真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束-   作:chemi

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『覇王、学校へ行く』

 

 

 一日の入院を経て、万全の状態へと戻った凛は、皆より少し早い朝食を済ませ、学園とは別の方向へと足を伸ばしていた。人通りの少ない道路、その頭上からは楽しげな雀のさえずりが聞こえ、何とも気分を良くしてくれる。

 凛は辺りの気配を探り、人気がないことを確認すると、珍しく塀の上へと飛び乗った。その動作は猫のように身軽であり、着地したあとも一切の揺らぎがない。そのまま、すいすいと歩いていく。

普段の凛ではやりそうにないことだが、どうやらテンションがあがってるらしい。

 T字路に差しかかり塀が途切れても、少し踏み込むだけで、道路を軽々と飛び越え、先に続く塀をさらに進んでいく。

 ――――自由に体が動くってのは最高だ!

 たった1日であったが、体を自分の意思で動かすことができなかった――この体験は凛にとって初めてことだった。起きる、歩く、掴むといった基本動作ができない。必然、食事をとることができない、さらに、トイレに行くのにも人の力を借りなければならなかった。

普段、意識することなくこなしていることができないことによって、その一つ一つを強く意識させられた。

 特に、凛は壁を越えた存在である。よって、一般人よりもおおいに無茶ができる上、たとえ無茶をしたとしても支障をきたすことすらないことが多い。

 ――――気の力か……。

 凛は何気なく右手を閉じたり開いたりを繰り返す。しびれもなにもない、なんの問題もないようだ。

 ただそれだけのことなのに、凛からは笑みがこぼれた。

 ――――そのうち忘れてしまうかもしれない……でも、こういう普段何気なく行ってること、行えることに感謝しないとな。

 凛は満足したのか、塀から飛び降りると、また道を真っ直ぐと歩きだした。そして、仲見世通りに入る。

 仲見世通りもいまだ準備中であり、昼間のような賑やかさはなく、遠くでシャッターを開ける音が聞こえるほどに静かである。

 その途中、家から出てきたおじいさんやおばあさんにも挨拶をしながら、目的の場所――川神院を目指した。百代を送り届けることも多い凛は、その道中で顔見知りが増えているのだった。

 一緒に帰ることが増えてから分かったことだが、百代はおじいさんやおばあさんにも、よく好かれているらしい。彼らにとっては、武神である彼女も可愛い女の子、あるいは孫のような存在といった認識なのだろう。

 ――――ちょっと早かったかな……。

 凛はそこを歩きながら思った。目の前には、もうすっかり見慣れた川神院の門がそびえている。鍛錬場から威勢のよい掛け声が聞こえないところをみるに、ちょうど朝食時なのかもしれない。

 凛は近くのベンチへと腰を下ろした。残暑も終わりを告げ、暑くもなく寒くもなく、ちょうど良い気温である。10月ももう目前。彼が転校してきて、もうすぐ半年になる。

 ――――あっという間だったな。というか、色んな事が起き過ぎだろ、この半年。

 武神との邂逅。東西交流戦。クローン組の登場。姉貴分の転入などなど――思い出せば、きりがない。

 時間を確認した凛は、カバンの中を漁ると、お気に入りのデジカメを取り出した。暇つぶしに、それを一からずらっと鑑賞していく。

 

「あー……これ、歓迎会のときのやつか」

 

 凛の目に留まったのは、不意に撮られた百代との2ショットであった。

 ――――あの頃から大胆だったな、百代は。

 凛も大概であったが、自身のやったことはあまり覚えていないらしい。

 そんな風に思い出に浸っていると、声がかけられる。

 

「凛君じゃない? おはよう、こんな時間からここにいるなんて珍しいわね。どうしたの……と聞くのは野暮かしら?」

 

 その声がする方へ顔を向けると、そこには武神すらも容易く追い詰める近所のおばちゃん――真理子と正子がいた。

 凛は2人に朝の挨拶をすると、正直にこの場へ来た理由を話す。どう取り繕おうとも、どうせ、あとでばれてしまうからだ。

 

「今日はモモ先輩のお出迎えに来ました」

 

 その返答に、微笑みを浮かべながら、うんうんと頷くおばちゃんたち。

 真理子が口を開く。

 

「そうよねぇ……百代ちゃんの彼氏だもんね。少しでも早く彼女には会いたいものねー」

 

 正子がハッとして、真理子へと問いかける。

 

「いえ、もしかしたら……ほら、あれよ。百代ちゃんって、ああ見えて甘えん坊な所があるじゃない? 凛君にお願いしたのかもしれないわよ!」

「ありえるわね。昔から構ってもらえないと拗ねたりすること多かったし……」

「きっとそうよ! 初めてできた彼氏なのよ。もう見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、甘えているに違いないわ!」

 

 ――――さすが幼い頃から百代を見ているだけあるな。しかし、これは……どうすればいいんだ? 俺は黙っていればいいのか?

