ嫌ってはないようだけど」
凛は弁慶の指した駒に少し黙考。その間に彼女は、将棋盤の横に置かれたチクワのねぎ味噌をまた口に運ぶ。
「軽く炙ってある味噌とちくわがよく合う。それに、さりげなく入ってる胡麻とネギがいい……凛は料理もできたんだね。私のつまみ専属シェフにならない?」
「つまみ専属ってしょぼすぎないか?」
「それじゃあ……よたれかかり用の枕とかどう?」
片膝を立てて座る弁慶は、その膝に自分の腕を置き枕のようにして凛を見た。スカートは絶妙な防御を見せ、彼に見えるようなことはない。
しかし、見えないと分かっていても、目がいくのは男として仕方ない――凛はチラリと目をやり、外した視線が弁慶とかちあう。彼女はただ微笑むだけだった。
「コホン。その権利売り出したら、こぞって高値がつくぞ。てか、そこまでいくと人である必要ないだろ……光栄だが」
「ふふ。人肌には枕にない温かさがあるからね。今度試してみるといい。私なんて主で何度やったことか……」
「そりゃ女の子の体だからじゃないか?」
「だから女の子でやってみたらいい」
その言葉に、凛は無言でじーっと弁慶を見る。その間も雨音だけが途切れることなく聞こえてきた。
ラチがあかないと思ったのか、弁慶はため息とつくと口を開く。
「言いたいことがあるなら、はっきり言うといい」
「いや、女の子でやってみるといいって目の前の女の子が勧めてくれるから、目で訴えてみた」
そう言って凛は駒を進めるが、瞬時に弁慶が鋭い一手を彼に返した。
「私に勝てたら考えてあげなくもない」
「くっ……ここでやらねば男が廃る」
うなる凛を見て、弁慶は顔をほころばせた。
「それにしても大和に続いて、凛も私につまみを持ってきてくれるなんて、私にしてほしいことでもあるの?」
「いや別に。ちょっと材料余ったから作ろうかなって。弁慶とお近づきになるチャンスだ、ろと」
道が見えたのか、凛が飛車を進めた。弁慶はそれを予想していたのか、次の手を即座にうつ。依然として、余裕の笑みを浮かべたままだ。
「直球だね。他にも、凛と知り合いたいと思ってる女の子は多そうだよ?」
「む! 手のうちが読まれてる? ……それは嬉しいことだけど、実際話す機会がないと、なんともいえないだろ? それに将棋うちながらダラダラする女の子とか、珍しすぎて逆に興味もつわ」
「川神水を片手に、おつまみも食べてるしね」
「話だけ聞いてたら、おっさんじゃん。弁慶が美少女であったこと……九鬼に感謝する」
凛は、自分の言葉に笑えたのか思わず吹き出す。弁慶がそんな彼の額を錫杖で小突いた。軽い打撃音と彼の「あいたっ」と言う声が響く。
「事実だが、おっさんと言われるのは不本意だ。あとのフォローがあったから、この程度で済ましてあげる」
「ごめんごめん。今のは失礼だったな。ここの空気がどうも心地よくて調子のった」
「またつまみを献上してくれることで許そう」
弁慶がニヤリと笑い、川神水をあおる。凛もそんな彼女に苦笑を返し、瓢箪を持って杯を満たしていった。
「了解しました。弁慶様が唸るほどの一品を差し上げますので、今日のところは怒りをお鎮め下さい。さぁもう一杯どうぞ」
「今のクラウ爺に少し似てたよ。ふふっ。これで毎日のつまみに困ることがなくなったわけだ」
「真似したわけではない。あと誰が毎日作ってくると言った? ときどきだな。あとは大和にでも頼みなさい」
「やった。私は私につまみをくれる人が大好きだ」
弁慶は歩を一マス進めると、凛を見つめてそう口にした。少し目がトロンとしているのは、川神水がまわってきたからであろう。彼はそれに淡々と返す。
「それ大和にも言ってるだろ?」
「本心だから大丈夫」
「その気持ちはありがたくもらっとく。でも、弁慶と仲良くしてたら男から恨まれそうだな。弁慶こそ言い寄ってくる男多いんじゃない?」
「そうでもない。理由は凛と同じかな……とっかかりが難しいみたい。手紙とかは今でもあるけど」
「確かに用事もないのに、話しかけるのは結構勇気いるかもな。男とかあんまり眼中にないって感じだし」
「そんなことないけどね。凛とか大和とか眼中に入ってるよ」
弁慶から空になった杯が凛に渡され、川神水が注がれる。彼はそれを飲み干すと、また彼女に返した。雨はいまだ止まず、茶道室に近づく人の気配もない。
「それ、ただ視界に入ってるとか言うなよ」
「少なくとも他の男よりは仲がいいと思ってるけど? 王手」
「! ぐ……うーん…………参りました」
凛が頭を下げる。
それを見た弁慶は、そのまま体を横たえ、自分の腕を枕にして寝そべった。顔はほんのり赤くなっており、幸せそうに微笑んでいた。また、かなりリラックスしているのか、「んふぅ」とツヤっぽい吐息をもらす。
「今度のおつまみは魚介の何かがいいなぁ」
