真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束-   作:chemi

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『雌雄決す』

 試合開始まで30分の休憩がとられた。

 空は依然晴れていたが、南の方角から盛り上がってきた雲が、徐々に青を侵食し始めている。一雨きそうな雲だった。

 それから数分。誰もいなかったリングに、田尻が姿を現した。観客のざわめきが少し弱まる。

 

『皆様、これよりエキシビジョンマッチを執り行いたいと思います!』

 

 その声に呼応するようにして、雄たけびのような歓声があがった。長かった戦いも、正真正銘これが最後。テンションが上がらないほうがおかしい。

 しかし、それもリングに現れた2人によってかき消される。姿が見えた瞬間、両者から噴出す気がぶつかり合り、そのビリビリと痺れるような圧力が、観客席まで伝わったからだった。観客は完全に気圧されていた。

 百代が凛を目の前にして、先に口を開く。彼女の方が早く始めたくて仕方がないといった感じで、うずうずしていた。

 

「凛、すぐには倒れてくれるなよ」

 

「そうなるとしたら、モモ先輩が先に倒れていますから、ご心配なく」

 

 凛がさらりと答えを返した。百代はそれを鼻で一笑すると、会場の空気が一段と重くなった。2人の気が激しくせめぎ合う。その激しさを表すかのように、リングがミシミシと悲鳴をあげた。

 そんな2人を笑って見守っていたのが、超越者たちだった。鉄心がいつものように穏やかな笑みを浮かべながら呟く。

 

「ホッホッホ。2人とも若者らしく、熱いのぅ」

 

 ルーは細い目を見開く。

 

「どんな戦いになるのか楽しみダ。2人とも悔いが残らないようにネ」

 

 釈迦堂はニヤニヤとしているだけだった。それに比べると、鍋島は目つきを鋭くさせている。

 

「夏目……京の夏目家か。松永燕共々、こっちに欲しかったな」

 

 揚羽が楽しそうに笑う。

 

「フハハハ。この肌が粟立つような感覚……百代との戦いを思い出すな。百代、そして凛。約束通り、我がこの戦い見届けさせてもらう。久々に、我の血がうずいておるわ!」

 

 実況者としてのプライドか――かろうじて、声を絞り出す。

 

『た……戦う前から、物凄い緊張感が会場を覆っています! 一体、どんな戦いが繰り広げられるのか、私……全くもって検討がつきません!』

 

 それに田尻が続く。彼は天高く右手を振り上げた。

 

『両者、前へ! それでは……レディー』

 

 凛と百代が共に構えをとる。彼は半身になりながら、右手を胸元までもっていくと、その甲を彼女に向ける。一方、彼女は左手左足を軽く後ろへ引いて、右手右足を前へと突き出す。一瞬の静寂が舞い降りた。観客がゴクリと唾を飲み込む。

 田尻が右手を振り下ろすと同時に、腹の底から声を出す。

 

『ファイッ!!』

 

 両者がリングを蹴る。秒とかからず、互いの攻撃範囲に入った。百代がいつかの如く、右拳を繰り出す。

 

「川神流無双正拳突きッ!」

 

 しかし、凛はそれに合わせるような真似はしない。左手でその拳をいなすと、固く握り締めた右拳で百代の顎を打ち抜く。仰け反った彼女の体がフワリと地面から離れるが、彼の追撃は止まらない。その勢いのまま、左足をがら空きになっている胴へと叩き込む。

 ジジジ――。

 百代は嫌な音を聞いた気がした。直後、体中を恐ろしい勢いの痛みが襲う。その中心は、胴にめり込んでいる左足。それは、今までに経験したことのないものだった。

 吹き飛ばされる百代。しかし、二転三転しながら体勢を整え直し、リングを落ちる前にはすっかり両足で立っていた。何度か咳きを繰り返し、息を整える。

 

『初撃は凛選手! 武神を吹き飛ばしましたぁー!!』

 