 おばちゃん2人が凛そっちのけで盛り上がる中、彼は身動きがとれず困っていた。

 その話題でひとしきり盛り上がったあと、凛を置いてけぼりにしていたことに気付いた2人は、別の話題をふる。

 

「そういえば、凛君。入院していたって聞いたけど」

 

 情報が出回るのはさすがに早いらしい。

 

「あ、はい。昨日一日だけですが、安静にする必要があったので……」

「あの九鬼の強面の……ヘルシングさんって言ったかしら。あの人とやりあったんでしょう?」

 

 この真理子の一言には、凛も少し驚いた。

 

「その通りなんですが、よく知っておられますね」

「私達の情報網を甘く見ないことね。昨日の大橋での出来事もちゃんと知ってるわよ」

「ああ……大事にならなくてよかったですよね」

 

 朝の変態橋で、雪辱を果たそうとした項羽が百代へと勝負をもちかけ、一時騒然となったやつである。

 幸い、それに気づいた鉄心、ルー、ヒューム、クラウディオといった壁越えの者達が現れ、すぐに決闘禁止令が出されたため、その場はなんとか治まりみせたものの、この出来事は瞬く間に皆の知るところとなった。

 正子が困り顔で呟く。

 

「あの大人しい清楚ちゃんが、あそこまで変わるなんて、不思議なこともあるものよね。義経ちゃんたちのことも驚いたけど……」

「そうね。でも、九鬼の方たちがいるのはわかっているけれど、正直な話、大丈夫なのかしら?」

 

 放送された項羽の印象も強く残っているため、この2人を含め、川神の住人の多くは少なからず不安を抱いていた。

 

「モモ先輩の話では、無闇やたらに危害を加えるような人じゃないみたいですから、大丈夫だと思いますよ。俺も一目会っただけですけど、大丈夫だと思ってます。それこそ、何か起ころうとすれば、昨日みたいに学長らが即座に動いてくれるでしょうし、俺やモモ先輩もしっかりフォローするつもりですから、あまり怖がらないであげてもらえると助かります」

「凛君がそう言うなら、おばさんたちもできる限り協力するわ。川神の女は肝の据わった人が多いから、まかせなさい!」

 

 正子が胸を力強く叩いた。

 そこからは、学園での様子を聞かれたり、大和が京と付き合い始めたことについて聞かれたりして、時間が流れて行った。

 その大和についてだが、凛と同じく今日から学園へ通うらしい。詳しい事情はわかっていないが、京の愛が彼を立ち直らせたのだろうと凛は勝手に思っている。

 それよりも驚いたのが、葵紋病院に勤めている真奈美が、正子の娘であったことである。その真奈美が岳人からの求愛に少し困惑していると聞いて、凛も苦笑いでお茶を濁すほかなかった。

 その正子情報によると、隠れてお付き合いしている男性がいるとのこと――それを聞いてよかったのかと問う凛に対して、正子はここだけの秘密だと笑う。

 これは絶対噂として広まるタイプだ。凛は密かにそう思うと同時に、岳人の努力がむなしい結果に終わることを知ってしまった。

 ――――秘密だと言われたが、このまま岳人が無駄な時間を過ごすことになるのも止めてやりたい。それとなく真奈美さんを諦めさせるか……でも、中途半端にやめとけっていって、余計にやる気出されたりしたら困るよなぁ。

 あとで考えよう――凛はそう結論付けた。しかし、その『あと』の頃に覚えているかどうかは、甚だ疑問である。

 

 

 ◇

 

 

 そして、凛の待ち人である百代がやってきたのは、正子と真理子が去ってまもなくだった。まるで見計らったかのようなタイミングであったが、彼が特別気にすることでもない。

 門から姿を現した百代は、凛の姿を見つけるや否や、ぱっと笑顔を咲かせ、飛び付かんばかりの喜びようだった。それは行動にもすぐ反映され、物陰に素早く彼を引っ張りこむと目を閉じ、無言の催促を行う。

 数度のキスを繰り返し、静かに抱きしめあう2人。

 百代がぽつりとつぶやく。

 

「家を出て、最初に見れる顔が凛とか、今日は最高の一日になりそうだ」

「喜んでもらえて何より。そろそろ学校行こうか?」

「んー凛から離れたくないー」

 

