真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束-   作:chemi

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『旅行4』

 

 

 先に目が覚めた百代は、じっと凛の寝顔を見つめていた。彼も体を彼女の方へ向けているため、彼女からすると見放題である。

 長い睫毛、キメの整った肌、鼻筋が通っており、彫りも若干深い顔立ち。彼女は思わず、凛の頬をツンツンと突いた。むずかる彼に、自然と笑みがこぼれる。

 やがて、凛の瞼が微かに動き、徐々に目を開いていく。そして、2,3度瞬きを繰り返すと、百代に向かって微笑んだ。

 

「おはよう、百代」

「ふふ、おはよう。凛」

 

 百代が凛に顔を近づけると、彼も察して瞳を閉じた。秒にも満たない短いキス。

 

「先に起きてたんだ? 起こしてくれればよかったのに」

「ちょっと凛の寝顔が見たくてな」

「おもしろくも何ともないでしょ?」

「そんなことないぞ。見てて飽きない」

「変な顔とかしてなかった?」

「全然……可愛い寝顔だったぞ。我慢できずに、ちょっかいをだしてしまったぐらいだ」

 

 そう言って、百代はまた凛の頬を突いた。彼もなすがままになっている。彼女は、そのまま頭を撫で始めた。前髪に軽く触れ、そこから側面へと手を滑らせる。彼の髪は短めであるため、毛が絡まることもない。

 そこで突然、凛が百代へと抱きついた。いつもなら身長差があるため、彼が抱きついても、彼女が抱きすくめられる形になるのだが、今はベッドに寝転んでいる状態のため、いくらでの調整がきく――彼は彼女の胸元に顔を埋める。

 いきなりの出来事に、百代の手が一瞬止まるが、またすぐに再開させた。距離が縮まったため、後頭部まで手が届く。左腕は凛の背中へと回し、彼を優しく包み込んだ。

 

「どうしたんだ、凛?」

 

 問いかけた声は、百代が自分でも驚くほど穏やかなものだった。

 

「んー? いや、なんとなく甘えたくなった……」

 

 百代の胸がキュンとなる。頼りになる男――それが彼女も含めた周りから見た凛の印象であった。戦いにおいては、世代のトップに君臨する実力を示し、頭も良く、人を引き付ける魅力も持っている。料理を作らせれば、多くの人々を唸らせ、クラウディオ仕込みの礼儀作法まで身に付いている。こう書くと、死角のない完璧なものに見えるが、そんな彼もまた一人の人間である。どこかで息を抜きたくもなるだろう。しかし、凛の性格上、それが中々うまくいかない。結果、相手に頼られることばかりに慣れていき、その逆ができなくなっていた。

 凛が自分を支えてくれるように、自分も凛を支えたい。力になってやりたい。百代は腕の中にいる彼を抱きしめながら、強くそう思った。

 凛は目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返した。百代の柔らかさと優しい匂いが、彼を落ち着かせてくれる。

 1分ほど経ったのち――。

 

「……あーその……急に、ごめん」

 

 凛は恥ずかしくなってきたらしい。離れようと体を動かした。しかし、百代は決して彼を解放したりしない。加えて、彼の体も正味のところ離れたくないようであった。すぐに、動くのを止めた。

 百代が、先と同じ声色で答える。

 

「別に構わない。むしろ、凛の方から甘えてきてくれたことが、私は嬉しいぞ。同年代に比べても、お前はどこか大人びてるから、頼りにしてしまいがちだし……凛だって誰かに甘えたくなるときもあって当然だ。その相手が私で、今凄く幸せなんだ。だから、謝ることなんてない」

「……えっと、それじゃあ……ありがとう」

「ん、それでいい」

 

 百代に出会えてよかった――。

 

 ともすれば、聞き逃してしまうほど小さな呟きだった。凛が意識して呟いたのか、はたまた無意識に吐露してしまったのか、百代には判断がつかなかったが、聞こえないフリをした。これ以上、言葉が必要とも思えなかったからだ。同時に――。