 実況に合わせて、会場が揺れた。

 凛が百代へと声をかける。

 

「モモ先輩……本気で来てくださいよ。俺を試すような攻撃は必要ありませんから」

 

「……そう焦るなよ。戦いはまだ始まったばかりだろ?」

 

 笑顔の百代はそう言うと、観客にも見えるほどの気を放出した。それはどこか美しく、清らかなものに見える。

 ――――これが瞬間回復か……。モモ先輩の絶対的自信の根拠であり、慢心につながってる要因。

 凛は、瞬間回復に興奮する実況を聞き流しながら、ヒュームの言葉を思い出していた。万全の状態に戻った百代が、声をはずませる。久々に感じた痛みも、強者が現れたという証拠であり、嬉しいらしい。

 

「さぁ凛! 続きだ!」

 

「舐められてるって感じるのは、俺の気のせいですかね?」

 

 凛は踏み込む右足に、さらに力を込めた。足が離れる瞬間、まるで後を追うかのように、紫電が小さく走った。

 

 

 ◇

 

 

「これが……凛の実力か……」

 

 紋白が思わずといったと様子で呟いた。それもそのはず、戦いは拮抗しながらも、要所要所で凛の重い一撃が百代を襲い、その度に彼女が瞬間回復を繰り返していたのだ。それがもう既に数度行われていた。

 揚羽が戦闘を観察しながら、紋白の言葉を拾う。

 

「それもあるが、どうやら百代はいつもの悪い癖がでているようだな」

 

「なんのことですか? 姉上」

 

「強い相手と戦うことを楽しんでおるのだ、百代は。それを悪いとは言わんが……」

 

 揚羽はそこで困ったように苦笑をもらす。それを引き継いだのはヒューム。

 

「やはり、百代はここで一度負けておくべきなのです。あの驕りが抜けぬ限り、真の強さが手に入ることはないでしょう」

 

「確かに。しかし、百代もこれで終わるほど甘い存在ではなかろう」

 

 揚羽の言葉が指し示すとおり、距離が離れた瞬間、百代の右手が輝き始めていた。

 

 

 □

 

 

「さすが凛だな! ならば、これはどう対処する!?」

 

 百代は右手を凛に突き出し、その手に気を集中させる。小さな光が、瞬く間に大きな光になっていく。

 

「川神波ぁ!!」

 

 百代から放たれたそれが、凛に襲い掛かる。しかし、彼は避けない。彼の背後にいる観客席から悲鳴が聞こえる。自分に向かってくることを怖れたのか、あるいは彼に当たることに対してなのかはわからない。

 凛は右足を思い切り前にだし、左足を曲げると、体を沈めた。

 

「俺も一つ技を見せましょう」

 

 そう言うや否や、彼は自身を飲み込まんとする波動を優しく迎え入れる。彼の影がリングに大きく伸びた。

 

「凛!!」

 

 客席の誰かが叫んだ。しかし、観客は信じられないものを見せられる。

 一直線に飛んでいた波動の先端が、凛の右の手のひらに触れた瞬間にその軌道を変え、まるで彼を避けるように緩やかなカーブを描き、最後は左の手のひらを離れて上空へと消えていったのだ。

 

「なっ!?」

 

 これには百代も驚いたようだった。

 

「モモ先輩だけに技を見せるのも悪いんで。受け流しは、夏目の得意とするところなんです」

 

 ――――まぁ、これは気の調整がどれほど繊細にできるかにかかってくるんですけど。

 凛はまた百代に肉薄する。彼女が身構えた。

 百代は拳を突き出し、蹴りを放つも、全てが陽炎のように感触がない。しかし、彼女は笑みを崩さない。これまでにない程、感覚が研ぎ澄まされていくのを感じていたからだ。この先に何かがあると彼女の勘が言っていた。右の蹴りが避けられた瞬間、もう何度となく聞いた音が、彼女の耳に届く。

