真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束-   作:chemi

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『忙しい休日』

 体育祭が終わった次の日、凛はいつも通りの時間に目が覚めた。そして、軽めのトレーニングを行い、自室にて勉強を開始する。テストで下手な点数をとることなど許されない――というよりも嫌だったからだ。それは、彼が子供のときに関係している。

 今でこそ、当然のようにやっているが、幼き頃は、まだまだ遊びたい盛りのただの子供。凛は体を動かす武道とは違い、机にじっと縛られる勉強には耐えられなかった。結果、家庭教師が一瞬目を離すと脱走――武道で鍛えられた能力をいかんなく発揮する。2階の窓から飛び出してくる子供が目撃されるのは、日常茶飯事になっていた。それがヒュームの耳に届くと、決まってつるし上げられていたが、彼はへこたれなかった。悪い方向にではあるが。

 そんなときにやってきたのが、クラウディオだった。凛の親がそろそろ礼儀作法を教えておこうという話になったとき、彼の名が出されたのである。武道においては、ヒュームが担っていたので、それまでは彼が顔を出す機会は少なかった。

 そして、語られる凛の所業。

 それからは、窓から飛び出す子供が、まるで何かに引っ張られるようにして部屋へ戻っていく光景が度々続いた。その頻度は徐々に徐々に、ゆっくりとではあったが減っていき、いつしか見られなくなったのである。

 好奇心をくすぐるのが上手いのか、凛のクラウディオへの懐き方は親が苦笑するほどであった。

 そして、凛がなんでもそつなくこなしてしまうクラウディオに憧れるようになったのは、不思議ではあるまい。目指す対象が、ヒュームと彼の2人へと変更された瞬間だった。

 しかし、2年後、一つの転機がやってくる。10連敗――武道が好きだった凛は、それがとてつもなく悔しかった。厳しい鍛錬を続けてきたのだ。負けることなど考えたこともなかった。では何が足りなかったのか――。

 ヒュームとクラウディオが揃ったとき、凛はポツポツと喋りだした。一人の女の子と戦ったこと。そして負けたこと。もっと強くなりたいということ。

 鍛錬の時間を増やそうにも、それにはどこかの時間を削る必要があった。2人の師がいられる時間は有限だったからだ。

 凛は感情を抑えることができなかった。それほど、クラウディオに学ぶ時間も大好きだったのだ。目の端にたまった涙が頬をつたっていく。

 

「……武道の、時間を増やして……くだざい。もっと、づよくなりたいんです――――」

 

 それでも、それ以上に勝ちたい気持ちが強かった。悔しさが甦る凛は、零れる涙を手の甲で拭きながら、真っ直ぐと自分を見る2人へと訴えた。

 怒られるだろうか。それとも呆れられるだろうか。次に不安でいっぱいになった凛はうつむいた。

 

「では、そうしましょう」

 

 クラウディオは、そんな凛の頭を優しく撫で、ハンカチで彼の涙を拭いてやった。しかし、次から次へと流れるそれは一向に止まりそうになかった。

 しゃっくりをあげながら、凛は気持ちを伝える。

 

「ご、ごめんなざい……クラウ師匠。俺負けた、のが……ぐやしく、て」

 

「凛は武道が大好きでしたからね。いずれ、そのように言い出すのではないかと思っていました」

 

 そこにヒュームの声が響く。

 

「その悔しさを胸に刻んでおけ。赤子のお前は……これからまだまだ強くなる。そして覚悟しておけ。磨くからには一から徹底的に行う」

 

 凛はぐしぐしと目を拭うと、お願いしますと頭を下げる。

 こうして、凛の勉学の時間は、最小限に削られることになった。後に、礼儀作法の時間も短縮された。しかし、クラウディオの教えを大切にしたいと思った彼は、勉強を疎かにしなかったのである。

 ちなみに、そんな凛に対して、クラウディオは戦闘の基礎を教えるとともに、テーマを決めて講義しながら進めるという同時進行の方法で、彼を楽しませた。その一方で、そんな光景を見守っていたフローラが、「銅の錬金術師に出てくるメルリックたちの師匠のようだわ……」と呟いていたとかいないとか。

 

 

 ◇

 

 

