真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束-   作:chemi

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『稽古のち……大騒ぎ?』

 凛は、目覚ましの音がなる前に目を覚ます。習慣からかそのまますぐにベッドから抜け出すと、そのまま窓のカーテンを開いた。まだ外はほんのりと薄く暗い。

 

「うーん。昨日はだいぶ騒いだな」

 

 軽く体を少しほぐしながら、昨日のことを思い出す。夕飯はもちろん騒がしかったが、それが終わったあとも男たちが、凛の部屋に突撃してきたからだ。彼もそれを洗礼として甘んじて受け入れた。

 凛は最後に大きく伸びをすると、部屋を出てリビングを目指す。そして、リビングに行くと台所で朝食の準備を行っている寮母の姿が目に入った。

 

「麗子さん、おはようございます」

 

「早起きだねー。おはよう。朝食はみんなが揃ったときだから、まだ時間はあるよ。お茶でも飲んでゆっくりしてるかい?」

 

 着物姿のふくよかな女性の名は、島津麗子。この島津寮の寮母であり、岳人の母親でもある。若い頃は川神の鬼女としてその名を馳せ、通り名に恥じぬパワーで数多の勢力を相手取っていたらしい。息子である彼はそのパワーを受け継いでいるのかもしれない。もちろん、本人の努力の成果でもあるが。

 

「いえ、少しトレーニングするつもりですから。帰ってきてから頂きます。それでは、いってきます」

 

「そうかい。気をつけるんだよ。いってらっしゃい」

 

 麗子の声を背に受けながら、凛は玄関の扉を開ける。同時に心地よい風が頬をなでてきた。まだ人があまり活動していないため、鳥のさえずりがよく聞こえてくる。玄関前で軽く準備運動をして、門から道路へと出る。

 

「よし。探索がてら、周りを走ってみますか」

 

 軽快なリズムで走る凛は、街中を通り、川沿いの道にでた。そこから少しすると真正面に大きな橋が見えてくる。

 

「あれが、へんたい橋と呼ばれる多馬大橋か」

 

 ――――太陽の光で照らされてきれいなのに、不名誉な通称だ。

 そう思いながら、凛は橋の下の拓けた場所で再度ストレッチを行い、これまで幾度も繰り返してきた型を行う。自らが生じさせる風を切る音は変わらないが、いつもと違う場所、違う空気を感じ、改めて川神に来たのだと思う。一通り終えたそのとき、彼はよく知る気配を感じ、振り向いた。

 

「約束通り。早速、稽古をつけてやろう」

 

「おはようございます。ヒュームさん」

 

 そこには、しっかりと九鬼の執事服を着こなしたヒュームが立っていた。彼は癖になっているのか、軽く首元を緩めるような仕草をとる。しかし、その仕草でさえ様になっていた。

 

「よろしくお願いします」

 

 一礼して、凛はヒュームに対して構えをとる。それに対して、ヒュームは自然に立ったままであった。だが、そのことに文句を言う彼ではない。幼い頃から、何度も稽古をつけてもらってきた彼は、対峙している状態で少しでも気を抜けば、一撃で稽古が終わることを承知しているからだ。

 

「時間はあまりとれんからな。10分間集中的にいくぞ」

 

「わかりました」

 

 ――――久々だな。ヒュームさんとこうやって対峙するのは。

 凛はそんなことを思いながら、意識をヒュームへと集中させていった。これから始まる稽古に対して冷静になる自分と久々のヒューム相手にどこまでやれるのかという期待にワクワクする自分――心臓の音がやけに大きく聞こえる。彼は、構えをとったまま微動だにせず、開始のときを静かに待つ。2人の間に流れる沈黙が、徐々に緊張感を高めていった。

 

「いくぞ」

 

 開始の合図とともにハイキックが、凛の左側頭部めがけてとんできていた。一瞬にして距離をつめることなど、ヒュームにとっては児戯にも等しい。彼はそれを受け止め、足首を引き寄せながら体をひねり、ボディに突きを繰り出した。当たると思った瞬間、その拳は空を切り、捕らえていた足もまた感触をなくす。間をおかず僅かに感じた気配を頼りに、咄嗟にガードを固めるとそこへ3連撃が襲ってきた。それが終わる瞬間を見極め、また反撃に転じる。この間、わずか数秒。

 凛が1繰り出すと、ヒュームが3返すといった感じで、稽古は進んでいった。

 

「もっと研ぎ澄ませ」

 