 ジジジ――。

 刹那、わき腹に向かってくる凛の蹴りを百代は体をひねってかわす。

 横一線。百代の瞳に映ったのは青白い光。すぐさま、彼女はカウンターを放った。しかし、手ごたえはない。逆に、首元に鋭い痛みが走った。それが全身へと回っていく。頭の中が真っ白になった――。

 

『これは一体どうしたことでしょうか!? あの武神がなす術もなく、一方的にやられています! 誰がこのような展開を想像できたでしょうか!?』

 

 凛は構えを取り直すと、百代が飛んでいった方を注意深く見た。今回の攻撃で、9回の瞬間回復を使わせている。

 ――――もうそろそろだろ。

 いつの間にか、分厚い雲が空を覆っていた。暗くなったせいか、スタジアムのライトが早めにつけられる。凛の周りに、四方へと伸びる影ができた。

 百代がこれまでと同じようにゆっくりと立ち上がる。2人の視線がぶつかると同時に、凛は背筋を震わせた。彼女の瞳の奥が、揺らぎのない水面のように静かだったからだ。

 百代は服についた汚れを払うと、口を開く。

 

「瞬間回復が鈍ってる。今、気がついたぞ。もう使えなくなりそうだ。凛の使った電撃がそうさせている……こんな方法で破ることができたのか。凄いな」

 

 その声に焦りはない。相手を圧倒するほどの気を放ってもいない。静かすぎる百代が不気味に思えた。

 ――――中々、予想通りの展開にはならないな。

 

「モモ先輩……ここからが本当の勝負ですよ。本当はもっと取り乱すかと思ってましたけど」

 

「うん。私もだ。だけど……なんだろうな? すごく落ち着いた気分なんだ。ただお前だけを感じる。私はもっとこのときを感じていたい――」

 

 微笑を浮かべる百代は、胸元に来ていた後ろ髪を右手で背後へ戻し、一歩踏み出した。なびく髪は、その一本一本まで美しく、仄かに輝いている。その姿に、会場の雰囲気が変わった。見蕩れ、小さく吐息をもらす――まるで舞台に降り立った女優のように、傷んだリング、ライトの光、曇天、観客、そして凛、それら全てが彼女を引き立たせる。

 しかし、凛はそこに別のものを見た。髪の輝きは、その先端にいたるまで、気が充実しているからこそのものだった。

 

「凛……いくぞ」

 

 百代は言葉をそこに残すと、影を置き去りにした。

 

「ッ!」

 

 凛は己の勘を信じて、右腕で側頭部をガードする。飛んできたのは百代の右足。彼女は一瞬にして、彼の背後へ回り、蹴りを放ってきたのだ。徐々に腕が押し込まれる。

 凛は耐え切れずに左へ跳んだ。しかし、それは無駄だった。

 

「――双正拳突き」

 

 呟きのような百代の声が、さらに背後から聞こえてきた。直後に、凛の背を今日一番の痛みが襲った。衝撃波が彼の胴を突きぬけ、大気を揺らす。

 

「ぐッ!」

 

 今度は凛が、リング外へと弾き飛ばされそうになる。その前に体勢を立て直そうとしたが、その暇がない。既に、飛ばされる彼の上空から影が落ちてきていた。

 凛の体とリングが水平になっている状態――そんな彼の瞳が捉えたのは、左足を振り切る百代の姿。彼にできたのは、両腕を交差させ衝撃に備えることだけだった。腕をへし折られるかのような苛烈な蹴りが、彼の腕とぶつかる。

 時を置かずして、会場に一際大きな衝撃音が鳴り響き、リング中央に大きな窪みを作り出した。それはまるで、凛が1回戦で見せたときのリプレイを流しているようだった。瓦礫を吹き飛ばし、砂煙を巻き上げる。ひょっとすると、彼のときよりも衝撃が大きいかもしれない。

 百代はいつの間にか、リング端に悠然と立っていた。

 

『な、なんと! この強さこそ武神!! 一瞬にして状況を一変させましたぁ! 今までがただの遊びだったと言わんばかりの攻勢!! 果たして凛選手は無事なのか!?』

 