 そう言いながら、百代は凛の首元に顔を埋めた。その様子は陽だまりを見つけた猫――今にもごろにゃんと満足そうに喉を鳴らしそうである。

 凛は、そんな百代を見て、先の2人の言葉を思い出し、笑みをこぼす。さらに、彼は彼女をより強く抱きしめた。それに反応した彼女が、お返しとばかりに同じ動作をとる。

 

「どうしたんだ? 朝から熱烈だな……嬉しいけど」

「こうやって抱きしめられる幸せを噛みしめてる」

 

 凛の言葉に、百代は首を傾げた。

 ――――やっぱり、自分で動けないのは嫌だな。病室でのアレはアレで最高だったけど。

 凛は百代の頭を撫でながら、もう少しだけこうしていようと考えるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 3時限目が終わったところで、凛は3年生のSクラスをこっそりと覗いていた。

 個人的にも清楚のことが気にかかっていたのに加え、正子や真理子にもフォローすると言った手前、早めに様子を窺っておこうと思ったのである。

 

「項羽のやつ、早弁してるな……」

 

 凛が屈みながら見ているのに対して、その上にのっかっている百代が口にした。

 なぜここに百代がいるかというと、さすがに上級生のクラスを一人で覗き見るのもどうかと思った凛が誘ったからであった。

 もっとも、百代であれば、凛に誘われるまでもなく、自身の階にやってきた彼の気配を感じれば、全てを捨て置いてやってきそうではあるが。

 

「食べ終わったあとには、コーラか。……ぐびぐびいってるねぇ」

 

 さらに百代の上にのっかっていた燕が、実況した。彼女は、単におもしろそうなことをしている2人に、ついてきたのである。

 項羽の豪快な振る舞いに困惑気味のSクラス内、加えて、その廊下からは新武道四天王のうち3人が団子のように積み重なり、彼女の様子を監視しているという珍妙な光景がそこに出来上がる。

 そして良く見れば、教室内の隅にも、彼らと同じように、項羽の姿を遠巻きに見守る生徒がちらほらと見受けられた。

 ――――まぁあれだけの変わり様を見せられると気になるよな。あ、机の上に足のっけて、ヤングガンガン読み始めてる。

 その隣では、全く動じる様子のない、普段通りの彦一が本を読んでいる。項羽は何かツボにはまったのか、くっくと笑いをこらえながら読み進めていた――かと思えば、雑誌が机の上にばさっと落ち、彼女はその場から姿を消す。

 そして、次に姿を現したときには、凛達の目の前であった。

 

「先ほどからコソコソと覗きおって、何用か?」

 

 その一瞬の出来事に場はしんと静まり、次いで学園でもトップクラスの武力をもつ者たちの接触に周りがざわつく。

 最初に、項羽の言葉に反応したのは百代。

 

「学園になじめているか気になって、見ていただけだよ。あと……読み終わったらでいいから、私にもヤングガンガン読ませてくれ」

「余計なお世話だ。それと、あれはまだ読み始めたばかりだから、当分貸さんぞ」

 

 百代を適当にあしらった項羽は、あとの2人を見やって、何やらご機嫌になった。

 

「松永燕に夏目凛……百代も合わせて、この学園でもトップの実力者が揃いぶみか。その貴様らが、わざわざ俺に挨拶にくるとは。その行動褒めてつかわす!」

「本当に清楚とは全然違うんだねぇ。よかったら、松永納豆どうぞ!」

「うむ! 貢物も準備しているとは、燕は中々気がきいているな」

 

 さらに凛が続く。

 

「改めて、2-F夏目凛です。項羽先輩、よろしくお願いします」

「はっ! 真面目なやつだ……だが、そういう所も好ましい。俺に対しても態度が変わらんのもいいな! 他の奴らときたらビクビクして、碌に声もかけてこんからな」

 

 百代がそこにツッコミをいれる。

 

「そりゃ、あれだけ暴れた項羽見れば、びびるだろ。私もそういう態度とられることあるから、なんか親近感わくな」

 

 ――――一緒にいるときがああだから、あんまり気になったことないけど、Sクラスの人たちですら、百代の前では態度が丸くなるからな。歩く天災という別名もあるらしいし……我ながら、凄い人が彼女だな。

 凛は、歩く天災という単語がおもしろかったのか、にやけそうになる顔を必死に我慢した。

 その間も会話は続く。

 

「同学年のみんなも、そのうち慣れてくるんじゃないかな? まぁさすがに1年生とかは、3年生なんて大人びて見えるだろうし、こっちから声でもかけない限り、絡みにこないだろうけど。その上、武力がカンストしてるんだから、はっきり言って恐怖の対象と見られていても不思議はないよね」