 一言だけ言葉をかけるとヒュームのスピードがさらにあがった。しかし、それに合わせるように凛には、目に映る全てがスローモーションのように見え、加えて体のキレが増していく。二人の周りには、爆ぜる音とともに、両者の動きによって砂埃が舞い上がっていた。一般人の目では、追えない速度で繰り広げられる激しい攻防の中で、彼は徐々にヒュームの動きの先が見えてくる。そして絶えることない連撃をさばきながら、彼は渾身の一撃を入れるタイミングをはかる。

 ――――一歩踏み込んだところに鳩尾への前蹴り。

 凛はヒュームからの右足の蹴りに合わせて、体をくるりと右回転させながら避けると同時に、軽やかなステップから右足で地面を力強く踏み込み、全体重をのせた左上段の蹴りを彼に放った。その瞬間、今までで最も大きな破裂音が川原一面に響き渡る。

 その一撃に、凛は手応えを感じながらも、距離をとって構えを崩さない。

 

「終了だ……なかなか良い一撃だった」

 

 ヒュームの右腕の執事服がかなり派手に破けていた。終了の合図に、凛は一息ついて改めて彼を見る。右腕の状態もしっかりと見る。そして、彼は次第に目を泳がせ始めた。

 

「あわわわ、すいません。ヒュームさん執事服。べ、べ弁償……って言っても、お金ないんですけど。あははは、はは…………あ、えっとちゃんと払いますよ。逃げないですよ」

 

「気にする必要はない。今までと同じと思っていた俺が招いた結果だ。俺は戻るが、あそこに置いてある物は自由に使うといい」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 少し混乱していた凛もヒュームの言葉を聞いて冷静になる。そして、彼の指し示す方向に目をやると、そこにはタオルや飲料水が置かれていた。そのことに改めて礼を言う彼だったが、ヒュームの姿はもうそこになかった。

 ヒュームがいなくなったことで、完全に気がゆるむと、凛は一気に体が重くなってくるのを感じた。何度も深呼吸を繰り返しながら息を整え、用意されたタオルで流れ落ちる汗をぬぐい、水分を補給する。

 

「あーー楽しかった」

 

 凛はストレッチをしながら、先ほどの光景を思い出す。

 ――――あの一撃は中々よかったな。そして何より破いた。ヒュームさんの執事服を。今までできなかったことができるようになった。俺は強くなっている。あの人にまた一歩近づいている。

 

「ふふふ」

 

 凛は川原で一人崩れる表情を抑えきれず、笑いながらストレッチを繰り返す。すぐ上にはへんたい橋を通る通行人がいたが、彼の姿が目に入ると、足早にそこを通り過ぎていった。

 

「ふふ。……それより帰らないとご飯が」

 

 喜びをしっかり味わった凛は我に返る。周りをキョロキョロと見回し、誰にも見られていないことを確認すると、またランニングを兼ねて寮へと戻っていった。彼が去った後、橋の上にはいつの間にか二人の執事が立っていた。

 

「驚きました。ヒューム、腕は平気なのですか?」

 

「もう感覚は戻ってきている。赤子はこれだからおもしろい。少々本気をだしてやろうかと思ったほどだ」

 

 ヒュームは右腕の調子を確かめるように、手を閉じたり開いたりする。その表情はとても楽しそうであり、同時に橋の上に止まっていた鳥達が一斉に飛び立ち、辺りからさえずりが消えた。そんな彼とクラウディオの見つめる先には、先ほどの凛の蹴りを受け止めた場所――めり込んだヒュームの靴跡が横に滑るように残っている。

 クラウディオがいつもの笑顔で話しかけた。

 

「しかし、凛は嬉しそうでしたね。私たちにも気がつかなかったようです」

 

「全く困ったものだ。今狙われたら簡単にやられてしまいそうだな」

 

 ヒュームは場面を想像しながら、鼻で笑う。しかし、口ではそう言いながら、そう簡単にやられることはないと彼らは思っていた。クラウディオが軽く返答する。

 

「そのときは私が助けましょう」

 

「クラウディオは、アイツを甘やかしすぎな気もするがな」

 

「なんじゃい。やっぱりヒュームかい。こんな朝っぱらから、気を撒き散らして強い奴らを引き寄せる気か? モモが寝ておるからいいものを、起きとったら面倒なことになるぞい」

 

 会話を続ける2人の元へ、袴に羽織を羽織った老人が文句を言いながら現れた。この老人は、川神院の総代であり、ヒュームのかつてのライバル――川神鉄心である。彼も当然壁を超えた者の一人だ。彼は自身の長くなったあごひげをさすりながら、2人の反応を待った。

