真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束-   作:chemi

51 / 76
『若獅子タッグマッチトーナメント4』

「やぁっ!」

 

 気合の入った声は小雪である。スラリと伸びた白い足が、鞭のようにしなった。

 やはりその手できたか。燕はその左足をギリギリまで迎え入れると、そのまま体を反らせる。そこから小雪に一撃入れることも可能だったが、彼女はそれをしなかった。避ける寸前まで、目の前に凛の気配が残っていたからだ。カウンターを仕掛けた瞬間、一発をもらいかねない。2対1で囲まれるのも想定の内だった。

 しかし、体を起こした燕の前には、凛の姿もなければ攻めてくる気配もなかった。小雪にしても、最初の一撃を入れてから仕掛けてこない。

 燕は振り返って小雪と正対する。その視界には、煙で充満したリングの一角へと飛び込む凛の姿があった。

 

「あらら。あっちに行っちゃったのか」

 

 あらゆる想定をして、この戦いに臨んだ燕――当然、凛が大和を仕留めに行くというパターンも考えていた。そのための対策も大和には出来ている。できるだけ時間を稼ぐためだ。その間に、彼女が小雪を仕留める。

 今までの戦闘を見る限り、小雪の足が脅威なのはわかっていた。それでも、凛を相手にしたときと比べると、その危険度は格段に落ちる。

 凛の大和一点狙い――それは先の百代との戦いを見越しているからに違いない。

 戦いを避けてきたのは自分の方なのに、いざ戦わないという選択肢をとられると寂しく思うなど、随分と身勝手なものだ。燕は凛を見送りながら、心の中で苦笑する。

 

「これじゃあモモちゃんのこと言えないな」

 

 弟離れできていなかったのは、どうやら百代だけではなかったようだ。

 一度ゆっくりと息を吐いて、気持ちを切り替える燕。そんな彼女に声がかかる。

 

「ここからは通行止めだよー」

 

 小雪がタタンとステップを踏んで、構えをとった。それに、燕は軽く微笑む。

 

「それは好都合。私も小雪ちゃんを倒そうと思ってたから、ね!」

 

 言葉が言い終わると同時に、燕は小雪へと向かう。

 これは1秒を争うことになりそうだ。それでも燕に焦りはなかった。大和は策があると言っていたし、そんな彼を信じてもいたからだ。その相手が例え凛であったとしても――。

 これはタッグマッチ――信じると決めたからには、自分の仕事を果たすだけ。燕は右側頭部を狙ってくる小雪の左足を半歩下がって、紙一重で避ける。普段の様子からは想像できないほど鋭い一撃は、磨き上げられた刃物のようだった。しかし、足技は威力が高い分、避けられると大きな隙ができやすい。現に、蹴りを避けられた彼女は、体の左側面ががら空きになっている。

 狙うは、鍛えられない後頭部の付け根。下半身の強さは恐ろしいものがあるが、上半身はそれほどにない。そして、急所である。

 燕はそこを狙うべく、重心を前へ移動させた――。

 

「ッ!」

 

 刹那、形容しがたい寒気が燕の体を駆け巡る。それに連動して体が反応した。思わず大きく後ろへ跳んでしまう。今度も紙一重ではあったが、それは意図してのものではない。その証拠に、彼女は驚愕の表情を浮かべている。

 小雪は、高く跳ね上がった左足を引き戻すと、右足の後ろへ持っていき構え直した。

 一瞬の中に込められた激しいやり取りが、会場を大いに湧かせる。

 小雪の攻撃は単純だった。ただ、避けられた左足を地面につくなり跳ね上げて、踵で燕の左わき腹を狙っただけ。ただそれだけのことだった。刀で例えるなら、左上段からの振り下ろしから、刀を返しての切り上げといったところだ。

 

『あの小娘、さらにスピードがあがってないか?』

 

 石田が信じられないものを見たといった感じで声をあげた。

 相手は仮にもあの燕である。その彼女に対して反撃を許さなかった――それほどのスピードと威力をもっていた。

 思わず燕は呟く。

 

「一気に戦闘力あがるとか、凛ちゃん一体何したの?」

 