 鉄心がその様子を見つめる。

 

「これだから、若いモンを見るのはやめられんのぅ。モモはここにきて、さらに一皮むけたようじゃ。あれだけ無駄な気を放出させておったのが、嘘のように静かになった。電撃属性の攻撃は恐ろしいものじゃが、それが切欠になったのかの」

 

 紋白が席を立ち上がり、声を張り上げた。

 

「凛! 凛は無事なのか!?」

 

 それに応えたのはクラウディオ。飲み物を差し出しながら、穏やかに返す。

 

「ご心配には及びません、紋様。この程度で倒れる凛ではありません」

 

「そ、そうか。だが、百代はどうしたのだ? 先刻と動き……いや気配までもが、がらっと変わっている」

 

 揚羽が会話に加わる。

 

「あんな百代を見たのは我も初めてだ。本気をだした……というのでは、説明できなさそうだな」

 

「蛹が蝶へと変わろうとしているのでしょう」

 

 ヒュームが突然口走った。紋白と揚羽の視線が彼に集まる。

 

「ヒューム……それでは今までの百代が蛹だったと聞こえるが?」

 

「揚羽様の仰る通り、今までの百代は蛹だったのです。武神の名を冠するだけあり、百代の素養は素晴らしいものがあります。そして、今までそれが順調に育ってきました。しかし、殻を破るのは容易なことではありません。余程の衝撃がなければ……」

 

「それが凛だと?」

 

「はい。百代も戦いの中で、何かを感じ取ったのでしょう。喜ばしいことです」

 

「うむ……しかし、このままでは百代の驕りが抜けぬのでは?」

 

 そこで紋白が割り込んだ。

 

「姉上の仰るとおりだ! 凛の勝ちがままならなくなるではないか」

 

「いえ、凛はすぐに対応するでしょう。百代の戦い方は瞬間回復に頼りすぎています。癖というのは簡単に直せるものでもありません」

 

 クラウディオがあとを引き継ぐ。

 

「揚羽様、紋様。私たちが凛に目をつけたのは、戦闘能力の素質だけではございません。彼の最も優れている所は――」

 

 

 ◇

 

 

「くぅー……きいた。スピードが段違いになると、どうしても追いきれない――」

 

 凛は砂煙の中、百代がやったように服の砂を払い落とした。

 

「でもまぁ……すぐに目が慣れる。ヒュームさんでも鍛えられてるし」

 

 凛は一度屈伸すると、百代目掛けて疾走する。

 

『凛選手……中々姿を現しませんが、これは機を窺っているのでしょうか!?』

 

 百代は微笑んだ。この戦いがまだ続けられるとわかったからだ。自身に迫ってくる気配をしっかりと掴んでいた。

 凛もわざわざ奇をてらうことなく、真正面から出てくる。

 

「さっきの一撃は中々効きましたよ」

 

「その割には元気そうで安心したぞ」

 

 激しい応酬の中で、2人は普段のように会話をかわす。しかし、未だ百代の動きが上回っているのか、凛の節々に傷が刻まれていった。

 ――――ギアが上がってきたのと合わさってるのか……厄介な!

 捌いても捌いても、止まない連撃。一瞬たりとも気を抜くことはできない。不幸中の幸いといえば、瞬間回復を必須とする人間爆弾――至近距離において、気を爆発させる自爆技――を使われないことだった。

 2人はリング上で舞い続ける。影は忙しそうに主人のあとを追いかけ、大気は観客の声援によって震えをますます大きくした。

 そして、遂に凛は百代の動きを捉える。彼女の胴抜きを半歩下がって避けた。これは彼女も予測済みだったらしい。

 

「今の状態でも同じことができるか? 川神波!」

 

 一瞬の隙をついて、百代が一条の光を放つ。ほぼゼロ距離。しかし、またしても波動はあらぬ方向へ飛んでいった。川神波を放った腕は、凛の足によって蹴り上げられたためだ。

 もちろん、そこで戦闘がやむことはない。ここで凛もまた攻勢に出始める。

 

