真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束-   作:chemi

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『忙しい休日2』

 寮が見えてきたところで、凛は足を止め、大和を片手で制止した。それを不審に思った彼が尋ねる。

 

「どうしたんだ?」

 

「……いや、なんか寮の周りを囲むように人の気配がある。明らかに一般人じゃない。しかも、なかなか訓練されてるらしい。危害を加えようとはしてないけど……捕まえてみるか。でも変に刺激するのもまずいか……」

 

 悩んだ末に、凛はまた歩き始め、大和はすぐ隣をピッタリついていく。

 

「おいおい、まじか? いやでも待て。川神でそんな簡単に、人を配置することなんかできるのか? 九鬼家の従者が動き回ってるんだぞ」

 

「そうだよなぁ。てことは、少なくとも危ない奴らではないのか……それにしても、もっと距離とってほしい。それか気配を消すとか……まぁとりあえずご飯だな」

 

「今までの緊張感どこいった?」

 

 大和のツッコミに、凛はカラカラと笑いながら玄関を開けた――。

 

 

 ◇

 

 

 そして、夕食。寮のメンバー+1人が揃ったところで、クリスが席を立ち隣の人物を紹介する。

 

「――ということで、今日からマルさんが、本格的に自分の部屋で寝泊りすることになったぞ」

 

 突然ではあるが、マルギッテが寮に住むことになったのだ。すでに、寮を取り仕切る麗子は買収済み。この話は以前より、着々と準備されていたらしく、今日クリスがご機嫌で出かけていったのは、姉と慕う彼女を迎えに行くからだった。

 特に不都合のない寮メンバーは、翔一の確認に頷きを返し、彼はそのまま言葉を続ける。

 

「それにしても軍人さんと同居なんてワクワクだなぁ。敵の部隊が寮に強襲をかけてくる、なんて展開は?」

 

「寮にはお嬢様がいる。そんなことは絶対にありえません。というか、目下敵対しているところはありません。あったとしても私達がすぐに狩るので」

 

 そこで、マルギッテが闘気をみなぎらせる。それにあてられたメンバーたちは、一同押し黙った。

 ――――ああ。ということはあれが、大和に聞いた狩猟部隊の軍人か。クリスを守るために投入された人達……ん? ここ日本なのに、ドイツの軍人がこんな自由に動けるもんなのか? いやいや、それより軍を一人の娘守るために、動かして平気なのか? クリスの父親は軍の英雄って呼ばれてるんだよな。なんか色々ぶっとんでるなー。久信さん程度を親馬鹿と呼んでいたのに……世界は広いな。

 凛は夕食の煮付けに箸をつけながら、様子を見ていた。

 

「あ、大和。ドレッシングとって」

 

「お前こんなときでもマイペースか!?」

 

 大和がツッコむ中、硬直のとけた忠勝が凛へ声をかける。

 

「そっちのドレッシングもうないだろ? これ使え」

 

 マイペースなのは凛だけではない。もう一人――クリスはマイペースというより、空気が読めないようだった。由紀江がマルギッテの気を「練磨された闘気」と褒めたことで、得意げになっている。

 

「どうだ。マルさんはすごいだろう!」

 

 その一言で、マルギッテの闘気がみるみるしぼんでいく。もちろん彼女はお礼もかかさない。ついでに、クリスの曲がっているリボンを直す。

 それを見守っていた京が口を開いた。

 

「ある意味、強いんだね。空気読めないのって」

 

「うん。今はクリ吉三等兵が頼もしいや」

 

 松風のクリスに対する評価がわかった。マルギッテに聞こえていなかったのは、幸いである。

 その後、マルギッテが闘気やら殺気やらを振りまきながら喋る度に、クリスがそれを自慢したり誇ったりして、それらが収まるという現象が何度か起こった。

 ――――これは周到に準備されたコント……ではないよな?