 これが、燕の驚いた理由だった。彼女の想定していた範囲を超える。それもたった数十分の休憩の間で――。

 燕は、どこのチームが上がってきても対処できるように、対戦相手の試合は全て目を通し、これまでと同じように分析を怠らなかった。その対象には当然小雪も入っている。そして、準決勝までの戦いを見て把握はできたと思っていたのだ。

 

「えーい!」

 

 間を置かず、小雪が燕に肉薄する。そして、足技による秋雨のような突きの連打が繰り出された――かと思えば、途中で上段から振り下ろしてくる。右肩を深く抉るような一撃――当たれば、右腕がしばらく使い物にならなくなるだろう。間髪入れずに鳩尾を、腿を、脇をと容赦なく蹴りいれてくる。そのどれもが、必殺の威力をもっていた。しかし、そこに隙はない。極限まで引き上げられた速さが、それを埋めていた。

 小雪の連撃は、燕が抜け出すことも反撃することも許さない。しかし、それでも仕留められないのは、さすがと言ったところだった。

 この意外な展開に驚いていたのは何も燕だけではない。釈迦堂が口角を吊り上げながら、機嫌良さそうに喋る。

 

「ハッハッハ。あの松永の嬢ちゃんを捕らえて離さねぇなんて、大したモンじゃねえか」

 

「あれが今まで頭角も現さずにいたとは、さすが師匠の学園ってぇとこかい」

 

 鍋島が感嘆の声をもらした。

 一方、小雪自身はただ体が軽いと感じるぐらいで、それに疑問をもつこともなかった。彼女にとっては燕が抑えられれば、それでよかったのだ。能力を引き上げた要因――それもやはり感情だった。感情にムラがあるからこそ、弱くなりもするし強くなりもする。一旦落ちると、容易に立て直すことができない厄介なものではあるが、逆にハマれば恐ろしいほどの実力を発揮する。今の彼女はまさに後者の状態だった。

 だが本来以上の実力は、一時のもの。それが切れたとき決着はつく。落ち着きを取り戻した燕は、そのときを待っている。しかし、その顔には僅かに焦りが見え始めていた。

 

 

 □

 

 

 もう一方の戦い――凛と大和――へと話を移そう。

 凛は、小雪が燕に対して先制をしかけたのを見届けたのち、離れていった大和を追った。その行く先は既に煙で充満していた。相手が接近する前から、この状態にしたところを見るに、彼は始めからそうするつもりだったのだろう。

 凛は無論、最短距離を疾走する。背後から燕がくる気配もない。

 ――――燕姉はやっぱ小雪狙いか……なら俺も急がないとな。

 大和の使った煙玉は、決勝が始まる前に、鉢屋から買い取ったものだった。さすが忍者が使うものと言えばよいのか、ビー玉ほどの大きさにも関らず、大量の煙が一瞬にして彼の姿を覆い隠した。そして、その煙玉は1個ではない。自然、煙はリング上の4分の1以上を占拠し、そのまま場外へも漏れ出した。

 

『大和選手! この煙で逃げ切りを図るつもりなのかぁ!?』

 

 実況の声が会場に木霊した。

 ――――目隠し程度なら……。

 凛は迷わずそこへ飛び込む。濃霧のように濃い白は、一寸先も見通せない。彼は素早く気配を探る。大和はどうやら、その煙に乗じて進路を変更したようだった。そこからは一足で彼に追いついた。白い靄の中から、人影がボンヤリと現れる。

 大和は依然、がら空きの背を見せたまま走り続けていた。すぐそこはリング外である。凛は手刀をつくり、彼の首を狙う。そこでようやく自身の体に生じた違和感に気づいた。

 ――――この煙! ただの煙じゃないのか!?