 午前をテスト勉強に費やした凛は、リビングへと昼食をとりに行く。

 そこにはクッキーとその表面を拭いている京がいた。ソファには、昼食をとり終えた由紀江が珍しく眠っている。松風は手前のテーブルに置かれ、人形のように静かだった。

 凛は、ラップのかけてある食事を温めながら、京に声をかける。

 

「昼から外でるけど、京なんか必要なものとかあるか?」

 

 京は手を止めてしばらく考え込む。

 

「んー。あ、『異性の落とし方part2』が出たから、それを」

 

「……それはアモゾンで頼む」

 

「じゃあ『誰でもできる上手な縛り方』」

 

「…………それもアモゾンで頼む」

 

「えっと、意中の相手をメロメロ――」

 

 そこで凛は京へ手のひらを向ける。

 

「あー待て待て。聞いといて悪いんだけど、できれば書籍関係から離れてほしい」

 

「じゃあクッキーのワックスかな? もうすぐなくなりそうだから」

 

 ようやく凛でも買える物の名がでて、胸をなでおろす。

 

「それならok。クッキーはオイルとかいる?」

 

「僕は大丈夫だよ。ありがとう。夕飯は外で食べてくる?」

 

「その頃には帰ってくると思うから、寮で食べるよ。そういやクリスは? ソファで眠ってるかと思ったけど」

 

 その問いに、京が答える。

 

「昼前に出かけていったよ。なんか鼻歌歌って、えらく上機嫌だった」

 

「そんな楽しみなことがあるのか……ごちそうさま」

 

 凛は洗い物を片付けると、たっぷりと休憩をとってから、外へ出かけた。そして、買い物袋を片手に、ある人の家へと向かう。袋には京に頼まれた物以外にも、食材が入っていた。夕方まではまだ時間があり、辺りは明るい。住宅街へと入ると、離れたところから子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。

 凛は電話をかけ、近くの目印を伝えながら、どうにか目的地へついた。インターホンを鳴らすと、間をおかずして、扉が開かれる。扉を開いたのは久信だった。

 

「凛君、いらっしゃーい。ほら上がって上がって」

 

「お邪魔します。燕姉はいないんですか?」

 

 久信の自宅は彼一人のようだった。

 

「なんかー友達と遊ぶんだって。だがグッドタイミング! これを見てよー」

 

 久信はそう言いながら、テーブルに置かれた酒を凛へ見せびらかす。そこには、酒にあまり詳しくない彼でも、聞いたことのある銘柄が並んでいた。

 

「えっこれ久信さんが買ったんですか!? 燕姉だったら許さないでしょ?」

 

「凄いでしょー。これ全部もらい物……いやぁ九鬼家の方々は太っ腹だよね」

 

「なるほどね。それで『遊びにこない?』と言ったわけですか。『材料も買ってきて』って言うから何かと思ってたけど……んじゃあまぁ、すぐにアテになるものでも作りますよ」

 

 凛は久信に一応許可をとり、食材を冷蔵庫へと仕舞い、鍋やら調理器具一般の確認をした。そして、水を張った鍋を火にかける。

 その間、久信は「これ材料費とお駄賃ね」と凛の傍へおいた。そのあと、早速一本目となる大吟醸をあける。

 

「誘っておいてなんだけど、他の用事とかは大丈夫かい?」

 

「ええ。俺もちょうど久信さんにしっかりと挨拶しておきたかったし、全然構いませんよ。とりあえず冷奴」

 

 次に凛は卵をとき、野菜や豚肉をぶつ切りにした。鍋の横ではフライパンに油がひかれている。「凛君は律儀だねー」と言って、久信は一杯目を勢いよく飲み干した。

 

「くー美味い! あ、そうだ。燕ちゃんは学校でどんな感じだい?」

 

「話なら聞いてるんじゃないですか? まぁ俺が見る限りじゃすごく楽しそうですよ。今日の友達もモモ先輩あたりじゃないかな? かなり気が合うみたい」

 

 2杯目を注ぐ久信は深く息を吐いた。

 

「燕ちゃんは僕に心配かけまいと、どんなときでも心配ないと言うからね。でもそっか……楽しそうか。凛君がそう言うなら大丈夫そうだ。ほい、凛君も一杯」

 

「川神水も用意してたんですか?」

 

「そりゃあ僕一人で飲んでも楽しくないからねー。ほらほら」

 