 そう思うほど、見事なタイミングでそれは行われた。

 そして、最後にマルギッテが男衆に目を向ける。その目つきは挨拶を交わし、親交を深めようという温かいものではなく――。

 

「ということで、よろしく。風間翔一」

 

「お、おう」

 

「よろしく。直江大和」

 

「あ、あぁ……」

 

「よろしく。夏目凛」

 

「よろしくお願いします」

 

 一人を除いて、その威圧にたじろぐこととなる。男の中で忠勝だけは、なぜか呼ばれなかったが、彼がそれを気にしている様子はなかった。

 そこからは至っていつも通りの夕食となる。ただし、マルギッテの甲斐甲斐しいお世話に、クリスは大喜びだった。

 夕食後は、リビングのテレビで放送されていたクイズ番組で、忠勝を除いたメンバーがクイズ対決。マルギッテは、はしゃぐクリスを慈愛の眼差しで見つめていた。それが終わると、それぞれが自室へと戻っていく。

 凛は部屋へ入ろうとしたところで、大和に呼びとめられた。

 

「凛、これからキャップと風呂入るけど、一緒にどうだ? ちょっと気になることがあるんだ。さっきの挨拶」

 

 呼ばれたのは3人のみ――そこで共通するのは男であり、ファミリーのメンバー。今日見ただけでも、クリスへの過保護っぷりはよくわかる。

 

「了解。準備したら向かう。先行っといて」

 

 凛は部屋へ入ると、ベッドに置かれた携帯をチェックする。

 

「うぉ! モモ先輩からの着信だらけだ! す、すぐに電話……あ、メールもある」

 

 それを見て、凛は少し落ち着きを取り戻した。そして、すぐにメールを返信して、部屋を出る。その途中で、大和へと声をかけた。

 

「悪い大和。ちょっと外にでる用事ができた。その話、明日とかでも大丈夫か?」

 

「まぁ別に急ぎってわけでもないし、全然構わないぞ。なんかあったのか?」

 

 大和はひょっこり顔を出した。

 

「いや、ちょっとした用事だ。んじゃあいってくる」

 

「気をつけてな~」

 

 凛は大和の声を背に受けながら、急いで寮を出る。外は大きな満月が顔をだし、夜だというのに、辺りは街灯がなくてもよく見えた。気温も高くなっており、半そででちょうどいいくらいだった。人通りはほとんどない。

 

「話って一体なんだ? まさか!? 今頃になって、燕姉の家で食べた極上シュークリームが惜しくなったとか!?」

 

 ――――いやいや、あれは次のパリパリ君で手を打ったはず。

 

「じゃあ……やっぱり、調子に乗ってクロスの部分をいじろうとしたことか!?」

 

 ――――でも、ちゃんと手前で寸止めしたしな。呼び出すまでもない……。

 とりとめもないことを考えていると、いつの間にか凛は川原についていた。どうやら彼の方が先に着いたようだ。辺りは川の流れる音だけが聞こえ、時折、大橋を通過する車の音が響いた。

 凛はとりあえず、土手へと腰を下ろす。そこからは、川原をよく見渡すことができた。ふいに、昔のことが頭をよぎる。懐かしい思いが湧き起こった彼は、表情を緩めながら大きく伸びをし、そのまま重力に身を任せ倒れこむ。

 ――――ここで昼寝する大和の気持ちが少しわかる。

 夜空は、月の光が強すぎるため、星は一つとしてみることはできない。まるで、全ての光を月が奪い取って、それを発しているようだった。飛行機が、赤い光を点滅させながらその中を通っていく。

 ぼーっとする凛だったが、気配に気づいてゆっくりと立ち上がった。その直後、彼の後ろの通学路に着地した人影。かなり勢いがあったのか、砂煙が風にのって消えていく。

 

「悪い凛! 待ったか!? じじぃに呼び止められてな」

 

 すぐさま凛に近寄る百代。

 

「別に大丈夫ですよ。それより電話に出れなくてすいません。部屋に置いてて気づかなかったんです。……あ、それと今日、マルギッテさんが寮に引越してきたんです。なんか――」

 

 続きを話そうとする凛だが、そこに百代の声が響き渡る。

 

「凛!!」

 

「! あ、はい」

 

 その声はかなり音量が大きく、凛は体をビクッとさせた。それに気づいた百代は、数度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そして、ゆっくりと話し始めた。

 

「……凛、おまえ昔ここで、女の子と戦ったことないか?」

 

 その一言は、今までの緩んだ雰囲気を吹き飛ばした。凛は目を見開いて、百代へと顔を向ける。

 