 手刀を振りぬきながら、凛は息を止めた。少なからず吸い込んでしまっていたが、それはもうどうしようもなかった。動きが鈍る。

 それに加えて、運が大和に味方する。寸でのところで、リング端の出っ張りに躓き、彼が転んだのだ。そのため、凛の手刀は空を切ることになる。そんな彼を嘲笑うかのように、煙がただ濛々と立ち込めていた。

 一方、大和は転がった拍子に上を見上げたことで、ようやく彼に気づいたようだった。しかし、どうすることもなく、勢いもそのままリング外に落ちる。

 

「うっ!」

 

 うめき声だけが聞こえた。凛は痺れ出した体を動かし、リング下へ詰め寄る。その彼の目に映ったのは、バーニアパーツ――クッキー2の飛行装置――に乗り込んだ大和。そして、その装置の噴射口より吐き出される炎だった。

 その炎がさらなる連鎖を引き起こす。凛の瞳を赤一色が埋め尽くした。

 ――――本当に色々仕込んでくれてるな……。

 白い煙が一斉にして紅蓮に染まる。観客には、突如として現れた業火が煙を全て飲み込んだように見えた――粉塵爆発である。彼らの多くが、その爆発音と立ち昇る火柱を呆然と見ていた。小雪と燕も一瞬動きがとまったが、すぐさま先ほどの続きを再開させる。

 その中から飛び出す影が2つ。片方は上空へ、もう片方はリング外を転がり出てきた。

 

『両選手ともに無事のようです!!』

 

 実況に続き、田尻の声が響く。

 

『場外カウント1……2……3――』

 

 凛はすぐに立ち上がって、新鮮な空気を目一杯吸い込んだ。

 ――――くそっ! 不覚だった! 急ぐ余りにあんな手に引っかかるとは……。

 そして息を大きく吐き出す。それはまるで、体の中に溜まった毒素を抜くかのようだった。すぐさま手足の感覚を調べる。末端に軽い痺れを残したものの、大半の動作に支障はない。

 

「悪いな大和。こちとら数度の経験済みだ!」

 

 ヒュームの特別授業――あらゆるシチュエーションでの戦闘訓練――が役に立った。今の今まで甚だ疑問を持っていただけに、凛は心の中で師匠に謝った。

 ――――しかし、その最初の相手が大和だったっていうのは少し複雑だな。

 空を睨むと、右に太陽が、中天に小さくなりつつあるバーニアが見える。

 決着をつけるため、凛は助走をつけ空へと跳んだ。

 

 

 ◇

 

 

「やったか!?」

 

 大和はそう言わずにいられなかった。自身も巻き添えを食らうかもしれない危険な賭けではあったが、その勝負に彼は勝ったのだ。しかし、その一方で冷静な自分が「そんな簡単なら苦労はしないだろ?」と問いかけてくる。

 大和は上空高くにあがってから、リングを見下ろした。爆発が起こったところは、黒々と濁った煙が昇っている。その反対側で小雪と燕の戦いは続いていた。

 実は、大和の体も痺れており、あまり言うことを聞いてくれなかった。転んだときに、思わず大量の煙を吸い込んでいたからだ。彼は片膝をつく格好になっている。その傍には、あらかじめ用意していたバックパックとマシンガン。

 

「というか、これ即効性ありすぎ。まぁそのおかげで助かったけど……凛は来るよな? 一応、銃も使用許可でてるけど、絶対狙い通りのとこいかないぞ」

 

 マシンガンを引き寄せたが、どう考えても当たりそうにない。

 

『凛選手も空へと舞い上がったぁ!!』

 

 アナウンスを耳にした大和は、体をビクリと震わせた。しかし、すぐさま行動へと移す。時間を稼がなければならないのだ。彼はバックパックをひっくり返し、中にあった物のピンを抜いて一気にばら撒いた。ついでにポケットに残っていた煙玉も投げてしまう。当たってくれれば儲けものだった。

 しかし、期待していた効果は得られない。大和の当たってくれと願う気持ちとは裏腹に、手榴弾はまるで見えない壁に弾かれるようにして、あらぬ方向へ飛んでいき、そこで爆発する。煙玉はその爆発で破裂させるつもりだったため、不発に終わった。その一瞬、彼には、キラリと光る幾筋もの線が見えた気がした。だが、今の彼にそれを疑問に思っている暇はない。残るは、足元に引き寄せておいたマシンガンのみ。