 

「おはようございます。鉄心様。その点は申し訳なく思っておりますが、何分私たちも少し驚いたものですから」

 

「ふん。そう迷惑でもないだろう。そういうことは常時、気を放ってる百代にでも言い聞かせておくんだな」

 

 頭を下げ、丁寧な謝罪をするクラウディオと腕を組み鉄心を見返すヒューム。そんな正反対の彼らに、鉄心は苦笑をもらした。

 

「おはよう、クラウディオ。モモのことを言われると何も言い返せんが、何があったんじゃい? あそこにあるのは、おぬしの靴跡のようじゃが。随分重いのをもらったようじゃのう」

 

「弟子が、俺の近くまできていたのだ」

 

 ヒュームは口角を吊り上げながら喋る。そんな彼に対して、鉄心は眉をあげながら疑問を呈した。彼が楽しげに話す様子など、鉄心自身滅多に見たことなかったからだ。それが戦闘においてならなおさらだった。

 

「ほぅ、おまえさんの弟子? 九鬼揚羽のことかい? それなら、わしにもわかると思ったがのう」

 

「まぁそのうちわかる。百代も退屈せんですむかもしれんぞ」

 

「お騒がせしました。鉄心様。それでは失礼致します」

 

 ヒュームは言いたいことだけ言うとさっさと車に乗り込み、クラウディオも優雅に一礼し後に続く。鉄心は先ほどの言葉を胸に留めながら、去っていく車を見送った。

 打って変わって、島津寮。みなが思い思いに朝食をとっていた。凛も無事間に合い、日本の朝食の定番である焼き魚をおかずにご飯を食べていた。

 

「ご飯おいしいです。麗子さん」

 

「たくさん食べて、学校初日頑張ってくるんだよ」

 

「はい。知り合いももういるので、緊張せずにいけそうです」

 

「おはようございます。麗子さん、今日も一段とお美しい。みんなもおはよう」

 

 大和は、麗子を一目見るなり褒め、彼女はその言葉に機嫌をよくする。そして、彼の朝食にはヨーグルトが付け加えられた。

 

「クリ吉、頬にご飯つぶついてるぞ。しっかりしろ」

 

「む……おお、ありがとう。松風」

 

 クリスは半分寝ぼけているのか、もそもそとご飯を食べ、由紀江に世話をやかれていた。その隣で、京が朝食を食べ始めた大和に醤油を渡す。

 

「大和、はいお醤油」

 

「サンキュー。はい源さんにもお醤油」

 

「わざわざかけようとするな。自分でかけるから、そこ置いとけ。卵焼き一切れ食うか?」

 

 穏やかな朝食だった。

 そして通学。寮のメンバーがそのまま学校を目指すため、自然に大人数での移動となり、人数が多い分賑やかになる。

 

「風間ファミリー?」

 

「そう。寮で説明したキャップがリーダーで、姉さん、俺、京、ワンコ、ガクト、モロ、クリス、まゆっちがメンバーだな」

 

「小学生から続いてるなんて、何気にすごいな。まさにファミリーだ」

 

「ダベッたりして終わることも多いけどな」

 

 大和は笑いながら凛の言葉に返した。そこにクリスと由紀江が混ざる。京は一子の突飛な鍛錬方法に突っ込みをいれ、岳人と卓也はジャソプではなく何かの単行本を読んでいた。岳人が興奮している辺りを見れば、どんな内容かは察しがつく。

 

「自分もまだ入ってそんなに経ってないが、すごく居心地がいいぞ。誘ってくれたことを感謝している」

 

「私も同じ気持ちです。友達も一気に増えましたし」

 

 嬉しそうに話す2人の様子に凛も笑顔で答える。

 

「見ているだけでも、仲がいいのがわかるよ。源さんは、入ってないんだ?」

 

「源さんはあまり群れるの好まないからなぁ。俺は入ってほしいと思ってるんだけど」

 

「無理やりってわけにはいかないもんな」

 

 そんな一行が橋に通りかかると、なにやら人だかりができていた。それを不思議に思った凛が大和に問おうとすると、一子が真っ先に声をあげる。

 

「お姉様だわ! 凛、ほらあそこにいるのが、私のお姉様よ」

 

 一子が指差す先には、凛が先日車の中から見かけた女の子が立っていた。彼女の目の前には、ツタンカーメンの被り物を被った半裸の男。突っ込みどころ満載だが、一応挑戦者らしい。同じ川神学園の生徒たちは、百代に声援を送っている。

 