「!? まさか……じゃあやっぱりモモ先輩が、あのときの……」

 

 百代は先を聞かずに、凛の両肩を掴む。その手には、かなり力がこもっていた。

 

「分かってたのか!? どうして言ってくれなかったんだ! 私は……私はずっと待ってたんだぞ!」

 

「それは……でもそれを言うなら、モモ先輩こそあの日、来てくれなかったじゃないですか!? あの日、俺もずっと待ってたんです!」

 

「あの天気の中をか!? 他の日でもよかっただろ!」

 

 凛は首を大きく横に振った。

 

「あの日しか無理だったんです。帰らなければならなかったから……俺は親の付き添いでたまたま来ただけなんです」

 

「そんな……じゃあそれから、顔を出さなかったのは!?」

 

 百代の真っ直ぐな目に映ったのは、凛の下手くそな笑顔だった。

 

「連敗……ですよ。しかも2度や3度じゃない! 10回です!! どの面下げて会いに行くんですか!? あのときの俺にはそんなことできませんでした。力の差が、積み上げてきたものの違いがそこにはあったんです! 時間が経つほど、それがよくわかりました。そして、それを気にせず会いに行けるほど、俺に余裕なんかありませんでしたよ」

 

 凛の瞳の奥は、まるで燃えているようだった。風が吹き、雨が降っても、奥底で、決して絶えることなく燻っていたものが、甦る思いとともに勢いを増す。今まで一度として見たことない、その激しい煌きは、百代をひどく惹きつけた。

 

「偶然の勝ちなんてものはありません。あれは全てモモ先輩の実力だった……だから、だから俺は鍛錬してきたんです! そして――」

 

 そこで凛は突然口を閉ざした。そして、空へ向かって吼える。

 

「あーくそ! 言葉がまとまらない!」 

 

 それでも、また百代の目をしっかりと見返した。

 

「あのときから……モモ先輩に負けたときから! ずっと積み上げてきたんです! あなたに追いつくために! あなたに勝つために!! そして、全ては……すべてはあの日の約束を果たすために!!!」

 

 凛の顔は、百代の背にある月の光で照らされる。彼女すら、圧倒しそうな意志がそこにはあった。

 

「あれからずっと?」

 

「そうです。……約束。モモ先輩は覚えてないですか?」

 

 凛は続けて口を動かした。懐かしむように、しっかりと伝わるように、ゆっくりと。

 やけに川のせせらぎが遠くに聞こえ、彼の言葉だけが百代の耳へと届く。

 

 

『舎弟じゃなく対等だ。俺は下につくつもりなんてない!! よく覚えとけ。俺とおまえは対等なんだ。おまえを倒して、それを証明してやる!』

 

 

 すとんと百代の胸に収まった言葉は、まるでそこに最初から場所が用意されていたようだった。夢の中で何度も少年が言っていた言葉――彼女は自然とそう確信できた。

 凛は土手をのぼると、百代の隣に立つ。

 

「まぁあのときは負けてしまったんですけど」

 

 そこで凛は苦笑をもらすが、表情を引き締め、百代を見た。

 

「モモ先輩……いや、川神百代。俺は次の正式な勝負の場で、全力のあなたを叩きのめす。あなたが一人ではないことを証明してみせます」

 

 その言葉に、百代の瞳が揺れる。

 

「どうして……」

 

「喜び、期待……そして、失望。最初の戦いで、モモ先輩が俺を見ていたときの目です。俺を見下ろしていたときは、私に勝てる相手などいない、そんな目でしたよ。と言っても、当時の俺が勝負を挑んだのは、ただ腹立ってムキになっただけですけどね」

 

 百代は言葉を発さず、ただただ凛を見つめ続ける。彼は一度、川原へと目を向けた。街の明かりが水に反射し、キラキラと輝いている。

 

「その目が妙に印象に残ってて、あとでその話を俺の師匠にしたとき、それにこもっている意味を教えてくれたんです。まぁ、実際見たのが俺なんで、かなり抽象的な言葉だったんですけど……よく理解してくれたと思います。もしくは、俺を発奮させるためだったのかもしれません。でも――」

 

 凛は百代へと視線を戻した。

 