 打たないよりはマシだ。大和はそれに手を伸ばす。

 そこで突如、バーニアの片端が、下から引っ張られたようにして傾いた。

 

「おわっ!?」

 

 大和は何とかしがみついてバランスをとるも、マシンガンはあっけなく下へと落ちていった。バックパックも風に揺られて、飛んでいく。

 次いで、さらに上空から声が降ってきた。

 

「大和、これで終わりにさせてもらう」

 

 凛がいた。服に所々焦げ跡がある以外、目立った外傷はゼロである。一際目立つ銀髪もいつも通りくすんでいるだけで、ちぢれもしていない。

 大和も別にそれを驚いたりはしない。身近には天を衝く波動を放つ姉がいるのだ。慣れている。

 

「おいおい、凛。俺がそう簡単にやられると思うなよ」

 

 大和は笑顔でそう言い残すと、バーニアから躊躇なく飛び降りる。1秒でも稼ぐつもりであった。あとの事は超越者の救助を信じているといったところだろう。

 しかし飛び降りたあとは、さすがに強がってもいられないようで、大和の笑顔が引きつりまくっている。それもそうだろう。いくら信じているといっても、命綱なしでの飛び降りなど簡単にできるものではない。ましてやバンジーが行われる高度よりもさらに上の上である。叫び声をあげないだけでも大したものだった。

 凛は一度バーニアに飛び乗ると、それを足場にして、もう一度大和へと跳んだ。

 

「ははっ。大和、度胸あるな」

 

「破天荒な姉や冒険好きのリーダーのおかげでな!」

 

 大和は近づいてくる凛に、最後の抵抗といった感じで、振りかぶった右拳で突きを放つ。しかし、その突きは痺れたせいもあり、速度もないヘロヘロなもので、いとも簡単に止められた。

 さらに、凛にそのまま腕をひねられ、無防備にも背中をさらすことになった。あっという間の早業だった。大和の視界は大空から一転し、地上を見下ろすことになる。

 大和に向かって――スタジアムが、リングが、みるみる迫ってくる。

 

「不用意に攻撃するのは隙をつくるだけだぞ、大和」

 

 大和が最後に聞いた一言だった。

 降参。大和は心の中でそう呟くと、彼の意識はゆっくりと闇へ落ちていった――。

 

 

 □

 

 

『タッグマッチトーナメント、決着!! 優勝はスノーベル! 宣言通り、見事若獅子の頂点に立ちましたッ!!』

 

 会場は、試合の解説も聞こえないほどの拍手と歓声に包まれる。

 

「大和君!」

 

 燕が担架に乗せられる大和へ走り寄った。

 凛がそんな燕に声をかける。

 

「意識を刈っただけだから、10分もすれば目を覚ますよ」

 

「そっか……ふぅ――」

 

 燕が大きくため息をついた。そのため息には色々な想いが含まれていた。

 確実に勝てる相手とのみ正式な勝負を行ってきた結果の無敗――それが今日、とうとう終わったのだ。こうなることも予想の一つにあった。本来ならば、周りが許してくれたかどうかは別として、この大会を諦めて静観し、無敗を保つこともできただろう。紋白からの依頼も話し合いの結果、一旦白紙に戻した。それでも、スポンサーは続行されるということで、何の問題もなかった。しかし、彼女は大和とペアを組んだ日、凛がこの大会に出ると知っていたにも関らず、出場することに決めたのだ。

 なぜだろう。燕は自問する。百代を倒すチャンスを逃したくなかったからか――いや、それなら話し合いのときに、事情を説明し、続行のお願いをしただろう。自身の考えた作戦も、今の百代には予想していたほどの効果を得られそうになかったため、白紙に同意したのだ。

 そのとき、ふと紋白の言葉を思い出した。

 

『凛との出会いが我を変えたのだろう』

 

 目の前に立っている銀髪の青年。付き合いは中学生のときからであり、早いもので5年目になっていた。弟がいれば、きっとこんな感じだろうと燕はよく思ったものだ。昔はよく戦いを挑まれていたが、ある時期からパッタリとそれも止んだ。高校に入ってからは会う機会も減ったが、今はまたこうして一緒になっている。