 それは私も同じだ。百代はそう思った。

 凛は眠ってしまいそうな心地よさに、しばらく身を委ねていた。それは、長い間飛び続けていた鳥が、止まり木で羽を休めるようなものだった。

 静かで――穏やかな時間が流れる。外は明るさを増しているようで、カーテンの隙間からも朝日がこぼれていた。外の廊下からは、親子連れと思われる元気な声とそれを窘める声が聞こえた。

 それを聞いた2人は、クスクスと笑いあう。結局、凛が「もう大丈夫」と言うまで、百代は撫でる手を止めなかった。

 

 

 

 

「情けない姿を見せてしまった……」

 

 未だ横になったままの凛は、照れ笑いを浮かべながら、柔らかく笑う百代を見た。

 

「凛の新しい一面が見れて、私は嬉しかったけどな。それに、凛はただでさえなんでもできるんだ……その上、頼りにもされないなんて、私が傍にいる必要もなくなっちゃうだろ。私ばかり頼るなんて、それはなんか嫌だ。だから――」

 

 百代は再度凛を抱きしめ、言葉を続ける。

 

「いつでも甘えてこい。頼ってこい」

「それ、男が言いたい台詞ベスト10に入ってそう」

 

 百代は一度離れると、凛と顔がくっつきそうなほどの距離で見つめ直す。

 

「茶化すな。割と真面目に言ってるんだぞ」

「いや、やっぱ男のプライドみたいな? ……彼女の前では格好いい姿を見せたいんだよね」

「そう思ってくれるのは嬉しいけどな。……頼られないのは寂しいぞ。仮に、私が凛に甘えたりしないで、一人で何でもこなしていったらどうだ?」

 

 百代の言葉を聞いて、凛は黙って想像する。

 

「あーうん、確かに……俺っていらなくないって思うかも……」

「だろ? それに、私は凛より一つ年上だしな! 甘えられるのも悪くないっていうか、胸がこうキュンキュンするな」

「キュンキュン?」

「そう……キュンキュン! こいつ可愛いなぁみたいな感じだ」

「ああ、俺が百代によく思うやつね」

「それは美少女だから仕方がないな!」

 

 百代は得意げに笑って見せた。

 今度は、凛が百代を抱きしめ返す。彼女は彼の胸元に寄り添いながら伝える。

 

「凛に抱きしめられると安心するんだ。だから、私もこの安らぎとかさ、凛に与えてやりたい。私ってその……女の子らしいことあまりできないだろ?」

 

 料理とかはこれから頑張るつもりなんだけど。慌てて、そう付け加え、さらに続ける。

 

「だから、せめて――」

「ありがとう、百代」

 

 凛は百代の唇を奪った。互いに啄ばむようなキスを繰り返す。

 

「私にできることなら、なんでもしてやるぞ」

「それじゃあ……今度、膝枕でもしてもらおうかな?」

「いいぞ。ついでに、耳掃除もしてやる」

 

 そう言って、百代は凛の耳元に息を吹きかけた。

 

「それは楽しみだ……っと、そろそろ起きよう。ご飯食べにいかないと」

「ん、もうそんな時間か……凛、私の下着とってくれ」

 

 百代は、凛の少し離れた場所にある下着を指さした。それを受け取ると、シーツを体に巻きつけて、シャワールームへと向かう。

 

「服着たら教えて。俺も歯磨くから」

「一緒に来てもいいんだぞ?」

「高校生の性欲舐めたらダメ。そのまま、始めたくなるから」

「……凛のえっち」

 

 そう言いながら、百代は自身の肉体を軽く抱きしめる。その姿はとても扇情的であった。

 ――――挑発してるんですね。わかります……静まれ俺!