「その様子だと、あながちはずれてはなさそうですね。そして話が終わったあと、師匠は俺に一つ問いかけをしてきたんです。『最強というのは、どんな気持ちだと思う?』と。俺はすぐに答えました。『誰でも倒せるんだから、気持ちいいに決まっている』師匠はその答えを否定しませんでした。でもそのあとに一言加えました」

 

 凛は空を見上げる。相変わらず、満月だけが光り輝いていた。しかし、それは少し冷たく、寂しいように感じられる

 

「『自分と張り合える相手がいなくなったら、おまえは楽しいか?』それ以降、師匠はこの問いに対して答えてはくれませんでした。モモ先輩なら、これに対する答えを持ってるんじゃないですか?」

 

「ああ、私はその答えを知っている……」

 

 百代は少し目を伏せた。暑さを和らげる風が通り抜け、彼女はなびく髪に手をかける。

 

「孤独だけが……そこには残るんだ。快感や楽しさはある。でもそんなものはその一瞬だけだ。底のほうには、不満が泥のように沈殿していって……年月が経つほどにそれは干からびて、その上にまた不満が溜まる。そうしてできあがるんだ」

 

「俺にはその気持ちを理解することができません。でも……俺が味わった気持ちなら、モモ先輩にあげることができます」

 

 凛はそこで一息いれる。

 

「俺、モモ先輩には感謝してるんです。そりゃ最初は苦しくて、悔しくて、腹が立ったたりもしました。でも、それと同時に先を見せてくれたっていうんですかね……上がある、自分が見たことない景色がそこにあるんだって思えました」

 

「それはお前が自分で上ったからだ……」

 

「確かに。でも切欠をくれたのはモモ先輩なんです。だから、次は俺がお返しをあげる番です」

 

 凛は明るい口調で告げた。その顔はいたずらっぽい笑みを浮かべている。

 

「今のうちに十分味わっておいてくださいよ。その最強の気分を。名残惜しくなっても、もう戻ってはこれないですから」

 

 百代は苦笑をもらしながら、彼の言葉に続ける。

 

「お返しでくれるのが敗北か……優しくないな。そこで折れる、とは考えないのか?」

 

「モモ先輩の挫折した姿ですか? ……ちょっと想像できないですね」

 

 凛は思わず吹き出した。

 ――――俺の追い求めたあなたは、きっとその程度で諦めたりしませんよ。

 百代はその姿を見て、口を尖らせる。

 

「おまえなぁ」

 

「すいません。近いうちに、勝負の席が用意されます。どのような方法なのかは詳しく聞いてないんですけど、間違いありません」

 

 百代は、さっさと次の話題へうつる凛にため息をもらす。

 

「全く……まぁそこで、凛を地べたに這い蹲らせればいいわけだな」

 

「おー言いますね。それでこそ、やりがいがあるってものです」

 

 百代は凛の言葉を聞きながら、土手から川原へと降りていき、そこから彼を見上げる。

 

「軽く手合わせをしないか?」

 

「ルー先生の言いつけを破るんですか?」

 

 そう言いつつ、凛も川原へ降りて百代の前に立った。彼女は軽く構えをとる。

 

「軽くだ、軽く。これから勝負できるんだろ? ちゃんと待つさ。でもせっかく会えたんだ。少しくらい我が儘を聞いてくれてもいいだろう?」

 

「ルー先生には秘密にしないといけないですね」

 

「話がわかるじゃないか~。ウズウズして仕方がなかったんだ」

 

 百代はステップを踏むと、右足で凛の側頭部を狙う。しかし、それは全く威力がないのか、凛は左手の甲で易々と受け止めた。

 

「まぁ気持ちはわからないではないですッ!」

 

 お返しとばかりに、右の突きを繰り出す。そこからは、軽い打撃音と土を蹴る音だけが鳴り響いた。月に照らされる2人の影は、軽やかに楽しげに踊り続ける。

 そんな中、凛が口を開いた。

 

「そういえば、モモ先輩の最初の質問答えてなかったですね」

 

 百代は少し距離をとって、首をかしげた。凛は少し口ごもる。

 

「どうして、俺がモモ先輩に昔の少女かどうかを尋ねなかったっていうやつです。俺がね……モモ先輩に昔の少女かどうか確かめなかったのは……怖くなったんです」

 

「どういうことだ?」

 