 ケジメをつけたかったのかもしれない。燕は一つの答えを出した。タッグマッチはやり方次第で大物食いが可能であり、それは凛も例外ではなかった。言い方は悪いが、彼にパートナーという足かせをつけることができ、なおかつ、やり方次第という自分の得意分野――土俵ならば、彼に勝てる可能性が最も高かったのだ。なぜなら、彼を倒さずとも、勝つことができるのだから。

 4年という期間をもってしても倒す糸口が見つからなかった男――それが凛だった。この機会を逃すのが惜しかった。例え、それが、どちらに天秤が傾くかわからない五分五分の戦いだったとしてもだ。同時に、彼との勝負が無敗に終止符をうつのなら、それはそれで悪くないと思えた。

 

「で、本当に負けちゃったけど……」

 

 燕は一人呟いた。先の戦いでは、パートナーである小雪が予想以上で、弱点となるどころか彼女を阻む盾となり、本当に敗北してしまった。

 空を見上げた燕は、さらにこれからについて考える。父には悪いが、家名をあげる方法をまた別に考えなければならない。戦いに関しては、今までどおり作戦を立てながらも、もっと大胆になってみるのもおもしろそうだ。敗北は悔しいが、同時に肩に圧し掛かった重圧からも解放された気がした。ここには、戦ってみたい相手もまだ多くいる。学ぶことも数え切れないほどある。大和も手に入れたい。やることは――やりたいことはまだまだある。

 とりあえずは凛の打倒。負けっぱなしのまま終わるつもりはない。そして、これは家名を上げる一助になるはずだ。彼がこの後のエキシビジョンで勝てば、この世代でのトップは彼になる。その名は世界に轟くだろう。できれば、自身がその立場にありたかったが、負けた立場であるため仕方がない。それ以上に、今の燕には姉として、勝ってほしいという願いも込められていた。

 初めて出会ったときから、凛の強さに驚かされ、その後彼がどれほど鍛錬に打ち込んできたかもよく知っていたからだ。

 

「ん……?」

 

 燕はそこで別の答えも見つけた。野心とは別に、凛の打倒が頭の片隅にずっとあったのかもしれない。それこそ出会ったそのときから。

 結局のところ――。

 

「私もまた凛ちゃんに変えられた一人なのかもしれないね」

 

 凛がいなければ、また違った道を歩んでいたのだろう。燕は感慨深げにうんうんと頷いた。

 

「何か言った?」

 

 その凛が振り返った。

 いつしか見上げなければならなくなった弟を見て、燕は微笑む。

 

「松永燕の公式戦無敗記録もこれでおしまいだなって。案外呆気ないものだね」

 

「俺個人としては、燕姉との勝負がついたとは思ってないけど……結果的にはそうなるね。小雪がよく頑張ってくれたと思う」

 

 2人の視線の先には、小雪がペタンと座り込んで、肩で息をしていた。余程疲れたのであろう。彼女のあのような姿を見たことがなかった。

 

「小雪ちゃんの力には私もびっくりしちゃったよ。私もまだまだってことかな?」

 

「平蜘蛛を使えばまた違ったんじゃない?」

 

 凛も名だけは聞いたことがある燕の武器に興味を持っていた。平蜘蛛――依頼を受けた彼女が、百代を倒すために使用するはずだった武器。父である久信が、九鬼の力を借りて仕上げた最高傑作だった。しかし、これには難点もある。百代を倒すことを想定したものであるため、必殺技とも呼べる攻撃が、天文学的な費用を必要とし、加えて、1度使うと1年の充電が必要というものだった。そして、1度衆目に晒せば、対策を打たれてしまう。さすがにホイホイと使えるものではない。

 燕は人差し指を頬にあてて、考える素振りをとる。

 

「どうだろうか? それじゃあ敗者はそろそろ退散するよ。おめでとう凛ちゃん」

 

 そう言うと、燕は颯爽とリングを降りていこうとする。その後姿に凛が声をかけた。

 