「「はぁぁッ!」」

 

 両者の覇気溢れる声が会場に木霊する。それが、観客を熱狂へと誘った。

 乱打戦――。

 まさに、その言葉がピッタリだった。防御は最小限に、攻撃は最大限に。互いに削りあっていく。

 釈迦堂はただ百代を見守る。その顔はどこか嬉しそうだった。

 

「お前の心が手にとるようにわかるぜ、百代。嬉しいよなぁ。自分の全てを受け止めてくれる相手が現れたんだ。その目にはどんな世界を映してるんだ、なぁオイ?」

 

 両者とも一歩も引かない。引く瞬間こそが隙になると言わんばかりだった。しかし、その行為は着実にダメージを蓄積していく。

 突如、2人が正反対の方向へ弾きとんだ。どうやら、凛は米神の上部に一撃を、百代はわき腹あたりに一撃を同時に受け、そして、同時にねじ込んだらしい。気の練り込められた一撃は相当重く、彼らは膝をついた。

 ――――まずい……焦点がぶれる。さすがに無理があった。でも……。

 凛は足に力を入れる。

 ――――まだやれる。もう負けるのは……。

 

「ごめんだ」

 

 ――――約束を果たすためとか、支えてくれた人のためとか、惚れた人にイイトコ見せたいとか……そんなことも思ってたけど、戦いが始まれば関係ない。これに関して言えば、俺はただ……。

 

「負けるのが大嫌いなんだ」

 

 雲はいよいよもって、黒く重くなってきていた。その中では時々、幕電――雷鳴を響かせず、稲光だけが雲の間を走る現象――が起こっている。

 それに反応するように、凛の肌にピリピリとした感覚が走った。

 ――――この感覚。なるほど……肌で感じろっていうのはこういうことか。

 昔、祖母である銀子に言われたことを思い出した。

 凛は深呼吸を繰り返す。それに従って、激しく暴れていた心臓も、徐々に落ち着きを取り戻す。そして、一度ゆっくりと瞬いた。銀子に見せてもらったもの、言われたことが甦ってくる。

 ――――あとは俺にそれができる実力があるかどうかだ。

 百代も既に立ち上がり、凛を真っ直ぐ見据えている。互いに長く持ちそうにないことがわかった。

 雲は堪えきれなくなったのか、小雨がリングを濡らし始めた。ライトに照らされた雨粒が、幾筋もの線のように見える。観客は、タオルを頭から被る者、不安そうに空を見上げる者、リングを注視する者など様々だった。

 一方、リングに立つ2人は静寂を保っていた。

 雨粒の一つ一つが見える。その奥に凛が、あるいは百代がいる。2人の見る世界はそれだけだった。

 

「モモ先輩……そろそろ幕引きといきましょう」

 

「ツレないじゃないか。私はまだまだ戦えるぞ」

 

「それが本当なら、俺はへこみますけどね。とりあえず直接、体に聞いてみます!」

 

 凛が先に動き出した。

 

「それでいい! 来い、凛!」

 

 百代はそれを迎え撃つべく、最初と同じ構えを取り直した。

 速い。百代は凛の動きを追うことをやめると、そのまま目を閉じた。深く息を吸い、そして吐き出す。彼が背後から迫るのがわかった。すかさず、右の裏拳を繰り出そうとするも、ここで鈍い痛みがわき腹に走った。瞬きをするより短い時間――彼女の動きが止まる。

 瞬間回復が使えたなら。百代の頭にその考えがよぎった。実は彼女には、もう体力がそう多く残されていなかった。というのも、乱打戦では確かに打ち合っていたが、日頃のクセとでも言えばよいのか、その節々に攻撃の粗がごく僅かにだが出ていた。それはたった数ミリだったかもしれない。塵にも等しいダメージ差だったかもしれない。しかし、それは積み重ねられ、蓄積され、こうして彼女の体を蝕んでいた。