「初めて拳を交えたとき、俺は『この人じゃないか?』と思いました。接する度に、期待が高まっていったんです……でもそれと同時に怖くなりました。もし、これでモモ先輩が違っていたら、俺の目標、というか目指したものがなくなってしまうのではないか? そう思ったときには、もう川神に目ぼしい候補などいませんでしたから――」

 

 凛は構えていた両腕を下ろす。

 ――――すぐにでも聞きたかった。目の前の人があのときの少女なら、彼女はあれからも鍛錬を続け成長していたということ。でもそのあとに頭をよぎる。違ったら……。

 

「そう考えると、どうしてもあと一歩が踏み出せませんでした……情けない話ですが」

 

「凛がそれほど大事に思ってくれていたからだろ?」

 

「えっ……」

 

 凛は正面に立つ百代と視線が合った。

 

「私も興奮していて口調が荒くなったが、大事なことだったから失うことを怖れたんじゃないか? それに、いつかは聞いただろ?」

 

「はい。きっと……」

 

 百代は凛の言葉に大きく頷くと、明るく言い放った。

 

「でも、タイミングは今日だった。運命なんてものがあるか知らないけど、私と凛がまたこうして出会うのは今日だと決まってた。それでいいんじゃないか? 出会えたんだ。私は満足している……あ、いやもちろん戦ってくれないと嫌だけどな」

 

「モモ先輩……」

 

 ――――なんかカッコイイなぁ……。

 凛はしばし、そんな百代をただただ見つめ続けた。しかし、彼女はニヤリと笑うと、今までとは比べ物にならないスピードで仕掛けていく。

 

「気を抜いてると、こうなるぞッ!」

 

 凛はいとも簡単に土手へと転ばされ、百代は彼の両腕を押さえ込んだ。彼は目をパチパチと瞬かせる。彼女は満足そうに笑みを深くし、言葉を続けた。

 

「昔と同じように、次もこうなる」

 

 その言葉に、凛はクスッと笑うと百代へ言葉を返す。同時に、抜いていた力を全身に込めた。

 

「昔とは違いますよ。この程度の押さえ込みなら……」

 

 そこからは、百代が対処する暇もないくらい素早く切り返してみせた。そして、今度は凛が彼女を押し倒すことになる。彼女から気の抜けた一言がもれた。

 

「あっ……」

 

「参りましたか?」

 

 今の状況――凛は百代の両腕を押さえ込み、覆いかぶさっている――は、人が通れば通報されかねないものだった。加えて、押さえ込みのときに、彼女のTシャツは胸のすぐ下までめくれあがっている。

 しかし、凛にはそれを気にしている余裕はなかった。倒れた少女から目を離せなかったのである。百代の瞳が月の光を反射し、彼にはそれが潤んでいるように見えた。彼女の髪は扇形に芝生の上に広がり、その一本一本が艶を失うことなく光に照らされる。組み手のせいか、少し蒸気した白い肌は妖艶ささえ感じさせた。

 ――――綺麗だ……。

 ずっと見ていたいと思わせるほどの魅力があった。そこに、百代の声が響く。その声は先ほどの快活さなど全くなく――。

 

「り……凛」

 

 鈴を振ったような声だった。凛にとって呼ばれ慣れているはずなのに、この瞬間だけは別物に感じられた――直後、彼は状況を察し飛びのく。

 

「す、すいません。調子乗ってました!」

 

「い、いや構わない。私から仕掛けたことだし……」

 

 凛は距離を少しとって腰掛け、百代はめくれたシャツを直す。しかし、雰囲気だけはそう簡単になおってくれそうになかった。

 沈黙――。

 しかし、それは重苦しさなどがあるわけでなく、かと言って心地よいものでもなく、とても不安定なものだった。

 

「モモ先輩」「凛」

 

「「あ…………」」

 

「「じゃあ俺(私)から……」」

 

 そこで2人は顔を見合わせると、声を出して笑いあった。ひとしきり笑ってから、百代が切り出す。

 

「会ってなかったときのことが聞きたい」

 

「俺もです。それじゃあ、一つずつ交互に話していくってのでどうですか?」

 

「うん、いいな。じゃあ――」

 

 2人の夜はまだまだ続きそうだった。

 


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