 扉が閉まったあと、凛も衣服を身につけ、ついでにカーテンを開ける。窓一杯に広がる海は、朝日を受けてキラキラと光っていた。砂浜には散歩をしている人の姿も見える。

 ソファの背もたれに座りながら、それをぼーっと眺めていると、百代の声が聞こえてきた。凛はそれに返事をして、彼女のいる場所へと向かう。

 

 

 □

 

 

 シャコシャコと小気味良い音をたてながら、2人は仲良く歯を磨く。

 百代は身だしなみを軽く整えているため、寝ぐせなどもすでに見当たらないが、起きたままの凛は、左側面の髪がくるりとハネていた。そんな部分ですら愛しく思えてしまうのは、恋人であるからだろう。

 百代はそれを確認して、空いているほうの手で撫でつける。もちろん、そんなことでそれは治まったりしない。彼女の手が通り過ぎると、また勢いよくくるりとハネた。

 凛と百代の視線が、鏡越しにぶつかる。彼女はもう一度撫でた。またハネる――どうやら、彼女は楽しんでいるようだ。彼は彼で、別に悪い気はしないため、そのまま歯を磨き続ける。

 

「あとで、私が直してやる」

 

 先に口をゆすいだ百代が、嬉しそうにそう言った。凛はただ頷く。

 まったりとした時間だった。

 

 

 ◇

 

 

 朝食に向かう前に、凛と百代はそれぞれの泊っていた部屋を目指していた。2人でそのまま行ってもいいのだが、朝から2人揃って皆に合流すると、絶対に勘ぐられ微妙な空気になりかねない。それを避けるためであった。

 ちなみに、百代の同室だった一子と凛の同室だった大和には、各々があらかじめ2人で過ごすことを伝えてある。最初はきょとんとする一子であったが、姉から少し詳しい事情を聞かされると大いに慌て、大和の方は先に卒業する仲間を快く送り出してくれた。

 2人はエレベーターを降り、部屋のある方へと歩く。その途中、なぜか岳人が向こう側から現れた。朝食まではまだ時間がある。

 

「うおーす。なんだなんだ! 2人は朝から散歩デートか?」

 

 勝手に勘違いしてくれる岳人。それでも視線は厳しいものであった。デートだけでもこの視線である――もし、2人が抜け出してニャンニャンしていたと知ったら、この男がどうなるか想像もつかない。何かに変身してしまうのではなかろうか。

 凛がそれに答える。

 

「……まぁな。岳人はどうしたんだ?」

「俺様も少し浜辺を散歩しに行くところだ」

 

 まさか朝日を浴びるためなどという、健康的な理由ではなかろう。まだ付き合いの短い凛でも、その理由を容易く想像できる。

 岳人が声を潜めながら、凛に問う。周りには3人以外、人影はない。

 

「綺麗なお姉さんが一人で歩いたりしてなかったか?」

「えーっと……俺たちのときは見かけなかったかな」

 

 百代は隣で呆れている。

 

「まじかよ! 犬を散歩させているお姉さんに、声をかけるシュミレーションとかやりまくったんだぞ……い、いや今行けばいるかもしれん! んじゃあまたあとでな」

「おう……まぁ頑張れ」

 

 いないとは言い切れないため、凛も応援するしかない。

 

「まかせとけ! とびきりの美人を捕まえてきてやるからよ!」

 

 前フリのような言葉を残し、ガッツポーズをした岳人は悠然と歩いて行った。

 その後ろ姿を見送る凛は感心していた。

 

「岳人のあの行動力は凄いな」

「まぁ……結果は見えているがな」

 

 百代は辛辣だった。

 

 

 □

 

 

 ガックリと肩を落とした岳人が合流したところで、皆は朝食を食べ始めた。今日も一日イベントが詰まっており、朝から車で出かけることになっている。

 まず向かったのは万座毛。そこにあった出店で、一子がいきなり食べ物を買う。

 

「サータアンダーギーおいしい!」

「犬、自分にも一つくれ! ……おお、確かに旨い」

 

 7個ほど入った袋を持った一子とクリスがはしゃぎ、それを見ていた岳人が口を開く。

 

「お前ら、さっき朝飯食ったばかりでよくそんなに……と、美人のお姉様発見!」

「どこだ!?」

 