 ――――ちゃんと効いてるじゃないですか。

 凛はその隙を逃さない。これまで幕電だけの雲が、一際激しく雷鳴を轟かせた。

 

「モモ先輩……終わりです」

 

 凛が、中途半端に体を開いた百代の胴に、右の掌をそっと押し当てた。

 観客の誰かが呟く。

 

「なんか今、青い光が――」

 

 次の瞬間、天高くで暴れまわっていた稲妻が、百代の胴を貫いた。斜めに走るそれは、何にも邪魔されることなく、彼女目指して一直線に襲い掛かったのだ。

 観客が目にしたのはそこまでだった。なぜなら、世界がまるで白一色に染まったように、会場が眩しい光に覆われたからだ。そして、遅れるように聞こえてきたのは、耳をつんざくような轟音。何か得体の知れないものが、吼えているようだった。

 スタジアムのライトはその余波を受けて、破裂したりもしたが、それを気にする観客もいない。

 白の世界。

 それが、観客たちが見ている――いや何も見えないからこその世界だった。加えて、轟音のせいで、耳鳴りが酷い。実況も喉が裂けんばかりに叫んでいるが、その姿はまるで無声映画のようで滑稽だ。

 当然、その真っ只中にいる2人にしても同じだった。

 百代は既に体を支える余力もなく、凛にもたれかかっている状態で、その目は油断すると閉じてしまいそうだった。

 

「――」

 

 百代は小さく口を動かしたが、凛にそれを知る術はなく、ただただ首を横に振るだけだった。彼女もそれがわかったのか、最後に微笑み――そして意識を手放した。

 凛は百代をゆっくりとリングに寝かせると、もう一度立ち上がる。しかし、それだけでも膝が笑いそうになった。集中が解けたせいであろう。

 

「勝った……」

 

 確かにそう呟いたが、自身の声さえ聞こえない。しかし、凛は言わずにいられなかった。

 ――――勝ったんだ……。俺はモモ先輩に勝った!

 しばらくの間、凛は一人その勝利をかみ締めていた。

 

 

 □

 

 

 インタビューを終わらせ、通路を歩く凛。背後の出口からは、帰り支度を整える観客のざわめきが響く。

 凛を迎えたのは紋白と燕、小雪、そしてファミリーの男性陣だった。ファミリーの女性陣はどうやら百代の方を見舞っているらしい。

 凛が誰よりも先に喋りだした。

 

「ごめん……もう限界」

 

 それだけ言うと、凛は膝から崩れ落ちるようにして倒れる。突然の事に、その場にいた誰もが反応できずにいた――ただ2人を除いて。

 ヒュームは右腕に凛を乗せると、脇に抱え込んだ。くの字――というよりも、つの字に折り曲がった世界を最も沸かせている男。

 

「中々だったぞ」

 

「相変わらず、ヒュームは凛に厳しいですね」

 

 クラウディオの言にも、ヒュームは鼻で返事をするだけだった。

 その後、凛は医務室に運ばれ、先に運ばれていた百代の隣に寝かせられる。診察の結果、大事には至っていなかったが、頭を強打していることから、念のため葵紋病院に送られることになった。

 こうして、タッグマッチトーナメントは終わった。長い2日間は人々の記憶に刻まれ、夏目凛の名は世界中に轟いた。

 

 

 

 

 

 

しかし、今日という日はまだ終わらない。

 




ようやく終わりました。
勢いで何とか乗り切りました。

さぁ日常シーンを描こう!

一つ疑問なのですが、電撃属性の攻撃がどうしてもナルトにある千鳥に見え、凛が最後に繰り出した技がサスケの麒麟に見えます。
前者はマジコイでも使われているので大丈夫だとしても、後者が微妙かなと思っています。
これは、タグになんらかの追加を行っておいたほうがいいのでしょうか?
ご意見等頂けると嬉しいです。

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