 枝豆とトンペイ焼きをテーブルに並べると、凛も一旦席について、久信とグラスをぶつけあった――。

 

 

 □

 

 

 2時間後――久信はいい具合に酔っ払っていた。顔はすでに真っ赤。それに比べて、凛はあまり酔ってはいなかった。目の前の人物のストッパーは自分しかいないとわかっていたからだ。

 

「シュビドュバァ~フッフ~昼間から気にせず飲めるとかサイッコーの贅沢だよ。目の前には~美味しいつまみ、あとは隣でお酌してくれる美人さんがいれば、言うことない! ……奈緒~! なんで出て行ったんだぁ!?」

 

 奈緒と言うのは、久信の妻の名である。凛は冷めた目で彼を見た。

 

「それは久信さんがどえらい借金つくったからでしょ」

 

「うっそうでした。でも凛君……株はおもしろいよ~」

 

 久信は目をランランと輝かせる。

 

「そんなこと冗談でも燕姉の前で言わないほうがいいよ。次の日、気づいたら家に久信さん一人、とかなりたくないでしょ?」

 

「こ、怖いこと言わないでよ。なんか変にリアリティあって、酔いが少し醒めた……僕はもう改心したんだから!」

 

 そう言って、久信はグラスをドンとテーブルに置いた。凛はそんな彼を見て、苦笑をもらす。

 

「ま、婆ちゃんが言うには、奈緒さん元気してるみたいだから、久信さんが真面目に頑張ってれば大丈夫だと思いますよ。電話とかもあるんでしょ?」

 

「そうなんだけどさぁ。電話口の声がさぁ……ピリピリしてるというか、僕に優しくないというか……」

 

 久信はテーブルに頬をべったりくっつけると、口を尖らせ、のの字を右手で書いた。そのあとも独り言をブツブツと続ける。

 

「俺に言われてもなぁ……でも奈緒さんって普段からそんな感じじゃなかったですか? ピリピリというか、キリッとした感じで……あれだ。燕姉の目つきをもうちょい鋭くして、あとは髪長くしたら……ほら! 奈緒さんだ」

 

「奈緒は美人だからね~。いやあ照れるな」

 

「なんで久信さんが照れるんですか。でも美人なのは確かですね。着物もよく……」

 

 凛がさらに言葉を続けようとした瞬間、久信は突然勢いよく立ち上がった。そのせいで椅子はバランスを崩して、後ろへ倒れていく。それを気にする様子もなく、彼はそのままキョロキョロと辺りを見渡した。

 久信の行動に、凛は体を固まらせる。

 

「ど、どうしたんですか? びっくりした」

 

「燕ちゃんが帰ってくる気がする……」

 

「えっ……いやそんな気は――」

 

 凛は言いかけたところで、燕の気配を感じ言葉を詰まらせた。それ以外にも見知った気配が一緒だった。

 ――――なんでわかったんだ?しかも俺より先に。これが親馬鹿の真髄か……?

 久信はそれだけ言うと、椅子を起こす。しかし、平衡感覚が狂っているのか、その行動にももたついていた。ようやく起こせた椅子に腰掛けると、さらにグラスに酒を注ぐ。凛はそれを慌ててとめた。

 

「やばいやばい! 久信さん! 燕姉が帰ってくるんだからお酒終わり! 絶対怒る……燕姉絶対怒るから!」

 

「平気へいきぃ~燕ちゃん優しいから、これくらいじゃ怒らない……」

 

 グラスを取り上げられた久信は、どこからともなく新しいグラスを取り出し、また酒を注ぐ。その行動を見て、凛がまた取り上げにいった。

 

「だぁー! んなこと言って毎度怒られてたの久信さんでしょ! 中学のときから見てるんですよ、その光景を何度も!」

 

「中学かぁ凛君もそう思うと大きくなって……ぼぉかぁ嬉しいよ!」

 

「おーい、この酔っ払い……そう言いながら、グラスを口へ持っていこうとしない!」

 

 ギャーギャー騒いでいる間に、玄関の扉が開かれる。

 凛はその音に行動を静止させた。そして、ゆっくりとそちらへ顔を向ける。

 静寂を打ち破ったのは、久信の陽気な声――。

 