 

 燕はカラカラと笑いながら締めくくった。

 その言葉に項羽が噛みつく。曰く、怯える必要などない。敵対しないものには優しいのだと。

 それに反応したのは百代。

 

「じゃあ、好敵手宣言された私はアウトじゃないか!?」

「ででーん! ももちゃん、アウトー!」

「いやでも待て……強敵と書いて、『とも』と呼ぶに分類されるんじゃないか? 私と項羽の関係は。そうだよな!」

「いや、百代は好敵手だが」

「ででーん! ももちゃん、やっぱりアウトー!」

「ぐはっ、これって私には優しくしないっていうのを遠回しに告げられてるのか? あと、燕うるさい」

 

 女が3人寄ればなんとやら、燕は言わずもがな、百代も項羽も何気に楽しげである。それを傍から見守っていた凛は思う。

 ――――この3人の容姿が抜群に整ってるってのも、緊張しちゃう一因だろうな。俺も中学時代、燕姉と普通に会話してるのクラスメートに羨ましがられたことあったし。

 そこへ、彦一の声が届く。

 

「お前達、そろそろ授業が始まるぞ。遅れることのないよう気をつけろ。葉桜君も弁当箱はしまっておきたまえ」

 

 その言葉に4人は素直に従い、各々の教室へ戻っていく。

 ――――でも、さっきの様子をみるに、どうこうなる様子もないな。決闘禁止の裏には、俺のときのような条件でも付けられてるのかも……。

 凛は百代らと別れたあと、F教室を目指した。

 

 

 □

 

 

 時間は進み、放課後。茜色に染まった空の下、彦一と項羽は、以前と同じように、肩を並べて下校していた。

 たわいない会話の中、彦一が昼時のことを思い出し、話題にあげる。

 

「それにしても、葉桜君が義経に姉様と呼ばれたときは驚いたよ」

「食堂にいた人間のほとんどがざわついていたな。凛などは妹属性がなんとかかんとか言っていたし、百代は俺につっかかってくるし……そんなに驚くことか? 俺はクローン組でも年長だ、よって、姉様と呼ばれても不思議はあるまい」

「言われてみれば、そうなんだが、突然だったからな。しかし、あの場でのやりとりが、多くの生徒たちの恐怖心を和らげたようだ。帰り際も数人ではあったが、挨拶をしてくる者もいたからな」

「ふむ、義経のおかげか……よし。帰ったら、たっぷりと可愛がってやるとしよう」

 

 項羽が機嫌よく笑った。彼女は清楚のような可憐さはないが、その分、快活さがある。

 

「今思えば、夏目や川神の食事の誘いには、そういう魂胆があったのやもしれんな」

「凛は気が利きそうであるからな。さすが、俺が目にかけている奴だけある。百代は……ただ俺に絡んでくるだけだ」

「そういう割には、随分楽しそうにも見えたがね?」

 

 彦一の言葉に、項羽は慌てて言い繕う。

 

「あ、あいつは俺が好敵手と認めた相手だ。よって、敵のこともよく知る必要があるだろう? そのために情報を引き出そうとしていたんだ! ……本当だぞっ!」

 

 そんな項羽に対して、彦一は微笑むのみ。それを見た彼女は隣で吠えるが、彼は気にせず喋りだす。

 

「まぁ、思ったより心配せずともよさそうで安心したよ」

「……こいつ、覇王である俺の言葉を無視しているな。ぶれ――」

「ああ、そうだ。葉桜君は杏仁豆腐が好きだったね? 京都の懇意にしている方から贈られてきたものなのだが、これが中々の絶品……良ければ、君にも食してもらおうかと思ったんだが」

「むぅ……まさか、それで俺への無礼が帳消しになるとでも?」

 

 不機嫌そうな態度をとる項羽。しかし、その瞳はランランと輝いているようにも見える。

 

「いらないかね? 残念だ、ならば夏目にでも――」

 

 そう言いかけたところで、項羽が片手をあげ制止する。

 

「いや待て待て! 仕方ないな! そこまで言うならもらっておく。王たるもの寛大な心をもつことが重要だと、言われたばかりだしな! 今回の無礼も特別に許してやるぞ」

 

 そして、項羽はたっぷりと間をとってから、再度言葉を続ける。

 

「それで……その杏仁豆腐は、それほど旨いのか?」

 

 その後、杏仁豆腐を頂いた覇王様は、一子顔負けの笑顔を作るのだった。

 

 

 




覇王様、チョロすぎる……か?

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