「観客席のB-36に行ってみて。燕姉と久信さんの頑張りが届いたみたいだよ。燕姉に会いたいって人がいるんだ。久信さんは一足先に会ってるだろうから……あと、このあとの試合、応援よろしく!」

 

 その言葉に燕が振り返るが、凛は既に小雪のもとへと歩き出していた。

 

「人生っていうのはわからないもんだねぇ」

 

 凛の後姿を見ながら、今日何度目かの燕の呟き。彼女と久信に会いに来る人なんて一人しかいない。

 燕の予想では、紋白の依頼を受け、父の開発した平蜘蛛で武神を倒せば、母も彼を見直して帰ってきてくれると考えていたからだ。それが百代と戦う前に負けた上、平蜘蛛を使ってないにも関らず、母が会いに来ているというのだ。本当に何が起こるかわからない。

 燕はそこで我に帰ると、観客席を見渡した。もちろん、ここから姿を確認できるはずもない。しかし、それでも彼女は何だか嬉しくなった。

 

「大和君、ちょっち待っててね」

 

 大和には悪いが、燕は一目だけでも2人が一緒にいるところを確認したかった。自然と駆け足になる。凛の教えてくれた観客席が近いのか遠いのかわからない。それがじれったかった。

 

 

 □

 

 

「小雪、お疲れさん」

 

 凛の声に反応した小雪が、女の子座りをしたまま、彼を見上げる。

 

「うぇーい。僕もう動けないよー」

 

「小雪の頑張りのおかげで、俺はモモ先輩と戦える。本当にありがとう」

 

「頑張ってねリンリン。僕も観客席から応援してるから」

 

 そこへ田尻がマイクを持って近寄ってきた。

 

『優勝の感想などを聞いてみましょう。感想をどうぞ』

 

 それに凛が応える。小雪は隣で彼の肩を支えにしていた。

 

「とても嬉しいです。多くのライバルと力を競えたことは、いい経験になりました。そして、この戦いを一緒に乗り越えてくれた相棒にお礼を言いたいです」

 

「がおーっ! 冬馬―準―! 僕たち優勝したよー!」

 

 小雪は若獅子の頂点ということもあってか、獅子の鳴きまねを披露した。それに反応した観客から「可愛いー!」「小雪ちゃん萌えー!」と声が飛ぶ。

 

『この後はエキシビジョンマッチも行われますが、どう戦われるか決めているのでしょうか?』

 

「はい。私が一人で挑戦させてもらいます――」

 

 凛はそこで一旦言葉を区切って、ゆっくりと瞬いた。瞬時に、あの日の記憶が鮮明に甦ってくる。夏特有のむせ返るような暑さ、青々としげる草の匂い、蝉の鳴き声が聞こえる川原、目の前に立つ勝気そうな少女――そして、そんな彼女に言い放った台詞。

 

『舎弟じゃなく対等だ。俺は下につくつもりなんてない!! よく覚えとけ。俺とおまえは対等なんだ。おまえを倒して、それを証明してやる!』

 

 ――――あれから、かなり時間が経ったけど……。

 凛は百代のいる解説席を見て、言葉を続ける。

 

「モモ先輩! 今日ここであなたを倒します!! あの日の約束を果たしに来ました!」

 

 凛の威勢のよい啖呵に、会場は声援やら拍手やら野次やら、その他諸々が混じりあって、さらに盛り上がる。挑戦者が王者に挑む――そんな構図も人々を興奮させた。暑さだけがあのときと変わらないようだった。

 それに応える百代の声が、響き渡る。その声は嬉しそうで、とても活き活きとしていた。

 

「待っていたぞ、凛! ずっと……ずっとこのときをな! 制限時間はない。白黒つくまで、存分にやりあおうじゃないか!」

 

 

 

 

 

 

 あの日の少年は青年へと成長し、再び彼女の前に戻ってきた――。

 

 

 

 

 

 

 止まっていた時間が、今ゆっくりと動き出す――。

 

 




遂にタッグマッチ終了!!
燕の下りが大変でした。
そして、ようやく決戦のとき!!
熱い戦いが描けるといいんですけど……。
やるしかない!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。