「魚介ねぇ……イカとニラのチヂミとかでどうだ? 結構すぐできるし。って寝るな! 聞いてるか?」
「イカとニラの珍味かぁ~……それもおいしそうだ」
「チヂミだ! 珍味じゃない」
「うーん……zzz」
弁慶はそのまま寝入ったようだった。手を伸ばせば触れられる距離に、ゆるくなった胸元にウェーブのかかった髪が垂れ、スカートからは黒タイツの綺麗な足が伸びており、気持ち良さそうに規則的な呼吸を繰り返す美少女。それが凛の目の前の光景であった。とても魅惑的な光景に、自然と見入ってしまう彼だったが、それを断ち切るような雷の音が遠くで鳴る。その音で我に返り、彼は額を押さえながら嘆息した。
「無防備すぎるだろ。一応俺も男なんだが、本当に意識されてるのか? ……にしても大和遅いな。傘に入れてもらおうと思ったのに。メールも来ない。弁慶寝てるし……俺も寝ようかな」
仰向けに寝転がる凛。雷は一度鳴ったっきりで、また雨粒が地面にあたる音だけが響く。その音と弁慶の寝息を聞いていると、瞼が重くなっていき、しばらくすると、彼からも寝息が聞こえ始めた。
大和が現れたのは、それから20分後だった。そして、彼が最初に見たのは、将棋盤をはさんで眠る2人。しかし、それも義経の彼を呼ぶ声が聞こえたところで終わる。凛が彼女の気と声に反応したためだ。彼とは反対に、弁慶は相変わらず気持ちよさそうに眠っていた。
「弁慶はまたこんなところで寝て……弁慶。弁慶帰るぞ!」
義経が弁慶の体を揺さぶるも、「うーん」とうなるだけで、また寝息をたてる。
凛が眉をハの字にした義経に話しかけた。
「起きないな弁慶」
「ああ。このまま運ぶしかないのか……仕方ない」
そう言って、義経が弁慶をお姫様抱っこしようと、首と膝の裏に腕を通そうとしたところで、男2人から待ったがかかる。
「えーっと車は外に来てるんだよな?」
凛が先に口を開き――。
「で、義経はそこまで抱っこして運ぼうと」
大和が再確認する。
「そうだ。義経たちは傘を持ってきていないからな。車をわざわざ手配してくれたんだ」
その言葉を聞いた2人は、顔を見合わせたかと思うと、しばし沈黙――。
「「ジャンケン……ポン!」」
「「相子でしょ!!」」
「「相子でしょ!」」
「よっし! よし! コホン。義経……女の子に運ばせるなんて紳士として見過ごせない。よかったら弁慶を運ばせてくれないだろうか?」
グーを出して勝った凛が、義経の前に一歩進み出た。
「くっそ! なんで俺はあそこでチョキを……チョキを」
その後ろで、チョキの手を嘆く大和。
なぜいきなりじゃんけんを始めたのか、義経は首をかしげる。
「いや性別のことなら気にしないでいい。弁慶のことなら、いつも義経が運んでいるからな。気持ちだけ受け取っておく。ありがとう」
「い、いやしかし……」
そこに、嘆きからすぐに頭を切り替えた大和が、凛の肩に手を置きながら説得を始めた。
「そうだな。わざわざ俺たちが出しゃばる必要もない。俺たちは運ぶ義経と弁慶が濡れないように、サポートしてやればいい」
「おいっ大和! おまえ自分が運べないからって」
「いやそう言うのは関係ない……例えば途中で弁慶が起きたりして、凛が変態扱いされることを心配してのことだ。決してそんな意地悪しているわけではない」
「2人ともありがとう。義経なら大丈夫だ。さぁ帰ろう」
義経が討論している2人に告げる。その言葉を聞いて、彼らが弁慶の方へ目を向けた。
凛はすっかり覚醒した弁慶と目が合う。
「もう起きてるよ……弁慶さん、いつから起きてたの?」
「じゃんけんのところからかな? 声大きかったし」
「あーじゃあ結局無理だったんだな。……帰ろうか大和!」
「おう! 2人ともまた明日!」
男2人はいそいそと帰り支度を整え、その場を後にしようとするも、義経の純粋な厚意によって逃げ場を塞がれる。
「外は雨が降ってるし、途中まで乗っていくといい。弁慶も構わないよな?」
「そうだねぇ。ちょっと聞きたいこともあるし」
「そうか。だったらちょうどいい。さぁ帰ろう」
無邪気な笑顔を浮かべる義経と若干鋭い目つきの弁慶を前にして、結局2人は断れず、「ありがとう」と一言礼を言い、彼女らに従う。
廊下に出た4人は、下駄箱を目指して歩いていた。いつの間にか、凛の隣に来ていた弁慶がふいに耳打ちをする。
「別に運ばれてもよかったんだけどね」
「えっ!?」
凛がその言葉に真意を確かめようとするも、弁慶は先を歩く義経に忍び寄っていってしまう。
「ふふ。義経―こちょこちょー」
「わひゃ! こら弁慶やめろ! くすぐったい……直江くん助けて。あははははは」
「義経は脇が弱点か……覚えておこう」
廊下に、義経の笑い声が響く。
――――からかわれたのか?
判断に困った凛だったが、一旦それは置いといて、賑やかな3人に遅れないようそのあとを追いかけた。