「へぇあの人が武神だったのか。どうりで」

 

「会ったの今日が初めてじゃないのか?」

 

 凛の反応に大和が首をひねった。他のファミリーはみんな百代に声援を送るなり、静かに見守るなりしている。

 

「いや、引越し前に街で見かけてな。目をひいたから」

 

「美少女だからか?」

 

「まぁな。それより、毎日こんなことが橋で起きているのか?」

 

「そうだな。挑戦者やヤンキー、チンピラ多種多様なやつらが、喧嘩売りに来るからな」

 

「そりゃまた大変だな」

 

「姉さんはむしろ楽しんでいるみたいだけどね」

 

 凛と大和が会話していると、歓声が一際大きくなった。どうやら勝負がついたようだ。そして、百代はそのまま軽やかな足取りでファミリーの元に近づいてくる。朝一で勝負できたのが嬉しいのかご機嫌だった。

 

「おー弟に妹に愉快な仲間達じゃないか」

 

 百代が大和と一子の頭をなでながら、みなに挨拶する。そして、彼女は一人見慣れない顔がいることに気がついた。撫でられるがままの彼がそれに答える。

 

「姉さん、こっちが昨日メールで言った夏目凛だよ」

 

「夏目凛です。よろしくお願いします」

 

「そうか。大和が言ってたのはお前か。よろしくな。川神百代だ。気軽にモモ先輩と呼ぶといい。決闘ならいつでも買うが……凛は何か武道をやってるのか?」

 

「はい。一応、子供の頃からやっています」

 

「……そうか。弟の大和とは仲良くしてやってくれ」

 

 そこで百代は話を打ち切り、一子たちのほうへ振り返った。彼女は、勝負にならないと判断したようだった。背を向けた彼女に、凛が明るく声を掛ける。

 

「モモ先輩、早速一つお願いがあるんですけど、俺と手合わせしてもらえませんか?」

 

 その言葉には、周囲の目が一斉に凛へと向けられた。野次馬の生徒たちにも聞こえたのか、ザワザワと騒がしくなっている。

 

「いや凛、姉さんは武神って呼ばれてるのは伊達じゃないぞ」

 

 まず大和が凛の両肩を掴みながら話かけてきた。それに、彼は気負った様子もなく答える。

 

「ああ」

 

「おまえ本当にやる気か!? 俺様でも一撃で吹き飛ばされるんだぞ」

 

 次に岳人が大和の後ろから声を掛けてきた。それに彼は感心する。

 

「それは凄いな。ますます楽しみになった」

 

「凛、素直に感心してる場合じゃないでしょ」

 

「くくく、怖いもの知らず」

 

「凛、こう言っては怒るかもしれんが、実力差がありすぎるのではないか?」

 

「そうよ。お姉様の強さを分かってないわ」

 

「…………」

 

 卓也、京、クリス、一子がそれぞれ口を開く。由紀江は黙ったままだった。周囲からは、驚き嘲笑興味心配さまざまな感情が渦巻いている。川神に住んでいる者、いや世界中に知れ渡っているといってもいい武神の強さ。今年で3年の百代は学園には下級生しかいない。3年になってこの1ヶ月、学園内で彼女相手に決闘を申し込むやつなど皆無だった。そこに来て、この凛の発言だった。

 

「本気か? 目立ちたいだけの強がりなら、勘弁願いたいな」

 

 戦うのが好きな百代でも、一般人レベルの気しかない転入生。しかも、弟の友達を一方的にやるのは気が引けるようだった。それでも凛は楽しそうに笑い、胸の前で拳を固める。

 

「前から楽しみにしていたんです。もちろん本気です」

 

「……わかった。いいだろう。許可はとっといてやる。呼び出しは放送でだな。きれいな顔には傷をつけないようにしてやるさ」

 

「ありがとうございます」

 

「大和―! お姉様が受けちゃったわ。どうしよう?」

 

「こうなったら、どっちに転んでもフォローしてやれるようにするしかないな。まさか初日からこんなことになるなんて」

 

 一子はそんな二人の間でオロオロしており、大和は頭をガシガシと掻いた。そんなファミリーとは違って、百代がこの申し出を承諾したことを知った周りの生徒達は、一気に白熱していく。おもしろそうな話のネタができたのだ。携帯で今ここにいない友達に知らせる者。隣にいた友とどちらが勝つか話す者。いち早くこの情報を学園に持ち込もうと先を急ぐ者。これらの者たちによって、凛たち一行が学園に着く頃には、学園内はその噂で持ちきりになっているのだった。


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