「あ~燕ちゃん、おかえり~。お、お友達も一緒かぁ。しかもあれだね……けしからんおっぱぃ……ムグムグ」

 

 凛は久信の口を塞ぎ、燕に声をかける。

 

「おかえり……燕姉。それにモモ先輩も、大和も一緒か! き、奇遇だな」

 

 燕以外の2人は言葉を発しない。彼女は何度か深呼吸すると、ニッコリ笑った。

 

「ただいま……とりあえず、モモちゃんと大和くんは私の部屋に行っててくれないかな? 真っ直ぐ行って、右手の一つ目の扉が私の部屋だから」

 

 2人は燕から言い知れぬ雰囲気を感じたのか、コクコクと頷くと静かにそちらへ向かった。そして、笑顔を貼り付けたままの彼女が振り返る。

 

「おとん……ちょっとこっち来て」

 

「どうしたんだい? お友達を待たせちゃ悪い――」

 

 嬉しそうに近寄る久信。そして、燕は有無を言わさず、そんな彼を水のはった洗面器に突っ込んだ。

 

「ぼぉがべぽごびぎご……」

 

 ジタバタする久信と表情を変えることなく、それを軽々と押さえつける燕――凛の目の前で行われるそれは、事情を知らない人が見ればホラーだ。

 ようやく解放された久信。酔いはすっかり醒めたようだった。燕がタオルを彼に渡す。

 

「目が覚めた? おとん」

 

「あっはい。どうも迷惑かけたみたいですいません」

 

 燕はペコペコと謝る久信から、椅子に座る凛へと目を移す。それと同時に、彼は彼女の目から逃れるように、スーっとそらしていった。

 

「凛ちゃん……こっち向きなさい」

 

「はい」

 

 凛は素直に従う。

 

「なんでこんなことになってるの?」

 

「久信さんにちゃんと挨拶しとこうと思ってたところに、連絡があったからちょうどいいと思って来たんだ。そしたら、お酒あるし川神水も用意されてるし……で、あとは成り行き。えへ」

 

 小首を傾げ、無駄に可愛く見せようとする凛。燕はそんな彼に軽くチョップをかます。

 

「えへじゃない。はぁ……ま、おとんの相手をしてくれたことに免じて許してあげる」

 

 それに納得がいかないのか、久信が抗議の声をあげる。

 

「ちょ、ちょっと燕ちゃ~ん。あまりにも凛君との扱いが違いすぎないかい?」

 

「人前で失態をさらしたおとん。何か文句でも?」

 

「あ、いえ何でもありません。はい」

 

 燕と久信はそこで2人を残した部屋へ向かう。彼が言うには、威厳があるところを見せておきたいらしい。彼女はそれを聞いてため息をもらしていた。

 一緒に行かなかった凛は、キッチンの片付けをしておくためだった。燕は「構わない」と言ったが、「使わせてもらったから」とお茶を持たせて強引に部屋へと送り出す。

 部屋からは百代の声が聞こえてきた。

 

「ねーちゃんたちに、モテるようになる発明品とかあります?」

 

「そんなのあったら僕が使ってるよ――」

 

 久信はすぐに溶け込んでいた。威厳を見せられたのかどうかはわからない。

 その後、片付けを終えた凛も部屋へ向かい、彼が現れると久信は「機械いじってるから」と言ってその場を後にした。

 凛は久信にエールを送り、大和へと声をかける。

 

「大和は寮で勉強してたんじゃないのか?」

 

「夕方にひと段落ついたから、散歩にでかけたんだよ」

 

 そこに百代が割り込む。

 

「で、私達がデートしているところに現れたんだ」

 

「なるほど。お姉ちゃんが誰とデートしているのか気になったと……」

 

「違うわ! 偶然だ偶然。そもそも姉さんが出掛けてること自体知らんかったわ」

 

 一人で納得する凛に、大和はがーっと吠える。燕はクスクスと笑いながら、本棚から一冊のアルバムを取り出した。

 

「モモちゃん、はいこれ。見たがってたもの」

 

「おおー楽しみにしてたんだ! どれどれ……うわぁこれ凛か?」

 

