真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束- 作:chemi
本部の中は紋白の言葉通り、装飾と最高級の絵画や壷が、見事な調和をなしていた。また埃一つない床面は、しっかり磨き上げられているため、天井のシャンデリアまで映し出している。その中をズンズンと進んでいく紋白達。
「おお、この絵画は確か2億ぐらいするやつじゃないですか」
「それは4億のものだな」
1つの絵画を見ながら凛が値段を口にするが、すぐに紋白から訂正される。それなりに自信があったのか、即座に訂正された彼は、どう反応しようか困っていた。そんな彼がとった行動は――。
「……。この壷は、たしか5億ぐらいの」
「3億4千万のものだぞ夏目」
その近くにあった壷に標的をうつす凛だが、それもまた即座に訂正された。彼は目をパチパチと開いたり閉じたりする。微妙な沈黙が辺りを包む。
「…………。これは……3億!」
名誉挽回と言わんばかりに、凛は次の絵画をビシッと指さしながら答えを示した。しかし、遂にヒュームから決定的な一言を言われてしまう。
「1億だ馬鹿者。全く相も変わらず、曖昧な鑑定眼だな凛」
「昔からなぜかこれだけは、なかなか上達しませんでしたからな」
その横を歩いていたクラウディオは、そんな凛を懐かしく思ったのか、目じりを下げながら会話に混ざる。
「っく。おかしい、昔から一応いろいろと見てきたはずなのに。紋様、お見苦しいところを見せてしまいました」
「フハハ夏目もまだまだ精進の最中ということだな。我も同じだ。気にするな」
がっくりと肩をおとす凛を紋白が背中を叩きながら励ました。彼はそんな彼女に「お互い頑張りましょう」と手を差し出し握手を求める。彼女は彼の変わらぬ態度が新鮮なのか、笑顔でそれに応じる。
握手をしながら、凛は2人の執事に問いかけた。
「しかし、本当にいいんですか? お食事に誘って頂いたのは光栄なんですが、なんのアポもとってない外部の人間が入ってしまって、問題が起きたらと思うと妙に落ち着かないです」
「問題を起こそうものなら、俺が直々に串刺しにしてやるから、安心していろ」
「余計に落ち着けない一言がとんできた!」
少し距離をとり、ヒュームに対して構えをとる凛。そこに、クラウディオが割ってはいる。
「ヒュームの冗談はおいときまして。その辺りの心配には及びませんよ。こんなこともあろうかと、しっかり準備はしておきましたから」
「そういうことだ。我が夏目に会うことも、クラウ爺の想定内だったというわけだな。食事に誘うことも含めて。まったくクラウ爺の手際のよさにはいつも驚かされるわ」
「簡単なことでございます」
紋白の周りは、凛が加わったことでいつもより賑やかな雰囲気だった。これから、食事ということで彼はテンションをあげ、彼女もそんな彼に対して「期待しておけ」と胸を張る。一行は、そのままいつもの食事場所となっている一室に向かった。
◇
食事をじっくり堪能した凛は、来客用の部屋に通され、ベッドに倒れこむ。モダンに仕上げられている部屋は、かなりランクの高い心地よいものだった。彼は一通り部屋を見て回ると、またベッドでゴロゴロする。
「ベッドがフカフカだな。しかし、泊まる場所まで用意してもらっていたとは。クラウディオさんには、悪いことをしてしまった」
ビジネスホテルでもとればいいかなどと軽く考えていた凛だが、そんな考えはクラウディオにお見通しだったようだ。
「恐ろしいほどの完璧執事だ。……ある一点を除けば。さすが、おばあ様のセバスチャンが目指すだけの人物はある」
凛は、仕事ぶりや紋白の厚い信頼などを目の当たりし、改めて凄い人物を師と仰いでいたのだと実感する。
「しかし、あの紋様が小さい頃、やんちゃをしていて木に吊るされたりしていたとは、意外なところで共通点が見つかってしまった。より親しみをもってくれたのは幸いだったな」
食事のときに判明したことだが、紋白もヒュームによく吊るされていたらしい。吊るされた者同士、その気持ちを共感することができた凛と紋白。しかし、吊るされた回数は彼の方がダントツに多かった。一緒に過ごした時間は、彼のほうが圧倒的に少なかったにも関らず。昔の彼は怖いもの知らずだったようだ。