 それに百代が食いついた。岳人の指さす先には、女子大生と思われるグループがいる。

 凛が相変わらずの百代の姿に苦笑をもらしていると、大和が声をかけてくる。

 

「凛がいない姉さんの将来を考えると、ゾッとするな」

「可愛い子大好きだからなぁ。……って、キャップそんな崖ギリギリに近づくな! 注意書きがあるだろ!」

 

 崖下を興味深そうに覗きこむ翔一の体には、既に無数の糸がゆったりと絡められていた。それに気付いた百代が、凛を見て笑みをこぼす。ちなみに、それに追随しようとしたクリスは松風に、小雪は準に止められていた。

 その次は琉球城蝶々園。

 

「おおー……なんか蝶々が僕に寄ってくるのだ」

「いくらなんでも寄りすぎじゃない?」

 

 小雪の服に止まる蝶々の群れを見た京がツッコんだ。彼女らの周りにも、まるで雪のように蝶々が舞っている。

 冬馬がその様子に微笑む。その隣で準が少し引いている。

 

「ユキは蝶々に好かれていますね」

「いやいや、若。あそこまでいくと、ちょっと画的にグロくないか?」

 

 その後ろでは、卓也が大和に声をかけていた。

 

「大和、ほら! みんな行っちゃうよ!」

 

 大和は大きな水槽の前から微動だにしない。

 

「ヤドカリには及ばないが、ヤシガニも中々……ふふ」

「ちょ、ちょっと誰か! 大和なんとかして!」

 

 昼食をはさんで、美ら海水族館。有名な観光スポットだけあって、観光客も多い。

 小さな水槽が並ぶ一角で、百代が凛に話しかける。

 

「凛、カクレクマノミがいる! 可愛い……それに綺麗だ」

「そういえば、これを題材にした映画があったような?」

「あれ、実はカクレクマノミがモデルじゃないらしいぞ。クラウンフィッシュとかいうのが正解なんだ……」

「百代詳しいな。その隣は……なんか砂の中からよくわからん魚? ……この細長い生えてる奴、これ魚?」

 

 凛が目を移した水槽には、よくわからない生物が、葦のように、無数に砂の中から生えていた。

 場所を移って、この水族館の目玉とも言える巨大水槽。ジンベエザメ、マンタ、海ガメを始めとした多くの海の生物が、ゆったりと泳いでいる。遠目から見ても、視界に全てが収まりきらないくらい広い水槽は圧巻であり、客の多くがカメラで撮影していた。どこかの地方のテレビ局もカメラをまわしている。

 

『でけぇ……さすがのオイラもジンベエザメの大きさには敵わねぇ』

「これは壮観ですね。皆、のんびり泳いでいて楽しそうです」

 

 それを眺めていた松風と由紀江が、感想をもらした。

 その隣で、小雪と京がおもむろに喋り出す。

 

「沖縄の寿司屋は大きいねー」

「お客さん、今日はどのネタに致しましょう?」

『そうそう、寿司は鮮度が命だから……って、なんでやねんっ!』

 

 松風のノリツッコミがさく裂した。百代を連れた凛が、3人に声をかける。

 

「下に移動するぞ。……って、あれ? クリスとワンコはどこ行った?」

「先ほど、2人で降りて行かれました。ステイシーさんが同行されていたので、大丈夫だと思います」

 

 巨大水槽の間近いた翔一が、上の方を見上げて、声をあげる。

 

「おい、あそこ誰かが潜ってるぞ! 俺にもやらせてくれねぇかな?」

「お前さん、本気で頼みにいきそうだな。……っ! あれはもしや迷子か!?」

 

 準が目敏く幼女を発見した。幼女はキョロキョロと辺りを見回している。

 

「親御さんがちゃんといるみたいだぜ。というか、水族館なんだから魚を見ろよ」

 

 一緒にいた岳人も魚を見ていない。その視線は、女の子と会話している冬馬に向けられている。ぐぬぬと歯ぎしりをしそうな勢いだった。

 