 百代が指差す先には、綺麗にまとめられた写真がはさんであり、その中の一枚――黒髪の美少女がくすんだ銀髪の少年を後ろから抱きしめている――を指差した。2人は白い胴着を着ており、少女は満面の笑み、幼さが抜けていない少年はピースサインをしている。加えて、少年の方は胴着のサイズが大きいようで、少しだぶついていた。この写真は、どうやら道場で撮られたもののようだ。

 

「そうだよー可愛いでしょ? 無理して一個上のサイズ着てるから、腕伸ばしたら手のひら半分くらい隠れちゃうんだよ。でも着るのやめない凛ちゃん」

 

「あー確かに燕が言うのもわかるな。これは可愛い。それに燕も可愛らしいぞ」

 

 百代が燕に顔を向けた瞬間、パタンと閉じられるアルバム。閉じたのは凛だった。

 

「やめてください。せめて……せめて本人のいないところで楽しんで――」

 

 しかし、姉2人のコンビは強かった。燕が凛の足を引っ掛け、床に寝転ばすと間髪いれずに、その背に座る。

 

「凛ちゃんはわかってないなぁ。こういうのは本人がいるから楽しいんだよ」

 

 さらに百代までもが、凛の背に乗っかった。

 

「そういうことだ。写真と本人……一粒で二度美味しい」

 

「やまとぉ……この暴虐を許してはならない」

 

 凛は必死に同じ弟分である大和へ助けを請う。しかし、そこに冷たい一言が放たれた。

 

「観念しろ」

 

「くっ大和、おまえならわかるはず」

 

 その言葉を遮るようにして、百代の楽しげな声が室内に響く。カバンから取り出されたのは、数枚の写真。

 

「お返しはとりあえず……これだな。大和の生まれたままのすがt――」

 

「えっ!? ちょっとまてえぇーー!」

 

 賑やかな会話は、夜が訪れるまで続いた――。

 その後、燕の家をあとにした3人は百代とも別れ、2人で帰り道を歩いていた。

 

「酷い辱めをうけた……俺はもうお婿にいけない」

 

 大和がガックリと肩をおとした。その隣で凛もため息をもらす。

 

「まぁ大和……元気だせ。成長したのを見られたわけじゃない! いつか見返してやれ!」

 

「俺に変態になれと言うのか!? ……いやこの会話は終わりにしよう。思い出したくない」

 

「そうだな」

 

 しかし、今日という日はまだまだ彼らを休ませはしなかった。このあと、寮に帰った彼らをさらなる騒ぎが待ち受ける。

 

 

 ◇

 

 

 凛たちが寮にて騒いでいるとき、百代は夕食をとり終え、燕からもらった1枚の写真をじっと眺めていた。

 その写真には、嬉しそうに笑う幼い凛が写っていた。百代はふいに微笑ましく思って、表情を崩す。しかし、すぐにまた真剣にそれを見た。

 時間はどんどん過ぎていくが、百代は相変わらずゴロゴロしながら、その1枚を見つめ続けた。

そして一言つぶやく。自分の言葉をかみ締めるように――。

 

「やっぱり……凛だ。あのときの男は……凛なんだ」

 

 百代は体を即座に起こすと、すぐに携帯を探す。しかし見つからない。いつもは机の上に置いているのに、その場所にない。興奮のためか、頭が少し混乱しているようだった。そして、ようやく発見したそれで電話をかける。だが今度は、コール音が繰り返されるだけで、一向にでる気配がない。

 早く確認したい。出てくれ。しかし百代の思いは通じない。

 

「あー! なんでこんな肝心なときに電話にでない。凛のあほ!」

 

 落ち着いていられない百代は、部屋をグルグルと回る。何度も何度も。

 そして少し落ち着くと電話を諦め、すぐさまメールを送信。

 

 

 06/29 21:31

 To:夏目 凛

 Title:無題

 

 少し話がある。

 今から出て来れないか?

 場所は、通学路の途中にある川原。

 できるだけ早く返事がほしい。

 

 

 百代はまた寝転がった。もちろん携帯は握り締めたままだ。

 1秒でも早く答えが知りたかった。もし凛が本当にあのときの少年なら――。

 

「おまえは……私に会いにきてくれたのか……?」

 

 真っ暗な画面には、百代の顔が映し出されるだけだった。

 




久信の妻の名はオリジナルです。
容姿なども同じく。

そして、遂に40話!これも皆様が応援してくださったおかげです。
これからも頑張ります。

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