「明日は、いよいよ寮に入る日だ。大和の話を聞く限り、そこもおもしろい人ばかりみたいだからな。あーなんか粗品とか必要だな。朝から準備しておこう」
そこでようやく凛は身を起こし、風呂に入ることにする。風呂のアメニティグッズは、もちろんロクシタソだった。存分に風呂を満喫した彼は、そのままベッドに倒れこむ。
そして眠れば朝が来るわけで、凛と紋白は昨日食事をとった場所にいた。凛の右隣に紋白。その後ろにクラウディオ。少し離れた位置に李とステイシーが並んで立っている。他の九鬼家の人達は、みな極東本部を離れているため、この場にはいない。
「図々しくも朝食までごちそうになってしまった」
朝食は昨日の夕食に比べればシンプルだが、素材は一級品。凛がおかわりするのも無理からぬことだった。彼らの目の前には、熱いお茶が置かれている。
「どうだった夏目? おいしかったか?」
「それはもう。今日一日戦い続けることができるほど、おいしい食事でした」
「フハハハ、そうかそうか。確かにそれだけ食べれば、それも可能やもしれんな。やはり、健啖家には強いものが多いのだな」
凛と紋白は、食後の一杯をフーフーと冷ましながら飲んでいった。背後に設けられている大きな窓からは、清々しい朝の光が注ぎ込んでいる。お茶を堪能していた彼女が口を開く。
「それで今日はすぐに出て行くのか?」
「はい。今日から寮に入ることになっているので、お世話になる人への粗品を選んでおこうと思っています」
「そうか。もっと夏目の話を聞いてみたかったが、それはまたの機会だな。川神駅まではクラウ爺に送らせよう」
「おまかせくださいませ、紋様」
紋白は指示を出すと席をたち、凛もそれに続いた。そのまま部屋を後にし、エントランスに向かう。2人は、その道中もたわいない会話をしながら歩く。彼らの話す距離が近いことに気がついたクラウディオは、一人微笑みながらつかず離れずついていく。メイドたちもそれにあわせて、遅れずについてきていた。
「――――紋様が望むなら、いつでもお話します。本当にお世話になりました」
「うむうむ。我も楽しい時間が過ごせて嬉しかったぞ。クラウ爺たちといつでも連絡とれるかもしれんが、これは我の名刺だ。働きたくなったら、すぐに連絡してくるのだぞ。九鬼は優秀な人材をいつでも歓迎するぞ!」
紋白は名刺を差し出しながら、凛に明るく声を掛けた。それを受け取り、彼が言葉を返す。
「紋様の声が聞きたくなったときはどうしましょう?」
「あまり調子にのるのもどうかと思うぞ凛?」
少し調子にのって軽口を叩いた瞬間、半端ないプレッシャーをかけられる凛。紋白のすぐ後ろにヒュームが立っていた。彼はすぐに平謝りにあやまる。
「申し訳ありません。心地よい雰囲気に調子のってました」
「許す。これも我に魅力がありすぎるためだな。フッハハそのときは遠慮なく連絡してくると良いぞ。夏目は我のお気に入りだ。存分に可愛がってやろう。民の喜びは、我の喜びでもあるしな」
「予想外の切り返し……参りました」
紋白の返しに驚き、凛は両手を挙げながら降参のポーズをとる。そんな彼に対して、彼女は楽しそうに笑った。
「ヒュームと渡り合った夏目になにやら勝ってしまったぞ。では、我はこれから稽古があるゆえ、ここでお別れだ。達者でな……と言っても、案外すぐに会うことになるかもしれんがな」
「? それはまた楽しみが一つ増えました。では、そのときまでお元気で紋様」
「うむ。さらばだ」
「川神は、おまえをさらに磨き上げてくれるだろう。精進を続けていけ」
「はい、ヒュームさんもお元気で」
最後に凛と紋白は握手をして、彼女はヒュームを連れて本部の中へと戻っていった。
ヒュームの姿が見えなくなると、ステイシーがテンション高く口を開く。それに李が続いた。
「紋様に軽口叩くなんて、なかなかいないぜ。ロックな奴だ」
「確かに少し驚きました」
「しかし、ちょっとまずかったですか? 反省しています」
「紋様も楽しんでおられたので構わないと思いますが、あまり調子に乗りすぎないよう注意してください。私は車を回してくるので、凛は少しここで待っていてもらえますか? 李とステイシーはこのまま警備にたちなさい」