「葵冬馬の奴、今度は女子大生かよ! さっきは女子高生、その前は看護師! なんで、ナイスガイの俺様には一人として寄ってこないんだ!」

 

 そこまで言うと、視線を翔一と後ろからやって来ている凛に向けた。その間、冬馬はまた別の女の子の相手をしている。恐るべき男であった。

 

「でもまぁ……凛やキャップに声がかかっていないだけでも、救われるぜ」

 

 それを聞いた卓也が、水槽から目を離す。

 

「いや、凛にはモモ先輩が一緒にいて、キャップは絶えず動き回ってるからじゃないかな?」

「そんな冷静な分析は求めちゃいねえ! ……ん? ところで大和はどうしたんだ?」

「なんか、この先にあるオカヤドカリ? とかいうヤドカリの展示があること知って、引き寄せられていった」

「しょうがなぇヤドカリマニアだな」

 

 そして、外に出た一行は売店で一旦休憩をはさむ。

 そこでココナッツジュースを買った卓也だったが、期待していた味ではなかったらしい。他のメンバーもそれぞれ飲み物を手にしていた。

 

「うわっ! 初めて飲んだけど、あんまりおいしくないや。岳人飲む?」

 

 ちなみに、ココナッツジュースはその生産地によって味が異なり、甘いものもあれば、味がとても薄いものもあったりして、その場合予想と反しておいしくないと感じることもある。

 岳人は差し出されたココナッツを前に、苦い顔をしている。

 

「モロ……おいしくないと言ったものを平気で人に薦めてくるな!」

 

 そこへ一子が加わる。

 

「でも、ココナッツジュースは栄養満点だから、体に凄くいいのよ! 天然のスポーツドリンクって言われてるぐらいなんだから」

「なに!? ……そういうことなら、俺様も飲んでおかないとな! クリス! お前の残した分も飲んでやるよ」

 

 そのまま、一気に2つのココナッツジュースを飲み干す岳人。「いい飲みっぷりだ」と、翔一が囃し立てた。

 それを見ていた凛が、さらに説明を付け加える。

 

「まぁ……飲み慣れていないときに大量に飲むと、腹壊すこともあるけどな」

「お前、なんで全部飲みほした後に言うんだよ! そういうことは先に言え!」

 

 最後まで賑やかな一行であった。

 その次は森のガラス館へ向かう。そこではオリジナルグラスを作り、翔一がその素質を見込まれて勧誘を受けたり、凛と百代が互いに自作のグラスをプレゼントしあい、周りから冷やかされたりした。

 そして、最後におきなわワールドを楽しんだ一行は、また宿泊しているホテルへと戻ってくる。夕食をとったあと、男女分かれて風呂に向かった。

 

 

 ◇

 

 

 百代が湯に浸かり、のんびりしていると、京がすーっと近づいてきた。

 

「昨日、なんかあった?」

「ん? なにがだ?」

「あれ? ……気のせいかな」

 

 そこへ他のメンバーも集まってくる。クリスが2人を見比べながら、口を開いた。

 

「何の話をしてるんだ?」

「モモ先輩、昨日なんかあったんじゃないかと思って、聞いてみたんだけど――」

 

 そう言って、京が一子と目を合わせた瞬間だった。

 

「な! な、何もなかったわ!!」

 

 一子は何も聞かれてないのに、大きく否定の声をあげた。それには、京のほうが驚いたらしく、目を見開いている。百代を除いた他のメンバーも同様だった。

 しまった。それすらも表情にでてしまう一子。そのまま、どうしようとしょぼくれた顔で姉を見る。

 百代はそんな妹を見て、ただクックと笑う。可愛くて仕方がないといった様子だった。怒っていないという意味を込めて、妹の頭をポンポンと撫でる。

 

「別に秘密にしていたわけじゃないから、ワンコが気にすることはない。ただ、凛と私は昨日の夜、一緒に寝たというだけだ」

「なんだ……びっくりした。犬があんまりにも大きな声出すから、何か重大なことでも起きたのかと心配したぞ。そうか……モモ先輩、凛と寝たのか…………って、えっええぇえぇぇ!!」