そう言い残し、クラウディオは気配を消した。凛はメイドたちに視線を戻す。
「李さんステイシーさんお世話になりました」
「おう。元気でな。師匠がヒュームでお互い大変だが、頑張ろうぜ」
ステイシーは凛の肩をポンポンと叩きながら笑う。それに李はため息をひとつもらした。
「ステイシーが大変なのは、その言葉遣いのせいもあると思いますが……コホン。夏目様、体調を崩されぬようお気をつけください。将来は、ここで働かれる可能性もあるようですし」
「確かにそうだな。後輩になったときは、私らも存分に可愛がってやるからよ」
「こんなキレイな上司なら、可愛がられるのも悪くないですね。ぜひよろしくお願いします!」
「おっ言うねー。ていうか、今日一番のテンションだな。いつでも歓迎してやるぜ」
「車が来たようです。それでは」
ドアを開いてくれる李に、凛はお礼を言って車に乗り込む。そして、メイド2人に見送られ、車は本部を離れていった。彼は流れていく風景を楽しみながら、これからの予定をたてる。
本部を出て数分、クラウディオがハンドルを優雅にきりながら、外を眺める凛に話しかける。
「凛は随分、紋様に気に入られたみたいですね」
凛はその声に反応し、窓の外からクラウディオに視線を移す。
「楽しんでもらえたようで何よりです。九鬼の方とは、学校で会うのが初めてだと思っていたので」
「英雄様も紋様に劣らず素晴らしい方ですから、きっと凛も気に入ると思いますよ」
「紋様のお兄さんでしたね。確かお姉さんもいらっしゃるんですよね」
「揚羽様のことですね。ヒュームから武道を学び、壁を越えた者と称されるお一人です。今は、九鬼家のために尽力されていますから、戦うのは難しいかもしれませんね」
「壁を越えた者っていうと、ヒュームさんしか手合わせしたことないんですよね。他の人ともぜひお願いしたいところです」
壁を超えた者という単語に、凛は興味を示した。
壁を超えた者――強さの一定ライン(壁)を超越した者を指す。このランクに到達出来る者は、才のある人間の中でもほんの一握り、いやその中でもさらにふるいにかけられ残った者のみであり、ここに到達した者の相手をできるのは、同じくこのランクに達した者だけになると言われている。
「そうですね。あとこの近辺ですと、川神院の総代である鉄心様、武神の百代様、師範代のルー様、元師範代の釈迦堂様あたりでしょうね。加えて、今年入学された剣聖黛様のご息女でしょうか。ヒュームはかなりこの方のことを買っているようでしたよ」
「なるほど。こうして聞くと、川神に集中してるのがよくわかりますね。とてもワクワクしてきます。あとは目的の人に会えるといいんですけど」
「子供頃の言っていた倒したい相手という方ですか? あれから凛は本当に熱心になりましたからね。その相手には感謝しなければなりません」
「うっ。そう言われると反論のしようもないです」
クラウディオの言葉に、凛は昔を思い出し苦い顔をした。しかし、彼は優しい口調のまま先を続ける。
「別に責めているのではないのです。凛は、それまでもしっかりと鍛錬をこなしていたのですから。ただ鍛錬に対する意識がその前と後では、段違いになりました。負けを経験し、より高みに昇れたことを私は嬉しく思っているのですよ」
「悔しかったですから、とにかく次は勝つ、負けないという気持ちでいっぱいでしたね。でもその人も成長してるだろうし、顔もよく覚えてないんです」
成長した相手を凛は想像しテンションを上げるが、肝心の相手の所在がわからないことに声のトーンをおとす。
「せめてお名前がわかれば、力になってあげられますが」
「名前わからないんですよね。ふぅ」
凛はそう言いながら、頬杖をついてまた窓の外を眺める。そのとき、やけに強い気を放っている女の子が目についた。その女の子は2人でどこかに遊びにいくようだ。彼はふと視線を感じ意識を前に向けると、バックミラー越しのクラウディオと目があう。
「人の縁は簡単には途切れないものです。諦めないことですよ」
「はい」
凛は再度視線を外に向けるが、その2人組はもう見えなくなっていた。