 

 今度はクリスが立ちあがり叫んだ。小雪はただ興味ありげに頷くだけ。

 その隣で、由紀江が顔を真っ赤にする。

 

「つ、つつつつまり……それは、モモ先輩と凛先輩がまぐ……はぅ」

「やっぱりそうだったんだ。なんか朝から2人の様子が違って見えたから、おかしいと思ってたの」

 

 京の視線を受けとめながら、百代が問う。

 

「凛も私も別段おかしくなかったと思うけどな……」

「んーなんていうのかな? こればっかりは空気が違ったとしか言い様がない」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ……それで?」

 

 京がずずいと顔を寄せる。他のメンバーもそれに続いたが、一子だけは「体洗ってくる」と、その場から逃れていった。

 

「いや、お前ら一体何を期待してるんだ? 詳しい内容なんて、いくらお前らでも教えないぞ」

「えー……じゃあ、軽い質問。気持ちよかった?」

「それ軽いのか? まぁ……私はまたやりたいと思ったな」

 

 百代は軽く笑って、そう答えた。由紀江が続く。

 

「い、痛くはなかったですか?」

「個人差があるらしいけど、正直言うと、痛かった。でもそれ以上に――」

「それ以上に?」

「凛を感じられて嬉しかったかな」

『エロティカだぜ』

「まゆまゆ、今ここに松風いないからな?」

 

 小雪が声を発する。

 

「赤ちゃんできたら、僕に抱かせてほしいのだ!」

「さすがに気が早すぎるけど……抱くくらい構わないぞ?」

「わっほーい」

 

 クリスがその話題を広げる。

 

「な、名前はどうするんだ!? キラキラネームとかは、子供のことを考えるとよくないぞ! いくらモモ先輩と凛の子供だと言っても、自分は那後と書かれた漢字をダリアなんて呼ぶ気はないからな!!」

「いやクリス落ち着け。まだ子供はできてないから」

 

 荒ぶるクリスを百代がなだめる。その最中も、「礼をペコなんて呼べない、月夢杏をルノアなんて呼べないんだ!」とブツブツと呟いていた。

 その後は、他愛無い会話へと移って行った。

 

 

 □

 

 

 百代は凛の隣を歩く。当然、手は繋いだままだ。

場所はホテルの前にある砂浜。打ち寄せる波が、耳に心地よく響く。

 

「あーあ……明日にはもう川神に戻るのかー」

「あっという間だったな」

「本当に夢のような時間だった気がする」

「色んな思い出ができたもんね」

「その中には、一生忘れない思い出もあるしな――」

 

 そう言って、百代は凛に笑いかけた。彼もそれに笑顔で頷く。

 百代がさらに言葉を続ける。

 

「写真、また焼いてくれるか?」

「もちろん! たくさん撮ったしね。ステイシーさんと李さんには感謝しないと」

 

 旅行中、事あるごとにシャッターを切ってくれていたのが、この2人であった。また凛がいないところでも、撮影をしてくれているので、彼自身どんな写真があるのかワクワクしている。

 百代が足を止める。

 

「なぁ凛……最後にもう一つ、思い出をくれないか?」

「俺があげられるものならね」

「なら大丈夫だ――」

 

 百代は凛と向かい合うと、目を閉じ、顎を少しあげた。彼もそれ以上は何も言わない。

 

 

 

 

 

 

 

 聞こえるのは、波の騒ぎ立てる音――。

 

 

 

 

 

 

 

 潮の香りが、シャンプーの香りに変わり――。

 

 

 

 

 

 

 

 何度なく交わした柔らかい感触――。

 

 

 

 

 

 

 

 感じられる微かな甘み――。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、蕩けるように微笑む最愛の彼女――。

 

 どうやら、思い出はもらったりあげたりするものではないらしい。

 

 2人は、旅行最後の思い出をつくった。

 

 

 




ついに60話かぁ……。

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